異世界
急な濃霧の発生後、皆が気を失っていた。
目を覚ました女子生徒【神凪 美緒】は、外の景色をボンヤリと眺めた。
「あれ? ここは――森の中?」
見える景色は青々しい木々に囲まれている。
どうやってバスが入れたのか不思議なほどに、木々が密集していた。
窓に顔を近付けると、目の前に大きな化け物が顔を近付ける。
大きな目で、バスの中を見ていた。
「――え?」
目覚めたばかり。
そして、気が動転して何が起きているのかよく分からなかった。
自分は夢でも見ているのだろうか?
すると、目を覚ました男子生徒が叫ぶ。
「おい、起きろ! 外に化け物共が!」
美緒はその声に、ようやく自分がとんでもない状況にいると気が付いた。
バスの天井では、何かが跳びはねる音が聞こえてきた。
隣に座る女子が怯えて美緒の腕にすがりついてきた。
「美緒、何が起きているの?」
「だ、大丈夫だから」
女子を気遣い、出来るだけ平静を装って優しく声をかけた。
周囲の生徒たちが悲鳴を上げると、女性教師が指示を出す。
「みんな落ち着いて! 必ず助けが来るわ!」
女性教師もかなり混乱している様子だった。
すると、美緒に近付いてくる男子がいた。
以前、美緒に告白してきた男子だ。
「美緒、こんな時に悪いんだけどさ。俺、やっぱりお前のことが諦めきれないんだ」
美緒は思う。
(な、何でこんな時に)
隣の席に座っていたのは、美緒の友人だった。
美緒に告白してきた男子のことが好きだと、以前に相談を受けたこともある。
それを知っていたから、男子からの告白された時に断っていた。
「止めてよ。そんな場合じゃないでしょ」
友人の視線が険しいものに変わり、男子の表情も無表情になった。
すると、バスが激しく揺れる。
生徒たちが声を上げると、女性教師が伏せるように言うのだ。
「みんな、体を低くして、それから――」
その続きを言う前に、窓を割って石斧が女性教師の頭に深々と刺さる。
その光景を見て、美緒は震えた。
一体何が起きているのだろうか?
頭が理解できずに、少し遅れて周囲の生徒たちが悲鳴を上げる。
そして、窓からは小柄で頭の大きな化け物たちが次々に侵入してくる。
大きな口を開けて、自分たちを見て涎をたらしていた。
それは後ろでも起きていた。
後部の窓が破られ、そこから化け物たちが入ってくると生徒たちに襲いかかる。
全員がバスの中央に逃げると、外側にいる生徒たちは何としても中に移動しようと揉めていた。
「退けよ!」
「嫌よ! 男子なら戦ってよ!」
クラスメイト同士で争っていると、髪を染めた男子が前に出た。
メリケンサックを持っており、化け物に殴りかかる。
「死ねよ!」
喧嘩っ早く、クラスでは嫌われていた。
だが、今だけは頼もしく見えた。
しかし、そんな髪を染めた男子の拳を受けた化け物は吹き飛ぶが、化け物の仲間が男子に襲いかかる。
石で作られた斧で髪を染めた男子を袋叩きにした。
「や、止めて。もうしませんから。だ、誰か助け――」
目の前で人が肉塊にされるのを見て、笑い出す生徒が出て来た。
美緒は震えが止まらない。
(どうしてよ。どうしてこんなことになるのよ)
すると、美緒の背中が押された。
化け物たちの前に倒れ込む形になり、手を床につくと髪を染めた男子の血に触れる。
振り返ると、そこにいたのは友人と――告白してきた男子だった。
「え?」
理解できなかった。
仲の良かった友人は、酷く冷たい目をしている。
「前からあんたが嫌いだったのよ」
告白してきた男子も酷い。
「――本当に好きだったのに」
美緒は前を見ると、髪を染めた男子をむさぼり食う化け物たちとは別の個体がやって来るのが見えた。
