狂い出す歯車
ヴァルたちはコスタの話を、彼の近くで腰を下ろして聞くことを許された。アスカは最後まで嫌がるグロリアの手を引き、座らせた。
「よろしいか。では話を…うっ、がはっ…」
コスタは激しく咳き込んだ。最初に追い返された時にも、使用人から身体の心配をされていたのだった。
「長老様、やはりご無理をなさらない方がよろしいのでは…」
「構わんと言うておる。それに、今無理をしなくてはいけないのだ。自分の身体のことは自分が一番わかっておるからな…」
使用人たちは顔を見合わせ、より一層心配な顔をした。しかし、コスタを止めることはしなかった。
「さて、まず何から話せばいいやら。…おおそうだ、わしの兵士時代のことを話すのだったな」
コスタは、自らの過去を語り始めた。
その世界は美しかった。空は青く、空気は澄み、そこに住まう人々の心すらも清く美しいと形容できた。時折目の当たりにする奇妙で恐ろしい生物も、よく見れば愛嬌のあるように思えるほどだった。
私は元々ここでもない別の世界の出身であり、幻の世界とも何の縁もなかった。しかしある時、その世界を治める皇帝の存在と、その信念を知った。それに強い共感を得た私は、幻の世界へと行き、軍に志願したのだ。
その皇帝の信念というのは、世界は美しくあるべきであり、その実現と維持をしていくことが我々の義務だという、一種の決意だった。だがその言葉通り、その世界は人の心さえも美しく、決して綺麗事ではないと思えた。
だが、ある時―――私は知ってしまった。その信念も美しさも、まやかしのものだったということを。
「まやかし?」
思わず聞き返したリョウマの脇腹を、アスカは肘で突いて咎めた。コスタはそれに構わず続ける。
「表向きの美しさだったと言えばいいだろうか。ともかく、話を続けよう」
皇帝は自身の思う理想郷を築くため、幻獣を世界の脅威だとみなして処分させたり、自分に楯突く者を排除させたりしていた。包み隠さず話すが、私も最初はその命令に従っていた。何の疑念も持たずに。盲目的に。
そんなある時、私の抱いている皇帝への信頼が揺らぐ、決定的な出来事が起こった。
彼奴は、己の親族を殺させたのだ。幻獣を処分させた時と同じく、世界の脅威となるという理由をつけてな。
「親族を、殺したんですか…?」
「そうだ。正確に言えば殺させた。いつも自分の手を汚さないのだ。あの男は」
ヴァルはその後が続かなかった。リョウマやアスカも言葉が出ず、互いの顔を見合わせることしかできなかった。コスタは更に続ける。
皇帝が親族を処分した時から渦巻いていた疑念を、私以外の兵士も少なからず持っていた。しかし少しでもその話をしようものなら、彼奴はすぐに手を打った。反乱分子は早いうちに排除しておこうという魂胆だ。数日の間に、その兵士たちは姿を消していた。いよいよ恐ろしくなった私は、一刻も早く逃げることを決意した。
自分の荷物も持たず、とにかく遠くへ逃げることだけを考え、私はまず故郷である海の世界へ帰還した。だが、幻の世界から離れていない故郷では、すぐに見つかってしまうと考えた。
私は岩に警告文を刻み、故郷を後にした。それから長い旅の末、この黒の世界を見つけた。ここはどうやら罪を犯した者を受け入れる場所らしい。ここならば追手は簡単には来ないだろうと思い、家を構えることにしたのだ。
それから長い月日が流れ、今では長老と呼ばれるまでになった、という具合だ。
コスタは口をつぐんだ。話が終わったと思ったアスカは口を開く。
「海の世界で岩に刻まれた文は、私たちも見ました。あれはあなたが刻んだものだったんですね…」
「もう見ていたのか。あれはあそこを訪れた者に、あの皇帝の真実を伝えるために刻んだものだった」
真実。この世界で探すことになっているもの。五人はようやくそれにたどり着いたと理解したが、未だに実感は沸かなかった。
「あの文、ずいぶんボロボロでしたが、本当は何と書いてあったんですか?」
「『わたしは、ここに記す。あの幻の世界という世界の皇帝は、名君などではない。まさしく悪魔だ。騙されてはならない。これを読んだ者に、その真実を伝える。どうか私に代わって世界を頼む…』だったはずだ。彼奴の名前まではわしも知らない。自らの素性はひた隠しにする奴だということはわかっているからな……ぐっ!」
コスタは再び、激しく咳き込んだ。今度はなんと、吐血をしていた。
「コスタ様! もうお止めください…。旅の方々、申し訳ありませんがお引き取りくださいませ。お身体の不調は我々も以前から存じていたことでありますゆえ…」
しかしコスタは使用人の静止を振り切り、最後の力を振り絞るように言った。
「一角獣の…娘さん…」
「は、はい。何か…」
「あんたを悪い人じゃないと信じてお話した。見たところ、あの皇帝の親族なのだろう…? ならば気をつけることだ。どうか、自分の身は大事に…」
その先は聞くことができず、五人はまた屋敷を追い出される形となった。
屋敷の外に出た後、五人は今しがた聞いた話を整理しようとしていた。
「あの長老さんの話、本当だと思うか?」
「…今すぐ答えは出せないけど。会ったばかりの人を急に信じろってのも無理な話よね」
「でもあの方、嘘や冗談を言うような人ではないような気がします。ましてやあのような状態で…」
沈黙が流れる中、グロリアは口を開く。コスタの最期の様子を見たためか、先刻までの苛立ちは少し落ち着いたようだった。
「あの爺さんの話じゃ、その皇帝陛下がすごい悪モンってことになるわよね。アタシは会ったことないからわかんないけど、どーなの?」
「僕の知っている父上はとても優しい方でしたよ。昔は色々なことを教えていただきました。ですから、急には信じられません…」
「私もです。私たちこれからどうすれば…」
その時、一行に声をかける者が現れた。
「ヴァル? アスカにリョウマ殿。それにクアも。久しいな。このような所で会うとは」
エクスだった。以前会った時と変わらない様子だったが、小脇に本を抱えていた。
「エクス!? ほ、本当に久しぶりね。こんな場所で…」
いつもと違い、やや焦った口調で話すアスカ。訝しむグロリアはリョウマに尋ねた。
「ちょっとちょっと、どちら様? えらくイケメンが来たけど?」
「エクスだよ。ヴァルの兄さんで、クアにとっては義理の兄といったところか。アスカとはしばらく一緒に行動してたんだ」
「ふーんなるほど。そういうことね」
それだけでグロリアは、全てを理解したらしかった。
「ああ、奇遇だな。何かあったのか?」
「うん、それがね…」
エクスも皇帝の、血を分けた子であることを思い出し、アスカは後を続けることはできなかった。
「まあ、言いたくないこともあろう。無理をすることはない」
「ごめんなさい。ありがとう。少し整理が必要みたい。ところで、エクスはここに何の用事?」
「私か? 私は今までと同じく、旅の途中だ。だが、探していた物が見つかったのでな。そろそろ旅の終わる時なのかもしれん」
「探していた物というのは?」
エクスは小脇に抱えていた本を見せた。かなり古い文献なのか、朽ち果てていてボロボロだった。
「これは、あらゆる世界の神話を記した古文書だ。この世界でようやく見つけた。ここには、私たち一角獣一族のルーツが書かれているやもしれない」