生活
────3年後 旧都市ヨコハマ
「んぐ……」
僕は毎朝カーテン越しに差し込んだ日光で目が覚める。寝起きはいい方で目覚めて数秒で布団から出られる。
布団をはねのけて足元に畳んだ後、すぐに洗面所で顔を洗う。
水桶から小さいバケツで水を汲み取って、寝癖の付いた薄い青緑の頭に後頭部からかける。ひんやりとした水が数滴背中へと垂れて身震いした。
それから脇に置いてある棚から、水が床に落ちないように手探りでタオルを掴んで頭を拭く。
それから鏡の向こうにいる青緑の瞳をした少年をじっと見つめた。
「今日で3年か……」
そう呟くのと同時に、鏡の向こうの少年にそう訪ねられた気がした。
僕はあれ以来感情の変化が少し乏しくなった。全く無くなった訳じゃない。楽しい時や面白い時は笑うし、何かに感動したりもする。だけどとりわけ恐怖と悲しみは感じなくなった。ここにきて会った長寿種のおじいさんのマサヒロが言うには、精神の自己防衛とか言うらしい。
そのせいというか、お加減というかとにかく僕はあの出来事によって人生に失望する事なく今でもなんとか生きている。
ぼうっとしてもいられない。僕は今日と明日の糧を得るために仕事に行く。もちろん狩りだ。
あの変革後、この世界、とりわけ人類の文明は鋭化すると同時に原始的にもなった。
200年前の都市機能を保っている場所は幾つかある、らしい。この辺りだと『トウキョー』が唯一の例だ。だけどトウキョーに住める人は限られてるから、余った人類の多くはその回りの旧郊外に住み着き、さらにそこから溢れた人類が、すっかり原生林と化した森で暮らしている。
それから昔はカヤクとかカセキネンリョウとかゲンシリョクとかそういうのもあったらしいんだけど、それはトウキョーでも禁止されているらしい。マサヒロ曰く、偉い人が「変革は人類に失望した神が起こしたものだから、人類のの悪しきもの、つまり大量殺人と地球破壊の元となるものは止めよう!」と言ったからだそうだ。
そのおかげで僕たちは原始的なことに剣やら槍やらで狩りを行うことになった。昔はカヤクを使った武器が主流だったらしい。マサヒロの話はなかなか興味がそそられる。昔の文明の話ってロマンがある!
パサついたパンと残り物のスープで長寿を済ませると、僕はいつもの寝間着姿から狩りの様相へと着替える。動物の鞣し革を使った脛当と胸当てを巻き付けてベルトをしめ、諸々の道具の入ったリュックと愛用の槍を持つ。最後にブーツを履いて完了だ。この間およそ1分。3年もやっていると馴れるものだ。
「行ってきます!」
僕は誰もいない部屋に向かってそう言い入れてから玄関のドアを締める。空は3日連続で晴れ、時折拭く風が心地よい。
もう2年以上住んでいる木造ぼろアパートの階段を、鈍い音がならない程度に軽い足取りで下りて小道へ出た。
この辺りは人口がすごく多い。トウキョーは世界有数の都市で、その郊外に人が沢山集まったからだ。
それにトウキョーではどうかは知らないけれど、ヨコハマには人類以外も多く住み着いてる。
変革時に人類が人以外の力を手に入れたように、他の生命体で知性を手に入れたものが沢山いた。そこで例によって偉い人が「彼ら彼女らは我々人類の傲りを直すために神が昇華させた新たな人種なのだ」と言ったらしい。
今ではヨコハマの人口の3割がこの新人種だ。
道々行けば顔がまんま狼の人、陽気に腕を振るでっかいタコ、どこから声を出しているのか分からない粘液系生物など本当に多種多様だ。
人通りのせいで煙たい大通りを抜けると少し静かになり、代わりにポロポロと狩人たちが見えてくる。まだ朝も早い方なのでそこまで多くないけど、僕が帰ってくる頃になるとこの道も人通りがそこそこ多くなる。
僕は静かなこの道にきてやっと清々しい朝の空気を吸えるのだ。
「今日も人狩り行きますか!」
天気のせいかテンションがあがって声がいつもより大きくなってしまった。驚いた視線が一斉に僕の方を向いて僅かばかり恥ずかしかった。
§ § §
昔、といっても2年ほど前だけれど、マサヒロのところに通い初めて1ヵ月の時にある質問をした、『カヤクを使った武器の方が狩りは楽だったの?』と。結果は『そうとも言えない』だった。
