覚醒と旅立ち
アスカの失踪の事実が上手く飲み込めないまま、神宮司家では慌ただしく捜索が行われていた。
「い、いたか?」
「い、いえ、お風呂やトイレにはいませんでした」
二人とも、焦りと不安で呼吸が荒かった。
「そうか…。この家も広くないし、もう中はあらかた探したよな…」
探さないで、と書かれていたが、かと言って放っておく訳にはいかない。ましてやそれが血を分けた妹であるならば尚更だ。
だが、リョウマは心に引っかかるものがあった。アスカが姿を消した理由についてである。
「にしてもあいつ、なんでいきなりいなくなったんだ。そんな素振り見せなかったし…」
「あ、あのリョウマさん。もしかしてこれかもしれません。私もたった今気づいたのですが…」
ヴァルが差し出したのは自分のスマホ。そこには先日、アスカに教えてもらったSNSの画面が表示されていた。あれから、アスカはヴァルも自分の友達のグループに追加させていたのだった。
「ん?これはアスカの友達グループか。でもこれがどうして…」
そこでリョウマは、言葉を失った。彼の目には、アスカに対する誹謗中傷の言葉が次々と入ってきたのだった。
「おいおい、何だよこれ。ひでえな…」
どんないきさつで始まったかはわからずとも、会話履歴を見ると一連の流れは理解できた。グループ内での友達の言い争いにアスカが仲裁に入り、それが気に食わなかった友達は、アスカをいじめのターゲットにした、ということらしかった。酷いことに、関係のない他の友人も加担しているようだった。
「あいつ、これにショックを受けて飛び出して行っちまったのか。昔から、嫌なことがあると引きこもるか、どこかに出かけるかだったからなぁ」
「あの、大丈夫なんでしょうか?」
「うん…今までもちゃんと帰ってきたし、心配ないと思うけど。でもな…」
実のところ、ここまで酷い仕打ちを受けて、アスカが立ち直れるのかリョウマはわからなかった。心の中では、無事でいるのか不安で仕方なかった。
「とりあえず、外を探してみよう。一緒に来てくれる?」
「はい、もちろんです」
二人は外の捜索を始めた。
まずは近所の公園、アスカのアルバイト先、駅など、とにかくアスカの行きそうな場所から探した。しかし、そのどこにも彼女の姿はおろか、手掛かりすら掴むことはできなかった。
精神的にも疲れ果てた二人は、街の高台に行き、そこのベンチに腰を下ろした。
「…いませんね。アスカさん」
「…ああ。やっぱり心配になるよな」
「もう、警察の方に探していただくしかできませんかね…」
「…まだ早いよ。あまり大事にしたくないし」
「…そうですか」
その時、リョウマのスマホが鳴った。発信元は、父親だった。
「…もしもし。」
「あ、リョウマか?私だ。今月の生活費の振り込みなんだがな、ちょっと遅くなりそうなんだ。すまないな」
「……」
「もしもし、どうした?何かあったのか? アスカは元気?」
その言葉を聞いた時、リョウマは思わず感情が昂り、側にヴァルがいるのも忘れて叫んでいた。
「うるせぇな!今それどころじゃないんだよ。そんなことで電話してくんな!!」
そう言い放ち、リョウマは電話を切った。あたかも、父親の反応を知りたくない、と言わんばかりに。
「ごめん、怖がらせちゃったかな…?」
「いえ…」
気まずい空気が二人を包む。やがてリョウマが沈黙を破った。
「自覚はしてるんだ、俺」
「え?」
「あ、いや、自分の性格についてさ。俺昔っから、何かと理由をつけて逃げる癖があるんだ。今回も最初から警察に任せれば良かったかもしれないけど、そうしなかった。クズ人間だろ。俺って」
「そんなことは…」
ヴァルは否定したかったが、言葉が出て来なかった。
「小学生の頃、一度アスカがいじめられてたことがあって、あいつにその事打ち明けられたんだ。でも俺、適当に言って相談を済ませちゃったからさ。あいつ、まだ根に持ってんのかもな」
「そんなこと、ありません」
今度ははっきりと否定した。
「ヴァル?」
「アスカさん、昨日私に話してくれたんです。いじめられた時、リョウマさんに打ち明けたら気にするなって言われて嬉しかった、と。だからリョウマさんのことを恨んでなんか…」
熱くなるあまり、リョウマの顔にかなり接近して話していたヴァルは、ふと我に返った。
