バリス王国
異世界に来ると、精密機械は動かなくなる。
その理由は分かっていないが、車も例外ではないそうだ。
ただ、手を加えれば動くようになるらしい。
「わしたちもこのような乗り物を作ろうとするんだが、何しろ予算や人手が足りなくてね。今はある物を有効活用している段階なんだ。いや~、今回はバスが沢山手に入って本当に良かった」
それだけ異世界に迷い込んだ人たちが多い、ということだ。
バスは十台以上が森の中に出現し、二台ほどがどうにもならないくらいに壊されてしまった。
それらも分解して調べるそうだ。
後から王国の人たちが取りに来るようで、俺たちはゴドウィンさんが乗ってきたバスに乗ってバリス王国の首都「バルクス」へと向かっている。
バスは二台。
とても全員を移動させられないので、怪我人を近くの町に置いていくことになった。
動かさない方が良いだろう、という判断だ。
それから、精神的に動かせない人たちもいる。
生き残った人間の数は二百人よりも少ない。
元は三百人程度と考えると、たったの一日で百人以上が死んだことになる。
実感がわいてこない。
随分と古いバスは、色々と手が加えられて形が変わっていた。
一緒に乗っているのは、大人がほとんどだ。
二台目のバスには生徒たちも乗っているが、押し込められたような状態だった。
そして、乗り心地が良くない。
アスファルトで舗装された道はなかった。
おかげでガタガタと揺れている。
ゴドウィンさんは俺の隣に座り、色々と話しかけてくる。
「それにしても、今回一番の収穫は誠太郎君だよ。迷い人の中には、特殊な能力を発現させる人がいる。能力者というやつだね。まぁ、迷い人自身が一種の能力持ちだけどさ」
「は、はぁ」
迷い人というのは、とても特殊な存在らしい。
異世界から来た人間というだけでも凄いが、世界を超えてやって来る――その際に、肉体は再構成されているのではないか?
そんなことをゴドウィンさんが言っていた。
そして、俺の体も再構成後に異世界に適応しようと活性化しているようだ。
物覚えが良くなるとか、体が強くなりやすいとか――とにかく、鍛えればそれだけの成果が出る状態らしい。
ただし、その状態も一年程度で終わりを迎えるそうだ。
迷い人たちは、この期間を「ボーナスタイム」と呼んでいるらしい。
俺は自分の右手を見た。
ゴドウィンさんから、俺が倒した魔物たちの魔石やら素材を受け取ったのだ。
その際、それらが俺の右手に吸収されてしまった。
モニターに表示されたのは、何をどれだけ獲得したのかという数字だ。
そして、それら魔石や素材を使って、黒騎士の鎧は整備や補給を行うらしい。
ゴドウィンさんが興味津々だ。
「ただの鎧ではなく、パワードスーツというのが興味をそそられる。それに、銃器を扱えるのがいい!」
異世界から銃が持ち込まれても使えない。
暴発するらしい。
そのため、実際に銃の威力を見せると、ゴドウィンさんは興奮していた。
ただ、調べようとすると――黒騎士の鎧がガードしてしまう。
「ところで、誠太郎君はいつまで鎧を着ているつもりだい? 話が本当なら、一瞬で脱げるんだよね?」
「そ、そうなんですけど――う~ん、まぁいいか」
正直、気を緩めて良いものか悩んでいた。
パワードスーツを脱いだ瞬間に、襲われるかもしれないと怯えていたのだ。
だが、ゴドウィンさんにそんな気配はない。
「なら、脱ぎますよ。こうかな?」
解除方法を試してみると、一瞬でパワードスーツが消えた。
ゴドウィンさんが拍手をしてくるのだが――。
「凄いよ、誠太郎君! 誠太郎君?」
――俺はからだから力が抜け、そして気分が悪くなってきた。
「あ、あれ? 何だか目眩が――」
そのまま俺は意識を手放してしまう。
「誠太郎君!」
ゴドウィンさんが心配して声をかけてきてくれるが、正直――美男子よりも美女に心配されたかった。
◇
王都バルクス。
それはとても大きな都だった。
都市を高い塀が囲んでいる。
中に入れば、路面電車が動いている。
バスの中からその様子を見ていた女子生徒【姫島 愛梨】は、窓を開ける。
「あら、思っていたよりも綺麗じゃない」
上から目線の彼女は、お嬢様学校に通っていた高校二年生。
ショートヘアーだが、左側を少し長くしている。
