ミナト
母が死んで、シャルは消えた。
正確に言えば、母が死んで、暫く経ってから……夢の中で、シャルと出会っても、僕は避けるようになって……気がつけば、シャルは僕の前から消えて、もう二度と現れることはなかった。
理由は簡単だ――シャルも死んだから。
いつの間にか、僕は、ひとりぼっちになっていた。
葵はどこかよそよそしくなり、一旦、葵の家に引き取られた僕は、その微妙な距離感に耐えられなくなっていた。普通、他人の子供に対して、自分の子供と同じ愛情を注ぐことは出来ない。
葵の両親は、とても良くしてくれた。
でも、僕は、耐えられなかった。
その哀れみに満ちた両目が。その悲しそうに曇る表情が。その揺らぐように移ろう寄り添い方が。
だから、僕は、あのアパートに戻った。
唯一、実の父が父親らしいことをして、律儀に家賃を払い続ける終の棲家に。
井上さんからもらった家具の中に、古いパソコンが一台あった。
そのパソコンでやることと言えば、無料で視られる動画投稿サイトを見るくらいだった。なにせ、金がない。やれることと言えば、どこかの誰かが投稿した動画を視て、乾いた笑い声を上げるくらいだった。
そんな日々を過ごしていたら、徐々に金がなくなってきた。
稼がなければ……だが、中学生の僕を雇ってくれるような所はなかった。年齢を誤魔化そうにも、僕は童顔過ぎたし、なにかと様子を見に来る葵にバレて、彼女の両親に『湊は、生活に貧している』と報告されるのがオチだった。
そんな時、僕は、Vtuberの存在を知った。
少し調べてみたが、どうやら、儲かるらしい。顔を出すこともないので、リスクは低いように思えた。井上さんのお陰で、配信環境も整っている。Vtuberとして活動するのに、障害はないように感じた。
「…………」
僕は、誰かに、視て欲しかった。
母の代わりに。
誰か、僕を、ただひとりの人間として。
こうして、僕は、本格的に、Vtuberデビューを目指して動き始めた。
少し調べてみれば、男性Vtuberとして活動するのは難しいことがわかった。チャンネル登録者数ひとつ視ても、女性Vtuberが有利な業界だ。だとしたら、女性Vtuberとして活動するしかない。
「…………」
その時、頭に浮かんだのは――シャルだった。
どうして、今の今まで、忘れていたのだろうか。
シャルと僕は、顔も似ている。自分の偶像として、シャルをモデルにするのは、良いアイディアのように思えた。
図書館に通いモデリングの勉強をして、フリーモデルを改造することにした。古いデバイスなので、あまり精巧に作りすぎると動かない。有料のソフトで一枚絵を動かそうとも思ったが、なぜか、僕は3Dモデルにこだわった。
「どうして、女装なんてするんですか」
その頃には、葵は、僕に敬語を使うようになっていた。
「……意味がわからない」
今、思えば、彼女は僕への接し方がわからなくなっていたんだろう。彼女なりの最善の触れ合い方が、こうだったに違いない。
なにはともあれ、葵は、僕から離れようとしなかった。
たぶん、それは呪いの類で。
母の死体が退かされたベッドを、誰もいない空白を、思い出すら消毒されたソレを、じっと見つめ続ける僕に責任感を覚えたんだろう。
――どんぐりを100個集めれば、願い事が叶うらしいよ
きっと、ひとりの少年に、優しい願い事を教えてしまったから。
葵には、なんの罪もない。
むしろ、僕を励まそうとしてくれた心優しさには感謝の念しかない。彼女が気に病む必要なんて、ひとかけらも見当たらない。
なのに、葵は、未だに僕の傍にいる。
――ずっと、ミナトくんの傍にいる
まるで、自分は、死んだシャルの代わりだと言わんばかりに。
僕の身の回りの世話を焼き続ける葵は、義務感に囚われているみたいだった。そんな彼女に『そんなことはしなくて良い』と言う勇気もなくて、僕は、ただVtuberになるための準備を推し進めていった。
誰かが。
誰かが、僕を視てくれる。
誰かが、きっと、僕を視てくれる。
それは、儚い妄執だ。
病院の床に散らばったどんぐりを憶えていた筈なのに、僕は、落としてしまった願い事を拾い集めようとしていた。
そして、僕は、初配信日を迎える。
それは、予定調和的に。
僕は、ウィッグを被って、配信開始のボタンを押した。
「……こんにちは」
ボソボソとした声で、僕は言った。
「ミナトです」
視聴者数0人……その数字を見つめながら、僕はささやく。
「誰かに」
画面の中の虚構が、現実の僕の声を出した。
「視て欲しくて……配信をはじめました……」
くぐもった声で、僕は呼びかける。
「誰か、居ますか?」
答えはない。
「誰か」
そう、答えはない――
「誰か……居ませんか……誰か……誰か……」
筈だった。
『1人が視聴中』……その文字を視て、僕は、思わず顔を上げる。
コメントが書き込まれていた。
『可愛いモデルですね』
藁にもすがる思いで、僕は、コメントをくれた人の名前を見つめる。
――枢々紀ルフス
この時から、僕の運命は、もう決まっていた。