5 力と副作用
体中が痛みを訴えている。右腕と両足の骨を折られ動くことすらままならず、この期に及んで抵抗は無意味でしかないのに、しかし心は屈することを拒絶していた。
視界は霞んで敵の姿すら朧気にしか見えず、今はただメイの無事を祈ることしか出来ない。
「おい、さっきまでの勢いはどうしたんだよクソガキ」
「仲間の為にってな美しいモンだなぁ。あの女、早く戻って来ねぇとコイツ死んじまうぜ」
「しっかしすぐに女が見つかってよかったなあ。連れてきた女は皆で楽しむ前に死んじまったしなあ」
野盗たちはゲラゲラと下卑た笑い声を上げながらメイが戻って来るのを待っている。
何故? 何の為に? そんな無駄なことを思う。幾ら自分を誤魔化そうとしても理解はしていた。でもどうしてもそれを認めたくはなかった。自分がメイの足枷になるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだと思った。
「はやく……、殺せ……」
「オイオイ、長い人生そう生き急ぐもんじゃねぇよアンちゃん」
「そうだぜ。これでも俺たちは慈悲深いんだ。仲間と感動の再開をさせてやろうってのに死なんか願うモンじゃねえよ」
「そしたらお前の目の前であの女と存分に楽しんでやるよ。それまで生きられるんだから感謝してほしいくらいだぜ」
「そりゃあいい! コイツとあの女がどんな声で泣き喚くか見物だな!」
そんなことの為に自分が生かされているのだと分かった途端、全身の血が沸騰するかと思うほどの激しい怒りに駆られた。
「て、めえらっ……! メイに手を出しやがったら、絶対にぶっ殺してやる……!」
「そのザマでお前に何が出来るってんだよ。いい子だから大人しくしときな」
最悪だ。俺はまだいい。だがメイだけはダメだ。まだ何の想いも伝えていないのに、こんなやつらにメイの尊厳を汚されることだけは絶対に許せない。
戻ってくるなと切に願った。メイが無事でさえいてくれれば、俺はそれだけで――
◆
物音に気を付けながら野盗の拠点まで近づいて観察する。相手は周囲に見張りすら立てておらず拠点も新設ならその動きも素人同然で、昨日今日野盗に身を落としたのだと言われても納得できる程お粗末な有様だった。
敵の装備を確認すると全員が剣こそ所持しているものの、胴鎧――レザーアーマーを着用しているのは一人しかいない。恐らくはそいつが頭目だろうと当たりを付ける。
野盗の数は十一人で、全ての者がケインだろうと思われる者の周囲を取り囲んでいる。その周りを更に観察すると篝火から少し離れた場所に二人の男女の死体を見つけた。仰向けに横たわっている男を庇うように女が覆い被さったまま死んでいた。
野盗どもが女すら殺していることに疑問を覚えた。凌辱目的ではないのか、或いはそのつもりだったが勢い余って殺してしまったのか。
この状況では尊い犠牲だなんて陳腐な言葉でしかないが、それでも仇だけは討ってやるからせめて安らかに眠れと手短に祈る。
あなたたちの犠牲がなければ、俺の力はそもそも使えなかったのだから。
ルードの話を聞いていてよかった。これからはこういう素人かそれに毛が生えたような手合いが増えてくるに違いない。カナバに拠点を移すことを決心しつつ野盗たちに視線を戻す。数の力に酔いしれているのか最低限の警戒すらしていない。
初めての過激な暴力と殺人に飲みこまれたのか、この場が狂気に支配されているのが有り有りと見て取れた。どす黒い感情が心を染め上げていく。
弓に矢をつがえる。正確な狙いは付けない。頭部にさえ当たらなければそれでいい。この程度で死んでもらっては困るからだ。
そうとも、報いを受けさせてやる。報復の時間だ。
