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深雪の姉妹

 アスカとニィヴは、今自分たちの目の前にいる女性の発した言葉を受け入れられずにいた。ほんの数秒間の静寂が、とてつもなく長く感じる。

 自分は神である。女性は確かにそう言った。正確に言えば、監視者と言っていた。アスカはできるだけ冷静に、事態を整理するために質問をした。


「か、監視者というのは、一体どういう…。それに、神様なんて…とてもじゃないけど信じられない…」

「ふふっ、緊張していますね。そんなに怖がらなくてもよろしい。何もあなた達を取って食べようなんて、考えていませんから」


 女性は平然と言った。ニィヴは更に怯えたのか、アスカに寄り添って女性から目を離さないようにしていた。


「あらあら、余計怖がらせてしまいましたか。どうしたら信用してもらえるでしょう…。そうそう、まだ自己紹介をしていませんでしたね。お互い、挨拶をすれば警戒心も解けるというものです」


 アスカとニィヴの前に向き直ると、女性は自らの名を名乗った。


「私の名はグレイス。先ほど申しました通り、この世界の神というべき者、と言っておきましょうか」


 グレイスは言い終えると、二人に対して頭を下げた。神という肩書きからは想像ができないほど、身なりも立ち振る舞いも一般の人間と変わらなかった。


「グレイス様…。私達の世界の神様…」

「ええ。ですが、あなた達が思うような崇高な存在ではありません。これも申しました通り、監視者という方が適していると思います」

「この世界を見守っている、と解釈してよろしいのでしょうか」

「はい。それでよろしいかと思います」


 グレイスは、言葉のところどころに曖昧な表現を用いていた。アスカはそこに引っかかり、質問を重ねる。


「無礼を承知の上でお尋ねしますが、思いますというのはどういう意味ですか?」

「そうでしたね。その点も踏まえて、これからお話いたしましょう。これをお渡しするのも、私と話をしてくれたお礼、ということなら、ちょうどよろしいでしょう?」


 グレイスは木の枝を持ち上げて小首をかしげた。顔を見合わせる二人を見て、彼女はまた笑みをこぼした。


「よろしいでしょうか。…そうそう、その前にお怪我を治した方がいいですね」


 グレイスは二人に、キラキラと光る吐息を吹きかけた。たちまち、アスカとニィヴは脚と腕の痛みが引いていくことを感じた。


「これは…?」

「簡単な治癒の力です。しかし痛みを和らげることしかできていませんから、本格的な治療はお仲間の方にしていただくと良いでしょう」

「はい。そのように…? あの、仲間のことをなぜ…」


 アスカは再び、不審感を抱いた。記憶をたどっても、グレイスにヴァルたちのことを話した覚えはなかった。


「それは、この世界の至る所に私の目や耳があるからなのです。もちろん、この山にも」

「目や耳が…?」

「そうです。正確に申しますと、この世界に住む生き物たちが、私に教えてくれるのです。自分たちの周りで起こった出来事、異変、それから他の世界からのお客様のことなどを、ですね」


 グレイスはアスカを視線で捉え、戸惑うアスカを見て微笑んだ。


「つまり、あたしたちがこの山に来た目的も、仲間とはぐれてしまったことも、全部お見通しであったと?」

「左様です。あなたのお兄様と妹さんが以前、ここに来たことも存じていますよ。そうそう、ニィヴさんの妹さんも、昔からよくここに遊びにいらしていましたね」


 ニィヴは自分の名前が出た時に思わず姿勢を正し、そしておずおずと尋ねた。


「あの、私の妹は何か失礼なことを働いていないでしょうか…?」

「ふふふ、心配には及びませんよ。素直で優しい方じゃありませんか。それに、若いうちは元気すぎるくらいがちょうどいいのですよ」


 そこでグレイスは、何かを思い出すかのように沈黙し、再び話し始めた。


「そうですね、ご兄妹のお話が出ましたし、私の妹のお話をしましょうか。私自身のことも絡めて」



 自らの過去を語り出したグレイス。彼女もまた、この世界に生まれたひとつの生き物だったという。

 彼女にも妹が一人おり、仲良く野山を駆け巡り、木の実を収穫したり他の生き物を追いかけたりして生計を立てる暮らしをしていたという。しかしある日、思いがけない事態が起こったらしい。


