記憶の鍵
リョウマは視線を落とすと、自分の腹に剣の柄が打ち込まれていることに気づいた。苦痛に顔を歪め、ヴァルを抑える腕が緩むと、彼女の手の甲で横面を勢いよく叩かれて仰向けに倒れた。
「うっ…! お前…これでも思い出さないのかよ…」
「思い出すも何も、私のこの記憶は真なるものです。あなたの馬鹿馬鹿しい戯言や、そのような安い宝石に騙されるほど、愚かではありませんよ」
アスカたちは急いでリョウマの元へ駆け寄り、 彼の身を案じた。リョウマは口元を拭うと、血が出ていることを確認した。
「大丈夫ウマ兄!? 無茶するんじゃないわよ…」
「なんとかな。でも万事休すか…。ミーアのことすら思い出せないなんて、もうどうしようもねぇのか…」
ヴァルは剣を構え、再び近づいて来る。成す術がなくなったと思ったのか、クアは悲痛な声を上げた。
「あの、僕らのやってきたことは、全部間違いだったんでしょうか…? 父上の決断が、本当に正しいことなんでしょうか…?」
「そんなはずは…ない」
「そうよ。しっかりしなきゃ。そんなに弱気じゃ、お姉さんは助からないわよ」
クアは自らの頭をポカポカと叩くと、自虐を含ませて言った。
「僕、馬鹿です。ほんの少しだけですが、今まで経験してきたことが全部夢で、姉様が言っていることが本当なんじゃないかと思ってしまって…」
「…そう思うのも無理はないかもしれない。だけど自分の記憶に自信を持たなきゃだめよ。今まで生きて、感じてきたことは嘘なんかじゃない。自分が信じてあげられなくて、誰が信じるの?」
「…はい、ありがとうございます。もっとしっかりしないと」
「そうよ。絶対に、お姉さんを助けましょうね」
その時、エクスはすっくと立ち上げると、アスカたちの前に躍り出た。驚く三人に、エクスは言う。
「皆、苦労をかけたな。ようやく決心がついた。今こそ、私が果たすべきことを成そうと思う」
「エクス、突然どうしたの…?」
アスカの声にも振り向かず、エクスは真っ直ぐヴァルへと進み出した。
「今度は何ですか? あなたも私に思い出せとでも言うのですか。まったく、揃いも揃って無礼な愚民ばかりで……」
ヴァルの言葉が終わらないうちに、エクスは思い切り彼女の頬を張っていた。その強さたるや、ヴァルの身体が宙を舞い、数メートルも飛ばされるほどだった。
「お、おい、エクス…。いきなりそれかよ…」
「ちょっと…いくらなんでもやりすぎじゃ…」
「ね、姉様…痛そうです…」
唖然とする三人を尻目に、エクスは冷静に言った。
「これでいいのだ。口で言ってもわからない者には、こうする他ない…」
エクスは倒れるヴァルを見た。彼女の片頬は大きく腫れ上がり、言葉も上手く発せていなかった。
「よ、よふも…。ほ、ほんにゃ、ことが、許しゃれると、思って…」
「私のことは忘れてくれても、許さなくとも構わん。兄らしいことはずっとできなかったからな。だが、命の恩人の顔を忘れるとは何事だ。ましてや危害を加えるなど…。それでも誇り高き一角獣の皇女なのか!?」
エクスはヴァルの胸ぐらを掴み、顔を近づけて諭す。ヴァルは呼吸も荒く、兄の言葉を繰り返した。
「お、恩人…?」
「そうだ。お前を拾い、育ててくれたのだろう? 彼らがいなければ、お前は今ここにいないはず。もう一度よく記憶を辿ってみろ…」
エクスは抵抗しなくなったヴァルを離し、ヴァルはうわ言のように呟いていた。
「わ、私は…。そう、あの日記憶を失って…。それからあの人たちと、一緒に………」
ヴァルは無意識のうちに、自分の手を動かしていた。その手が頭に触れると、途端に叫び声を上げた。
「うぅっ…ああああああああああっ!! …私は…私はああああああ…っ」
「ど、どうしたんだ…?」
「きっと、自分で自分の記憶を書き換えてるんだと思う。あの子の魔法で、今あるべき記憶に…」
苦しみ、叫ぶヴァルを、リョウマたちはただ見守るしかできなかった。やがて彼女は、頭を押さえたまま地に伏した後、ゆっくりと顔を上げて口を開いた。
「皆さん…? 私は今まで何を? それに、ここは…?」
「ヴァル…記憶が戻ったのか? 私たちのことがわかるか?」
「はい。エクスお兄様です。それからアスカさん、クアさん、リョウマさ…」
ヴァルは各々を順番に見、リョウマの口元の血を見ると言葉を失った。そして、自分の手に剣が握られていることに気づいた。
「こ、これは…。まさか、わ、私、皆さんにとんでもないことを…?」
「お前ではない。お前をそうさせてしまった、何かだ…」
エクスは言葉を濁した。未だに父親が元凶であるかもしれないということを受け入れずにいるように思われた。
ヴァルはそんな兄の気づかいをよそに、自らが犯した罪の大きさに激しく動揺し、涙を溢れさせた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…。私がしたことに間違いはありません。記憶がないからなどと言い逃れはできません。何とお詫びすればいいのやら…」
リョウマとアスカ、そしてクアは、泣き崩れるヴァルをそっと労り、声をかけた。
「気にすんなよ。エクスの言う通り、お前は一つも悪くない。ここにいるみんな、わかってるんだからさ」
「そうよ。あなたが責任を負う必要なんてないの。もし責任取れなんて言う奴らがいたら、片っ端からぶっ飛ばしてやるんだから…」
「姉様ぁぁ…。良かったです元に戻られて…」
