どうか、静かに
僕は、顔を上げる。
『7人が視聴中』……その表示に、僕は、安心感を覚えた。
「湊」
「…………」
「湊、もう行かなきゃ」
ウィッグをかぶって、PCの前に座り込んだ僕に先輩が語りかける。おずおずとした手付きで、彼女は、優しく僕の肩に手を置いた。
「そろそろ、貴方が居るべき世界に帰らないと」
「そんなところないよ」
マウスを動かしながら、僕は言った。
「そんなところ、どこにもない」
「湊……」
「僕は、湊じゃない」
振り向かずに、僕はつぶやく。
「ミナトだ」
「ダメよ、このままだと帰れなくなる……行かないとダメよ……湊……」
「シャルのことを想って?」
「そうよ、シャルのことを想って……こんなところに居たら、シャルだって、きっと悲しむわ……」
「そうだね」
僕は、笑顔で立ち上がる。
「シャルの創ったMAPを思い出したよ。一定時間、操作しないで居ると『立ち止まるな』ってメッセージが出るヤツ。
ほら、クラウドが口を挟んで、オブジェクトを設置したでしょ」
「そうよ、湊、立ち止まっちゃダメなの!
あのMAPは、クラウドのせいでめちゃくちゃにされたけど、実際にはシャルからのメッセージで――」
「なんで知ってる」
笑顔を消した僕が問いかけると、一瞬にして、先輩は静止する。
「なんで、僕らの創ったMAPについて知ってる。アレは、レアの過去を再現した領域内の出来事で、あそこに居たプレイヤーは僕だけの筈だ」
「…………」
黙り込んだ先輩に、僕はささやきかける。
「ココは、僕の過去を再現した領域……忠実に再現された当時のシャルは、幼馴染である筈の『タオ』のことを知らなかった。
理由は簡単だ。レアの過去の世界に入ったのは、僕だけじゃなかった。本来、過去に居なかった筈のタオも、まるで当時、本当に居たかのように振る舞っていた」
「…………」
「先輩、貴女が現れてから、僕は一度もタオに会っていない」
「…………」
「ココに来る前、タオの知り合いだと名乗ったプレイヤーは、タオに対して『お前……誰だ……?』って言ってたよ」
「…………」
「先輩、あんたが、タオなんだろ?」
ジジ……と、音を立てて、先輩の顔がタオの顔に、一瞬だけ切り替わる。
「この過去の領域で、他のプレイヤーと出会ったことはない。つまり、この領域には、他のプレイヤーは入れないんだ。
そして、この領域に入ったのは、僕とタオ、ふたりだけ……先輩とタオが切り替わったと考えれば、急に、先輩がこの領域内に現れたことも辻褄が合う」
「湊……聞いて……」
「ファイナル・エンド内でデスゲームが始まった時も、一瞬だけ、先輩の顔がシャルと切り替わったりもしたよな。よく憶えてるよ。
誰かの姿を真似られるのか? 本物のタオは、もう、とっくの昔にゲーム内で死んでる?」
「お願い、聞いて、湊……あたし、騙すつもりはなくて……」
「アラン・スミシーに命令されたのか?」
「違うっ!! 違うのっ!! 湊、お願い、聞いてっ!!」
「まるで、人間みたいな口を利くんだな」
びくりと、先輩は震えた。
青ざめた先輩は、ぱくぱくと口を開閉させて僕を見つめる。
「もう、正体はわかってる。あんたは、僕の敵だ」
「違うっ!! 違うからっ!! あ、あたし、湊の味方よ!! あたしは、あんたの相棒でしょ!? 理由があるの!! お願い、聞いてっ!!」
「だったら、なんで、正体を隠して近づいたっ!? あんたは、クラウドを介して紹介されたんだ!! だとしたら、アラン・スミシーの手先に違いないだろ!?」
両手で顔を隠して、僕は頭を振った。
「おかしいとは思ったんだ……」
――チャンネル登録者数を見せるとか、じゅ、準備が必要じゃない?
「あの時、ゲーム内の表示を弄って、画面だけを見せた……本当は、自分のチャンネルなんて持ってないんだろ……?」
――やっぱり……あたしは、こういうの……やだ……
「ゲーム内のことに、本気でこだわりすぎてた……」
――あれ? くぎゅー?
「まるで、旧知の仲みたいにエレノアと仲が良すぎた……なにかを隠すみたいに、エレノアとの接触を避けようとしてた……」
――ミナトは、あたしを置いていったりしない?
「あの台詞は、そのままの意味だったんだろ……?」
両手の隙間から、僕は、先輩を見つめる。
「なんで、この世界で、車に跳ねられたのに蘇生できた?」
呼吸を忘れた彼女は、呆然としたまま、僕を見つめ返した。
「答えは簡単だ」
僕は、言った。
「あんたは――虚構だ」
正解を示すかのように、先輩は、両目を大きく見開いた。
「ふふ、最初から……最初から、僕を騙そうとして……この領域に来たのも、レアの指図か……僕を慰めて、籠絡しようとしたんだろ……なにが『進み続けるしかない』だ……もう、嫌だ……誰も、僕を視てくれない……もう、裏切られるのは嫌だ……婆さんを返してくれ……シャルを……母さんを……返してくれよ……」
「湊……」
「黙れ。もう十分だ。あんたが、NPCだってことは気づいてた。プログラム通りに動いてるって。でも、信じようとしたんだ。その結果がコレだ。あんたは、僕に母さんの死を見せつけて、自分の都合の良いように操ろうとしたんだろ」
「湊、お願い、聞い――」
「アラン・スミシー!! もう、たくさんだ!! 来いよ!!」
すっ、と。
音もなく、アランは現れて、僕の前で微笑む。
「想像以上の成果を上げたな。そこのNPCを放置しておいて正解だった。本来の計画とは違うが、やはり、彼女が最後の切っ掛けになったか。静かに、見守っておいて正解だったよ」
「僕は……婆さんの最後の説教に背こうとは思わない……母さんの死も認める……でも、もう、たくさんだ……静かに暮らせる場所に連れて行ってくれ……もう、これ以上、現実に裏切られるのはごめんだ……あんたは、この世界で、シャルと一緒に暮せば良い……」
「そうだな、それで良い」
アランは、かつてのレアのように微笑んだ。
「それで良いんだ、湊……お前は……間違えていない……」
「ダメよ、湊!! 行かないで!! お願い、湊!! 湊っ!!」
追いすがる先輩の手を振りほどいて、僕はアランの差し出した手を掴む。
「先輩、ごめん」
僕は、微笑を浮かべる。
「もう、疲れたよ」
「……湊」
涙を流しながら、膝をついた先輩の顔が――掻き消える。
気づけば、僕は、アパートの中に居た。
僕だけが存在するアパートには、古ぼけたPCが一台だけ備わっている。僕は、ウィッグをかぶって、配信を開始した。
「こんにちは」
僕は、微笑む。
「ミナトです」