美緒を見る顔付きは、醜い笑みを浮かべている。
「嫌――嫌よ。誰か助けて!」
誰も助けてくれなかった。
仲の良かった友人たちも、普段声をかけてくる男子たちも――誰も助けてくれない。
顔を伏せると、窓を突き破って何かが飛び込んできた。
赤いマントを翻し、黒い鎧を身につけた人だ。
「助けを呼ぶ声に導かれ、黒騎士参上! やっべ、口上が違うヒーローのやつになった」
若い男の声だった。
随分と陽気に笑っている。
美緒が顔を上げると、大きな刀を持って化け物たちを斬り伏せていく。
石斧で叩かれてもビクともしない。
それどころか、外にいた化け物たちが消えていた。
前にいた化け物たちを倒し終わると、黒騎士と名乗った男が振り返ってくる。
返り血を浴びたその姿は、黒い刺々しい鎧姿。
どこかで見たことがある気もするが、思い出せない。
見た目だけなら敵にも見える。
美緒は口をパクパクとさせる。
お礼を言おうとするのだが、驚きすぎて声が出てこない。
「あ、ありが――」
そうしている間に、黒騎士は生徒たちを押しのけて後部へと移動した。
そちらにいた化け物を斬り伏せるためだ。
黒騎士が刀を振り回せば、よほどの切れ味なのかバスの座席の一部も簡単に斬り飛ばしていく。
美緒はその姿を見ていた。
強い。
化け物たちが相手にならない強さだ。
そして、黒騎士は化け物たちを倒し終わると、割れた窓から外に出ていく。
「ハハハ! 次はあっちだ!」
――黒騎士が去って行くと、バスの中は静かになった。
美緒は自分の手についた他人の血を見て、その場で吐いてしまう。
先程見た光景が、今になって怖くなった。
本格的に恐怖していると、頭の中に浮かんだ言葉がある。
(死にたくない。私は死にたくない)
呼吸を整える。
血の臭いが充満するバスの中。
化け物たちは燻るように燃えると、すぐに灰になった。
背中に声がかけられる。
「み、美緒、さ、さっきはその――」
男子が手を差し伸べてきた。
その手を睨み、払いのけた。
「――触らないで」
自分でも驚くほどに、冷たい声が出て来た。
(こんなところで死にたくない。こんな死に方はしたくない)
美緒はフラフラと立ち上がり、外に飛び出していった黒騎士を視線で探した。
外にいる黒騎士は、先程よりも大きな化け物たちを相手に戦っている。
強かった。
とても強かった。
◇
化け物たちを全て倒し終わると、俺は外の空気が吸いたくなった。
体を動かすことは問題ない。
パワードスーツなのでむしろ楽なくらいだったのだが、息が上がっていた。
フェイス部分が解放されて、外の空気を吸い込む。
どこか焦げたような臭いがしている。
周囲の化け物たちからだろうか?
「はぁ、途中からあんまり覚えてないや」
化け物たちを倒して回ったのは覚えているが、細かいことはあまり記憶にない。
興奮していたからだろうか?
自分でも驚いている。
「それにしても、どうしてあんなに――うぷっ!」
今になって色々な光景を思い出す。
手に残る化け物たちを斬った感触が蘇り、気持ち悪くなって吐いた。
先程までとは違って、気分が一気に落ち込んでくる。
「どうして俺はあんなことを」
口元を拭おうとすると、自分の腕がパワードスーツに包まれているのを思い出した。
表面は金属でゴツゴツしていて、口元を拭えない。
困っていると、他校の女子生徒が近付いてくる。
その女子生徒のハンカチと、飲みかけのお茶を持って来てくれた。
「使って」
笑顔を向けてくる女子生徒を見て、俺は視線を泳がせる。
とても綺麗な人だった。
美人で、お姉さんタイプとでも言うのだろうか?