「あっ、す、すみません。私…」
「いや、大丈夫だよ。でもありがとな。そのこと聞けてちょっと元気出た」
リョウマはヴァルに笑顔を見せた。ヴァルはそれを見て、少し安心した。
「よし、じゃあ本当に警察に捜索願い、出しに行くか」
「はい、行きましょう」
二人が腰を上げたその時、背後に気配を感じた。次の瞬間、二人が座っていたベンチが真っ二つに破壊されていた。だが、いち早く察知したリョウマがヴァルを引き寄せてその場を離れ、危機を脱していた。
「け、怪我はないか!?」
「は、はい。すみません、ありがとうございます」
「あらあら、失敗しちゃった?」
色気のある甘ったるい声が聞こえた。二人の目の前には、一人の女が立っていた。髪は紫色のショートカット、服装は丈の短いチャイナ服のようなもので、手には鞭を持っていた。そして背中には、大きな蝶の如き翅が生えていた。
やはり、この世界の人間ではないことは一目瞭然だった。
「あいつ…奴らか」
「ですね。私が狙いなんでしょう」
二人が答えを聞く前に、蝶女の方から話し始めた。
「わかってると思うけど、あんたを連れて帰んなきゃいけないの。おねーさんと一緒においでお嬢ちゃん」
「嫌です」
ヴァルの即答にも、蝶女は全く動じることなく言った。
「はぁ、やっぱりそう来たか。なかなか手強いとは聞いていたけど、面倒ねぇ」
蝶女は手に持った鞭を解き、戦意を見せた。と同時に、例の水晶を胸元から引っ張り出し、周りの空間を変えた。ヴァルもリョウマと女の間に立ち、いつでも戦えるように身構えた。
「大丈夫か?お前体調は…」
「ええ。正直なところ本調子ではありませんが、だからといって逃げるわけにはいきません。でも命懸けで戦います」
リョウマは最初の戦いの時と同じように不安にはなったが、ヴァルの真剣な表情を見ると、不思議と勇気が湧いてくるようだった。
「わかった。任せるぞ。あ、早速アレを使う時だな」
リョウマはポケットからインカムとマイクを取り出した。
「はい。よろしくお願いします」
ヴァルも同じものを取り出し、耳に装着した。そして、戦闘時の姿に変化した。
「ちょっと、おしゃべりがすぎるわよ。来る気がないなら力ずくで行くわよ」
しびれを切らした蝶女は、苛立たしそうに言いはなった。
「準備はできました。いつでも来てください」
「はっ、礼儀正しい嬢ちゃんだこと。気にくわないねぇ。…じゃあ遠慮なく行くよ!!」
ヴァルと蝶女の戦いが始まった。当然のことか、女は翅を使っての飛行ができた。上空からの鞭の猛攻に、ヴァルは翻弄されるばかりだった。
「ほらほら、どうしたの?もっと楽しませてよ!」
「困りました…空にいる相手なんてどうしたら…ごほっごほっ」
舞い上がる砂ぼこりのせいか体調不良のためか、ヴァルは激しく咳き込んだ。
「あら?なんだか調子が悪そうね。これなら楽勝だけど、面白みに欠けるわねぇ」
そう言うと蝶女は、地上に降り立ち、ヴァルにゆっくり近づいて来た。このまま彼女を連れ去るつもりなのだろう。
蝶女がヴァルに1メートルほど近づいた時、ヴァルは不意討ちを狙って女に槍を突き出した。がしかし、その一撃はギリギリで避けられてしまった。
「あっ…。」
「ふ、ふふふ、はははっ!いいじゃない!アタシは戦うのが大好きなのさ。あんたのその戦い方、嫌いじゃないよ」
蝶女は不意討ちに怒るどころか、褒め称えた。どうやら戦闘狂の気質を持っているらしい。
「あんたにアタシなりの敬意を表して教えてあげる。アタシの名前はグロリア。理由あってあんたを連れ戻しに来た獣混人さ」
蝶女、もといグロリアは、これまでの相手とは違い、自らの素性を明かした。相手が本調子でないこともあるかもしれないが、自分の強さに余程の自信がなければ生まれない余裕からくるものだと思われた。
「あいつ、苦戦してんな…。飛ぶ相手なんて初めてだし、どう指示すればいいんだ…」
少し離れた場所から様子を伺っていたリョウマは、心配そうに戦いを見守っていた。ヴァルはもはや、立っているのがやっとという状態だった。槍を杖代わりにし、深く肩で呼吸をしていた。
「おい、ヴァル、大丈夫か?そいつから一旦離れた方がいい。できるか?」
「…ちょっと、難しいかもしれません」
インカムを通じて、会話をする二人。それをグロリアはいぶかしそうに見、言った。
