1機目 第88飛行隊
トラックの幌の窓から夕陽が見える
朝方祖国を離れる際に家族と話をしたのがひどく懐かしく思えた
別れ際に手渡された懐中時計で時刻を確認する。
ふと蓋の内側に目をやるとそこにはメッセージが刻まれていた
「お兄様
武運長久をお祈りしております
どうか無事に帰ってきてください レナ」
お守りにと言っていたのはそういうことだったのかと一人感慨に耽っていると声が聞こえた。
『クリス? ねえ〜ちょっと聞いてる〜? 少尉! クリス・ユンカース少尉!!』
顔をあげ、辺りを見渡すが声の主と思しき人物は見当たらない。
無視を決め込んでいるともう一度声が聞こえる。
『流石に無視はひどいんじゃないかな〜、ユンカース少尉"殿"』
あぁ、やっぱりか……
『あなたでしたか、俺はてっきり幻聴かと思ったもので……ヘンシェル大佐"殿"』
『君ねえ……こうなってから結構経ってるんだからいい加減慣れようよ……』
『声に出さずに話せるようになってきたあたり大分慣れてきたと思うんですけどね』
そう、俺はこの一連の会話を頭の中で行っていた。
決して気がふれて幻聴が聞こえるようになったわけではない。
アリサと名乗るこの声の主は空軍の元大佐なのだそうな。
"元"大佐というのもどうやら彼女、もうこの世にはいない所謂「故人」らしいのだ
「試作機の実地試験でちょっと遠足してみたら大編隊に襲われちゃってさぁ〜」
なんて本人は笑いながら言っていたが……
彼女との出会いは数ヶ月前にさかのぼる
当時空軍学校で飛行訓練を行っていた俺は訓練中に誤って乱気流に突入してしまった。
激しく揺れ、徐々にコントロールを失っていく機体の中で死を覚悟した時、突如体が勝手に動いた。
その体は先ほどまでパニックに陥っていた自分のものとは思えないくらいみごとに操縦桿を操っていく。
状況が理解できず更にパニックになる俺を尻目に体は操縦を続け
気づいた時には気流から抜け出していた。
俺は生きているという安堵感と同時に先程の理解しがたい現象にある種の気味悪さを感じていると無線機から楽しげな声が聞こえてきた
『まさか訓練中に乱気流に突っ込む阿呆がいるとはねぇ、私がいなかったら君、墜ちてたよ』
これが幽霊大佐アリサ・ヘンシェルとの出会いだった。
その日以降、文字通り憑き纏われている。
『それで、どうかしましたか? お菓子なら今は持ち合わせていないので我慢してください』
『君、私の事子供か何かだと思ってない? 目的地が近いから教えてあげようとしただけよ。
あ、でもポケットのチョコレートは出しなさい。隠しても無駄なんだから』
目ざとい幽霊だ。
しぶしぶポケットからチョコレートの最後のひとかけらを取り出し口に放り込んだ。
柔らかな甘みとカカオの風味が口いっぱいに広がっていく。
『ん〜、この甘さの為に生きてるって言っても過言ではないわぁ〜』
『もう死んでますけどね』
『それは言葉の綾ってやつよ』
コントのようなやり取りをしつつチョコレートを味わっていると不意に視線を感じる。
視線の方を向くとそこには見知った少女の顔があった。
「えっと、どうかしたのニーナ。もしかしてチョコレート欲しかった?」
「……いえ、そういうわけでは……貴方が嬉しそうに食べているので……
甘いものはあまり好きではなかったはずなのに珍しいな。と思っただけなの……」
首をふるふると振りながら静かに答える彼女はニーナ・メッサーシュミット
空軍学校で共に訓練を受けたいわゆる同期というやつだ。
切れ長の目に整った顔立ち
そんな華奢で可憐な容姿とは裏腹に学校では断トツに操縦が上手く
模擬戦では教官にすらキルコールをとってしまったという伝説を持っている。
「……それに私は自分の持ってるから」
そう言いつつ彼女は雑嚢からチョコレートを取り出す。
それは封が開いているにもかかわらずきっちりと包み紙におさまっていた。
「……食べる?」
見つめていたのをどうやら欲しがっていると思われたらしい。
ひとつ差し出されてしまった。
流石に申し訳ないので断ろうとしたのだが
『欲しいっ!!』
という声とともにアリサに勝手に手を動かされてしまい結果的に受け取る形になってしまった。
受け取っておいて返すわけにはいかないのでそのまま口に運ぶ。
「ありがとう、なんかごめんな。」
幸せそうな声を上げているアリサを放置してニーナにお礼を言う。
「....いいの、私もあまり好きではないから丁度良かったの」
その割には結構減っていた気がするが突っ込むのも無粋なので黙っておくことにした。
先程、ニーナが言っていた通り以前は甘いものが得意ではなかった。