矢を放つ。的は呑気に密集しておりこの距離ならば素人でも射ればどれかには当たる。間髪入れずに第二射を放つと同時に身を潜めていた茂みから飛び出した。悠々と野盗たちの元へ歩いていく。
放った2本の矢はそれぞれ野盗たちの右肩と左腕に突き刺さっていた。それを確認して地面に弓を置く。これはもう必要ない。
「ガッ、痛えぇ!」
「クソッ、弓だ! あの女が戻って来やがったか!」
「いいや、人違いだ。期待に添えず悪かったな」
応答すると野盗たちが反射的にこちらを振り向く。相手は射角から射手の方向と位置を割り出そうとすらしない。素人以下だ。構わずに近づいていく。
「なんだてめえは! どっから来やがった!」
「どこでもいいだろ。これから死ぬお前たちがそんなことを気にしてどうするんだ?」
「たった一人で英雄気取りか! 思い上がってんじゃねえぞ!」
剣を抜いた野盗の一人が上段から袈裟懸けに切りかかってくる。最小の動きでそれを躱して相手の右膝を踏み抜くように蹴りつけると、膝の皿が割れ骨が砕ける鈍い音が響き渡った。
「ガッ、あああぁぁ痛ええぇぇ! 俺の、俺の足がああぁぁ!」
「うるさいんだよ」
倒れ伏して悶える野盗の顎を踏み抜く。顎の骨は簡単に砕けてごひゅう、ごひゅうと間抜けな呻き声を上げだした。まずは一人。
周囲を見渡すと他の野盗たちは呆けたようにそれを見つめていた。話にならない。何の手応えも感じられない。ケインの様子をよく見ると腕と足の骨が折れ曲がっている。彼の治療を優先させなければならない。そしてその為にはこの場を素早く制圧する必要がある。
この期に及んでまだ動こうとしない間抜けな野盗どもを挑発してやる。
「どうした? お前らはただ見ているだけなのか?」
「コイツ……! おい、全員でやるぞ!」
「舐めやがって! ぶち殺してやれ!」
幾人かが抜剣して向かってくる。此方の周囲を取り囲み退路を絶つことを優先しない相手に思わず苦笑してしまう。
「笑ってんじゃ……ねえ、よ!」
最も近くにいた野盗の一人が先ほどの相手と同じように剣を袈裟懸けに振りおろしてくる。密集していれば同士討ちの可能性があるから横薙ぎは出来ない。つくづく愚かなやつらだと思う。
例え素の俺でもこいつらの剣などリーネの剣筋に比べれば何の脅威も感じない。それでも力に頼らなければこれだけの数の暴力には勝てないだろうが、今はそれも関係ない。
後ろに半歩下がり体を捻って攻撃を躱す。そのまま前に詰めて相手に密着する。こうすれば同士討ちを恐れて周りは攻撃すら出来ない。相手の右腕の肘に左手を添えて右手を手首に当ててそのまま逆方向に曲げてやると骨が折れる鈍い音がして絶叫が上がる。これで二人。
ようやく本気になってくれたのか野盗たちは周囲を取り囲むように移動し始めた。密着したままの野盗を手前に陣取る三人に向かい無造作に放り投げる。それを追うように相手との距離を詰めて戸惑っている相手の顎を殴りその骨を砕いた。続けて右にいる相手の膝を踏み抜いてから左側の敵へと詰めて剣を握る右手首を掴みそのまま握り潰した。それぞれが発する絶叫が心地よい。これで五人。
矢が刺さっている二人は矢を抜くことに集中していて少しの間は無視しても構わない。後四人。
包囲の為に左側に移動していた一人に向かい走っていく。現実感が伴っていないのだろう相手は呆然とこちらを見つめたまま動こうとしない。間合いに入り左足を蹴り砕いてやると、馬鹿のひとつ覚えのように絶叫が響き渡る。後三人。
「なんだこれは……、一体なんなんだお前はぁっ!」
頭目と思しき男が動揺の声を上げるが構わず無視して今しがた左足を潰した男を担ぎ上げて残ったうちの一人に投げ付ける。
およそ人間の力では出し得ない速度で矢のように飛んでいった男はそのまま放心していた一人を巻き込んで二人一緒に後ろの木に突っ込んでいった。残りは後二人。
