諦観の瞳
得体が知れない。
ニコニコとしながら、後ろを付いてくるタオを瞥見して思う。このまま、彼女を連れて行っていいのか。なにか、ボクは思い違いをしていて、大切なことを忘れている気がしてならない。
ただ、なぜか。妙な確信がある。
タオは、ボクに味方することはあっても害することはない。
「街を視ていきましょう」
だから、タオの提案にも、素直に頷くことが出来た。
温泉黄金郷は天使の群れに襲われて陥落し、残る安全地帯は城街領域のみとなったらしい。そのせいか、街の中心部は人溜まりになっていて、誰もが身を寄せ合ってじっとしていた。
彼らの瞳には、色がない。
抗いようのない現実を前に、諦めきった表情だった。
画用紙に、筆をつけて、色が滲むように。
誰もが、いずれは、定着させることになる顔つきだった。疲れ切って淀んだ目。世界を信じられず、己を見捨てて、ただ耐える日々を送っている人間の目玉。
ボクは、よく知っている。
馴染める気のしない社会を眺める学生、早朝に職場へと向かうサラリーマン、生きることが目的になった中年、老いによって楽しみを奪われた老人……そして、ボクの母親も、同じ目をしていた。
「誰も、教えてくれないんですよね」
隣に立っているタオは、呼吸する屍を眺めながら言った。
「幸せになる方法」
「いや、教えてるよ。一昔前の考え方なら、結婚して子供を産んで、孫たちに見守られて死ねばOKだって……今でも、大半の人間が、結婚してない孤独な人間は、不幸で可哀想だって信じてる。
実際、孤独に耐えられる人間は少ない」
「だから、現実を重ね合わせようとしてるんですかね。
寄り合いとかイベントとかSNSとか、VRMMOとか、配信事業とか?」
「でも、そうやって、無理に重ね合わせようとするから殺し合ったりもする。戦争をこの世界から消したいなら、人間を隔離するしかない」
「もしくは、現実をひとつにするか、ですね」
――だから、わたしが創るんだ
今更ながらに理解する。
――人と人の現実が重なり合う世界を
きっと、アラン・スミシーは、この世界を救おうとしている。
―― 正しい人間が正しく救われる世界になる
現実を理想にしようとしているんだ。
「たまにさ」
ボクは、足元の小石を蹴りつける。
「配信をしてる時に『ミナトちゃんのお陰で、クソみたいな現実も楽しいです』とか、そういうコメントしてくれる人もいるんだよ」
転がっていった小石は、見知らぬ少年の爪先に当たって止まった。
「ボクにとっては、ただいつもみたいに配信してるだけで、大したことはしてないつもりなんだ。それこそ、足元の小石を蹴ったみたいにさ。でも、その小石が誰かの現実を救ってる時もある」
「バタフライ・エフェクト」
「え?」
「ある女性は言いました――蝶の羽ばたきは世界を変える《バタフライ・エフェクト》」
蝶々の羽ばたき。
一瞬、七色の羽を持つ蝶々の群れがタオを包み込み、直ぐに姿を消した。右目に焼き付いた幻視を指先でなぞって、ボクは噴水の縁に腰掛ける。
その物言いに、なぜか、ボクは心当たりがあった。
――このスタジオには、蝶は飛んでいないんですね
「アラン・スミシーか」
「よく憶えている」
苦笑して、タオは、ボクの隣に座った。
「バタフライ効果、知ってますか?」
「いや、あんまり」
「誤解を恐れない表現に言い換えれば、蝶々が羽ばたく程度の些末な出来事が、どこか遠くの僻地で竜巻を巻き起こす……と言うカオス理論の寓意的な表現ですね。
アランは、なにかがひっくり返る予兆を『蝶が飛ぶ』と言っていました」
「ひっくり返る?」
「大局ですよ。世界の理とか。それこそ、現実のどうしようもない出来事とか。そういうのが裏返る、ひっくり返る、逆転する。簡単に言えば、奇跡が起こる。
例えば――」
タオは、ボクを見つめる。
「ひとりのVtuberが、神様に打ち勝つとか」
「……神様、ね」
ため息を吐いて、ボクは空を見つめる。蒼色の虚構で染められた空を。
「ミナト・チャン」
タオは、ボクを見つめたまま、ささやく。
「きっと、アナタ、ひとりではアランには勝てない。現実には打ち勝てない。女神を頼ったところで凱歌を奏でたりはしない。
アナタが、歌わなければ」
ボクは、無言で肩を竦める。
「アナタなら、きっと、人々の現実を塗り替えられる」
熱の籠もった眼差しが、誰かに似ていて、ボクの記憶がくすぐられる。
「きっと、アナタなら」
――ミナトくんなら
「出来る」
――出来るよ
ボクは、苦笑して、似ても似つかない彼女に微笑みかける。
「言われなくてもやるよ……君のために祈るよりも、進むことを選んだんだ……祈るのは、全部、終わってからだ……君の墓の前に、あのシスコンを引きずっていって……ふたりで、君が笑ってくれるまで……ずっと、祈り続けるよ……」
彼女に、ボクが、誰の面影を重ねたのか。
まるで、理解しているかのように、タオは優しく笑った。
「では、早速、行きま――」
「おい、タオ!!」
ボクが小石をぶつけた少年が、急に立ち上がり、フードを取り払って叫んだ。
「お前、どこに行くつもりだよ!?」
どこかで、視たことのある顔。
ボクの頭の中で、シャンデリア上で縮こまっていた姿が重なって――
「あぁ、君、遺城で漏らしてた!」
「目に見えるほど、漏らしてねーよ!!」
彼は、顔を真っ赤にして、タオを睨みつけていた。




