秩序と混沌
扉の先には、今度は階段が続いていた。人ひとりが通れるほどの狭さで、かなり急だった。奥に行くに連れて段差が曲がり、見えなくなっていることから、螺旋階段だとわかった。
「お次は階段か。また罠がなければいいんだけどな」
「そう願いたいけど、そんなに親切にいかせてもらえたら逆に気味悪いわね」
「罠があろうとなかろうと、先に進まなければなりません。お父様に尋ねなければいけないことがたくさんありますから…」
ヴァルはクアが危篤状態に陥ったことで、普段見せないような激しい気を放っているように感じられた。その勢いにリョウマとアスカは圧倒されそうになった。
「だ、だな。気合い入れて行かないとな」
「ええ。早く行きましょ。…ところでウマ兄。なんでそれ持ってきてんの?」
扉をくぐる直前、思い出したようにリョウマは、偽物のクアが持っていた鎌を拾ってきていたのだった。
「いや、今拾っとかないと機会逃すと思ってさ。カルナさんに一応約束したし。この鎌…いや斧? 還さなきゃいけないから。あんまり触りたくはなかったけど」
「まぁ気持ちはわかるけど、約束だしね。それに武器の一つも増えた方がいいわね」
「今度こそ気をつけて行きましょう。私が先に行きます。くれぐれも慎重に…」
三人はヴァルを先頭に、階段を登り始めた。罠があることを危惧して歩を進める三人だったが、今回もその類のものはなかった。
階段を昇り切り、目の前にはまた扉があった。ヴァルは慎重に取っ手に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。その中はこれまでの部屋よりも広く、周囲の窓は全てステンドグラスでできていた。まるで、座席のない教会のようだったが、一番奥にひとつだけ、立派な椅子が置いてあった。
その椅子に、独り座る人物がいた。ヴァルたちに世界を救うための材料を集めるように命じ、裏では一行を始末するためにチョウガ族たちを差し向けてきた、名前もわからない謎多き皇帝が。ヴァルとエクスと同じ長い銀髪、長い角を持ち、頬杖をついて三人をまっすぐ見ていた。
「美しいであろう? 言うなればここは真の玉座。私が本当の政を執り行う場だよ」
身構える三人に、笑みを浮かべながら皇帝は語りかける。親しみすら感じさせる口調だったが、声は冷たかった。
「お父様…。本当に、あなたの命令だったんですか? 私の記憶を操作して、皆さんを襲わせたことも、それからチョウガ族のことも…」
「遂に追い詰めたぞ。いい加減、話してもらおうか。今までの全部、洗いざらいな」
「その通りよ。あたしたちが納得いくお言葉を頂戴したいわね」
しかし皇帝は、三人の問いには答えず、自分から問いかけた。
「答える前に私から問おう。あの子はどうした? 確かに始末するように言いつけたはずだが」
「あの子、ってクアの偽物か? あいつは死んだよ。本物の方も…酷い怪我だった…」
「なるほど。今は私の倅が治療しているのだな。その言い方から察するに、まさか本物のあの子が戦ったのかね? それもまた面白い…」
皇帝は仮にも自分の息子であるクアが負傷したことにも動じず、面白いとすら言い放った。三人は少しずつ気の昂りを感じていた。
「仮にもあんたの息子だろ…!? それが傷ついて死にそうだってのに面白いだと…? どんな神経してんだ!?」
「そうよ。クアにとって身体的にも精神的にもどれだけ辛いことだったか…。あの偽物、『映身の原種』も、あんたの差し金なのね!?」
皇帝は脚を組み、どこか楽しそうに語り出した。
「ああ、その通りだよ。昔、本物のあの子と双子の世界に赴いてね。水晶を採取するついでに、原種を一匹捕まえて、あの子の姿を真似させて、私の下僕にしたのさ。きっとあの子はまだ小さかったから、覚えていないだろうがね。それから長い時間をかけ、あ奴を教育してきた。おかげで本来理性のないはずの原種も、命令を聞いて実行する程には知性が身についた」
