異世界の常識
バリス王国には、迷い人を教育するための施設がある。
迷い人の保護と教育する施設には、宿泊施設と勉強するための教室――そして、訓練するためのグラウンドが用意されていた。
ここで学ぶのは言語。
そして、王国――この世界の常識だ。
挨拶やら文化、風習と学ぶことは多い。
更に、俺たち迷い人は現代人で――現地の人たちと比べると、明らかに体力面で劣っているらしい。
そのため、この世界で生きていけるだけの体作りは必須のようだ。
ただ、俺たちはボーナスタイム中だ。
一ヶ月もあれば、現地の言葉を覚えるどこか読み書きすら出来てしまうようになる。
全員が最低でも一ヶ月はここでお世話になる。
そして、ここからが進路によって変わってくる。
バリス王国を出る人たちは、ここでさよならとなる。
残って働くことを選んだ人たちには、職場を紹介してくれる。
こちらを選べば、職業訓練のコースが開始される。
一ヶ月もすれば諦めも付くのか、大勢がこの選択肢を選んだ。
三つ目の選択肢は、この世界で戦うことを選んだ人たち向けだ。
兵士、冒険者――とにかく、魔物を倒して生きていくことを選んだ人たちのために、厳しい訓練を行うことになる。
俺が選んだのは三つ目の選択肢だ。
自分の異能が黒騎士の力を発揮できるとあり、やはり戦闘技術が必要だと思ったからだ。
だが、この選択を安易に選んだ俺は、すぐに後悔することになる。
◇
「走れ、ウジ虫共!」
鬼教官の罵声を浴びながら、俺は泥だけになりながら走っていた。
息が苦しい。
しかし、言わずにはいられない。
「誰だよ、軍隊式の訓練方法を教えた奴は!」
迷い人の誰かが、軍隊式の訓練方法をこの世界に広めたそうだ。
俺の隣に教官が来ると、足をかけられ転ばされた。
「元気が良いな、ウジ虫。お前には特別に、腕立て伏せ三百回をプレゼントしてやろう」
腕立て伏せ三百回とか――前の世界だったら、三十回も出来なかったぞ。
「ちくしょうぉぉぉ!」
フラフラと立ち上がって走ろうとすると、背中を蹴飛ばされる。
「教官に向かって畜生とは、ウジ虫にしてはいい度胸だ。ご褒美にスクワット三百回も追加だな!」
「ち、ちが――そういう意味じゃ――」
「口答えをするな、ウジ虫が!」
そういう意味で言ったんじゃない!
というか――俺に訓練なんて必要なの!? 黒騎士のパワードスーツがあるんだから、ここまでしなくてもよくない!?
泣きそうになっている俺だが、周囲では本当に泣いている男子も多い。
これまでのほんわかしたトレーニングとは違い、本当に厳しい訓練に脱落者が続出していた。
異世界だから、強くなって英雄になってやる! ――なんて、軽い気持ちでこのコースを選んだ男子たちが、大勢辞めていった。
残ったのは三十人もいない。
男子でも厳しい訓練――そんな中、少ないが女子たちも参加していた。
美緒先輩の姿もある。
苦しいのか脇腹を押さえながらも、必死に走っていた。
現在の俺たちはボーナスタイム中だ。
鍛えれば鍛えるだけ、すぐに成果が出てくる。
男女に関係なく同じような訓練メニューが用意されていた。
「ま、毎日、毎日、こんな厳しい訓練とか――」
とにかく数時間も走らされる。
体を鍛え、武器を模した道具を持って教えられた型を繰り返す。
時には生徒同士で試合もするし、素手による格闘訓練もある。
毎日のように痣を作っていた。
「ど、どうして俺はこんなコースを選んだだろう」
すぐにでも辞めてやりたいが、俺の持っている異能は戦闘向きだ。
それを活かすには、このコースを選ぶしかない。
そう思っていると、足を滑らせて転んでしまった。
鬼教官がやって来る。
「ウジ虫、またお前かぁぁぁ!」
「いやぁぁぁ! 来ないでぇぇぇ!」
◇
訓練が終われば座学の授業だ。
教師は性格のきつそうな眼鏡をかけた女性で、実際に厳しかった。
「貴方たち迷い人の中には、生き物を殺すのは良くない――だから、魔物を殺せないという人が大勢います。ですが、それは間違いです。魔物は正確には生物ではありません」
教師が黒板に図を書いていた。
負のエネルギーと書いた雲のような絵に矢印を書き、その先に魔物の絵を描いている。
「魔物とは負のエネルギーが血肉を得た姿です。倒したら灰になって消えてしまうでしょう? それに、彼らは子孫を作れません」
生徒の一人が冗談を言う。
「魔物って交尾をしないんですか~」
ゲラゲラ笑う男子生徒数名に対して、教師が目を細めた。
