雪山と人探し
フロズルドの大地を踏みしめること数分、二人はなかなか人の住む集落を見つけられなかった。
「…見つからないな」
「そうですね。世界にも色々ありましてその広さも様々ですから。中にはとてつもない広さの世界もあるようです」
「マジか…。それじゃアスカを探すなんて雲を掴むようなことだな…」
探し始めて間もないが、リョウマは早くも弱音をこぼした。しかし、ヴァルはそれほど悲観してない様子だった。
「そんなに落ち込むことはないと思いますよ。世界には必ず人が住んでいます。さっきみたいに通りがかった人でも、この姿なら怪しまれませんし、近くに村や町があるか尋ねればいいんですよ」
ヴァルの話は希望に溢れたものであったが、アスカが確実に見つかるという保証はなかった。だが、前向きに考えるヴァルに、リョウマは少しだけ勇気を貰えた。
「そうだな。信じて探すしかないよな」
「はい。諦めずに頑張りましょう。私もできるだけのことを…あっ! 見てください! あそこにお家があります」
ヴァルの指差す方向に、何軒かの家が見えた。その規模から察するに、小さな村だと思われた。
二人は小走りに入り口をくぐり、その村に足を踏み入れた。寒い気候の世界のためか、外には人が少なく、どこかへ移動する以外は屋内にいることの方が多いようだ。
「さて、まずはどこに行けばいいんだ?」
「そう…ですね。とにかく誰かに聞いてみないことには始まりません」
リョウマは周りを見渡し、話しかけ易そうな人を探した。ヴァルに言われたように、別世界の人間だと思われても騒動にならないような行動を心がけようと考えてのことだった。
そして、一人の村娘を見つけ、尋ねることに決めた。
「すみません。ちょっといいですか?」
ヴァルにばかり任せてはいられないと、リョウマが少女に話しかけた。
「はい、なんでしょうか…?」
その村娘はか弱い印象を与える少女で、せっせと水汲みをしていた。リョウマはできるだけ優しい表情をしようと努めた。
「あの、えっとですね。人を探しているんですけど、こんな女の人、見ませんでした?」
ヴァルに変化してもらった魔法具を少女に見せる。画面にはアスカの写真が写っていた。元はスマホだったものであるが、使い方はほとんど変わっていなかった。
「この人ですか? …すみません、存じ上げません」
身なりは貧しかったが、見ず知らずの相手にも礼儀正しく接する少女には気品すら感じられた。
「そっか。ありがとう」
「あっ、待ってください。長老様なら何かご存知かもしれません」
リョウマたちが立ち去ろうとした時、少女は二人を引き止めた。
「長老様?」
「はい。あそこのお屋敷に住んでいます。もう百歳近い方ですが、村の周囲をご家族に見回らせて、色々なことをお知りになってらっしゃるそうです。困った時は皆、まず長老様に聞くようにしているんですよ」
少女に教えられた家は、村の中でも一際大きな屋敷であり、いかにも偉い人物が住んでいるように感じられた。
「ありがとう。じゃあ行ってみるよ。行こうヴァル」
「はいっ。ありがとうございました」
ヴァルは深々と頭を下げ、少女も軽く頭を下げた。二人は長老が住むという家へと向かっていった。
屋敷の前まで来ると、入り口の前に男女が一人ずつ立ちふさがっていた。先刻の少女が話した、長老の家族と思われた。
「あの、すみません。長老様にお会いしたいのですが」
「何の用かな?」
不審な人間から長老を守るためだろう、男はやや威圧的な返しをした。
「いやその、人を探してまして、長老様なら何かご存知かなと聞いたもので」
少し緊張ぎみに答えるリョウマ。ヴァルもその隣で頷く。
「ふむ。その身なりからしてこの世界の人間であることは間違いないようだ。しかしすまないが少しばかり調べさせてもらう」
男は、リョウマの身体を探り始めた。もう一人の女はヴァルの身体を確認し始めた。
「これは…獣混人か」
女がヴァルの帽子を外し、角を見た時に呟いた。少し驚いた表情をしている。
「しかし角とは珍しい。さしずめ、犀か何かかな」
「あの…はい。そうです」
ヴァルは自分が一角獣であることを隠し、身分を偽った。しかし、特に怪しまれた様子はなかった。