「下僕にするため…? それだけのためにですか? どうしてそんな…」
「全てはお前のせいだよ。我が娘よ」
皇帝は口調を変えて冷たく言い放つ。ヴァルは思わず聞き返した。
「私の…せい?」
「そうだ。私はお前が失踪する前、お前を使って様々な政策を施してきたのだ。あの時、大地の世界の神を殺したというのも、本当はお前がしたことだ」
「それは…、夢の中で神様ご本人がおっしゃっていました。ですが、それは神様のお力が暴走して、いずれ世界を滅ぼすからなのでは…?」
ヴァルの言葉を聞いた皇帝はやれやれと言わんばかりに、頭を振ってため息をついた。そして重々しく口を開いた。
「嘘だ。そのような事実はない」
「う、嘘…?」
ヴァルは父親の言葉が信じられず、消え入りそうな声で繰り返した。
「そうだ。お前に神殺しを実行させるための、言わば方便というわけだ。それだけではない。私の命令で、これまで様々な世界の幻獣や、聖獣を亡き者にしてきた。無論、生かしておけばいずれ世界の脅威となるという理由をつけてな。たとえ嘘でも、そうとは知らないお前や兵士たちは喜んで命令を聞いてくれたよ…」
皇帝の告白を聞いたヴァルは、混乱する頭を押さえ、ふらふらと倒れかけた。その身体を、リョウマとアスカは支えた。
「そんな…。私は今までにどれだけのことを…」
「なんてこと…。あそこでコスタさんに聞いたこととほとんど一緒じゃない。ってことはまさか、親族に手をかけたっていうのも…」
アスカが恐る恐る尋ねる質問にも、皇帝は淡々と答えた。
「知ってしまっていたか。その通り、この世界や外界で駆逐する獣どもがいなくなった頃、次は親族や皇族に縁のある貴族たちに狙いを定めた。だが殺すばかりでは、民たちも不信感を持つ。だから私は、お前とお前の兄を引き離させたのだ。だが今回は世界の危機…と、いうことなので殺すことにしたがね」
自分の娘を殺す、という言葉も、皇帝は躊躇なく口に出す。その時リョウマはピンときた。皇帝の話から、これまで謎だったことが繋がり始めたのだ。
「ちょっと待てよ。じゃあ、ヴァルとエクスが出会ったら世界が滅びるってのもまさか…」
「嘘だと言いたいか? 人聞きの悪いことを。言い伝えは本当だよ。なにせ、この私が唱えたのだからな。ふふふ…」
皇帝は不気味に笑みを溢し、更に続けた。
「言っただろう。私は悠久の時を生きる者。自分でもわからないほどの時を過ごしている。私自身があの伝承を創り、語り継ぎ、いずれ来たる時に備えて準備をしてきたのだ」
「準備ですって? じゃあヴァルもエクスも、そのためだけに産ませたっていうの? 信じられない…。それにそんなでまかせ、怪しいと思う人が出てきてもおかしくないのに…」
「人心を掌握した者が提唱する言葉というものは、自然と人々に受け入れられるのだよ、お嬢さん。たとえそれが、どれだけ信憑性に乏しくともね…。ククク…」
皇帝はより楽しげに微笑むばかりだった。苛立ちが最高潮に達しようとしていたリョウマは、できるだけ平静を保ちつつ、問いかけた。
「わけがわからねえ…。だいたい、あんたはなぜそんな嘘をつき続けてきた? さぞ立派な目的があるんだろうな?」
「その通り。私には成すべき使命がある。後世に語り継がれるべき、重大な使命がな。それは……全世界の秩序を守ること。そのために私は民の支持を集める必要があるのだ」
リョウマの問いに、皇帝は喜々として答えた。椅子から立ち上がり、やや興奮気味に話し始めた。
「私は何より美しい物を好む。そして混沌を最も嫌悪する。だがそれは大半の者がそうだろう。私は他の皆のためにも、美しい世界を維持することを実現するのだ」
「美しい世界の維持って…。具体的には何をするのよ?」