「どうしたんだい?誰と話を…。ああ、あの坊やね。戦いに水を差すなんて無粋ねぇ」
そう言うとグロリアは、リョウマの方を向き直し、再び鞭を解いた。
「まずはあの坊やから始末してしまいましょ。安心して。その後ゆっくり相手をしてあげるから」
「や、止めて…」
その声も届くことなく、グロリアはリョウマにゆっくりと向かって行く。
「どうやってあの世に送ってあげようかしら。この鞭で締め上げるか、それともこの毒の鱗粉で…」
「止めてえぇぇ!!」
リョウマの危機に、ヴァルは力を振り絞ってグロリアに立ち向かって行った。
その時、既に戦いの姿になっているにも関わらず、ヴァルの身体がまた光に包まれた。リョウマもグロリアも、その光に気がつくと、そちらに注意が向いた。
「な、何だ?」
「あら、今度は何?もっと楽しませてくれるの?」
そして光が消えると、また違う姿のヴァルが現れた。
その背中には、大きな翼が生えていた。純白の輝きを放つそれは、神々しささえ感じるほど美しかった。額の角だけは変化しなかったが、ヴァルの鎧や武器が若干変化していた。
槍の先端付近から左右に翼を模した刃が付き、さながら戦国武将の使う十文字槍のようになっていた。
鎧はこれまた和の甲冑のようになり、腰にスカート状の武具が装備され、更に動き易そうな姿になった。
「こ、これは一体…? 私、どうしちゃったんでしょう?」
「ふーん、こんな力も隠し持ってたなんてねぇ。楽しめそうで嬉しいわぁ」
自身の力に戸惑うヴァルに、グロリアは心底嬉しそうに言い、宙に舞った。
「ヴァル、体は大丈夫なのか?」
「は、はい。先ほどまでの辛さはなくなりました」
再びインカムを通じて会話する二人。なぜか、ヴァルの体調は元に戻っているようだった。
「よし、よくわかんないけどお前、飛べるんだよな?」
「はい。おそらくは…」
そう言うとヴァルは、地面を軽く蹴った。すると、彼女の身体は浮いたままになり、翼の羽ばたきで上昇や下降、静止なども思いのままにできた。
「これなら、いけます!」
「いいねぇ。おいで!」
再び、ヴァルとグロリアの戦いが始まった。今度は空に舞台を移し、縦横無尽に空中を駆けた。
その戦いの最中、リョウマはヴァルの鎧に注目していた。肩の鎧は大きくなったものの右側だけになっており、もう片方の守りはおろそかになっているように思えたが、槍を武器にする特性上、身体の片側だけを相手に向ければ問題はさほどないのであろう。リョウマはその姿を見ただけで戦い方が思い描くことができた。
「ヴァル、できるだけ身体の右側を向けて戦うんだ。そうすれば敵の攻撃を防ぎながら攻められる」
「はい、わかりました」
ヴァルは命令通りの態勢をとり、十文字槍を構えた。グロリアの鞭攻撃も、鎧と槍で防ぎ、逆に反撃に転ずることができた。
「くっ、やるね。でもアタシにはわかるわよ。あんたの弱点」
グロリアは素早くヴァルの背後に回り、守りの薄い左側を狙おうとしていた。
「やべ、あいつもう気づきやがったか。ヴァル!気をつけ…。」
リョウマが指示を出すより早く、ヴァルは身体を軸に槍を薙ぎ、背後のグロリアを捉えた。その一撃はグロリアの翅に命中した。スピードでは、ヴァルに軍配が上がっているようだ。
「なっ、しまっ…」
グロリアはバランスを崩し、地上に向かって落下していった。しかし、間一髪で態勢を立て直し、着地に成功した。
地上に降り立ったヴァルとリョウマはグロリアの元へ駆け寄る。グロリアは観念したようにため息をついた。
「へぇ、やるじゃない。今回は負けを認めてあげる。でもアタシはこんなとこで死ねないからね。逃げさせてもらうよ」
そう言うと、グロリアは翅を広げ、空に舞った。
「おいちょっと待て、色々聞きたいことが…」
リョウマの声が届かないところまで飛んで行ってしまったが、空から何かが落ちてきた。それは、グロリアや過去の獣混人が持っていたあの水晶だった。水晶は、地面に落ちると一瞬ヒビが入ったが、すぐに割れてしまった。そして辺りには、キラキラした光が舞い上がった。
「逃げられたか…。でもあいつ、水晶はわざと置いていったのかな」
「どうでしょうか…。とにかく、上手く勝てて良かったで…」
言葉が終わる前に、ヴァルは崩れ落ちるようにその場に倒れた。
