大蛇
「暗くてよく見えませんねー?」
「そうか? 結構明るいと思うんだけど」
「それはケルンさんの夜目がきくからです、普通の人からしたら暗いんです!」
そう言うと彼女は背中のリュックを下ろし、中から何やら筒状のものを取り出した。それから誰もいない方向へ向けると、突然その向けられた場所がパッと明るくなる。
「うわっ!」
僕は夜目の状態から唐突に明かりが入って驚いた。落ち着いて見てみると、光はやはりミホの取り出した物から出ている。
「なんだそれ?」
「これは発電式懐中電灯です。最新型ですから発電効率もいいですし光も強力ですよ!」
「それはいいけど今度から着ける時は一声かけてくれ、眩しい」
「はぁ……ケルンさんって本当につまらない反応しますね」
「そんな僕が悪いみたいな言い方はよしてよ。ヨコハマに住んでると一々驚いてたらキリがないんだよ」
「何それ! スッゴい面白そうじゃないですか! 考えてみれば私全然ヨコハマの町見て回ってませんでした! スッゴいですよね、喋る猫とか宙に浮かぶクラゲとか!」
ミホが一気に捲し立て始めた。確かにヨコハマに来て一番驚くのは特徴的な住民かもしれない。かくいう僕も道に迷ったときに喋るタコに声をかけられたのは仰天したものだった。
それから暫く探索していると、ミホが「おおっ!」と短く歓声を挙げつつ走り出した。それから1つのブースに入ってしゃがむと、「やっぱり!」と拳を握る。
「あったのか!?」
「はい! ありました!」
ミホが床に散乱した包みを持ち上げた。しかし、後ろから除きこんでみると、透明の包装の中に入っていたのは衣服だった。
「服?」
僕は頭の中で以前見たことがあるプラスチック、偽コンビニの青い看板を思い出して疑問を口にした。僕の中でのプラスチックのイメージは、固さはあるがガラスのように脆くなく、金属のように重くなく電気を通さない、というものだったからだ。
けれどそれを聞いたミホは再び人差し指を立てて説明口調で話し始める。
「昔の服の素材もほとんど今と同じで綿、絹、羽毛、羊毛、革でした。しかし、もうひとつ合成繊維というものがあります」
「それがプラスチックでできているのか?」
「はい、主なものとしてナイロン、アクリル、ポリウレタン、ポリエステルが挙げられますね。あとこの包装もプラスチックです」
「へぇー………ってことはこれ全部プラスチック!?」
僕は床に散乱した包装を指差して叫んだ。これだけ売れればかなりの額になるかもしれない。
「綿も混じってる可能性がありますから全部とは言えませんが、ほとんどプラスチックですよ! 私もこんなに見るのは始めてです!」
「ちゃっちゃか持って行こう! どっかに調度いい入れ物ないか?」
「多分レジにあると思います! とって来ますね!」
そう言うとミホが立ち上がって奥の方に入っていく。それからがさがさと漁る音が聞こえてきた。今のトウキョーの建物と造りはほとんど同じなのかもしれない。
────シュルシュル
「っ!」
だが、お宝が手に入ったと浮かれていた時に、僕は唐突に異音を聞き付けた。爬虫類が腹を床に擦る音だ。蛇か、あるいは蜥蜴かもしれない。ちっ、と舌打ちをして槍を何時でも振り回せるよう構えるが、考えてみれば今まで何にも出会さなかった方が珍しいのだ。この建物は状態が良いから、他の動物にとっても格好の寝蔵だろうに。
「ミホ! おい、ミホ!」
僕は声を絞ってミホを呼んだ。敏いミホは僕の様子から何か起きていることを察して、懐中電灯を消すと足音を立てないように近寄ってきた。手にはこれもプラスチック製と思われる袋が掴まれていた。これなら話が早い。
僕は辺りへの警戒を怠らないで中腰のままミホの耳へ口を近付けた。
「大きさは分からないけど多分爬虫類系の奴が一匹いる。早いうちにここを離れよう」
「了解です」
「僕は見張っとくから急いでその服を持てるだけ詰め込んで」