今の人類は昔の人類より遥かに強いらしい。基礎的な、パワーも瞬発力も反射神経も圧倒的に僕たちの方が高いし、加えて血種によって人類では持ち得ない特殊な力を手に入れた。
そして何より物理法則が乱れている、正確に言えばそれまでの物理法則を無視した能力を生物が持ってしまった、からだそうだ。
やっぱりマサヒロの話は面白い。
解体済みの獲物を担いで町の通りに戻る。今日仕留めたのは角が3本生えた肉食の牛っぽい何かだ。というのも、生物種が変化し過ぎた上に、元が同じ種族ならどれだけ変容していようと交配が可能なことで、ねずみ算的に種類が増えていくため、その0.1%を把握することすら不可能だからだ。いちいち名前を付けられはしない。付いているのはよほど数が多い種か、特殊な個体だけだろう。
これから狩りに行く狩人たちの流れに逆らって、僕は取引所に向かった。取引所というのはその名の通り狩人が取った獲物を取引するための場所だ。言わば市場みたいなものだ。誰かが運営している訳でもなく、自然と皆が集まっていつの間にかできていたらしい。ちなみにヨコハマにはこの取引所が3ヵ所ある。
「ヘイシーさん! ケルンです、今日も卸しに来ました!」
「おーう、ちょっと待っとれ」
取引所のちょうど真ん中付近で、この辺りの建物にしては上等な木材で作ってある一軒の店の前で、僕は店の主人に声をかけた。返事がきてからしばらくすると、奥の方から太い緑の尻尾を左右に揺らしながら恰幅のいいおじさんが出てきた。彼がこの店の店主であるヘイシーさんだ。この人とも2年以上の付き合いになる。
「今日は何がとれた?」
「牛っぽいのです。角が3本、肉食っぽくて牙もあります。皮もそこそこ上等ですよ?」
「どれどれ?」
僕は背負っていた袋からまず角と牙をだした。
角はかなり大きくて50センチはあり、途中で一度曲がっている。それに3つとも同じ大きさ形で揃っているから、ヘイシーさんも売りやすいだろう。
牙は大きさや形より材質が重視される。ほとんど加工されて使われるからだ。その点で言えばこの牙は少し固すぎるかもしれない。
ヘイシーさんは頭にかけていた眼鏡をかけ直し、時々ひっくり返しながら上下左右から眺める。
「この角はなかなかなええな。形といい大きさといい数といい装飾にぴったしや。トウキョーに装飾作ってるやからに直ぐ売れるで。牙は駄目やな、この固さやと割れてまうわ」
「じゃあ角は買い取りで」
「あいよ」
「次が皮ですね」
ヘイシーさんが角を受け取って横の棚に置いている間に、僕は皮を取り出した。サイズはかなり大きい。自分で言うのもなんだけど僕は狩りの腕が良い。取引所では上等な部類に入るヘイシーさんの店に獲物を卸せるくらいには自信がある。
今回僕はこいつを首にひと突きで仕留めた。だから皮に余計な傷をつけることなく丸々持ち帰って来れたわけだ。
「相変わらず腕がええな。解体も上手い。しかもこの皮はかなり上等なもんやな」
「やっぱりそうでしたか? 僕も今回は結構自信があったんですよ」
ヘイシーさんは売れないものはきっぱり買わないって言うけど、逆に売れるものは値切らずにさくっと買ってくれる。それによく誉めてくれるから僕の商売相手としては凄く丁度いい。
「肉はどうする?」
「今回は直接売りに行こうと思います」
「そうか、なら角と皮で合わせて24万リグや」
「ありがとうございます」
「ほんじゃな」
僕はヘンシーさんから受け取った金貨2枚と銀貨4枚をほくほくとした気持ちで(顔には出ない)財布にしまう。24万リグは一般家庭の3ヶ月分の生活費とほとんど同等になる。装備にお金がかかる狩人からしてみても1ヶ月分くらいのお金だ。
ちなみにこの通貨はいつから出回っていたのかは知らないが、マサヒロは国がないのに通貨が成り立っているのが不思議で堪らないらしい。難しいし面白そうでもないから僕は気にならないけど。
僕はそのまま牛の肉を7万6000リグで売ってさらに銀貨7枚と銅貨6枚を財布に収めてから、マサヒロの家へ向かった。