1話
これからよろしくお願いします。
近付いてくるのがわかる。終わりが、死が、一歩一歩、ゆっくりとしかし着実に近付いてくる。男はそのことを悟った。悟ってしまった。そして、死を悟ったことにより襲ってくる、圧倒的な恐怖。
男―――レイス―――は、自分に迫る死を回避しようと必死に思考を巡らすが、人類最強、世界の全てを手中に収めた男などと呼ばれるレイスを持ってしても死を回避するのは難しかった。
そう、レイスにとって死を回避することは不可能ではなく難しいが可能なことなのである。
ただ、それはリッチなどのアンデッドになるか、ドラゴンの力を取り込み不老不死とまではいかないが、数百年―――ドラゴンの種類によっては数千年単位で―――延命するかといった方法であり、レイスはアンデッドなどになってまで生き延びたいとは思っておらず、ドラゴンの力を取り込むにしてもドラゴンの力を取り込む儀式をする時間はない。
「これは…詰んだかな。」
はぁっと、レイスは深いため息をし、うつむく。
そして数分ほど物心ついてから今までのことを思い出し、顔を上げる。その顔には暗いところは一切見当たらず、むしろ晴れやかな、明るい輝いた笑顔すら見える。そして、そのまるで少年のような純粋な笑顔のまま口を開く。
「となると、誰に力を託すか。」
「んん〜……んあっ?」
寝ぼけ眼を擦りながら田中 浩二は目を覚ます。昨日、夜遅くまで本を読んでいたため、いつもより数時間遅い目覚めとなる。
「腹減った。」
基本的に夜食を食べない浩二は、起きるのが遅くなったせいで夕食を食べてから、それなりの時間が経過していることによる空腹感を感じ、ベッドからいつもより少し重い体を起こす。
伸びをしながらリビングに行き、テーブルの上に冷凍食品を電子レンジで温めるだけの簡単な料理―――それこそ、料理と言っていいのかどうかというほどの簡単な料理―――を作り、食べる。
簡単ではあるが、美味しく、まさに電子レンジ一つで調理できる料理に浩二は冗談でもなんでもなく、人類の叡智が詰まっていると思っている。そんな人類の叡智の結晶は浩二の舌を楽しませ、お腹だけではなく心にまで満足感を与えるはずだった。本来なら。
しかし、今の浩二は心ここにあらず、といった感じで考え事をしては、食べ、考え、食べ、また考え、考え、考え、そしてハッと気づいて食べるといったことを繰り返している。
浩二の頭の中にあるのは、昨日の出来事。レイスという男が頭の中に出てきたと思ったら、いきなり異世界に来ないかと勧誘してきたのだ。そしてレイスが今から異世界のことについて教えると言うと、いつの間にか、目の前に見覚えのない本が一冊置いてあったのだ。そしてレイスは良い返事を待っていると浩二に伝えると、浩二の頭の中から忽然と姿を消した。
ここまでの出来事は、一瞬のうちに行われた。時間にしていうと1秒にも満たない間だ。浩二は、最初は自分の妄想であり、あまりにも異世界やファンタジーに憧れるあまり、こんな荒唐無稽な話が頭の中で出てきたのだと思った。
しかし、そんな考えは、目の前にいつの間にか現れていた本によって否定される。浩二の目の前にある本は、はっきりと自分のものではないと分かる装丁のデザインなのだ。赤を基調とした丁寧で高級感漂うデザイン、そして、どこか自分とは違った世界にあるモノを思わせる、とても貧乏生活を現在進行形で送っている浩二には手を出すことができない高級な書籍。
浩二はその本を恐る恐る手に取ろうとし、自分の手を見て、また本を見て、最後に自分の手を見る。そして本を汚してはいけないと、念のため手を洗いに行き、改めて本を手に取る。そこまで分厚くはないが、どこかずっしりとした重みを浩二に感じさせたのは本の高級感故か、当然現れるという不可思議さ故か。
ともあれ、浩二は本を手に取り、さっきの頭の中に現れたレイスとそのレイスが言った異世界という浩二の憧れの言葉に想いを馳せる。自分が本当に異世界に行けるのかもしれないというワクワクを胸に必死に押さえ込み、深呼吸をして自分を落ち着かせ、今起こった現象の答えを求めて本を開いた。
その本に書かれていたのは浩二が恋焦がれる異世界の話と、レイスについての話、そして異世界に行く方法。それらの話を、じっくり読み落としや理解できないところがなくなるまで何度も何度も読んだため、浩二は昨日寝るのが遅くなったのだ。
「まぁ、今日は学校もバイトも休みだから良いんだけど。」
ふぁっと、あくびをしながら浩二はこれからのことについて考える。昨日の事については、もう浩二の中では妄想でも何でもなく現実のものとして捉えていた。なんといっても本という証拠があるのだから当然だろう。となると、考える事一つ。すなわち、異世界に行くのかどうか。レイスという男が自分をなんらかの理由で騙している可能性というのも、当然浩二は考えている。しかし、現状どうやってもレイスが自分を騙そうとしているのかどうかといったことは分からず、ならば自分がどうしたいのかで決めるべきだと浩二は思う。そして、そうなると浩二の中で答えは決まっていた。
「行こう、異世界に。」