「その日も私と妹は、いつものように獣を追いかけていました。思い返すと、夢中になりすぎていたのかもしれません。私は目の前に崖があることも予測できず、勢い余って足を踏み外してしまったのです。そして私は深い深い谷底へと堕ちていき―――死にました」

「な、亡くなってしまわれた…?」


 アスカは驚きを隠せなかった。目の前にいる女性が一度死んだ存在だと、空想好きの彼女でもにわかには信じられなかったのである。


「ええ。ですが、それから長い夢を見たような、何とも言い表し難い時を過ごした後、気がつくとこの姿で、この山にいたのです。私は不思議なことに、己が成すべきことがわかっていたような気がしました。これからこの世界を見守っていくことになるのだ、と」

「それで、ずっとこの世界を、私たちを見守ってくださったのですね。でも、お気の毒です。妹さんと別れてしまわれたなんて…」


 ニィヴは悲しげに、グレイスを労った。しかしグレイスは、優しくニィヴに語りかける。


「ありがとう。でもご心配には及びません。妹にはちゃんと会えたのです。この姿になってからも。ですから、寂しくなどはありませんよ」

「それは…。良かったです、本当に」

「ふふ、姉同士、妹には色々と思う所がありますものね。私の妹はキャサリンというのですが、融通がきかない所もあって、手を焼くこともありましてね」

「それならあたしの兄も似たようなものです。苦労しますよね…」

「スニーも昔から手のかかる子でした。でもいつも一緒だったからか、嫌だったことは一度もありません」


 ニィヴの本音らしき言葉を聞いたグレイスは、満足気に口を開いた。


「それでいいのです。兄妹にしろ姉妹にしろ、時には喧嘩もするし、お互いの知らない所や理解できない所も出てくるでしょう。しかし一緒にいて嫌でなければ、何も問題はないのではないですか?」

「そうですね。スニーの秘密を知って驚きましたが、姉として受け入れていますし…」

「ま、まあ、あたしも兄のことは嫌ではないですから。問題はありません」

「ふふっ、それなら良かった。何だか、お悩み相談みたいになりましたね。こんなにお話できたのは久方ぶりです。ありがとう。さて…」


 グレイスは立ち上がると、窓際へと足を運んだ。見ると、一羽の小鳥が留まっていた。


「どうやらお仲間の方々がいらしたようですよ。さぁ、お行きなさい」

「本当ですか? その、ありがとうございます。色々とお世話になって、何もお礼ができず…」

「いいのですよ。私の話相手になってくれたのですから。ああそうです、これをお持ちになってください」


 グレイスはアスカの手に、万年木の樹氷を握らせた。その枝の冷気か、それともグレイスの手が触れたためなのか、アスカは全身に寒さが伝わるのを感じ、枝をすぐさま荷物に仕舞った。


