冒険の始まり
「ぜぇ……ぜぇ……」
「いやあ、すいませんご迷惑かけて」
「まったくだ………」
僕は愚痴をこぼしつつ水筒の水を仰ぐ。
変態ザルから逃げる為にミホを抱えて森を走った僕は、30分にも及ぶ逃走劇の末に奴らを巻いて、倒壊した瓦礫の隙間へと駆け込んだ。
走りなれていると言えども、流石に人1人を抱えての全力疾走は辛く、座り込んだ僕の首筋をだらだらと汗が流れていく。それをタオルで吹きながら今後の見通しを考える。
既に帰る予定時刻だった時刻は過ぎている。だが僕は疲労困憊であり、ミホを守りながら帰ろうと思えば後30分は休憩したい。加えて、流石にヨコハマへの方角こそ把握はしているが距離までは分からない。曖昧なコンディションで挑むべきではないだろう。つまりマサヒロとサクラを訪ねるのには間に合わない。
僕は嘆息した。きっとサクラに怒られ拗ねられる。彼女の機嫌をとるのは一苦労するのだ。
「ミホ、今日は諦めてゆっくり帰ろう。しばらくここで休憩…………ミホ? なにしてるの?」
ミホからの返事がないことに気がついて辺りを見渡すと、彼女は瓦礫の洞窟の奥へと進んで、その先の急勾配な道を見上げていた。その先からは光が降り注いでいる。
「なんかここ洞窟って言うよりアーチだったみたいですね。先があります」
「先があるってことは奥から動物が来るってことだからね。注意しといてよ?」
「れっつらごー!」
「あっ………ちょ!?」
ミホは目を爛々とさせながら、僕の忠告を無視して一気にその縦穴を上り始めた。僕の邪魔にならないようにするって言ってたのに。
僕はここまで来てミホを1人で行かせる訳にもいかず、愚痴を心の中で吐きながらミホを追いかけた。
縦穴と言っても垂直な訳でもなく、せいぜい60度位の坂道だった。加えて回りは全て瓦礫で出来ているから取手も多く上り易い。僕が登り始めた時にはもう、ミホはほとんど登り終えていた。
疲れた体に更なる負荷をかけていると、登り終えたミホが「ふおおおお!」と奇声をあげるのが聞こえた。不用心にも程がある。僕は残りの十数メートルを駆け足で登り詰めた。
「ミホ! さっきから何度も言ってるけどもっと注意して………」
そこまで言って、僕は息を飲んだ。目の前の光景に圧倒されたからだ。
一面には正しく『瓦礫の台地』が広がっていた。200年近くも昔に建っていた建物群が倒壊し、その膨大な瓦礫が他の土地よりも数十メートル高い台地を作っていた。その瓦礫の隙間隙間に強靭な生命力を持った草花や木々が生え、所々に見当たる200年もその体躯を保ってきた建物の生き残りは、まるで守られるかのように巨大な樹木に支えられている。そして建物に嵌められていた窓ガラスが一面に散らばり、太陽の光を反射してまるで湖の水面のようにキラキラ輝いている。
それが視界一杯、延々と続いていた。
「すごいな………」
「そうでしょう! そうでしょう!」
僕が素直に感嘆していると、隣で奇声を挙げていたミホが鼻息を荒くしながら自慢気にそう言った。
「なんでミホが得意気なんだよ……」
「これがロマンだからです! さっきケルンさんも『すごい』って言ってたでしょう! これを見つけ出すのが私の追い求める冒険なのです!」
「はあ……」
未だにミホの言うロマンと言うのが分かりはしないが、なまじ先程感嘆してしまったせいで反論できない。仕方なしに、僕は帰ってくる回答を予想しつつミホに聞いた。
「それで? これからどうするの?」
「勿論! 冒険です!」
やっぱり。僕は今日中に帰ることが出来るかすら怪しくなって、ガックリと肩を落とした。
§ § §
「ここは東京のどこらへんなんだろ?」
「は?………ああ、東京都のことか」
瓦礫の台地を探索しながら、唐突にミホが呟いた。一瞬、ミホはトウキョーから家出してきたんだろ、と突っ込みそうになったが、直ぐに彼女の言わんとすることを理解した。
多くの人が知らないことだが現在のヨコハマは昔の『東京都』内に位置している。
変革後20年目で旧世界のテクノロジーを残したトウキョーとその外壁が完成する。そしてその周囲に旧世界の名残を残した幾つかの町が段々と形成され、今でも形を少しずつ変えている。そしてその街を、トウキョーの人々が昔の東京都の衛星都市の名前からとって、ヨコハマやサイタマやチバと名付けた。
だから、ヨコハマの人々は自分達が旧世界の横浜市に住んでると思っているけど、実は全く違ったわけだ。僕もマサヒロに出会ってすぐの頃聞かされて驚き、それが彼の元へ通うようになったきっかけにもなったのだ。
「どこらへんだろう? もしかしたら東京都からは出て他の『県』かもしれないね」
「…………」
「なにさその顔」
ミホと同様に僕も考えてみると、何故か彼女はブー垂れた顔をして僕を見ていた。つくづく解せない。