頭目と思しき男とその隣にいるもう一人に向かって悠然と歩き出す。誰一人として逃しはしない。
「ま、待て、待ってくれ! 俺たちが悪かった! 降参する!」
「へえ? 今更降参してどうするんだ?」
歩みは止めない。逃走の希望など与えはしない。
「お、俺たちの物を全部やる……。金目の物は全部だ! だから見逃してくれ!」
その言葉を合図にして瞬間的に距離を詰める。頭目ともう一人の膝を蹴り砕く。響き渡る絶叫を無視して矢が刺さった二人も同じように足を潰してやる。これで制圧は完了した。
後は足が無事なままの野盗たちの膝も潰して回り、そのついでに野盗たちが回復薬の類を所持しているかを確認しながら剣を回収して離れた場所に置いておく。回復薬は誰も持っておらず、これでもう誰も逃げられない。野盗どもの絶叫と呻き声がとても心地よい気分にさせる。
芋虫のように無様に地べたに這いつくばって苦悶の声を上げる様を見ていると堪えきれない愉悦を感じる。だから足を潰すのは止められない。その為にこの力の全力など今まで一度も出したことすらない。
剣は使わない。この灰色の世界でそれが必要になる敵など存在しないと知っているし、失血死のような楽な死に方をさせてやるつもりも毛頭なかった。
倒れ伏して呻き声をあげる野盗たちを一人また一人と篝火から離れた場所へと運んでいく。この惨状をメイに見せたくなかったからだ。後始末もまた、見せることは出来ない。
そのまま野盗たちを見ていると溢れ出しそうになる嗜虐的な欲求をどうにか抑えつけて、倒れ伏しているケインの元へと向かった。様子を見ると生きてこそいるもののこの重傷でよくぞ耐え抜いたものだと感心する。寄り添って声をかけた。
「お前がケインだな?」
「あ、んたは……?」
「メイに言われて助けに来た。敵じゃないから安心しろ」
「メイが……。メイは、無事なのか?」
「ああ、すぐ近くにいる。もう何も心配はいらない」
「そうか、よかった……」
ケインの背中に手を添え上半身を少しだけ上げさせて腰袋からポーションを取り出し蓋を外して口元へ付けてやる。
「ポーションだ。今のお前ならよく効くぞ、飲むんだ」
「ああ、助かるよ……」
弱々しい飲み方ながらもケインはポーションを少しずつ飲み干していった。ケインの体が薄い緑色の光に包まれる。折れた骨が繋がり傷が塞がっていく。それを全て見届けてから安静にするように言う。
「ポーションじゃ傷は治っても疲労はとれない。メイを連れてくるから楽な姿勢でいろ」
「分かった。その……、ありがとう」
「礼は後でいい。迎えに行ってくる」
ケインを横にしてやり立ち上がる。そのままメイの元へと向かう。
これからどうするかを考える。いつもならば野盗どもを死ぬまで拷問し続けるが、それは二人に見せたい光景では断じてない。
声に従うといつもそうだ。嗜虐的な欲求が無限に湧き上がってくる。無惨に殺された罪なき者たちの怨念が苛烈な報復を望み精神の殆どはそれに侵食される。そうなってしまうと例えどれほど残虐で凄惨な行為であろうと何の疑問も持たずに躊躇なく実行出来てしまう。
だからこそ今まで必死にリーネに隠し通してきた。彼女にだけは絶対に見せられないし、知られたくなかった。この力の正体だけは。
14歳の頃にリーネが初めて野盗を討伐してから、その後の彼女は例え悪人が相手でも殺人を強烈に忌避するようになった。そしてその時既に自分の両手は血に塗れすぎていた。リーネと共に人生を歩むことが出来ないと思い知らされる程に。
目の前が真っ暗になるという言葉の意味を、嫌と言うほど自分の身で思い知った。その時感じたものはまさに絶望という他なく、自分が自分でなくなっていくような気がするほど現実味が感じられなかった。それでも何とか踏み止まれたのは、何も知らないリーネが傍に居て、その愛しい笑顔を向けてくれていたからだ。
