こども姫
はじめに
*この作品は、以前私がこども向けの絵本を企画していた際に描きあげた文章となっております。
*造語が多く見られます。すみません。
"こども姫"
早川おしり
☆
・
暗い、暗い小ビンの中で、
コクレアは目を開けました。
「どこだろう、何も見えないや」
気づけば、なんと、コクレアには手がありました。
手を振ると、あたたかい気持ちになりました。
そして、小さな指で目の前をなぞってみると、
すてきな薄明かりが、大きくなって、
それが出口に変わりました。
コクレアは小ビンの外に出ることができました。
おたんじょうびおめでとう、コクレア。
・
コクレアがはじめて見たぜんぶは、
何もかもがきらきらしていました。
それは、うつくしい夏の空の真ん中でした。
そこには、虹色のネオンカルプがたくさんいて、
気持ちよさそうにゆっくり泳いでいました。
やがて、コクレアは、やわらかい草原に降りました。
気づけば、なんと、コクレアには足がありました。
大地を踏んだら、足の裏がむずむずしました。
近くで、朝でもなく、夜でもない時計たちが、
大きいひとから順番に、すこしずつ歩いていました。
コクレアは、真似して後ろをついていきました。
・
気づけば、なんとコクレアには耳がありました。
ちょっと遠くで、楽しい音が聞こえてきました。
ミョン ミョン ロン ミョン ミョン ロン。
何の音だろう??
そして、コクレアは音の鳴る場所に辿り着きました。
それは、もふもふとした、しろはなだ色の、
丸くて大きなミントイの足音でした。
よく見ると、上で誰かが眠っています。
コクレアには、その小さくて不思議な女の子が、
自分のお姫さまだとすぐに分かりました。
コクレアは、ミントイのしっぽをつっつきました。
ミントイはびっくりして止まりました。ミョン、。
すると、お姫さまは目を覚まして、
きゅっとあくびをしてからひょいっと降りて、
コクレアの近くにやってきてにっこり笑うと、
「ようこそ、大好きなコクレア、わたしの国へ」
と言いました。
お姫さまは宝石よりも眩しくて、可愛くて、
コクレアはドキドキしました。
それに、ラフラリボンの甘い匂いがしたのです。
気づけば、なんとコクレアには鼻がありました。
お姫さまはもっと近くにきて、
コクレアにそっとキスをしました。
気づけば、コクレアには口がありました。
そのあと、お姫さまは何も言わずに、
コクレアの手をぎゅっと掴みました。
そして、ふたりでミントイの上に乗りました。
お姫さまの右手は、ふわふわしていて、やさしくて、
あつい血が流れていました。
コクレアはどうしてか、もっと前にも、この手に触れたことがあるような気がしました。
「わたしは、きみにもっとたくさんの、
素敵な世界を見せてあげるね」と言われたから、
コクレアは、お姫さまといっしょに旅に出ました。
・
ミョン ミョン ロン ミョン ミョン ロン。
ギンガムの海は、甘い味がしました。
ミョン ミョン ロン ミョン ミョン ロン
シャボンの森には、リオンベルが住んでいました。
ミョン ミョン ロン ミョン ミョン ロン
ハクリームの山には、
火を吐くきのこが生えていました。
ミョン ミョン ロン ミョン ミョン ロン
色のついたこの世界は、なにもかもが、
コクレアにとって、みりょくてきでした。
・
旅の途中でコクレアは、お姫さまには、
自分が体験したことをぜんぶ教えたくなりました。
手を振るとあたたかいことだとか、
足の裏がむずむずするということを、
ぜんぶぜんぶ一生懸命話しました。
お姫さまはとっくに知っていることでしたが、
コクレアの話をいつも楽しそうに聴いてあげました。
「それから、それから?」
コクレアはそれが嬉しくてたまりませんでした。
そして、この世界をもっと見たくなりました。
・
ある日、さいごのへや、というところに着きました。
ここには入っちゃいけないんだ、見るだけだよと、
お姫さまは言いました。
でもコクレアは、がまんできずに、
お姫さまとミントイが眠っている時に、
さいごのへやの中にないしょで入りました。
そこには、まるできぼうに満ち溢れたかのような
景色が広がっていました。
そこには、見渡す限りに鏡があったのです。
いろんな形をした鏡の中には、
うつくしい風景がたくさん広がっていて、
どの鏡もひとつとして同じものはありませんでした。
当然、コクレアはこう思いました。
この中のぜんぶの場所に行ってみたい!
