狩りへ
途中までで言えば、思いの外ミホが足を引っ張ることはなかった。足音を立てないように注意している節も合ったし、不用意に大きな声を出すこともなかった。少なくとも軽い思いで着いてきた訳ではないようだ。
そして狩り場へ到着した。
この辺りは、ここが人間のテリトリーとでも思っているのか肉食動物が少なく、危険なものと言えば小型の肉食動物か大型で気性の荒い草食動物ぐらいだ。
僕は容赦なくここまで歩いてきたつもりだったが、ミホは息を切らしつつも着いてきていた。トウキョー育ちの14歳の少女が慣れない森よくやるものだ。
「ミホ、ここからが狩り場になる。一度休憩しておいた方がいい。待っててやるから」
そう言って腰に下げた竹の水筒を手渡してやると、ミホは以外そうな顔をして水筒を受け取った。彼女が水を飲み終えるのを見計らってタオルも渡してやる。
「てっきり最後まで無視されるのかと思ってました」
「少し感心しただけだよ。少なくともミホが本気なのは分かったから」
「えっ! それじゃあ冒険も───」
「それとこれとは別、ミホはさっさと帰りなさい」
僕がピシャリと言い放つと、ミホは気不味そうに目を逸らして言った。
「それがですねぇ………私ここに来る前に居住証明書燃やして来たんですよね」
「はぁ…………はあ!?」
僕は一度相槌をうった後、ミホの言葉の意味を理解して驚いた。マサヒロの話ではトウキョーに住むためにはその居住証明書が必要で、ヨコハマの人がトウキョーで暮らそうと思えば数億リグのお金を払ってそれを手に入れる必要がある。それを燃やしたと言うのだ。
「家族が再発行を申請しても最低でも2週間はかかりますから、少なくともその間はトウキョーには戻れませんね」
「どんだけだよ……」
「あっ」
僕がミホの行動力に呆れ返っていると、不意にミホが声を出して、再び視線を、と言うか顔を逸らした。
「今度はなに。実は証明書が無くても帰れる方法でも思いだした?」
「い、いえ………ほんと何でもないです」
訝しみはしたが、強かなミホのことだから結局はぐらかされてしまうだろう。僕は汗を吹いて頭に被せていたタオルと、もう3割も水が減ってしまった水筒を片付けた。
それをチラチラと横目で確認したミホが、気を取り直すようにごほんとワザとらしく咳をして話し出す。
「えーと、私は狩りについては知識もかけら程しかありませんし、武器も持ってません」
「護身用にナイフぐらいは借してやれる」
「ありがとうございます。ということで今回はケルンさんの様子を見てるだけにしておきたいと思います」
僕は黙って頷いた。邪魔をされないならそれに越したことはない。
「えーと、風上に立たないようにすればいいんでしたよね?」
そう言うとミホは自分の口に人差し指を突っ込んだ後、その指を頭上に掲げた。しかし、数秒待ってもその体勢のままだった。
「ケルンさん、これって難しいんですね。風が有るってのはわかるんですけど、全然向きとか分かんないです」
何となく先が思いやられる。
§ § §
「いた」
僕はそう言って手でミホにしゃがむように指示しつつ自分もそうする。するとミホは音を立てないように摺り足で僕の隣に並んでそっと顔を茂みから覗かせた。
「どこですか?」
「こっから真っ直ぐ見て400メートル先」
「えぇ……」
指を差して方向を示してやるがミホは眉をしかめるだけで、見つけられないでいるようだった。確かに、素人に木々が生える森の中で動物を見つけるのは難しいだろう。
僕は指を縦に口に当ててシーと音をたて、ミホが頷くのを確認してからしゃがんだまま進み出す。
僕が見つけた獲物は体長3メートル程の紫色のサソリだ。見るからに毒々しい針がついた二又の尻尾をゆらゆらと揺らしながらその場でじっとして動かない。
「あっ、見えました! おっきいサソリですねあれ。なんて言うんですか?」
「でっかいサソリ」
「…………」