「だって、私がケルンさんの知らないこと教えて『すごいな!』って興味を引く作戦だったのに、ケルンさん意外と物知り何ですもん。それともそういうのって、ヨコハマの人からすれば常識なんですか?」
「いや、僕は物知りな友人がいるんだよ」
「その人もとんだ迷惑な人ですね」
マサヒロからしたらミホこそ迷惑な人だと思う。
ふんす、と鼻を鳴らしてから僕の非難の眼差しを華麗にスルーしてミホはずんずん進んで行く。瓦礫が積もっているだけだからいつどこが崩れても可笑しくないのにすごい度胸だ。
僕は心の中で皮肉りながらミホに声をかけようとしたところで─────ミホが落ちた。
「わきゃああぁぁぁ………いでりゃ!?」
「ミホ!?」
慌てて駆け寄ってミホの落ちた穴を覗くと、5メートルぐらい下でミホがひっくり返って目を回していた。どうも真っ直ぐ落ちた訳ではなくこの坂を転がり落ちたらしい。ミホが転がり通ったと思われる傾斜からパラパラと砂が落ちている。そうでなかったら骨折していたかもしれない。
穴の端からジャンプしてミホの側に着地すると、背中を起こして体に異常が無いかを確認した。幸い、頬のかすり傷程度しか見当たらない。僕は安堵の息をもらしてから、調度焦点が合い始めて目があったミホを叱った。
「あれだけ注意するようにって言ったでしょうに!」
「はい……すいません調子乗ってました」
「僕は君の保護者じゃないんだからね?」
「その割にはセリフが母親くさいですね」
「…………君反省してる?」
「はい! めっちゃしてます!」
「……はぁ」
僕はミホの背中に回していた手を離して辺りを見渡した。ここは何かの建物の中なのだろうか、床は幾つかの瓦礫が転がってはいるがほとんど平らなままだった。昔は高さのある建物が幾つもあったと言う。恐らく上に瓦礫が積もったが、潰れずに残ったのだろう。
「お宝の匂いがしますね」
いつの間にか立ち直ったミホが、僕同様辺りを見回して呟いた。キリッとした顔をしているが正直アホっぽく見える。
「何がどう匂うんだ?」
「ケルンさんもここが形を保った建物の中だということは分かりますよね?」
「そりゃまあこんだけ床が平らだったらね」
「遺物がかなり残っているかもしれません」
「遺物? 前も言ったけどそれって売れるのか? ロマンとやらじゃ腹は膨れないからね?」
「ええ、勿論。売れるものはありますよ」
僕は疑いの目をミホに向けた。何度も言うが遺物と同じものはトウキョーで手に入る。それも性能のアップした新しいものだ。わざわざ古びて使えるかも分からない遺物を買う物好きがいるだろうか? せいぜいヨコハマに住む小金持ちにお小遣い程度の値段でしか売れないだろう。
だがその疑いの目を向けられたミホは、今度こそ喜色満面の笑みを浮かべて、鼻高々に語りだした。
「ケルンさんの物知りな友人さんは、昔のことに詳しくても今のトウキョーについては教えてくれないようですね!」
「まあ、ぽっと出の君に言われると癪だけど、確かに僕がトウキョーに興味が無いのもあってあまり話はしないね」
「ふんふん、では私が解説しましょう!」
「はあ」
ミホはピンと2本の指を裁立てた。
「昔の世界にあって今の世界に無いもの。正確には今のトウキョーに無いものは何だか分かりますか?」
「えーと」
「貴金属と石油製品です」
「今僕が答えないようにわざと被せたでしょ」
「さ~て何のことやら」
意地でも偉ぶりたいらしい。下手な口笛を吹くミホに、仕方なしに年上としての優しさをみせるつもりで続きを促した。
「貴金属はまあわかるでしょう。この辺りはあまり資源が多くありませんから、昔のように輸入とやらで手に入れることができません」
「そうだねー」
「石油製品も同様の理由ですが、加えて化石燃料の使用を忌避する文化のせいで、こちらは使うことはできても作ることすらできません」
「へぇー」
「貴金属は昔使われていた電子機器から回収することができ、変革当初にトウキョー周辺から十分量を集めてしまいました。そのため今さら電子機器を漁っても極少量しか得られず、一獲千金とまではいきません」
「そうなんだー」
「しかし! 石油製品、つまりプラスチックは高く売れます。プラスチックは衝撃により破損することはあっても、腐蝕することはありません。ですからこのような場所で保存状態のいいプラスチック製品を見つければ正しくお金になるのです!」
「なるほどー」
ミホは興奮して頬を赤くさせながらそう締めくくった。
つまり彼女曰く、プラスチックを見つければ高く売れるらしい。お金になるなら、彼女の冒険精神とやらには目を瞑ってもいい。ミホの無駄な熱さに適当に相槌をうちながら、僕はそう考え始めていた。後に後悔するとは知らずに。