・
すると、お姫さまがやって来ました。
「どうして入ってしまったの」
お姫さまは少し悲しそうでした。
「見たかったものはぜんぶ見せてあげたじゃない」
コクレアは、それでもまだ、
たくさんのすばらしいものを見たかったのでした。
コクレアは黙っていると、
お姫さまは続けて言いました。
ここにきたこどもは、
みんなこの部屋の鏡に入って消えていくのだと。
そこはとても辛くて、たいくつな場所。
入って苦しむお友達を見たくないのだと、
だって、それがお姫さまにとって、
いちばん寂しい瞬間なのだから。
だから、コクレアにだけは、
そんな世界に行って欲しくない。
素敵でうつくしいこの国で、
大切なまいにちを過ごして欲しい。と。
あたらしいものがなかったら、
つまらないじゃないか!
そう思ったコクレアでしたが、
これ以上お姫さまを悲しませたくなかったので、
仕方なくごめんなさいと謝りました。
そして、旅を続けようとしました。
でも、見せたかったものは、
これでぜんぶだとお姫さまは言いました。
コクレアは嘘だと思いました。
だって、こんなに世界は広いのに!
でも、その日からほんとうに、
はじめて見るものはなくなってしまいました。
・
毎日おんなじものを見ました。
コクレアがつまらないと思えば思うほど、
きらきらした世界はつるつると、
透明なものに変わっていきました。
空を飛ぶ虹色のネオンカルプだって、
ただの黒い飛行機でした。
朝でもなく夜でもない、歩く時計の列だって、
スーツを着たおとなたちでした。
気づけば、なんとコクレアはもう、
しばらく笑っていませんでした。いつからだろう。
お姫さまも、そんなつまらない顔をしたコクレアとは
いっしょに遊んでくれなくなりました。
そうして、いつの間にか、
お姫さまはどこかに消えてしまいました。
・
つまらない日々は続きます。
コクレアは毎日何かを探しました。
新しいものが見たくて、
はじめてものを見た時の感動が欲しくて、
いろんなところを旅しました。
やがて、何もない世界のはしっこに着きました。
そこで眠って、長い夜が明けた朝に、
コクレアの上を何かが過ぎました。
それは、とても大きな星でした。
これはコクレアにとって、大変な出来事でした。
その星には、この世界と同じように、
土があって、空があって、海がありました。
だけど、コクレアの知っているこの場所とは、
少しも同じところがありませんでした。
なにもかもが変でした。
それが面白くて、うつくしくて、
この時コクレアははじめて、
他にも世界があることを知りました。
この世界はなんてちっぽけだったんだ。
他にも世界があったんだ。それも、とても素敵な。
そうしたらコクレアはなんだか、
いままで以上に旅に出たくなって、
いてもたってもいられなくなりました。
でも、もうこの世界は知り尽くしていました。
やっぱりダメか、と落ち込んだ時、
コクレアは何かをひらめきました。
ひとつだけ、思い当たるところがあったのです。
コクレアはさいごのへやに行きました。
ここには一度きたことがありました。
あれ、どうして、この中をよく見なかったんだろう?
そうだ、まだ部屋の鏡の中に入ってないじゃないか!
