色づかない郷愁
「湊」
小さな姿の幼馴染は、ボクにニッコリと笑いかける。
満面の笑顔。
ボクは、元々、葵はこんな風によく笑う女の子だったことを思い出した。くるくると回るように、表情が移り変わって、いつでも楽しそうにしている少女だった。
そう、“だった”。
「おばさんのお見舞い?」
「……あぁ」
「がっこー、終わったら、一緒に行こって約束したのに! なんで、いつも、ひとりで行っちゃうの! ずるいよ!!」
「いや、ボクは」
ボクは、己の手を見つめて――その小ささに驚いた。
カーブミラーのところまで走って、ボクは、縮んでいる自分の姿を見つめる。女の子みたいに伸びている長髪、幼さとあどけなさを残した顔立ち、地面までの距離が近づいていて言葉を失う。
――君の答えを、終着点で待つ
呆然と立ち尽くしたまま、アラン・スミシーの言葉を思い出した。
――君なら、きっと、わたしと同じ答えを出すよ
彼女は、ボクを信じている。
同じ道程を、再びなぞらせることで、回答を提示させようとしている。
コレは――
「おばさん、早く、良くなるといいね!」
僕の過去だ。
違いがあるとすれば、この時の僕は、本来であれば10歳で……現在の僕は、17歳であるということだ。
アラン・スミシーは、己の過去を領域として残した。
それは、きっと、過去から現在、未来まで、あの時の“感情”を俯瞰するためだ。彼女は、そうやって、シャルの死を刻み込み、この世界を救うためには、たったひとりの妹を救うためには、世界を創り変えるしかないと気づいた。
だから、僕に同じ目に遭わせる。
僕が、逃げ続けてきた過去に向かい合わせて、同じ答えを出力させようとしている。
僕にYESを言わせるために。
「どうしたの、湊?」
静止していた僕を覗き込んで、湊は手を引っ張ってくる。
「行こうよ、おばさんに会いに!」
ダメだ。
瞬時に、僕は、理解する。
現在の僕が、母に逢ってしまったら――進めなくなる。
「――が」
「……湊?」
「クソ野郎が……正々堂々、ゲームで勝負しろよ……まともに、VRMMOで、僕と対峙しろ引きこもりシスコン女ァ……!!」
「酷い言い草だな」
目の前を、蝶が飛んだ。
全てが――静止している。
葵も通行人も自動車も、きっと空気の流れさえも、全てが固まって動かなくなる。白黒の効果演出、押し広がるモノトーン、ぼんやりとした蒼色の光芒に包まれて、白のガードレールに腰掛けたアランが居た。
なにもかもが、白と黒に隔てられている。
色をもった僕とアランは、一匹の蝶々を挟んで対峙していた。
虹色の鱗粉を吐き散らし、その蝶は、七色の線を描きながら飛んでいく。その羽ばたきは、世界を変えていき、どこかで変化を引き起こす。遠い遥か彼方、日本の裏側、ブラジルで竜巻が起こっている。
片膝立ち。
ガードレールに座るアランの膝に、蝶々は、身を寄せるように止まった。彼女は、微笑んで、一匹の虹色を見つめる。
「そんなにも、己の過去と見つめ合うのが嫌いなのか? 10歳の自分のお目目は、今の君には眩しすぎる?」
「しゃらくさいことするなっつってんだよ、耳が腐り落ちてんのか、生ごみ処理機まで持ってってやろうかクソが」
「終着点で待つと言った」
首を傾けて、彼女は、一本の指を差し出す。
その人差し指に、蝶々はとまり木を見出して、そっと寄り添った。
「ミナト、君は、まだ終着点に着いていない。わたしと対峙する段階に至っていない」
「なんで、テメーの趣味に合わせてやらないといけないんだよ。趣味と趣味を突き合わせて、ファイトするのはお見合い会場だけで間に合ってんだよ」
「恐れるなよ、ミナト」
彼女は、せせら笑う。
「この世界は万能だ。お前にも理解出来る。理解るよ。シャルとお前の脳を用いて、理想の世界を創ろうと思える筈だ。
最後の境界を超えて至れ」
「お前、もしかして、僕に過去と向き合えって説教してるのか?」
嘲笑を返して、僕は、中指を立てる。
「1億倍して利子と追い打ちをつけて返すわ……過去と向き合えてないのはテメーだ。いい加減、シャルのお人形とごっこ遊びするのはやめて帰ってこいよ。ス○ィーブン・スピルバーグだって、自分の映画にガン○ム出して、現実で生身の女でも作れよヲタクって素晴らしいメッセージ垂れ流してる時代だぞ」
「VRゲームが普及していない時代の古典作品を持ち出して、説得力の欠ける概説をありがとう」
笑いながら、アランはガードレールを下りて、笑ってない目で僕を射抜いた。
「なら、お前は、シャルが犯されて死んだ人形劇を視て怒りを抱いたのか」
「…………」
「殺意を抱いたのか」
「…………」
「悲歎を抱いたのか」
「…………」
苦笑して、彼女は、僕の胸を人差し指で点いた。
その瞬間、蝶々は舞い上がって、僕をからかうように飛び去っていく。
「思ってもいないことを言うのはやめろ。無意味だ。その口を無為で穢すな。お前は、ただ、拱手で口を動かしているだけだ。だから、なにも響かない。お前は、まだ、お前の言葉で話していない」
突かれた箇所に、じんわりと、痛みが奔る。
「コレは、虚構じゃない。現実と虚構の境目は消え失せた。世界の繋ぎ目が、お前の目にも映ってる筈だ。
その目で確かめろ。お前の過去を題材に。その薄汚いパレットを洗って、自分の色を付けてから、わたしの前に到達しろ。
そして」
彼女の腕には、玩具みたいな腕時計が着いていて――
「わたしの妹を……たすけてくれ……」
その時間は、止まっていた。
いつの間にか、凍っていた時は動き出し、自動車の加速する音が聞こえた。
「湊」
僕は、笑顔の葵に引っ張られる。
「ほら、行くよ」
引きずられるようにして――僕は、過去の世界を歩き出した。