窓外の虚構
車窓からは、海が見えた。
僕と先輩しか乗っていない電車は、ごとんごとん、音を立てて走り続ける。
並んで腰掛ける僕らは、同じタイミングで影に入って、同じタイミングで影から出た。光の中で、交錯する僕らの影は、じゃれついているようにも視える。伸びたり縮んだりするソレは、子供同士の喧嘩にも思えた。
「……先輩」
「ん?」
先輩は、窓の外を眺めていた。
彼女の横顔は、表情を失くし、眼差しには安らぎがあった。
「僕を裏切ってないって……ホント?」
「ん」
「なら、ちゃんと、説明してよ」
「あたしは、シャル派なの」
窓外に伸びる海原を見つめたまま、先輩はささやいた。
「ファイナル・エンドの制作に携わってたならわかるでしょ。大体のユニークNPCの基礎を創ったのはシャルとレアで、あのフザけた名前の大半の名付け親はクラウド。
MANGOES、ふんたー、くぎゅー、無色帝国万歳ナリ!!、最終兵器ラ王、通りすがりオジSUN、それにエレノア。
ふんたーとくぎゅーの名付け親はシャル……つまり、あたしの名前を付けたのはシャル。だから、あたしは、シャル派。あの子は、カワイイ名前を付けたがるの。エレノアの名付け親はレア。エレノアから二文字抜くと、レアになるでしょ。なので、あの子はレア派」
「いや、さすがに、そこまで把握してないよ。飽くまでも、僕、マネージャー的な立ち位置だったから」
「元々、あんたに近づいたのはレアの命令。それは合ってる」
揺れながら、先輩はつぶやく。
「姉妹で、ファイナル・エンドの管理権限は、ほぼ五分五分で割ってた。レアは、本当に、RASから抜き取った人格情報で蘇ったシャルを妹だと思ってる。だからこそ、ユニークNPCとほぼ同等のシャルに管理権限まで受け渡した。
今、こうして、あたしがあんたの隣に居られるのもそのお陰」
「つまり……先輩は、RASの人格情報で復元されたシャルの仲間?」
「仲間、っていうか、子分、っていうか、友達……かな」
「で、シャルにお願いされたから、タオって言う名前のプレイヤーの姿を借りて、僕の後を追いかけてきたの?」
こくりと、先輩は頷く。
「正直なことを言えば……あたしは、もう、あたしの姿で湊の前に現れるつもりはなかった。
だから、タオの姿を借りて、あなたのことを追いかけた」
「なんで?」
「……直ぐにわかるわよ」
その不穏な空気を辿って、追おうとしたら、咎めるように先輩は言った。
「レアの過去の領域は特殊な領域よ。部外者が入り込んだとしても、その異物を物語の一部として組み込んで進み続ける。メタAIがストーリーテラーとなって、都合の良いように整合性を取るのよ。
だから、湊はクロフォード家に厄介になってる設定で、あたしことタオは幼馴染のひとりとして流れにノセられた。さっきも言ったけど、あたしは、湊の前に姿を現すつもりはなかったから、タオという人物に成り切ってあなたを見守ってた」
「ストーリー……テラー……」
「シャルのことよ」
先輩は、ゆっくりと、僕に視線を向ける。
「最終的に、ファイナル・エンドで流れる虚構の運命は、シャルひとりの手に委ねられることになる。夢で繋がっていた、ほぼ同一品とも言える湊の脳を使ってね。RASの拡大解釈。レアは、その範囲を全人類に広げ、シャルひとりが全人類を操って、この虚構が進み続けることを望んでいる」
「だとしても……シャルが、拒めば良いだけの筈だ。RASから復元されたシャルは、あの当時のシャルのままだろ。シャルが説得に応じるわけがない。レアは当時のシャルを望んでいるから、あの子の性格や人格を歪めることも出来ない。
どちらにせよ、レアの計画は失敗する」
「今、このゲームに、何人、ログインしてると思う?」
唐突な質問に、一瞬、僕は呆ける。
「え?」
「5万1045人よ。アレから、3万人近く削れた。その残った命は、まだ、十分に心優しい子の正義感を引き出すのに使える」
「……まさか」
「レアは、説得に応じないシャルの前で、プレイヤーの命を削ってる。たぶん、言うことを聞くようになるまで」
愕然とした僕は、思わず立ち上がる。
「最初から、そういう風に使うつもりだったのか……!?」
「この世界でなら、人格情報が無事なら幾らでも復元出来る。理想の世界の住民なら、後で、何度でも補充出来るんだから、生身の命は人質として使う方が効率的でしょ。
体感時間が限りなく伸ばされてるから、現実内で死体が発見されたとしても、それは遠い未来の話になる」
「だとしても、限界があるだろ!? いずれ、必ず、明るみに出て、アイツは稀代の大量殺戮者だ!! シャルの世界だって、直ぐに終わることになる!! レアは、狂ってるのか!?」
「狂ってるわよ」
哀しそうに、彼女は笑む。
「とっくの昔に」
「…………」
「ねぇ、湊」
僕を見上げて、先輩はささやく。
「もう良いでしょ。今、デート中なんだから。カワイイ女の子と居るんだし、少しは、こっちに集中したら」
「でも、こんなことしてる場合にも……!」
「なら、ココから出て、レアを止めてくれる?」
僕は、拳を握り締めて――座った。
「ごめんね、湊……嫌なこと言ったわ……でも、今は、こっちに集中して欲しい……プログラムからのお願いだけど……聞けない……?」
「……先輩は、プログラムなんかじゃないよ」
「そう」
光に照らされた先輩は、車外に広がる大海原を見つめて目を細める。
「でも、あたしとあなたは、同じ現実には生きてない」
「…………」
「だから……今……この一瞬を……あなたの時間を……」
穏やかな波の音が、開け放たれた窓から聞こえてくる。
先輩の髪が波打って、彼女は微笑を浮かべる。
「あたしにちょうだい」
僕は、項垂れて……静かに、頷いた。