綺麗で長い茶髪で、スタイルもいい。
モデルだと言われても信じてしまいそうだ。
「あ、ありがとうございます」
声が裏返ってしまった。
お茶で口をゆすぎ、ハンカチで口元を拭う。
他校の女子生徒の優しさに涙が出そうになる。
すると、女子生徒が話しかけてきた。
「あの――ここはどこですか?」
俺を現地の人間とでも思ったのだろうか?
そうか、俺は彼女の制服姿を見て学生だと判断しているが、俺自身は黒騎士の鎧姿だ。
困惑しても仕方がない。
「あ、いや、俺も巻き込まれて、気が付いたらこんな状況で――え、えっと、あれ?」
夢を見続けているのだろうか?
それにしては、とても生々しい。
そして、覚める気配もない。
どうなっているのだろうか?
俺も不安になってくる。
すると、ガサガサと音が茂みから聞こえてきた。
すぐに女子生徒を庇うように構えると、外国人が現れる。
金髪のショートヘアーで、優男という雰囲気の男だ。
赤い瞳が特徴的で、眼鏡をかけている。
森の中には不釣り合いな白いひらひらした服装。
背は高く細身のその男は、魔法使いとでも言いたげな杖を持っていた。
見た目は二十代前半。
俺たちに語りかけてくる。
「~~~~」
だが、何を言っているのか分からない。
英語かと思ったが、どうにも違う。
男がアゴに手を当てて、嬉しそうに頷きながら杖を掲げる。
すると、杖の先端からは光が弾けたように広がり、周囲に広がっていく。
男が口を開いた。
「さて、これで伝わるかな“迷い人”の諸君」
流暢な日本語で話しかけてきた。
驚いている俺を見て、武器を下ろすように語りかけてくる。
「こちらに危害を加えるつもりはない。これでもちょっとした身分でね。わしが交渉に来ているのが、誠意の表れだと思って欲しい。まぁ、今は分からない事だらけだろうし、様子を見る限り魔物たちに襲撃された後のようだ。警戒しても仕方がないね」
ペラペラと次から次に言葉が出ている。
だが、妙な感じだ。
口の動きに違和感を覚える。
俺が警戒を解かないでいると、茂みから武装した男たちが姿を現した。
その手に持っているのはクロスボウというやつだろうか?
俺を狙っていた。
フェイス部分が勝手に降りてきて、周囲の敵を狙うような動きを見せる。
嘘だろ? 人と戦うつもりなのか?
驚いていると、男が手を上げて武装した男たちの動きを制した。
「撃つな」
すると、一番近くにいた武装した男が声を上げる。
「しかし!」
「彼らは混乱しているだけだよ」
男が俺を見て微笑みかけてくる。
自分のことを「わし」と呼ぶ少し変わった青年は、名乗ってくる。
「わしの名前は【ゴドウィン・ファーナー】。バリス王国の宮廷魔法使いだ」
俺は困惑した。
「バリス――王国? 魔法使い?」
ゴドウィンさんは、俺の困惑を想定していた様子だ。
「そう、魔法使いだ。君たちの国には本物がいないと聞いているけど、どんなものか大体想像が付くだろう?」
この話しぶり、何かを知っているのだろうか?
