兄と妹と、一角獣と
晴天に恵まれ、暖かい春風の吹くとある日。神宮寺家のリビングで、三人はくつろいでいる。
静寂の中、一人は口を開く。
「なあ、今日の昼飯、みんなでどこか行かね?」
「私、行きたいです。アスカさんは…?」
「ヴァルが行くなら。あと、ウマ兄の奢りならいいわよ」
「…あいよ。それじゃ行こう。ヴァル、アレ忘れんなよ」
三人は身支度をし、ヴァルは額に絆創膏を十字に付け、外食に出かけた。
「良いお天気ですね。洗濯物がよく乾きそうです」
「そうだな。なんか悩みとか、どうでもよくなっちまいそうだぜ」
「ウマ兄って単純よね。あたしはそんな気分になれないわ」
しばらく言葉もなく、歩く三人。リョウマたちが異世界より帰還して、一晩が経っていた。時間の流れが一定でないため、三人が異世界にいる間、こちらでは数日しか経っていなかった。
「それにしても、アレは夢じゃなかったんだよな。今さらだけど」
「当然でしょ。あのひと時を、幻なんかで終わらせたくないもん」
「辛いこともたくさんありましたが、お兄様を始め、色々な方にお会いできました。私としては…旅をして良かったと思っています」
歩きながら会話を交わし始めた一行は、落ち着いて話そうと公園のベンチに腰かけた。
三人は平和にボール遊びをする子供たちを見ながら、前日のことを思い返した。
「…それでは、ご無事にお帰りなさいましたので、エクス様を次期皇帝陛下にするという手はずで、よろしいですね? お約束通りに」
全員が無事に帰還した城の一室で、大臣は言った。その中には―――エクスもいた。
「私は構わない。アスカの推薦もあるからな。それに、妹のことが気がかりだったが、それも解決した。ゆえに、心置きなく決められた」
「お兄様、私のこととは…?」
ヴァルは突然、自分の話が出たことで驚いていた。
「私が皇帝の座に就いたとして、お前の今後のことが心配だったのだ。無論この世界に置いて、側にいることも選択肢のひとつだったが…。執務に追われることになれば、顔を合わせる機会も少なかろう。それならば、今までと同じように生活できた方が良いかと考え、託すことにしたのだ。なぁ、リョウマ殿?」
「え? あ、ああ。そうだな。確かに約束したよ」
一瞬たじろいだリョウマだったが、すぐに脳内で点と点とが繋がり、一人で納得していた。
「お兄様、私のことを考えてくださっていたのですね…。こうしてまたお二人と過ごせるのも、お兄様のおかげですね」
「ああ…。本当にいいお兄さんだよな。でも、あの時の言葉、そういう意味だったんだな…」
ヤムーで捜索時にエクスとした会話を、リョウマはもう一度思い返していた。何度思い返しても、自分にもしものことがあれば、最悪の場合命を落としたら、その時はヴァルを頼む、という意味に捉えられてしまうのだった。
だからこそ、リョウマはエクスも一緒に脱出することを切に願ったのである。
「あの時の、とは?」
「ヴァルをそっちの世界でよろしく、って言われたんでしょ? 何をどう解釈したのよ?」
エクスと二人で密かに交わした約束だったため、妹二人は事細かに聞いてはいなかった。
「なんでもないさ。しかし、お前たち本当に兄妹だよな。その、思わせぶりな態度とか、言葉とか…」
「それは言えてる。よく似てるわ」
「そ、そうですかね…」
ヴァルは自覚がないのか、照れくさそうにしながらも首を傾げた。
「だけど、あれはエクスにとって良い選択だったと思う? あたし、次期皇帝に推薦だなんて、余計なことしたのかな…?」
アスカは話題を切り替え、急に不安気な表情で聞いた。
「どういうことだ? 良い選択かって」
「エクスは旅をして、色々なものや景色を観ることが生きがいだったのよ。でも皇帝の座に就いたらそうもいかなくなる。あの人の楽しみをひとつ、いやもっと奪ってしまったのかなって…」
アスカは空を見上げ、頬づえをついた。そんな妹に、リョウマは優しく声をかける。
「心配ねぇって。だからこそ、あいつが頑張ってくれるんだろ。いや、あいつら、か」
「だがひとつ問題がある。私が皇帝となれば、外の様子を見る機会がなくなるだろう。一界の長として、ここや他の世界の状況は知っておかねばならない。定期的に報告をしてくれる者がいればありがたいが…」
リョウマたちは顔を見合わせた。エクスの計らいで三人で暮らせるようになったが、場合によってはヴァルとは別れ、エクスの手助けをさせることになるのか。もしくは、また三人揃って幾多の世界を旅することになるのか…?