「いえっさー」
ミホはそっと袋を開くとサクサクと床の服を詰め込んでいく。暗いのに良い手際だ。
僕はミホが直ぐに作業を終わらせるだろうと踏んで、物陰から通路へ顔を覗かせた。足音? 腹音? がした方を観察するが、それらしき影は見当たらない。音もしていない。微かな包装の擦れる音だけが背中から聞こえる。
空気が緊迫する。自分の息遣いすら分からないほど殺してじっと槍を構えた。
そして───唐突に気配が膨れ上がった。
「くそっ!」
「キシャァァァ!!」
僕がミホに向かって飛び付いたのと、人1人を容易に飲み込めるほど巨大な大蛇が壁を突き破って飛びかかってきたのは、ほぼ同時だった。
ミホを腕の中に抱え込み、床を一回転して体勢を立て直すと、ミホを強引に立たせて背中を押した。
「隠れてろ! 庇いながらじゃ荷が重い!」
「は、はい!」
慮外の事態ではあったがミホの行動は素早く、先程袋を漁っていたレジの裏まで滑り込んでいく。やはり肝が座っている。
僕は横目で彼女が退避したのを確認して感心しながらも、直ぐに気を引き締めた。奴が来る。
2度目の攻撃を先に仕掛けたのも大蛇だった。一度通り過ぎた頭を、未だに先程の軌道を通っている胴体が過ぎたのと同時に再度突撃させた。ギリギリまで突撃のタイミングを分からせないためだ。
だが僕は一度別の大蛇と対したことがあり、それを知っていた。胴体が過ぎるよりも先に斜め前方へ走りだし、大蛇の頭が口を開けて現れるのと同時に右手の槍を水平に振り払った。
「ギャアアアア!?」
大蛇の上顎と下顎を繋ぐ靭帯が断ち切れ、血が飛び散った。大蛇が唸り痛みに震える。僕が床を粉砕しながら鞭のようにしなる尾を跳ねてかわし後ろに下がると、大蛇も少し離れた位置でどくろを巻き、こちらを睨んでいた。左側の口が上手く閉じられておらず、そこから血が流れ落ちている。
知能があるかはしらないが、大蛇は当に怒り心頭の表情で僕を睨みつけていた。だが、僕はその猶予をもって冷静に観察する。
大蛇の全長はおよそ30メートル。頭の高さは1.2メートルかそこら。まさにモンスター。牙はそこまで鋭くないし、筋肉の付き方から毒もなさそうだ。けれど、この体格差であの鋭い頭突きは危険だし食われれば助からないだろうが、尾による凪ぎ払いは確実に食らえば死ぬ。これでは頭の前で相対するしかないだろう。
僕は辺りをざっと確認するが、近くに大蛇の頭上を取れるような地形もない。槍を持つ右手の指下3本を再度握り直し、僕も覚悟を決める。
大丈夫、何度も同じような危機を乗り越えてきた。その度に相手を自分の糧としてきた。逃げてはダメ、という訳じゃない。逃げる必要がない、だ。僕ならやれる。僕なら殺れる。
呼吸を整え、頭の中でそう繰り返した。たまに行う一種のルーティーンだ。こうすることで、相手を敵ではなく獲物として見ることができる。自分を強く思わせられる。
大蛇のどくろが僅かに縮む。僕の呼吸が押し留められ、膝が僅かに沈んだ。
「シャア”ア”ア”ア”ア”!!」
「らあ!」
溜めが一瞬で解き放たれた。大蛇がゴウッと風を切りながら突っ込み、僕がそれを迎え撃つ。
僕は全身の力を前に出した左脚へ集中させる。そして、その新人類の得た驚異の力を込めた脚で、大口を開けた大蛇の下顎を舌の上から踏みつけ地面へ叩き着けた。
地面に押し付けられた下顎が、床を擦る僕の右脚を追いかけるように床を削り瓦礫が飛び散る。
そして僕は、口を閉じんとする大蛇の上顎へ渾身の槍を突き刺した。
「ぬぐううう!!」
大蛇の前進が止まり、辺りに土埃が舞う。だが大蛇は死んでいない。これでも尚僕を食らい潰さんと、片方の靭帯に強力な負荷を掛けて口を閉じていく。大蛇の脳は僕が思っていたよりも小さく、一撃で止めを刺せなかったのだ。
あわやここまでか、と思ったその時、横から雄叫びと共に現れた黒髪の少女が、似合わない大振りのナイフを大蛇に振り下ろした。