ヒロイン強奪
兵士は書状を読み終えると、さも全員が納得したかのように続けた。
「というわけですので皇女様、我々とご同行願います」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。そんなの、受け入れられるわけないだろ…」
リョウマの言葉には力がなかった。皇帝からの通達が信じられるわけもなく、夢を見ているかのようだった。
そしてそれは、兵士以外の皆がそうだった。
「そ、そうよ。おかしいじゃない。世界を統べるお方が、自分の娘を、殺すだなんて…」
「先ほどお伝えした通り、陛下は全世界の平和と安寧を願い、秩序の乱れを憂いていらっしゃいます。その解決のための苦渋のご決断なのです。何とぞご理解くださいませ」
アスカの反論も、兵士はピシャリと退けた。グロリアは珍しく、他人のことで気を昂ぶらせていた。
「ちょっとぉ、いくらなんでも強引過ぎやしないの? その皇帝様がどんな人かは知らないけどさ、子供を何だと思ってんの!?」
「『未来のため、大衆のため、そして平和のためには、例え自らの宝でも犠牲にする。これは人の上に立つ者の使命であり覚悟である』と、陛下は常におっしゃっていました。大儀を成すお方は、些細なことをお気になさらないのですよ」
グロリアは何か言い返そうとしたが、その前にクアが進み出たために口をつぐんだ。
「あの、父上がそんなことを言…おっしゃるなんて僕には思えないのですが…。お話すれば、考え直していただけるかも…」
「残念ですがクア様、あなた様のお願いでも従うわけには参りません。ご存知の通り、陛下の決定は絶対ですゆえ」
クアはうなだれ、ふらふらと後ずさりした。グロリアは彼の肩を支えたが、視線は兵士を睨みつけたままだった。
「待ってくれ。私はヴァルの兄、エクスだ。故郷の兵士ならば、わかるな?」
「エクス様…!? 遠い昔に城を出られてから、旅をなさっていると風の噂に聞きましたが…まさかこのような所に…」
「私は世界の滅亡を阻止するための方法を探っていたのだ。そしてたった今、それがわかった。妹を連れて行く必要はないのではないか?」
兵士は戸惑いを見せたが、その話をも退けた。
「申し訳ありません。エクス様のご命令には従えません。あなたは確かに陛下のご子息ですが、皇族の権力はすでに喪失されているはず。それはあなたが一番理解されているでしょう」
「それは…。だがしかし…」
エクスは歯がゆそうに口篭った。誰も反論する者がいなくなると、兵士は口を開いた。
「…では、皇女様、我々と共に」
「だから、納得してないんだよ、こっちは」
リョウマは怒りを込めて、ヴァルの前に立ちはだかった。兵士は一瞬躊躇いを見せたが、手にした剣をリョウマへと向けた。
「あまり手間をかけさせないでください。陛下からは邪魔する者があれば、それが例え恩人でも容赦なく排除するように命じられております。これ以上手を煩わせるのであれば…」
兵士がリョウマの喉元に剣を突きつけた時、ヴァルは叫んだ。
「ま、待ってください! 私、行きます。言う通りにしますから、どうか皆さんには手を出さないで…」
「ありがとうございます、皇女様。ではこちらへ…」
兵士は道を空け、いつの間にか到着していた馬車へと促した。
「お、おいヴァル…。お前本当に…」
力なく声をかけるリョウマだったが、ヴァルは一度それを無視し、兵士に言った。
「少し待っていてください。リョウマさん、怪我をなさっているんです。行くのは治してからでも、良いですね?」
「…まぁいいでしょう。手短にお願いします」
ヴァルはリョウマの首に腕を回すと、抱き合う形で身を寄せた。
「ヴァル、俺怪我なんかしてないし…。それにお前、もうそうしなくても治せるんじゃ…」
「静かにしてください。私もわかっています」
「あ、はい」
耳元で発せられた、いつになく冷たいヴァルの口調に、リョウマは何も言い返せなかった。ヴァルは更に続けた。
「待っています、私」
「…え?」
「きっと、皆さんが助けにきてくださると信じています。だから私、今はお父様の所に向かいます。クアさんの言ったように、お話すればなんとかなるかもしれませんから」