「いちいち名前をつけても覚えきれないからな。名前があるのは一部だけなんだ」
「味気ないですねー」
ミホがボヤいた。ロマンを求める彼女からすると名前のない動物を狩るのはつまらないものらしい。が、こちらは生計を立てるために狩っている訳であって気にしてはいられない。
「それで、あれはどうやって狩るんですか?」
「いや、狩らない」
「え?」
ミホはきょとんと首を傾げた。
「前に一度似たような奴をやったことがあるんだ。甲殻類だからカニとかエビみたいな味がするんじゃないかって思って。めっちゃ不味かったよ」
僕が顔を味を思い出して顔をしかめつつ説明すると、ミホは一部納得したように頷いて、続けて質問してきた。
「ならあの殻はどうなんですか? 防具とかに使えそうですけど」
「防具に使えそうってことはそれだけ狩るのが大変だろ? 毒を持ってる相手には割りが合わない」
「へえぇー、いろいろ考えてるんですね」
「少なくとも遊びじゃないからな」
「それって私の冒険が遊びだって言いたいんですか」
失言だったと内心思いつつ、ジト目で見つめてくるミホから目を反らした。
サソリ以降は特に目だった収穫もなく、ミホの質問にちょくちょくと答えたり、途中で捕まえたウサギの血抜きを教えたり(ミホは躊躇なくウサギの腹へ手を突っ込んでいた)していた。
しかし、そろそろ昼になろうかという時になって、僕はハプニングに遭遇した。
「まずい、変態ザルだ」
「何ですかその名前」
見つかっては不味いと強引に地面に伏せさせたミホが、呆れたようにその名前を指摘する。名前よりも他に聞くことがあるだろうに。
「まあこの際その実直そうなネーミングは放っておくとして、何なんですかその変態ザルというのは」
「名前の由来を挙げるなら、他種族でも異性と見れば見境なしに襲ってくるってところかな」
「…………それって性的にってことですか」
「うん。基本同性3匹一組で行動していて、しかもそこそこ強い」
「素材になったりは」
「もちろんしない」
「げぇ……百害あって一理なしじゃないですか」
ミホが女の子にあるまじき汚い音で呻いた。やはり性的に襲うというのは誰から見ても嫌悪の対象のようだ。
問題は奴らがオスかメスかということだ。メスなら僕が襲われるから自衛するだけでいい。だがオスなら僕はミホを庇いながら戦わなくちゃいけない。奴らは獲物以外に容赦はしないだろう。
勝手についてきたのだから自業自得だと置いていってもいいのだか、さすがに奴ら相手にホッポリだすのは気が引けた。
「ゆっくり離れる。幸いあいつらは鼻はそこまで良くないからまだばれてないはずだ」
「了解です」
そっと腰を上げて後退し始める。だがそこを不幸が襲った。
耳をつんざくような金切声をあげて、全長が50メートルはあろうかというほどの巨大な怪鳥が木のすれすれを飛んだのだ。通りすぎた地点は丁度僕らと変態ザルの間。獲物がいたのかどうかは知らないが、どうして間の悪いタイミングで滅多にお目にかかれないような奴が来るのか。
おかげで木々が羽ばたきによって揺れ動いて見晴らしが良くなり、変態ザルの視線がこちらに向いた。
「あっ」
「どうした?」
「………今、目が合いました」
怪鳥から視線を変態ザルに戻すと、変態ザル3匹が一心不乱にこちらに駆けてきていた。心なしか3匹で先を争っているようにも見える。完全に興奮状態だった。
くそっ、と悪態をつきながらミホの背中と膝裏に腕を回して持ち上げて駆け出す。
「殿方にお姫様だっこされて悪漢から逃げる! ロマンチックですね!」
「放り投げるぞ!」
「わー! こめんなさい」
まるで緊張感のないミホを一括すると、僕の首に回された腕がぎゅっと締まり、にこやかなミホの顔が近づいた。僕はこの状況でもなお楽しげにしていられる彼女に逆に感心してしまいそうになる。ただ単に変態ザルの恐ろしさが分かってないだけかも知れないが。