「これで全て完了ですね。…いえ、ひとつ言い忘れていたことがあります。ニィヴさんに」


 ニィヴは再び姿勢を正した。神から名指しで自分に話があると言われ、緊張が戻ってきたようだった。


「は、はい。何か…?」

「伝えたいことは、伝えられるうちにした方がよろしいかと思います。叶わぬ夢になる前に、ですよ」


 グレイスの言葉をきょとんとした表情で聞いていたニィヴだったが、何を意味しているのか理解したらしく、顔をみるみる赤くしていった。


「そそそ、そんな…なな何をおっしゃいますか…」

「ふふ、さぁ、本当にお別れです。ありがとうお二人とも。どうぞお元気で…」


 グレイスに見送られ、二人は小屋を後にした。




 小屋を出て少し歩いた後、二人はリョウマたちに合流した。


「アスカ! ニィヴ! 良かった、無事だったか…」

「お二人ともお怪我は…たた大変です、すぐに治療します!」

「ごめんねぇ。もっと早く来たかったんだけど、アタシもヴァルも、この寒さじゃ上手く飛べないからさ。時間かかっちゃったわ」

「でも、生きていて本当に良かったです。心配しました…」

「ありがとう、みんな。心配かけたわね…」


 リョウマたちの気持ちを受け取り、アスカは熱いものがこみ上げて来るのを感じていた。

 一方、スニーも姉に気持ちをぶつけていた。近くでは巨大なフサちゃんもその様子を見守っている。


「お姉ちゃんのバカバカ! 何も言わずに消えちゃうんだもん!」

「し、仕方ないでしょ。急に地面が崩れるんだから…」

「知らないもん、もし見つからなかったらお母さんに怒られるところだったよ…」

「あ、あなた、私のことより自分の心配を…」


 遠巻きにやり取りを見ていたリョウマは、笑いながら姉妹に駆け寄った。


「はははっ、スニーはそれが気がかりだったのか。ずいぶん慌ててたもんな」

「…もちろん、お姉ちゃんのことも心配だったけどね」

「スニー…」


 その場にアスカたちも集まり、一段落ついた頃、リョウマは行方不明になった二人に尋ねた。


「それにしても、よく無事だったよな。アスカもニィヴも」

「それがね、とある人…というか、神様に助けていただいたのよ。ね、ニィヴ」

「はい。この世界を見守る神様とおっしゃっていました」

「か、神様に? まさかそんな。信じられないって」

「でもマジなんだから。ほら、あそこの小屋に……?」


 アスカはグレイスと出会った小屋を探したが、不思議なことに周囲には何もなかった。ある物といえば、一面の雪と生えているただの木くらいだった。


「ど、どういうこと…? あたしたち、会ったわよね。女性の姿をした神様に」

「え、ええ。お名前も覚えています。グレイス様とおっしゃいました」

「そう。それからこの、万年木の樹氷を…」


 枝のことを思い出したアスカは、急いで荷物を漁り、凍りついた枝があることを確認した。


「確かに目的の物らしいですね。神様から賜ったのですか?」

「そう…そうよ。あれは絶対夢なんかじゃない。これが証拠だもの」

「よくわかんないけど、まぁ目標達成ならいいだろ。早く山を出よう。そろそろ寒さが堪えてきたよ俺」

「アタシも早く暖まりたいわ。行きましょ」

「僕、お腹空きました。何か食べたいです」


 歩き出したリョウマたちをアスカは追いかけ、念押しする。


「ねぇ…。本当に夢じゃないんだからね。信じなさいよっ」

「イテッ。わかったから蹴るなよ。信じてるよ」

「ぜーったいわかってないでしょ! ちゃんと目ぇ見て答えなさいよ馬鹿ウマ兄!!」


 追いかけ回されるリョウマと追うアスカを見、ヴァルとニィヴは苦笑いを浮かべて後に続いた。


「フサちゃんどうしたの? …そっか、ここがお家なのね。じゃあまた今度ね。バイバーイ」


 その場を動かないフサちゃんに、スニーは一旦の別れを告げると、姉たちの元に駆けていった。




 一行が山を出た頃、ひとつの影がふらりと現れる。それはあのグレイスだった。


「アスカさん、ニィヴさん、ごめんなさいね。私という存在は、できるだけ人目につかない方がいいのです。本当なら記憶も消してしまうところでしたが、あなた達は特別です。私の話し相手になっていただいたお礼ということでね」


 そして、グレイスにのしのしと近づく大きな影があった。それはフサちゃんであった。グレイスはフサちゃんに微笑みかけ、口を開いた。


「さて、あなたもあの子と仲良くしてくれてるみたいだし、引き続き遊んであげてください。同時に、スニーさんとこの山の見守りを頼みましたよ、キャサリン。…それとも、フサちゃんと呼んだ方がいいかしら? ふふっ」