のだがアリサが憑いてから甘いものが好きになりつつある。
あの甘党幽霊と味覚等の感覚を共有しているからだとは思うのだが
自分の体が乗っ取られていくようであまり気持ちの良いものではない。
「そういえばもうすぐで到着するみたい」
「……ようやく着くのね……固い座席にずっと座っていたからもう腰が限界」
チョコレートを食べつつそんな話をしているとトラックの振動が止まった。
どうやら到着したようだ
「おい、着いたぞ。降車準備だ、起きろテオ!」
隣で眠りこけていた少年を揺り起こす。
「ふぁああ、何? もう着いたの? クリス」
寝起きののほほんとした表情でこちらを見つめてくるこの少年はテオ・ドブルホフ
こいつも共に訓練を受けた同期だ。
「着いたから早く準備して降りてくれ。でないと俺が降りられん」
「ごめんよクリス、ちょっと待っててくれないか」
彼は申し訳なさそうな表情をして荷物をまとめる
「仕方ない、俺も手伝ってやるよ」
荷物を少し持ってやることにした
「ありがとう、クリス」
満面の笑みでそう返すテオ
ほんと、ここには似つかわしくない穏やかなやつだ。
まあ、そこが良いところだとは思うが……
テオと二人でトラックから降車するとそこは大きな飛行場だった
目の前に2人の人間が立っている。
片方はとても穏やかそうな顔をした綺麗な女性
もう片方は筋骨隆々の野性的な顔をした男性だった。
肩章を見る限り女性は中佐、男性の方は少佐
どうやらここの部隊の隊長と副隊長のようだった。
「本日付で第88飛行隊に配属になったニーナ・メッサーシュミットです」
敬礼をしながらハキハキとニーナは自己紹介をする。
いつもの彼女の雰囲気とのギャップに若干めんくらいつつ俺も自己紹介をする
「同じくクリス・ユンカースです」
「お、同じくテオ・ドブルホフです」
テオも同じことを感じていたらしい、驚いた表情をうかべていた。
「あなたたちがこの部隊の新入りさんね
私はアイリス・ヘンシェル、一応ここの隊長をやらせてもらっています。
どうぞよろしくね」
そう言って隊長は俺たちに順番に握手をしていった。
「俺はシリル・フィーゼラー、副隊長だ。よろしくな新入り共」
シリルと名乗った大男の副隊長はなぜか順番にワシワシと頭を撫でていった。
「にしても聞いてはいたが今回の人員補充はやけに少ねえな、たったの3人か」
「私たちの部隊が一番損失が少ないんですもの
残りの人員は消耗の多い部隊に優先してまわしています」
「ガハハ、そりゃそうだ。なんせ俺たちは精鋭中の精鋭だからな」
そういってフィーゼラー少佐は豪快に笑う。
「さて、これからこの飛行場を案内したかったのだけれど……
もう日が暮れてしまったわね」
辺りを見渡すと確かに日が暮れていた。
「それでは兵舎に行きましょうか
他のみんなも新入りさんの歓迎会をするって張り切って準備していたから期待しててね」
こっちよ
そう言ってヘンシェル中佐とフィーゼラー少佐は歩き出す。
後を付いていきながらふと考える。
"ヘンシェル"中佐……偶然なのだろうか? 一応聞いてみるとするか
『あの、アリサさん?』
『ん〜何?』
『あの隊長さん、アリサさんと同じ姓ですけどひょっとして親戚か何かですか?』
『ええ、そうよ。私の妹、可愛いでしょ?』
自慢げにアリサは答えた。
やっぱりそうだったのか。
『でも、全然似てませんね。性格とか真逆っぽいですし』
『なに? それは聞き捨てならないわね
性格はともかく見た目はとっても似てるのよ。』
プンスカと怒るアリサ
それをなんとかなだめているうちに兵舎に到着した。
「さあ、ここが兵舎よ。そこの扉を開けてみて」
ヘンシェル中佐に促されテオが扉を開けたその瞬間
複数の破裂音が辺りに響いた。
反射的に伏せてしまった俺やニーナ
ポカンと突っ立っているテオを見てフィーゼラー少佐は大笑いしている。
「これはお祝いのクラッカーみたいなもんだ、みんなお前さんらを歓迎してるんだよ」
ようやく笑い終えた少佐はそういった。
立ち上がりながら改めて中の様子を見渡す
テーブルの上には戦場では貴重な野菜や肉
魚を使った料理が所狭しと並んでいる。
壁や天井もカラフルな装飾が施されていた。
確かに部屋の中は歓迎のムードだ
ただ一つ部屋にいる全員が小銃や拳銃を天井に向かって構えている事を除けばだが。
「クラッカーがわりに発砲とはずいぶんと荒っぽい歓迎ですね」
そうつぶやくと男が1人、拳銃をしまいながらこちらに向かってきた。
「それがうちらのやり方なんでね、まあそれより中に入んなよ。
折角の料理が冷めちまうぜ。」
言われるがまま俺たちは中へと入る。
こうして俺の戦場での日々が幕を開けたのだった。