無料体験の罠
最初に、ハッキリ言っておく。これは、現代日本とは似て非なる架空の島国を舞台とした話だ。
*
「教育を受けるでもなく、職業訓練を受けるでもなく、ただ保護者に依存して生活するとは情けない!」
「将来目標を掲げ、ひた向きに努力を重ねようという高い志を持った若者は居ないのか!」
「我々世代が、がむしゃらに働いて築き上げてきた経済成長期の遺産を、苦労も無しに食い潰す軟弱者など、軍隊で叩き直せばいい!」
黒板にチョークで議題が書かれた窓の無い部屋の中で、後期高齢者に差し掛かった数名の男たちが、髪の無いこめかみや皺が寄った首筋に血管を浮き立たせながら、舌鋒鋭く議論している。すると、そこへノックの音とともに、リクルートスーツ姿の若いグラマラスな美女が現れる。
「失礼します。ここは『第十七回国家成長戦略委員会成長戦略会議有識者懇談会』の会場で、お間違いないでしょうか?」
「その通りだが?」
「誰だね、君は!」
「部外者の立ち入りは、厳しく禁じられているはずだ!」
黒地に白抜きで議長と書かれた三角柱が置いてある席に着く人物が答え、それに乗じて野次が飛ぶ中、女は平然と手にしていた資料を、テーブルに臨席するくたびれた背広姿の男たちにテキパキと配り、黒板の前に立って説明を始める。
「申し遅れましたが、私は若年層や女性の活躍を支援する非政府組織『ビー・アンビシャス』の代表取締役社長です。現代社会を巣食う病巣の排除に難航していると伺いまして、私どもの画期的な方策をお持ちしました」
「フム。電網媒体を使った、高速で的確な標本抽出か……」
「夢物語のようだね。絵空事じゃないのか?」
「そうかもしれんな。あのお嬢さんが魔女だというのなら、科学を信奉する我々は、丸裸にして火炙りにせねば」
なめるような目つきで言った男に対し、臨席者からげひた笑いが起こる。すると、議長が片手にガベルを持ってカンカンと打ち鳴らす。
「静粛に。諸君、静粛に願いますぞ。――『ビー・アンビシャス』の社長とか言ったね?」
「はい。さようでございます」
議長が真剣な表情で女のほうを見ると、女は毅然とした態度でハキハキと返事をし、それから議長は、臨席する老人たちを見ながら続ける。
「どうだろう、皆の衆。十七回もの長丁場で、何一つ良策が浮かばないところへ、このような素晴らしい計画が舞い込んできたわけだが。ここは一つ、駄目元で、この若社長に任せてみないかね?」
「そうだな。悪くないかもしれん」
「フン。解決出来るという自信があるものなら、試しにやってみたまえ。どうせ、うまくいかないに決まっているがね」
再びガヤガヤと騒がしくなると、議長はガベルをガンガンと大きく打ち鳴らして静粛を促し、女に向かって結論を述べる。
「まぁ、そういうことだからして、この通りにやってみたまえ。吉報を期待する」
「はい。かしこまりました」
そういうと、女は部屋を出て、静かにドアを閉める。
廊下を出た女は、キョロキョロと左右に視線を走らせ、近くに誰も居ないのを確認すると、ボンッという煙とともに変身し、背中に生えた黒い翼を広げ、開け放たれた窓の外から飛び立った。
*
『ク~ッ。どうやったら、ラスボスを倒せるんだ?』
『あと一枚、シークレットのスチルがあるはずなのに、どのルートに入っても手に入らないわねぇ』
『二周目プレイで、レアアイテムがゲットできるって、本当だろうな?』
縦横無尽に並べられた映像水晶には、どれも電子端末で遊ぶ若者たちの姿が映っている。その様子を、禍々しい二本の角に蝙蝠のような翼、そして鏃のような先を持つ尻尾が生えたオーソドックスな小悪魔たちが、冷めた様子で見ながら愚痴をこぼしている。
「この中から、ろくに勉強も仕事もせず、保護者に反抗的な若者を選ぶのか。結構、骨が折れそうだ」
「だな。あーあ、なんで僕たちは、こんなことをさせられなきゃいけないんだろうなぁ」
「仕方ないさ。魔王さまに逆らったら、何をされるか分からないもの」
そこへ、カツカツとヒールの音を響かせ、さきほどの女が姿を現す。すると、小悪魔たちは女のほうを向き、敬礼する。
「作業は順調かしら?」
「はい! 滞りなく進んでます」
「そう。なるべく、早く終わらせてちょうだいね。私、おなかが空いちゃって」
「はい! 可及的速やかに終わらせます」
「フフッ。頼もしいわ。それじゃあ、お願いね」
背筋が凍るような笑みを残し、女は陽炎か蜃気楼のようにユラユラと姿を消す。残された小悪魔たちは、ボスが消えた安心感からホッと胸を撫で下ろして吐息をこぼし、いくつかの映像水晶をタッチしたりスワイプしたりしたのち、女と同じように姿を消した。
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貴重な若さを無為に消費している彼ら彼女らの与り知らないところで、魔王が立てた世にも恐ろしい計画が、着々と進行していくのであった。まさか、自分が体験している「無料オンラインゲーム」が、駄目人間を見分けるために魔王たちが普及させたものだとも知らずに。