 キャサリン、もといフサちゃんは何も言わず、姉の言葉に頷いた。




 村へと到着し、ニィヴとスニーの家で暖を取っていたリョウマたち。大人たちは未だに帰って来なかったため、その前に次の目的地に向かうことに決めたのだった。


「それじゃ、行ってみるよ。ありがとな二人とも」

「それに、危険な目に遭わせてしまって、本当に申し訳ないです」

「大丈夫です。治療していただきましたし。お気になさらないでください」

「うん、わたし、とっても楽しかった。ありがとうね」

「でも悪いわねぇ。お母さんたちの知らない間に、色々世話になっちゃって。なんだか心苦しいわ」

「いいんです。母たちには今回のことは伝えない方が面倒じゃないと思うので。黙っておきますから、心配しないでください」


 背徳感を覚えつつも、ニィヴの言う通りにした方が都合がいい。リョウマたちはそう考え、村を後にしようとした。


「じゃ、本当に行くよ。またな」


 しかし、ニィヴは突然声をあげ、リョウマを引き留める。


「あ、あのあの、り、リョウマさん!!」

「? どうしたニィヴ?」

「そ、その、がが、頑張ってください! それから…。良ければまた来てください! アスカさんも、ありがとうございました!!」


 ニィヴの様子と言葉から、アスカたちは彼女の心の内を理解した。しかし、リョウマは怪訝な顔で返した。


「あ、ああ。そうだな。機会があれば、また来るよ」


 ニィヴは再び頭を下げると、うつむいて後ろを向いてしまった。スニーも理解ができていなかったらしく、姉の顔を見て訝しんだ。


「お姉ちゃんどうしたの? お顔、真っ赤だよ?」

「な、なんでもないの!!」

「ほら、行くわよウマ兄。ニィヴ、スニー、ありがとう。必ずまた来るからね!」


 姉妹から離れた方が良さそうだと、アスカたちはリョウマの手を引きその場を後にした。




「隅に置けないわねぇ。お兄ちゃんも」


 村から離れた場所まで歩いた後、グロリアは口を開いた。


「は? 何がだよ」

「ホント、罪な男よね」

「だから何が言いたいんだっての」


 リョウマは全く理解していない様子だった。グロリアとアスカは呆れ顔で互いを見合わせた。


「はぁ、お兄ちゃん、ここまで鈍感とはね。予想以上だわ」

「全くね。ミーアは今頃どう思ってるのかしら」

「なんだよみんなして……ってあっつ! おいミーア、急にどうした!?」


 リョウマの腕に付けたミーアの形見である宝石が、突然熱を発したらしい。リョウマは雪に手を突っ込み、熱さを逃がした。


「はぁ…一体何なんだ。ヴァル、クア、わかってたら教えてくれよ」

「ええと…。これは言わない方がいいのかもしれません。お教えするのは野暮というものかと思います」

「僕、なんとなくわかりますが、姉様の言う通り言わない方が良いと思いますので、教えません」

「お前らまで…。教えろよもう!」


 リョウマは楽しげに逃げるヴァルとクアを追いかけた。アスカとグロリアもそれを追い、そのまま次なる地へと向かった。





 その頃、グレイスの住む山に、一報が舞い込む。一匹の野ウサギがやってくると、彼女の目の前で何やら報告をした。


「あら、兎さんどうしましたか? …ふむ、鎧を着けた兵士さんたちがたくさんいた、と。何をしているかはわからなかったけど、怪しかったと。ご報告ありがとう。心に留めておきます」


 野ウサギは報告を終えると、どこかへ去っていった。


「さて…。嫌な予感がしないでもありません。あの子たちに悪いことが起きなければいいのですが。私としても、無事を祈るしかできないですね」


 グレイスは空を見上げ、手を組んで目を閉じた。

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