その後もやけになって時折リーネの目を盗んでは誰にも分からないように悪党を殺し続けた。まるで自暴自棄のように。もしかしたら今だってそうなのかもしれない。
これまで殺してきた悪党の正確な数は数えていないが百や二百は優に超えている。そして今日また十一人増えていく。もう後戻りできる場所なんてどこにもなかった。
だから秘密を知られてリーネに拒絶されるのが、他の何よりも怖かった。もしリーネに嫌われて見捨てられたら、その可能性を考えるだけで恐ろしくて震えが止まらなくなるほど自分は彼女に依存していたから。
幼い頃に自分を救い出してくれた誰よりも愛しくて世界で一番大切なリーネにだけは、絶対に知られたくなかった。もしあの時の絶望をもう一度味わってしまえば、自分はきっと正気すら保てなくなってしまう。
メイの元へと急ぐ。この距離ならば声を張り上げれば聞こえるだろうか。
「メイッ! もう出てきて大丈夫だ! ケインは無事だぞ!」
俺の声に弾かれたようにメイが飛び出してきた。その表情は安堵の色に満ちており、嬉しそうに俺の元へと駆け寄ってくる。
「カイトさん! ケインは本当に大丈夫なの?」
「ああ。今はポーションを飲ませて楽にさせている」
「ありがとう! その、カイトさんも無事で良かった……」
メイはそう言って俺を抱き締めてくる。感謝を期待していた訳ではないが、こうも素直に告げられるとむず痒さと同時に暖かい心地よさを感じた。いつもとは違う状況だが、これならば欲求をどうにか抑えられるかもしれない。
少し考えてメイには申し訳ないが利用させてもらうことにする。今まで試したことすらないが、この暖かな心地よさを感じていられたならば、或いはと思って。
背中とザックの間に手を入れてメイを抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこで、本来なら俺がメイにしていいようなことではない。
「あ、ちょっと。いきなり何するの……」
「これぐらいは役得ってことで許してくれ。ケインの所まですぐに着くから」
「もう……。今だけなんだから」
そう言うとメイは首の後ろに手を回してぎゅうとしがみ付いてきた。メイをしっかりと抱き抱えてケインの元まで走り出す。そうしてケインの近くまで数瞬で着くと、人の限界を超えた身体能力が今は少しだけ疎ましく感じる。
優しくメイを降ろしてやると、彼女はすぐさまケインに駆け寄りそっと抱き寄せる。その横顔を見れば涙が滲んでいた。
「ケイン、無事で……、本当に生きててくれてよかった……。もう大丈夫だからね」
「ああ、メイこそ無事か? 体は何ともないか?」
「あたしは大丈夫、何ともないよ……。ケインの方こそボロボロじゃない」
「俺のことはいいんだ……。メイに何もなくて、本当によかった……」
ケインはその目でメイの無事を確認すると大粒の涙をぼろぼろとこぼし始めた。
「もう、自分のことも少しは考えてよ。あたしだってずっとケインのことが心配だったんだから」
「メイ、心配かけてごめんな……、ごめん……」
「そんなこといいよ……。ケインが生きててくれて、本当によかったよぉ……」
ケインとメイは涙を流し抱き合いながら互いの無事を喜びあっている。それをよかったと思う反面、名も知らぬ男女を助けてやれなかったことを心中で詫びた。
例え絶大な力を持っていたとしてもその力を最も必要とする人たちを助けてやれなかった現実を前にして、そんな力に一体どれだけの意義があるのだろう。
今まで何度自問してみても、未だに答えがみつかることはなかった。