その時、一人が手を挙げ、名乗りを上げた。
「ぼ、僕、旅に出てもいいですか? お兄様の代わりに」
クアだった。彼は看病により一命を取り留め、元気に生きていた。ただ、傷は完全に癒えることはなく、背中の羽根は片方だけになっていた。
「クアがか? 確かに、いい経験にはなると思うが…。しかしいきなり一人で行かせるのは…」
「大丈夫ですか、クア? ちゃんと一人でできますか? お買い物とか、お洗濯とか…」
まるで自分の子供のように弟を心配するヴァル。二人に、リョウマは笑いながら言葉をかけた。
「ははは、確かに心配だよな。でも、自分から行きたいって言ったんだもんな。本人の意志が一番大事じゃないか?」
「そうね…本当ならあたしたちがついて行ってあげたいけど…。なかなか難しいのよね」
思案するアスカたちの後ろで、もう一人が手を挙げた。
「はぁ、仕方ないわね。このグロリアさんがついてってあげる。それでいいでしょ?」
「あなた…いいの? 家にお子さんもいるのに」
「大丈夫よ。息子も連れていけばいいんだから。家に一人増えたって、どうってことないし」
グロリアは仕方ないとは言ったものの、心底嫌がっている様子はなかった。むしろ、僅かにだが嬉しそうな表情をのぞかせていた。
「本当にいいのか、グロリア殿。危険なこともあるやもしれないのだぞ」
「ご心配なく。進んで危険に首突っ込む気はないし。ただし、お願いしたアレとは別件で、お代をいただければの話よ。どう?」
エクスは少しきょとんとしたが、笑みをこぼすと答えを出した。
「ふふっ、良かろう。クアの面倒と今後の旅の費用も含めて、相応の手当を支給しよう。望み通りの額でな」
「はい、契約成立ぅ〜。さっすが新皇帝陛下、前の人とは違いますわね。…ということで、またよろしくね、ボクちゃん」
「はい、よろしくお願いします!」
クアは律儀に頭を下げた。
そんなやり取りを、リョウマは呆れぎみに見ていた。
「やれやれ、相変わらずだな、グロリアの奴」
「まぁ、彼女らしいけどね」
「それもそうか」
その後、リョウマたちはクアの旅の支度に立ち会っていた。本人の希望で、護身用の武器は斧が用意された。
「クア、本当にこれでいいのか? 斧って、お前の命を奪いかけた物なのに…」
「それはこの斧じゃありませんでした。それに、偽物だったとはいっても、同じクアが使っていた物なので。だったら僕も斧がいいかなと思ったんです」
「クア、あなた立派よ。本当に心が強いのね。試しに今、背負ってみる?」
「はい、やってみます。おととっ…」
クアは斧を背負おうとしたが、重さでバランスを崩し、倒れそうになった。慌てて三人は身体を支える。
「ちょっとちょっと、大丈夫?」
「は、はい。なんとか…。よいしょ…」
「これ、一番軽い斧だそうですが…。やっぱり他の武器に変えた方がいいのでは?」
「へ、平気です。すぐに慣れますから…」
クアの言葉通り、しばらく斧を背負った状態で過ごすうちに、動けるようになっていた。リョウマには、かつてのクアとは別人のように感じられた。
『クア、最初に会った時とは比べ物にならないくらいになったな。なんか、不思議な気持ちだよ…』
やがて、クアはぎこちないながらも斧を振るうことができるようまでになっていた。
そして翌日、クアとグロリアは早速城を出ることになった。まずはグロリアの世界に行き、息子のフレイを連れてから、旅立つ予定だった。
「それでは、行ってきます。皆さん、本当にお世話になりました」
クアは四人に頭を下げる。背中の斧が大きく揺れたが、身体が倒れることはなかった。
「ああ。こちらこそ。くれぐれも気をつけて行くんだぞ」
「無理は禁物ですよ。時々は、お兄様に顔を見せてあげてくださいね。私とも、また会いましょう」
「はい。必ず」
「元気でね、クア。グロリアも、気をつけて」
「はいはい、アスカも、それにみんなもね。機会があれば、また会いましょ」