「よし、問題はないだろう。入りなさい。案内する」
ボディチェックが終わり、リョウマとヴァルは屋敷の中へと足を踏み入れた。
「なあヴァル。他の世界では獣混人って珍しくないのか?」
長老の元へと案内される道中、ひそひそとリョウマは尋ねた。
「希少な存在ということではありませんが、少し珍しい存在であることは間違いありません。でもやはり、そういった者を快く思わない人もいないとは言い切れませんから、隠しておく方が無難です」
そう言いながらヴァルは、帽子をぐいと目深に被った。しかしリョウマは、ヴァルが自らの正体を偽ったことに少し引っかかっていた。
「そういえばお前、何で一角獣だってこと隠して…」
「もうすぐ着くようですよ。リョウマさん」
リョウマの質問をかき消すように、ヴァルは言葉を遮った。本当に長老の部屋の前まで来たようだったため、リョウマはそれ以上聞くのを止めた。
「爺様の許可が下りた。くれぐれも失礼の無いように」
長老の家族に促され、二人は部屋の中へと入った。
眼前には、少女が話したように百年近く生きていると言っても誰も疑わないような老人が座していた。長い髭や髪、眉毛を蓄えており、その表情を読み取ることは難しかった。
「旅の方、話は聞きました。わしはこの村の者から長老などと呼ばれておる者です。よろしくお願いします」
家族の威圧的な態度とは反対に、長老は穏やかで低姿勢な挨拶をした。リョウマとヴァルは、少し面食らったものの丁重に挨拶を返した。
「ど、どうも。こちらこそよろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
「早速本題に入りたいと思いますが、人をお探しだとか。どのような方かな?」
「えっと、自分の妹なのですが、こんな人です」
リョウマは魔法具に映るアスカを見せたが、長老はウーンと唸るだけである。家族の一人が咳払いをしてから口を挟んだ。
「爺様は少しばかり目が不自由でいらっしゃる。我々に見せてみなさい」
「し、失礼しました。そうとは気づきませんで…」
「気になさるな。わしも言い忘れていたのが悪かった」
謝罪するリョウマのことも、長老は咎めなかった。
家族にアスカの写真を見せ、その情報を長老に伝える。
「長い黒髪の、美しい女性です。目は少しつり上がっており、冷たい印象を与えます」
自分の妹のことを事細かに説明され、美しいとまで言われると、リョウマは奇妙な気持ちになった。アスカの写真は顔しか映っていなかったが、服装から別世界の住人だと疑われることはないと思われた。
「…ふむ、わしはご覧の通り老いぼれておりますが、記憶力だけは衰えていないと自負しています。残念ですがお探しの妹君は、ここ数十年の記憶の中では記憶にありません」
リョウマとヴァルは気分が落ち込んだ。手掛かりが何も掴めず、この世界でアスカのことを見つけるのは絶望的だと思った。
「そうですか…わかりました。失礼します」
諦めて部屋を出ようとしたその時。中年の女性とその娘らしき二人組が飛び込んできた。見ると、娘の方は少し前に出会った少女だった。
「ちょ、長老様。失礼いたします。お時間をいただいてもよろしいでしょうか…」
呼吸も荒く、女性は長老に尋ねる。非常に切羽つまった様子が見てとれた。
「いかがなされた。慌てた様子だが?」
「はい、実は私の娘が…遊びに出たきり戻らないのです。もう日暮れになりますが、いつもなら帰って来る時間なのに…」
言いながら母親は泣き崩れ、言葉の最後が聞き取れなかった。少女は母親を案じ、肩を支えていた。リョウマとヴァルには気づいていないらしく、不安気な表情を見せていた。
「それは大変なことに…。お前たち、何か知らないか?」
長老は家族たちに尋ねるが、知っている様子も、何かを隠しているような素振りもなかった。
「そ、そんな…」
母親は再び崩れ落ち、少女もがっくりと膝をついた。そんな親子に声をかけたのは―――。
「あの、よろしければ私が探してきます。どんなお子さんですか?」
ヴァルだった。部屋にいる全ての視線が彼女に集まる。少女はその時始めて、リョウマとヴァルに気づいたようだ。