ヴァルは戸惑いながらも、自分に抱きつくクアの頭を撫でた。そのまま他の三人の顔を見ると、全員が微笑んでいることに気づき、おずおずと口を開いた。
「皆さん…本当に大丈夫なんですか? 私、何も酷いことをしてないのですか…?」
「何も…と言われると嘘になるけど。ま、大丈夫だよこれくらい」
「すみません。その傷、治しますね」
「お前も治療しよう。その…それは私のせいだからな」
リョウマとヴァルの傷をそれぞれ治し、一段落つくとヴァルは全員に感謝と質問を投げかける。
「改めて御礼申し上げます。皆さん、私のためにありがとうございます。ところで、私がここに連れられてから、皆さんはどうされたのですか?」
「俺たちはまず、転生の世界に逃げ込んだ。それからソファリアさんたちの所に連れていってもらって、力を借りてこの世界に来た。そうそう、グロリアは今、別行動中だからな。そして地下の牢獄で…。そう、チョウガ族と戦ったな。それをやり過ごして、大臣に連れられてここに来たってわけだ」
「そうでしたか…。あのチョウガ族も」
「あなたはどうなの? あたしたちがそうしている時、何をされたの?」
ヴァルは記憶を辿って黙り込んだが、何も出ては来なかった。
「何も思い出せません。この玉座の間まで来て、お父様と謁見して…それから別の部屋まで連れて行かれました。そこからは…。覚えていないのです。ごめんなさい」
「いいのよ。でも記憶が変わってしまったのは何故なの…? もしかしてあの…」
「そう、私の成したことだよ」
声の主はヴァルとエクスの父親、この幻の世界の皇帝だった。
「お父様…」
「あんた…。今までのこと全部、説明してもらおうか?」
「そうよ。納得いくお言葉を頂戴したいものね」
皇帝は問いには答えず、唐突に手を叩き出した。
「まずは礼を言わせてくれ。なかなか面白いものを見せてもらったよ。ありがとう」
「なんだと…?」
「ほう、我が息子もここに。久しいな。積もる話もあるが、今はその時ではないようだ」
「父上…。あなたの長男である私からもお話し願いたい。何故、このようなことを…?」
皇帝はその時、僅かに笑みを溢したように見えた。しかし、エクスの問いにも答えず、一方的に話し始めた。
「その前に、そなたらに挨拶をしたいという者がいる。どうか、ひと目だけでも会っていってはくれまいか」
それだけ言い残すと、皇帝は玉座の後ろへと姿を消した。
「ま、待て! 勝手なことばっか言うんじゃねぇ…」
すぐに追いかける一行は、玉座の後ろに小さな扉があることに気づいた。皇帝はそこに入ったと思われた。
「この先か?」
「おそらくそうでしょう。でもこの先は私も入った記憶がありません。ですから、何が待ち構えているかは…」
「ごめんなさい、僕もです」
「私もだ。皆で注意して進むことにしよう」
「それがいいわね。あの皇帝のことだもの。罠が仕掛けられてても不思議じゃないわ」
五人は扉をくぐり、その先へと進んだ。
薄暗い廊下を、リョウマたちは慎重に進む。道は見える限り真っ直ぐで、何の変哲もない廊下に見えた。
そこを歩く間、クアはそわそわと落ち着かない様子で歩を進めていた。
「クアさん、大丈夫ですか? もしかして、本当はさっき私が何かしたのでは…?」
「いえ違います。身体はなんともありません。ただ、何か胸がドキドキするというか…。胸騒ぎというんですか、こういうの」
クアは不思議がりながらも、先へと進む。ヴァルはその身を案じつつ、共に歩いた。
長い廊下を歩くうちに緊張がほぐれてきたリョウマは、気分を落ち着かせるためにアスカに話しかけた。
「罠とか仕掛けとか、何もないな」
「油断しないで。何が仕掛けられてるか、わかんないんだから…」
「そうだな。とりあえずヴァルが戻って安心したけど、まだまだ解決してないんだもんな」
「そうね。一難去ってまた一難ってね。スリル満点の冒険は十分だから、そろそろ平穏を取り戻したいところだわ。…ところでさ、ウマ兄」
唐突にアスカは話題を切り替えた。
「何だ?」
「皇帝が言ってた挨拶したいって人、なんとなく心当たりがあるんだけど、どう?」
「…やっぱ俺たち兄妹だな。俺も考えてたよ。心当たりもある」
「それじゃきっと、同じ答えね。最後まで気は抜けないわ」
罠にかかることもなく、五人は突き当たりの扉にたどり着いた。
ゆっくりと扉を開け、出た場所は円形の部屋だった。その中心に、一人の人物が立っている。黒いローブに身を包み、頭と顔もフードで隠していた。そして、大きな鎌ーーー。転生の世界のカルナが探していた、『空裂の鎌斧』を肩に担いでいた。
これまで何度も一行を遠くから見ていた、あの死神だった。
「予想通り、あいつか。やっぱり皇帝の手下だったのか」
「ええ。あたしもあいつだと思ってたわ」
死神を始めて見るエクスは、ヴァルに尋ねた。
「奴は何者だ? お前たちは知っている様子だが」
「以前、虚無の世界でお兄様と別行動をしている時に遭遇した人です。でも何もかもが謎で、私たちもわかっていません」
一方、同じく始めて死神を見たはずのクアは違う反応を示していた。
『あの人…どこかで会ったことがある…? 誰だろう。すごく近くで見たような…』
死神は、対面する一行に向かって語りかけた。
「遂にここまで来たか、一角獣にその仲間たち。ここからは、命令変更。『監視』から『殲滅』へ…」
そう言うと死神は、被っていたフードを脱いだ。