「ヴァル…」
「大丈夫です。死にに行くつもりは全くありません。危険を感じたら逃げようと思います。ですからあまり心配しないでください。…後は頼みましたよ」
それだけ伝えるとヴァルは、リョウマから離れた。そして兵士たちに向き直ると、はっきりと言った。
「さあ、参りましょう。ご案内、お願いします」
「承知いたしました。馬車にお乗りください。それではお連れの皆様、誠に心苦しいですが、何とぞご了承ください。では…」
兵士はリョウマたちに一礼すると、馬に乗って車を走らせた。ヴァルは馬車に乗るまでの間、リョウマたちを一度も見ることはなかった。
馬車はどんどん速度を上げていき、やがて見えなくなった―――。
残された五人は、嵐のように過ぎ去った一連の出来事を、夢のように感じていた。もしくは、現実とわかっていても、信じたくないという感情の方が強かったのかもしれない。誰もが大事な仲間の一人が遠くへ行ってしまったことに、大きな喪失感を抱いていた。
「すまない」
沈黙の中、エクスは呟く。他の四人は一斉に彼を見た。
「本当ならば力ずくでも止めるべきだったのだ。あまりに突然のことで私にも何がなんだか…」
「無理もないわよ。みんな事態は飲み込めてない。それにさっきはウマ兄が危なかったんだし。…そういえば、ヴァルは耳元で何か言ってたように見えたけど。何だったの?」
「ああ。あいつは…」
だが、その続きは悲鳴でかき消された。声のした方向を見ると、リョウマは目を疑った。
チョウガ族だった。鋭い牙と太い尻尾、手にした武器で周囲を威嚇している。一団はまっすぐ五人の元へ進み、取り囲むと足を止めた。
「おやおやこれはー? またまた久しぶりだなぁ、餌の諸君」
「あんたら…何でこんな場所に」
チョウガの長、ラガトは薄ら笑いを浮かべながら言い放った。リョウマは拳を固く握りしめ、アスカは精一杯の憎しみを込めて睨みつけた。
「だが挨拶はここまでだ。テメーらには散々コケにされてきたからなぁ。今ここであの世に送ってやらぁ。覚悟しろ…」
チョウガ族たちが襲いかかろうとしたその時、近くの空間に穴が開いた。以前、初めてチョウガ族の世界に行き、襲われた時と同じ物だった。
「みんな飛び込め!!」
リョウマは直感で判断すると、穴に向かって駆け出した。アスカは分身を生み出してチョウガ族たちを蹴散らし、追手を邪魔して退路を築いた。
憤怒の形相で迫るラガトを振り切り、五人は全員穴の中へと逃げることに成功した。
「はぁ、はぁ。みんないるよな? 無事だよな?」
「ええ。なんとかね」
「僕もいます。リョウマさんとアスカさんがいなければどうなっていたか…」
「ホントねぇ。なんなのアイツら。いきなり襲ってくるし、アタシたちのことを餌ですって? 失礼にもほどがあるっての」
「話に聞くチョウガ族とは奴らのことか。恐ろしく凶暴で常識が通じないというが、間一髪だったな。ところでここは…?」
エクスは辺りを見回した。視線の先には闇しかなく、互いの姿は認識できるもののそれ以外は何も見えなかった。ただ一つを除いては。
「あの…皆さんお久しぶりです」
声の主は輪廻転生の世界『リンネラ』の天使、カルナだった。飛び込んだ拍子にリョウマの下敷きになっていたらしく、仰向けに倒れていた。
「あ、あんたは確か…」
「はい、カルナです。一体どうされましたか? 魂のお迎えにあがろうとしたら、あなた方が突然飛び込んでらっしゃるものですから」
「そうか、あの長老さん、もう長くないみたいだったし。それにあそこは屋敷の真ん前だったな」
「…申し訳ありません、よろしければどかしていただけますか? 私の胸から、その…お手を…」
リョウマは言われて初めて気づいた。自分の手が、カルナの胸元に置かれていたことを。
「…ああああすいません! 決してそんなつもりはなく…。あ、アスカ、これはわざとじゃないからな…」
「今はそれどころじゃないでしょうが! これからのことについて話し合わなきゃでしょ…」
「あぁ、そうだな…。ヴァル、お前今どこに…?」
リョウマは震える手を強く握った。