「ナイフでお前らの粗末な物を切り取られたくなかったら、その口を閉じろ。私の授業の邪魔をするなら、さっさと出ていけ」
教師の言葉とは思えないが、バリス王国では教える者の立場が強い。
体罰だろうと、必要だと思えば行使するそうだ。
――男子生徒たちが切り取られる光景を想像したのか、黙ってしまった。
教室が一気に静かになった。
教師は続きを話す。
「魔物を倒すことで三つの恩恵が得られます。一つは「魔石」です。これは王国では資源エネルギーとして大変よく使われています」
釜にくべて火をたけば、火の勢いが増す。
その力で蒸気機関を動かして、動力や電力にしているそうだ。
だから、需要はいくらでもある。
「二つ目は「素材」――これは魔物の体の一部が残ったものと、もう一つ。「モンスターソウル」と呼ばれる不思議な効果を発揮するアイテムも出て来ますが、これは特殊な素材と思いなさい」
魔物を倒せば必ず魔石と素材が手に入る。
そして希に、モンスターソウルと言うアイテムが手に入る。
こいつの使い道は多岐にわたる。
人の体に宿せば不思議な力を得られるし、道具に宿すことも出来る。
だが、注意しなければいけないのは、人にも道具にも宿せる数が決まっていることだ。
そして、一度宿してしまえば外すことが出来ない。
器を越えて宿そうとすれば、人なら魔物に変わるらしい。
道具は砕けて砂になる。
「そして三つ目は「経験値」です」
ゲームのような話だが、魔物を倒すと経験値が手に入る。
ただし、手に入れたからレベルアップする――というものではなく、ここで言う経験値は成長を助ける力だ。
たとえば、経験値を得た人が何かを学ぼうとする。
鍛えても良い。
その際、経験値はその人の学びを助ける。
物覚えが良くなり、鍛えたらいつも以上に成果が出る――そんなものだ。
また、肉体的な成長を助けるため、魔物を倒して鍛えればそれだけ強靭な肉体が手に入るらしい。
「これらの恩恵を与えてくれる魔物という存在が、生きていると言えますか? 生物を殺してもこれらの恩恵は得られません。純粋な経験は得られるでしょうけどね」
教師の言葉に誰も反論しない。
静かな教室に満足したのか、教師は続ける。
「これらは昔に神の恩恵と呼ばれていました。ですが、事実は違います。大昔に一人の大魔法使いが、この世界に流れ込む負のエネルギーである魔物の対処のために発動した魔法による恩恵なのです」
迷い人が持ち込んだ考古学的な知識から、現地人たちが異世界を調べた結果――そのような話が判明したそうだ。
大昔にいた大魔法使いが、魔物を倒す際に発生するエネルギーを再利用する魔法を思い付いた。
その魔法は今も発動しており、こうして現地人たちに恩恵を与えてくれる。
簡単に言えば、強い魔物を倒せばそれだけ見返りが得られる、ということだ。
本当にゲームみたいな話だ。
ただ、その大魔法使いの使っていた古代の魔法は失われてしまったそうだ。
今では再現不可能らしい。
鐘の音が聞こえてくる。
「時間ですね。今日の授業を終わります」
ようやく授業が終わり、俺は机に突っ伏した。
「ようやく終わった。もう夕方か~」
長テーブルと長椅子が並んだ教室内。
授業から解放された生徒たちが背伸びや欠伸をしていた。
俺の隣に座っているのは、美緒先輩だ。
「セイ君、色々と考え込んでいたわね」
「そ、そうですか? え、えっと、こういう話は実は嫌いじゃなくて」
「こういう話が好きなの?」
「は、はい」
普通に面白いので聞いている。
ファンタジー世界を感じられるし、まるでゲームの世界に迷い込んだような気持ちにもなれる。
美緒先輩に話しかけられ、照れている俺の二つ後ろの席。
そこから立ち上がった男子生徒が舌打ちをしていた。
――瀬田蒼馬。
俺の元クラスメイトだ。
「いい気なもんだな。一人だけ異能があるから、余裕を見せてんじゃねーよ」
俺に対する態度は、以前から変わらなかった。
そんな瀬田に対して、美緒先輩がきつい視線を向ける。
「貴方もセイ君に助けられたでしょう? それなのに、そんな態度を取って良いの?」
だが、瀬田は助けられたと思っていないようだ。
「そいつが俺を助けた? 違うね。そいつは黒騎士の力を得て暴れ回っていただけだ。笑いながら戦っているのを、みんな見ていたよな!」
周囲に同意を求めるが、ほとんどが瀬田から視線をそらしていた。
近くにいた男子の胸倉を瀬田が掴み上げる。
「返事しろよ!」