「達者でな。たとえ遠く離れていようとも、無事と安全をいつも願っている。二人の勇気と決意に…改めて感謝する」
全員との挨拶を交わしたグロリアとクアは、踵を返して歩き出した。二人は振り向くことなく、城下町の人混みの中に消えていった。
「大丈夫だよな、あの二人」
「きっとね。グロリア、嘘はつかない人だもん。少なくともあの皇帝よりは、ね」
「…ええ」
四人はクアたちが見えなくなってからも、しばらく遠くを見つめていた。
クアたちを見送った後、リョウマたちは皇帝の玉座にいた。今度はエクスとの別れの時が訪れようとしていた。
「さて、名残惜しいがそなたらも、そろそろ帰る時間か」
「はい。お兄様、今までありがとうございました。お兄様の助けがなければ、私たちは今ここにはいないでしょう」
「その通りだな。感謝してもしきれないよ。ありがとう。ヴァルのことは、任せといてくれよ」
「あたしだって感謝に絶えないわよ。この中で初めて会ったの、あたしなんだから…」
張り合うように言ってから、アスカは恥ずかしそうに語尾が小さくなっていった。
「はは、そうだったな。アスカに出会えなければ、私も今ここでこうしていないだろうからな。感謝しているぞ。当然、皆にもな」
アスカは照れくささを隠すように、視線を反らした。エクスは理解しているのか。満足そうに頷いた。
「また近いうちに、ここに来たいと思います。ですが、リョウマさんたちの世界とは時の流れが違うようなので、次に会えるのはいつになるか…」
悲しげに話すヴァルだったが、エクスはおもむろに口を開いた。
「そのことだがな…。あくまで理論上だが、時の流れは徐々に元通りになっていくと思われるのだ」
エクスの言葉に、ヴァルは思わず興奮ぎみになった。
「ほ、本当ですか!? 一体なぜ?」
「父上…前皇帝が、そなたらの世界を閉鎖し、隔離したと言っていたな。永きに渡ってその状態が続いていたためか、時間にズレが生じていたらしいのだ。それをヴァルが破り、その時から修正が始まっているものと思われる。まだ完全にではないが、これから同じ時の流れの中で生きることができよう」
三人は再び、顔を見合わせた。今度は喜びの感情に溢れ、笑顔を綻ばせた。
「やったなヴァル! これで気兼ねなく、兄さんと会えるぞ!」
「良かった…。次にエクスと会う時、おじいちゃんだったらどうしようかと思ったわ」
「ふふふ、そうですね。私も安心しました。夢を見ているかのようです…」
その後、リョウマたちは再びエクスに相見えることを約束し、元の世界へと帰還したのであった。
別れの瞬間に思いを馳せていた三人は、突如現実に引き戻された。子供たちの遊ぶボールが飛んできたのだ。それを投げて返すと、再び会話を始めた。
「ヴァル、こんなこと聞くのもなんだけど、もう気分は大丈夫なのか?」
「お父様のことですか? もう過ぎたことですから。それに、ある意味ではお父様のおかげでお兄様やクアにも再会できたので、これで良かったと思っているんです」
「まぁ、あの皇帝があんなことしなきゃ、というかいなかったら、ずっと一緒にいられたんだけどね」
「違いますよ、アスカさん」
ヴァルはアスカを真っ直ぐ見てはっきりと言った。怪訝な顔のアスカとリョウマに、ヴァルは続けた。
「もしそうだったら、お父様がいなかったら、私はお二人には出会えませんでした。そうでしょう?」
「は、ははは、そうだよな!!」
「ふふ、そうね!!」
「はい、そうです!!」
人目もはばからず、三人は大声で笑い続けた。遊んでいた子供たちはその様子を不審に思ったのか、公園を後にしていた。
「そうそう、あいつも忘れちゃダメだよな」
リョウマは左腕の宝石を掲げた。怪物に力を吸収されても、唯一それだけは傷つけることなく、守られていた。
「お前にも会えて良かったよ、ミーア…。これからもよろしくな」