饒舌に自らの思考を吐露する皇帝に、アスカは少し引きつつも問いかけた。
「最終目的は世界の制圧、支配だ。幾多の世界を調査させ、著しく秩序の乱れた世界を見つければ、まずその世界を隔離し、存在を隠して何人も近づけさせないようにする。そしてしばらく様子を見た後に、未だ秩序が乱れていれば、兵士を差し向けて制圧する。そうして私は、これまでいくつもの世界に侵略してきたのだ」
「制圧…侵略…支配…。そんなの、許されることではありません。そこに住む人々の権利はどうなるのですか?」
「知ったことではない。他の美しい世界を保つための犠牲だ。そう…そなたたちの世界も、制圧の対象だったな」
皇帝の指がリョウマとアスカを指した。リョウマは衝撃に動揺した。
「お、俺たちの、世界が…?」
「閉鎖された世界ってところでちょっとは予想してたけど、まさか本当にそうとはね…。それじゃ、あたしたちの世界が美しくないって言いたいの?」
皇帝は今度は嫌悪感をにじませて話し始めた。
「ああ醜い。私が見た中でも最も醜いと言っても過言ではない。己の快楽や欲望のためだけに、無意味な悪行を繰り返す者ども、それに異を唱え争う者ども…。まさしく混沌と言って差し支えない!」
リョウマとアスカは、異世界に旅立つ前に故郷で自分たちに起こった出来事を思い返していた。皇帝の指摘したことに間違いはなかった。
「確かに事実かもしれない…。けど、俺たちの世界がそんなに問題なのか? もっと危険な世界があんだろ。あの凶暴なチョウガ族の世界とか…」
「その浅はかな思考を恥じるがよい、愚か者め」
「なっ…!?」
「貴様の言うチョウガ族の世界は秩序が保たれている。狩猟をし、生活するという掟が一族に根付いているからな。貴様らの世界のように、各々が違った思考を持つことが問題なのだ。ひとつの理念に基づいている世界こそが美しい…」
固く拳を握りしめるリョウマは何も言い返せずにいた。感情の昂りで言葉が見つからなかったのかもしれない。一方のアスカは冷静に言葉を返す。
「秩序の捉え方については一理あるかもね、皇帝陛下。でも少なくともあたしは賛同できない。嘘で塗り固められたような人には、誰もついてこなくなるわよ」
「そなたはまだ話がわかると思っていたが、やはり相容れぬようだ。先に言った通り、私の言葉は多くの民たちに受け入れられてきた。反抗する者がいれば直ちに排除した。そうして掴み取った信頼が今の地位だ。権威ある者の言葉が歴史に刻まれ、やがて真実となるのだ…! 最後に愛すべき我が娘を苦渋の決断で始末するとなれば、民の信頼は揺るぎないものとなるだろう!」
アスカは歯を食いしばり、理不尽さに兄と同じく怒りがこみ上げてきた。ヴァルは二人と視線を交わし、恐る恐る口を開く。
「リョウマさん、アスカさん…。こんな時ですが、またお教えください。私は今、何を成すべきなんでしょうか…?」
「俺から教えることはないよ。お前が考えることをすればいい…」
「そうよ。自分の心に素直になりなさい。多分、あたしたちも同じ気持ちだから。あなたに全部任せるわ」
「…わかりました。ありがとうございます、お二人とも」
ヴァルは二人の言葉を聞くと、心を決めて皇帝に向き直り、声高に宣言した。
「お父様、私はあなたの野望を許すわけにはいきません。必ず、阻止してみせます。皆さんと共に、あなたの娘として!!」
「……ふ…フハハハハッ…!! ハハハハハ…!!」
決意を固めたヴァルの叫びを聞くと、皇帝は唐突に高笑いをした。その異様な光景に、三人は何か嫌な予感がした。
「笑ったり怒ったり忙しい野郎だな…。一体何がおかしい?」
「いや失敬、まだ私のことを父と呼ぶものだからな。やはり気がついていないのか。私がお前の本当の父ではないということを」
驚愕の表情で立ち尽くすヴァルを見、皇帝は更に笑みを浮かべた。