この世界に来てから、瀬田はかなり情緒不安定になっていた。
時間が過ぎてもそれは変わらない。
男子が瀬田の手を振り解く。
「離せよ。お前らの間に何があったか知らないけど、俺たちを巻き込むな」
「何だと?」
「――どうせ見下していた奴が、自分より凄いから嫉妬しているだけだろ? お前らの元クラス、新藤に近付きもしないもんな」
一ヶ月も一緒に暮らしていれば、周囲も俺と元クラスメイトたちのことを大体察してしまうようだ。
少し離れて座っていた――姫島さんだったかな? 近くには藤代さんもいる。
姫島さんがクスクスと笑っていた。
「男の嫉妬は醜いわよね、後輩」
「――うちに話を振らないでくださいよ」
教室内の雰囲気も悪くなる。
瀬田が自分の不利を察したのか、教室を出ていった。
俺がその様子を見ていると、美緒先輩が話しかけてくる。
「セイ君、気にしない方が良いわ。貴方が私たちを助けてくれたのは事実だもの」
「――はい」
そう言ってくれるが、本当は違うのだ。
あの時の俺は、黒騎士の力を手に入れて興奮していた。
これは夢だと思って、楽しんで戦っていた。
助けるとか、そういうことはあまり考えていなかったと思う。
落ち込む俺を見て、美緒先輩が提案してくる。
「そうだ。明後日は休日じゃない? 一緒に外に出て見ない?」
「外、ですか?」
「そう! 休日の外出が許可されるから、一緒に外の様子を見にいきましょうよ。――私、セイ君と二人で出かけたいな」
その言葉を最初は理解できず、少ししてから俺は顔を赤くする。
周囲からは「ちっ!」とか「爆発してくれ」とか「何であんな奴に」と、男子たちの嫉妬と怨嗟の声が聞こえてくる。
普段なら周囲の悪口に敏感な俺だが、今は何も思わなかった。
「は、はい!」
返事をすると、美緒先輩が嬉しそうな顔をする。
「良かった。断られたらどうしようかと思っていたわ」
「断るなんてそんなことしませんよ!」
女子と遊ぶなんて人生初――いや、幼馴染みの浦辺がいたな。
だが、こんな甘酸っぱいイベントがあるなんて――お爺ちゃん、お婆ちゃん、俺は異世界で元気に生きていますから、心配しないでください。
◇
瀬田は苛立っていた。
「何であいつなんだよ!」
異世界に迷い込み一ヶ月が過ぎた。
最初は何も分からなかったが、この世界で暮らしていると嫌でも現実として受け入れるしかなくなった。
自分たちは異世界にいる。
そして、今まで自分が見下していた相手が、この世界では評価されていた。
周囲の反応がまず違う。
訓練中も鬼教官たちが気にかけているのは、誠太郎だった。
座学の教師も同様だ。
施設で働いている職員や見張りの兵士たちも、誠太郎に対しては特別扱いをしている。
バリス王国で宮廷魔法使いをしているゴドウィンも、時々誠太郎に会いに来ている。
それだけで、誠太郎がどれだけ期待されているのかがよく分かる。
対して自分は――その他大勢の一人でしかない。
廊下を歩いていると、別コースを希望した元クラスメイト――浦辺雪菜が教室から友人たちと出て来ていた。
瀬田に気付く。
「あ、瀬田君」
「――浦辺か」
「そっちのコースって大丈夫なの? グラウンドから毎日悲鳴が聞こえてくるんだけど?」
「悲鳴? あぁ、新藤の奴がいつもピーピー泣いているな」
新藤と聞いて、浦辺の表情が少し変わった。
「――誠太郎、元気だった?」
今まで苗字で呼んでいた癖に、浦辺が名前呼びを始めている。
意識しているのだろう。
「お前、新藤と幼馴染みだったよな?」
「え? う、うん。だから、ちょっと気になって」
施設で暮らしていれば、嫌でも誠太郎への優遇が見えてくる。
女子の中には誠太郎に近付こうとする子も多い。
それらを一人の女子がブロックしているのと、コースが違うために近付けない女子が大半だった。
「――なぁ、今日も集まるんだろ?」
「――うん。こんなところじゃあ、楽しみなんて少ないし」
不安な環境。
近くには年頃の男女。
施設の人たちも口うるさく注意してこないため、関係を持つ男女が増えていた。
中には複数人で、という集まりも増えつつある。
娯楽が少ないのも理由だ。
「一緒にいこうぜ」
「い、いいけど、それなら誠太郎も――」
「――あいつの名前を出すな」
「ご、ごめん」
瀬田は醜悪な笑みを浮かべて、浦辺の肩に手を置いた。
「じゃあ、夜に楽しもうぜ」
誠太郎の知らないところで、夜な夜な楽しいパーティーが開かれていた。