「お、おいヴァル。しっかりしろ。大丈夫なのか…」
その頃、グロリアは離れた場所まで来ると翅を畳み、地に足をつけた。戦いで大きなダメージは負っていなかったが、疲れたように伸びをし、首を回した。
「ふぅ、なかなか楽しめたわね。でもあんまり遊んでる場合でもないか…」
独り呟いたグロリアの前に、フードと長いローブを纏った死神のような人物が現れた。
「あ、あんたは…」
「……」
死神は不気味に黙りこくっている。
「アタシを消しに来たのかい?秘密は漏らしてないだろ。見逃してよ。アタシにはまだ奥の手があるんだから」
「…了解」
そう言うと死神はどこかへ消えた。間もなくして、グロリアもその場から姿を消していた。
ヴァルが気を失ってから、リョウマは彼女を家に運び、ベッドに寝かせていた。それから十数時間後、ヴァルが目を覚ました。
「あの、リョウマさん」
「あ、起きたのか。身体はもう大丈夫か?」
「はい。もうすっかり。リョウマさんが運んでくださったんですか。すみません」
「いいよ。気にすんな。そういや昨日のことだけど、ありゃ一角獣じゃなくてまるで天馬、ペガサスだったよな。アレもお前の力のひとつなのか?」
「…わかりません。少なくとも、取り戻した記憶の中にはありませんでした」
「そっか…」
ヴァルは部屋の中を見渡した。それを見たリョウマは、聞かれる前に言った。
「アスカならまだ帰ってないよ。今日、警察に行ってこようかなと思ってさ」
「リョウマさん、そのことなんですが」
「?」
ヴァルは真剣な瞳で真っ直ぐリョウマを見つめていた。ただ事ではないとリョウマも感じていた。
「アスカさんなのですが、もしかしたら異世界に迷いこんでしまったのではないかと思うんです」
「異世界…? お前が生まれたところか?」
「いえ、そうではないのですが、詳しくは後でお話します。昨日のグロリアという人との戦いで、アスカさんの匂いを感じたんです。」
「匂い…。そういえばヴァルは鼻がいいってアスカが言ってたな」
ヴァルはしばらく迷ったように黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。
「どうします? 行ってみます? 異世界へ」
「…行けるのか? お前の力で」
「はい。昨日取り戻した記憶の中に、異世界の情報の一部と、そこへ行く方法がありました」
リョウマは一瞬考えたが、すぐに答えを出した。
「行くしかないだろう。アスカがいるかもしれないなら」
「危険な旅になるかもしれません。でもこちらに帰ってくることはできます。私だけ行くということもできますが…」
「そんなことできないよ。俺も行く。あいつの気持ちに気づけなかった俺の責任でもあるんだ」
今度は逃げない。ちゃんと向き合うと決意していたリョウマは、はっきりと意思を示した。
「わかりました。では出発の前に準備をしていきましょう」
二人は身支度を始め、役に立ちそうな物を準備した。
「準備つっても何を持っていけばいいんだろうな…。ん? これは…?」
リョウマは、アスカの部屋で一冊の手帳を見つけた。中を開いて見てみると、そこには一角獣をはじめとした幻獣や武器、防具、魔法などの情報が書かれており、ファンタジー世界のあれこれが記されていた。
「アスカの研究ノートかな。何かの役には立つかもな」
リョウマはその手帳を、荷物に加えた。
準備を終えて外に出ると、ヴァルが待っていた。荷物は多くなく、軽装であった。
「準備はいいですか? ではこれから、異世界に向けて出発します」
そう言うとヴァルは、何かを探すように辺りを見回した。やがて、少し高い空を指差した。
「あそこです。次元の穴と呼ばれる入り口が開いています。あそこから異世界に行くことができるはずです」
「そうなのか。でもどうやってあそこまで…、あ、そうか」
ヴァルは頷くと、額に指を当てて神経を集中させ、光に包まれた。光が消えると、一角獣ではなく、天馬の姿に変わっていた。どうやら任意で姿を変えられるらしい。
「私にしっかりつかまってください。あそこまで飛びますよ」
リョウマは少し躊躇いながらも、ヴァルの腰に手を回した。ヴァルは特に気にすることもなく、大地を蹴ってリョウマと共に空へ舞い上がった。
そして、次元の穴へと向かった二人は、穴の中へと姿を消して行った。