宝石は太陽の光を浴び、キラリと光った。
その後三人は、近くの定食屋に向かった。道中、リョウマは唐突に口を開いた。
「そういえば、明日からどうすんだ、ヴァル? またエクスに会いに行くのか?」
「それもありますが、まずはあの鎌を天使さんたちに返却に行かなければ。それに、大地の世界の神様のお墓参りにも行きますので、忙しくなりそうです」
「もし手が足りないなら、あたしらも手伝うわよ。ねぇウマ兄?」
「仕方ないな。大学の単位も心配なんだが、できる範囲でやってやるよ」
「ありがとうございます…。やはり、お二人は私の恩人です」
リョウマとアスカは突然、歩を止めた。ヴァルも驚いて足を止めた。
「ヴァル、変なこと言うなよ。俺らがお前の恩人なわけないだろ?」
「そうよ。今さら何言ってんの?」
「…え?」
戸惑うヴァルに、二人は続けた。
「俺たち、もう家族だろ。だから、家族の助けをするのは当然ってわけ」
「そゆこと。今度から他人行儀なこと言ったら、怒っちゃうわよ。わかった?」
二人は固まったままの妹を置いて、先に進んだ。ヴァルは口元を緩ませ、目に涙を浮かべると、ひとり呟いた。
「そうでしたね、リョウマお兄様、アスカお姉様。これからも、よろしくお願いします…」
「ヴァル、何やってんだ? 置いてくぞ」
「待ってくださいよ、今、行きます」
三人は定食屋に到着し、戸を開けた。父親の知り合いである店主が声をかける。
「らっしゃい! …おお、神宮寺さんとこの」
「どうも、ご無沙汰しています」
「少し見ないうちにまた大きくなったみたいだねぇ。ん? そちらのお嬢ちゃんは?」
「ああ、実は色々あって会わせてなかったけど、もう一人下にいましてね。ほら、挨拶を」
「はい、神宮寺・ヴァルと申します。よろしくお願いします!」
ヴァルは、満面の笑顔で答えた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。初めての長編ファンタジーということもあり、完結まで約三年かかってしまいましたが、無事に終わらせることができました。これも皆様の応援あってのことです。
最後に、主な登場人物の振り返りや裏話で締めたいと思います。
ヴァル
自分の考えるヒロインをイメージしました。清楚、純粋、少し天然の入ったキャラクターとなっています。魅力的に映っていれば幸いです。
リョウマ
一応主人公…ですが、イメージはあまりまとまらず、体格がよく背は高め、という設定くらいしかありません。
読む人のイメージが反映されていればいいかな…と思います。
アスカ
クールな美人という設定は要所要所で出していました。結果、少しキツめの性格になってしまったかなと思い、優しさも見せるようにしています。
ミーア
こちらも個人的な好き要素を盛り込んだ人。予定では出番は僅かでしたが、それで終わらせるのはもったいないと思い、準レギュラーに。
エクス
古風なイケメンがコンセプト。ヴァルの兄だけあり、少し天然さも出しています。
クア
当初はもっと出番は少なかったですが、ミーアさんと同じく準レギュラー的ポジションに。実は彼のミスで物語が大きく動いたり、最初の方から関わっていたりと、キーマンとなっていきました。
グロリア
当初は悪人、でも根は良い奴。こちらもやはり、予定より出番が増えていきました。裏設定としては、ある人たちと関わりの強い人物の生まれ変わりだったり…。ヒントは散りばめるようにしています。
皇帝
名称不明という設定がミステリアスで、最後に名前を名乗らせようとしましたが、最後までわからずじまいの方が面白いかと思い、そのままにしました。決して設定していないわけではなく、名前の設定自体はあります。本当に。
また次回の作品も読んでいただき、お気に召していただけたらアマチュア小説家冥利に尽きます。この作品も、少しでも心に残れば嬉しいです。それでは。