気の強そうな目つきをしており、色白で瞳の色は青。
バスの中、隣に座っている女子生徒の名前は【藤代 香苗】だ。
黒髪のロングをポニーテールにまとめた香苗は、水色の瞳で隣に座る一つ年上の先輩を見る。
二人は違う高校の出身だ。
「年上なんだから落ち着いてくださいよ」
「まぁ! 何で一年の貴女に指図されないといけないの? わたくしは、興味があるから見ているだけじゃない」
「だから、落ち着いてみてくださいよ」
香苗は動かなくなったスマホを持っていた。
いくら操作しても動かない。
それを見て、愛梨は首をかしげる。
「役に立たない道具は捨てれば? ここの人たちが買い取るって言っていたじゃない」
それでも香苗は手放せなかった。
データの中には、家族の写真が入っている。
「嫌ですよ」
「何? 物を捨てられない人?」
「個人の事情ですよ。そんな性格だから、お友達に捨てられるんですよ」
香苗が愛梨の相手に疲れてしまう。
愛梨の実家は会社を経営しており、その規模も大きく女子校では取り巻きがいた。
だが、異世界に迷い込んで還れないと知ると、取り巻きの子たちは愛梨との縁を切ってしまう。
愛梨に振り回されるのが嫌になったらしい。
それでも愛梨は落ち込んだ様子がない。
「薄情な連中よね。散々わたくしの世話になってきたというのに」
相手を責めている。
香苗は思う。
(この人メンタル強いわね。うちだったら落ち込むわ)
香苗の視線は、バスの中で一人座っている女子に向けられる。
化け物たち――魔物たちから自分たちを守った男子生徒に、一人近付いた神凪だ。
神凪は窓の外を見ていた。
(あの人、何考えているんだろ?)
魔物相手に暴れ回り、倒して回った男子生徒には恩も感じている。
だが、近付きたいかと言われると“No”だ。
武器を振り回して笑っているような男子に、少なくとも香苗は近付きたくない。
何度かその男子生徒の様子を見ていたが、クラスに何人かいる何を考えているのか分からない陰キャと呼ばれる生徒のように思えた。
そんな男子生徒に笑顔で近付く神凪が、何か考えているような気がした。
「ねぇ、後輩。それよりもちょっと不思議よね」
「何が不思議なんですか? 貴女の頭が、ですか?」
「失礼ね! これでも成績は優秀だったのよ!」
能天気なお嬢様である愛梨の相手を再開する。
「それで? 何か気になることでも?」
「都市の内側と外側の差が大きすぎると思わない? 路面電車が走っているのに、外に列車がないのはどういうことかしら? 蒸気機関くらい作れるでしょうに、鉄道網が作れない理由が知りたいわ」
「鉄道?」
「分からないの? 物資の大量輸送が出来るだけの下地があるのに、それをしていないのが気になると言っているのよ。何だか、とてもアンバランスに見えるわね。異世界って興味が尽きないわ」
外の様子を見ている愛梨の目は、真剣そのものだった。
(この人でも色々と考えているのね)
香苗は失礼な感想を抱きつつ、都市の様子を見た。
バスが走っているのに気にした様子がない。
石畳で舗装された道路の脇には、溝が用意されている。
街灯もある。
これが外国だと言われてしまえば、信じてしまいそうだ。
(――あの人、大丈夫かな)
香苗は、自分たちを助けてくれた男子のことが少し気に掛かっていた。
◇
――どうにも不思議な気分だった。
目を開けると、目の前に一人の男が立っている。
「あれ? 黒騎士?」
その男の姿はまさしく黒騎士で、俺が憧れたダークヒーローだ。
だが、怒っている気がした。
「いつまで眠っているつもりだ? さっさと起きろ」
俺に苛立っている声にドキッとした。
その驚きで、俺は目を覚ます。
◇
目を覚ました場所はベッドの上だった。
「あ、あれ?」
パジャマに着替えている。
夢から覚めたのかと思って部屋を見渡すと、とても豪華な部屋に寝かされていた。
「何だこれ!? も、もしかして、夢が終わっていないのか?」
一瞬、明晰夢という言葉が思い浮かんだ。
リアルな夢を見ている。
そう思い込もうとして、いい加減に無理があるような気がしてきた。
「ゆ、夢じゃなかったのか。でも、さっきのは夢だよな?」
黒騎士が怒っている夢を見た。
もしかして、俺が黒騎士のパワードスーツを使ったから怒っているのだろうか?