「あ、あなた方は…」
「ニィヴ、知っている人なの?」
ニィヴと呼ばれた少女は頷いた。
「ええ。さっき少しお会いしただけですが、人をお探しの方々でしたよね?」
「はい。ですが長老様に伺ったところご存知ではないようでした。」
「そうでしたか…でもどうして私の妹を探していただけるのですか?見ず知らずのあなた方が…」
ニィヴは不思議な表情を浮かべて尋ねる。
「部外者が口を挟んでしまい恐縮なのですが、お困りの姿を見ていたらいてもたってもいられなくなりまして。私たちも大切な人を探していますので、お気持ちが痛いほどわかるのです」
親子が屋敷に駆け込んでから十数分後、リョウマとヴァルは身支度を整え、村の入り口に立っていた。長老に許可をとり、行方不明の少女を捜索に行くことになったのだ。
「さぁ、行きましょうか」
ヴァルはやる気満々だ。一方のリョウマは勝手に話を進められたこともあり、乗り気ではなかった。
「あのさぁ、俺たちこんなことしてる場合じゃないと思うんだけど。そりゃ確かにあの親子は可哀想だと思うよ。でも…」
「リョウマさん。もちろん私もアスカさんを忘れたわけではありませんよ。長老様はご存知ありませんでしたが、だからといってこの世界にアスカさんがいないということにはなりません。あのニィヴさんの妹君を探すという理由ができましたので、この世界を探索するいい機会になると思ったんです。行動あるのみ、ですよ」
ヴァルは涼しい顔で言った。しかしリョウマには、あの親子を利用してアスカを探す、というようにも聞こえたのだった。
「なんか、俺にはアスカが見つかればその妹はどうでもいいと聞こえるような気がするけど、気のせい?」
「そ、そんなことは…。私も妹君のことは他人事とは思えないですから、同じように見つけたいと思ってますよ」
そんな風に思われるなんて心外だ、と言わんばかりにヴァルは否定した。場の雰囲気が怪しくなりそうだったので、リョウマは強引に話題を打ち切った。
「ごめん、そうだよな。お前は優しいやつだもん。困ってる人を見捨てておけないよな」
「え、ええ。そんな誉められるような者でもありませんが…」
「照れんなって。よし、じゃあアスカも、ニィヴって子の妹も見つけるか。話によると歳は六、七才くらいで、名前はスニーだったな」
「はい、頑張りましょう!」
リョウマとヴァルは、スニーがいつも遊びに行きたがるという雪山へと進んでいった。
それから雪道を歩くことまた十数分ほど経った頃、リョウマは気になり始めたことをヴァルに尋ねた。
「ヴァル、ちょっと気になったんだけど。この世界とか他の異世界って、人間や獣混人以外にも生き物はいるみたいだけど、いわゆるモンスターっているの? 俺でも知っているやつで言えばゴブリンだとか、スライムだとか、それこそドラゴンなんかも?」
歩いている最中にも、猪や鹿など、リョウマたちの世界にも存在する生物は確認ができた。村の中にも、家畜用の馬や鶏などもいた。
「いますが、その全てを知っているわけではありません。世界によって生息するモンスターも違いますから。ああでも、リョウマさんのことは私がお守りしますからご安心を」
頼もしいとは思いつつも、大きなドラゴンを想像したリョウマは少なからず不安な気持ちが沸いてくるのだった。
とその時、二人は不審なものを発見した。
「ん?誰か倒れてるぞ」
「はい。近づいてみますか。慎重に…」
それに近づくと、大きな兎の耳の生えた男が倒れていることがわかった。完全に気を失っている。側には、小型の斧が落ちている。
「こいつ、獣混人だよな。もしかしてヴァルを狙ってきたとか?」
「そうかもしれません。でも木こりという可能性も否定できませんね」
傍らの斧を見ながらヴァルが言った。自分を狙っていた可能性もあるというのに、ずいぶんと落ち着いている。
「まあ、そうかもな。でも何で倒れてるんだろ。雪の塊でも降ってきたのかな?」
そう言って空を見上げたリョウマ。その答えは、すぐにわかることとなった。
二人の目の前には、真っ白な毛で覆われた、巨大な生き物がいたのだった。