そうでした。コクレアは忘れていました。
ここには、色んな世界への入り口がありました。
でも、へやの中に入ると、
前と少し様子が違ったような気がしました。
・
ずっと昔に来た時は、もっとたくさんの鏡があって、
かがやいた風景がうつっていたのに、
今、その部屋には、数枚の鏡があるだけでした。
そして、どれもこれも、つまらなそうな顔をした
自分のすがたがうつっていました。
なぜだか、一度中に入ったら戻れなくなってしまう気がしたので、よく考えて選ぶことにしました。
コクレアはどうにも、
鏡に映ったどの自分も好きになれませんでしたが、
考えて考えて、やっとひとつを選ぶことにしました。
この中だったら、これだなと思うものをなんとなく。
コクレアがゆっくり手をかざすと、
意外にも簡単に中に入ることができました。
・
選んだ鏡の中には一本の橋がかかっていました。
周りは宇宙が広がっていて、暗くて、怖くて、
落ちたらどうなるか分かりませんでした。
一歩ずつ歩くたびに、寒くなってきたり、
心細くなったり、足元がでこぼこしていて、
コクレアは何度も転びました。
でも、進むしかないものだと思いました。
なぜなら、すばらしき世界が、
その先にあるのだと感じていたからです。
だから、コクレアは歩き続けました。
・
あれから、何年もたちました。
ある日、コクレアはいつものように歩いていると、
遠くに何かが見えてきました。
それは、あの時選ばなかった他の橋たちでした。
その上にはまた、自分と同じような、
知らない誰かが歩いていました。
コクレアには、
彼らがひどく楽しそうに見えました。
それがコクレアにとって、
どんなにつらかったことでしょう。
もしかしたら、もしかしたら、
ここを選んだのは、間違いだったのかもしれない。
どうして、ここまで進んだというのに。
すばらしき世界どころか光すら見えないじゃないか。
もう嫌だ、もう嫌だ。コクレアはそう思いました。
ついに、コクレアは逃げ出したくなりました。
しかし、コクレアが振り返った時、
後ろには何もありませんでした。
道も、輝いていた思い出も、なにもかもが。
ただ真っ暗な宇宙が広がっていました。
コクレアはどこかにぽっかりと、
穴が空いたような気がして、その日、
生まれてはじめて泣きました。
気づけば、なんとコクレアには心がありました。
一晩中泣き続けたことで、
コクレアの涙は雨になって、海になって、
辺りをたくさん濡らしました。
すると、ぼんやりと光った何かが浮かんできました。
それは、へんな形で、頼りなくて、
ばらばらな、コクレアの足跡でした。
それは、ずっと遠い向こうまで繋がっていました。
それは、コクレアが、ここまで歩いたしるしでした。
コクレアは、その時思ったのです。
すばらしき世界になんて行かなくてもいいんだと。
だって、自分がかつて見てきたものは、
あんなにすばらしかったのですから!
いつも探しているものは、すでにここにあって、
それは、こんなにもうつくしくて、
こんなにもすてきなものだということに、
みんなが気づいていないということに、
コクレアは気づいたのです!
コクレアはなんだかばかばかしくて、笑いました。
泣いた後に笑うことが、こんなに楽しいなんて、
こんなに気持ちいいなんて、知りませんでした。
このことを、誰かに伝えたくなりましたが、
その時、コクレアは何かが思い出せませんでした。
・
たのしくて、うれしくなったときに、
一番さいしょに教えたくなるあの子。
さびしくて、かなしくなったときに、
つよく、長く、だきしめたくなるあの子。
きれいな、きれいな、
あの時、どこにいたのだろう、
大好きな、大好きな、
あの子は、だれだったのだろう、
気づけば、なんとぼくは大人になっていました。
きみがぼくにくれた、かたちを、ゆめを、あいを、
こころを、からだを、まぼろしを、えがおを、
いのちのよろこびを、じんせいのひみつを、
そのぜんぶを、ずっと、ずっと、ずっと、
わすれないようにしたいから、
いちばん大切などこかに、こっそりと隠しました。
・
コクレアはもう一度前を向きました。
そうして、長い橋を、また進んでゆくのでした。
選んだこの道は、なんてりっぱなんだろう!
それがどこに続いているのか、
たどり着くそこがすばらしき世界なのかは、
まだ分かりませんでしたが、
コクレアはもう、未来が、
ちっとも怖くなんてなかったのです。
だって、きらきらと燃えるやさしい光が、
その先を明るく照らしていたのですから。
おしまい
・
あとがき
"こども"という生き物は、私たちにとって最も大切にしなくてはならないものです。彼らが初めて見て、ほんとうに面白いと思えるものが、美しく、知的であるべきだと思っております。
私はこの作品に、誰もに存在するであろう、ずっと昔の大事な出会い、そして知らずに起きる別れ、歩むべき人生の本質を落とし込もうとしたわけですが、どうにも己の未熟さを思い知りました。
この文章のかつての目的である絵本にする企画は通らなかったわけですが、こうして、こういうかたちで掲載しておけば、いつか、少なからず誰かの目に入ってくれるだろうと思い立った次第です。
読んでくださって、ありがとう。
早川おしり