俺はゆっくりと刀を下げる。
「ありがとう。さて、まずは怪我人の手当が先だ。責任者と話がしたいのだが――ふむ、誰と話すべきだろうか? 君かな?」
俺を責任者と見たようだが、黒騎士のパワードスーツを身にまとっているだけの学生だ。
話し合いなど出来ない。
「ち、違います」
「ふむ、なら一度みんなに集まってもらうとしようか」
ゴドウィンさんが連れてきた兵士たちが、武器を下ろして怪我人の救助と手当を開始した。
その際、ゴドウィンさんが周囲に散らばった赤い石ころを見る。
「魔物を倒したのは君だろ?」
「は、はい」
化け物たちは魔物と呼ばれていた。
「魔石や素材は回収しないのかな?」
「魔石? 素材?」
「おっと、まずはそこから説明しないと駄目か。まぁ、集めさせておこう。後で渡すから、その時に魔石や素材についても説明するよ。それにしても、このバスはいいね。今回は数が多い」
ゴドウィンさんはバスを見て嬉しそうにしていた。
少し興奮している。
◇
それから数時間後のことだ。
怪我人の手当が一段落し、死者を埋葬し終えると――大人たちがゴドウィンさんと話し合っていた。
興奮している大人たちを前に、ゴドウィンさんは楽しそうに見える。
「どうして帰れないんですか! 私たちを日本に帰してください!」
「君たちの言いたいことも理解できるよ。だが、わしたちが呼び出したわけでもなく、おまけにどこの世界から来たのかも分からない。そもそも、迷い人が元の世界に“還る”など、こちらの世界では聞かない話でね。世界を移動するというのは、魔法使いにも操れない現象だ。まぁ、言ってしまえば自然災害と同じだね」
「そんなの無責任だ!」
「無責任? わしに何の権利があって、君たちに責任を負わないといけないのかな? ふむ、君たちの文化や常識に非常に興味がある。詳しく説明して欲しい」
「そ、それは――」
ゴドウィンさんたちが俺たちのところにやって来たのは、迷い人が現れる兆候を感じ取ったかららしい。
空が分厚い雲に覆われ、渦を巻く。
嵐とも違い、一箇所に濃霧が現れるそうだ。
大人たちが困っていた。
そもそも、ゴドウィンさんの話が本当ならば、俺たちに対して何の責任もなかった。
それを本人が自覚している。
「わしは善意から君たちをこうして助けている。それに対して、責任を果たせというのは少し違うのではないかな? お礼が欲しくて助けたのではないが、一言もないのでは気分は良くないな」
教師たちが困惑しつつ顔を見合わせ、そしてお礼を口にする。
「助けていただいたことにはお礼を言います。でも、どうしても帰りたいんです」
「――それは無理だと教えたよ。迷い人が元の世界に還ったという話はない。残念だが、今日からここが君たちの世界だ」
木を背にして座る俺は、大人たちの会話を聞いていた。
体を動かすのは苦ではないが、段々疲れてくる。
青い顔をしているのを見て、女子生徒――神凪 美緒先輩が俺を心配していた。
「大丈夫?」
「へ、平気です。それより、俺のところにいていいんですか? その、周りがほら」
俺に近付こうとする人はいなかった。
神凪先輩だけが、俺に優しく接してくる。
「私は――君に助けられたから。ねぇ、誠太郎君って呼んでいい?」
「え?」
「でも少し長いから――セイ君、はどう?」
「す、好きに呼んでいただければ」
何だろう?
異世界に迷い込んだと途端に、美人女子高生から優しくされてしまった。
俺のモテ期が来てしまったのだろうか?
うまく返事が出来ずにいると、神凪先輩が俺の手を両手で握る。
「私のことは“美緒”って呼び捨てで良いわよ」
「え? でも、三年生ですよね?」
神凪先輩の学校では、修学旅行は二年生と三年生の合同らしい。
「そうよ。けど、気にしないでね。呼び捨てで良いから」
「美緒――先輩」
呼び捨てにしようとすると気恥ずかしくて、先輩をつけてしまった。
俺にはハードルが高すぎると思っていると、美緒先輩が優しく微笑んでくる。
「難しい? なら、徐々にならしていこうね」
コクリと頷くと、どうやら話し合いが終わったのかゴドウィンさんがやって来る。
「おや、お邪魔だったかな?」
「い、いえ! そんなことはありません」
顔が赤くなり、声が裏返る。
否定する俺を見て、ゴドウィンさんが美緒先輩の方を見て――眼鏡の位置を正した。
「――ま、色んな人がいるよね。それはそうと、話が付いた。バリス王国は、君たちが持ち込んだバスやら一部の荷物と引き換えに、君たちを保護しよう」
俺たちを保護すると言い出したゴドウィンさんは、左手に杖を持つ。
そして、俺に右手を差し出してきた。
「ようこそ、新しい“迷い人”。わしたちは――バリス王国は君たちを歓迎するよ」