大好きなヒーローに怒られるのは、夢とは言えちょっと嫌だな。
ベッドから出て立ち上がると、左腕に銀色のブレスレットがある。
右手で触れた。
「――どれくらい寝ていたのかな?」
部屋で独り言を呟いていると、返事があった。
「王都バルクスに到着してから、丸二日間眠っておられました」
「あぁ、それでか。通りで体が痛いわけ――って、誰ぇ!?」
肩を回すとコキコキと音が聞こえてくる。
体中がどうにも重くて痛い。
筋肉痛もあった。
それはそれとして、今まで俺は部屋にもう一人いるなんて気が付かなかった。
見れば、ベッドの側に立っていたメイドさんだろうか? 女性の人がいる。
俺に綺麗なお辞儀をしてくるが――。
「起きてそうそう、私に気付かないばかりか一人で喋りだして驚いておりました。独り言が得意なのですね」
――いい笑顔で馬鹿にされた。
「いや、気を抜いていたというか、そもそも側に人がいるとは気付かなくて」
冷や汗をかいた。
そして、思っていたよりもメイドさんが美人過ぎて、目を合わせられない。
すると、メイドさんが俺に近付いてきて目を覗き込んでくる。
すぐに俺が視線をそらすと、鼻で笑いやがった。
「おや、童貞でしたか。こちらでは、貴方たち迷い人の年齢で結婚している若者たちも少なくないというのに、その年齢で童貞――さぞ、お辛かったでしょうね」
「何で攻撃的なんだよ! 俺のことが嫌いなの!?」
「個人の趣味趣向は様々ですから、貴方を受け入れてくれる女性だってきっといますよ」
この人、笑顔で「趣味じゃない」って言ってない!?
というか、なんで俺の側にこの人がいるんだよ!
「あ、あんた、メイドさんだろ? 俺の世話をするのが仕事とか――」
「は? いえ、私は掃除に来ただけですよ。何を勘違いされているのですか?」
「え、そうなの? そ、その――ご、ごめんなさい」
てっきり、俺のために用意してくれたのかと思ったが、そんなことはなかった。
うん、普通に考えたらないよね。
「目を覚ましたことを、ゴドウィン卿にお伝えしますね」
「あ、待って」
「何か?」
「あの、他の人たちは?」
「――同じく迷い込まれた方々は、一部を残してバスにて王都まで運び込んだそうです。今は状況の説明をしていますね」
「状況?」
「自分たちを保護しろと五月蠅い方たちも多いので、自分たちの立場を教えて差し上げているのですよ。貴方たち迷い人の先輩も、ここには大勢いますからね」
◇
目を覚ました俺と面会したのは、同じ迷い人。
だが、違いがあるとすれば、俺たちよりもかなり前にこの世界に迷い込んだ人、ということだ。
「いや~、大変だったね」
迷い人の先輩になる。
そう名乗ってきたのは、三十代後半のおじさんだった。
「俺も若い頃にこっちに迷い込んでね。それからは、色々と勉強して通訳の仕事をしているよ」
「通訳ですか?」
「ボーナスタイム中に、こっちの言葉と二つほど外国語を覚えてね。おかげで、食べていくには困らない。でも、同業も多いから、君たちには別の道を探して欲しいかな」
笑っている男性は、冗談が終わったのか真剣な顔になる。
「さて、ここからが本題だ。――ここは日本じゃない」
「知っていますよ?」
異世界に迷い込んだ。
知識としてではなく、実感すらある。
バルクスの都市を見たら、ここが日本ではないとすぐに理解できた。
だが、男性は俺の目を見て、それでも足りないと言ってくる。
「いや、理解していない。理解が足りない、と言った方がいいね。もう一度言うが、ここは日本じゃない。安全で、最低限の生活を保障してくれる国じゃないのさ」
「え、えっと」
「この国は君たちを受け入れた。だが、善意からじゃない。俺たち迷い人が持つ、知識や技術が欲しいのさ。後は、ボーナスタイムで手に職でもつけてくれればいい、くらいには考えているだろうけどね」
俺たちを受け入れるのは、それだけのメリットがあるから。
言われてみれば納得する。
「役に立たなければ放り出す、ってことですか?」
「そこまで薄情でもない。ただ、自分で生きていく術を身につけないと、ここでは生きていけないというだけだよ。元の世界より過酷でね。人同士でも争うが、魔物までいて厄介極まりない」
元の世界よりも過酷だと教えられた。
「えっと、俺はこれからどうすれば?」
「普通の学生なら、こっちの言葉とか暮らし方を教えて職人を紹介するとかあるんだけどね。君の場合、明らかに戦闘向きの異能を持っている」
「異能? 能力のことですか?」
「迷い人の間では、異能扱いだ。その能力を使わないのは、非常に勿体ない。だから、冒険者にならないか?」
「冒険者?」
「魔物と戦うハンターのことだよ。傭兵と兼業している奴らも多いが、食っていくのに困らないどころか、大金持ちも夢じゃない」
「え、えっと――」
答えに困っていると、男性は俺に落ち着くように言ってから続きを話す。
「急がなくていい。だが、この時間は二度と手に入らない。それをしっかり考えてくれ。君がこちらの世界で、どう生きていくのかを、ね」
異世界に迷い込み二日が過ぎ――俺は将来の進路を選択しなければならなかった。