前兆と失踪
アスカとヴァルが謎の怪物と戦った翌日、神宮司家では簡単なミーティングが行われていた。
「えーと、じゃあここまでの出来事を整理してみたいと思う」
とリョウマ。その前には生真面目に正座をするヴァルと、ソファーに寝転がるアスカ。
「まずヴァルの記憶だけど、猫の耳が生えた男や蜥蜴男、獣混人と呼ばれる奴らを倒したら少しずつ戻ってきた。でも昨日お前たちが会った怪物を倒しても、戻らなかったんだよな」
うんうんと、ヴァルが頷く。アスカはスマホをいじりながら、やや眠そうに聴いていた。何故か、ため息混じりだ。
「と、いうことは何か記憶を取り戻すきっかけがあるものだと思う。アスカがよく観察してくれたから良かったけど、あいつら獣混人は水晶みたいなものを持ってたようだ。で、戦いが終わったらキラキラした光が飛び散っていた。そして記憶が戻った。これが重要だと思う」
ヴァルは一層気を引き締めて聴く姿勢をとった。アスカもリョウマに顔を向け、次の言葉を待った。
「これらの事から推測すると、あの水晶の中にヴァルの記憶が閉じ込められてられてるんじゃないか、と思うよな。で、一応仮称として、あの水晶を『記憶水晶』とでも呼んじゃったりして。…どう?」
「安直ねぇ」
「いい…のではないでしょうか」
素直で馬鹿正直とも言えるヴァルは、時に心にチクリと刺さる返答をする場合もある。
「…うん、まあ仮称だから。好きに呼べばいいさ。じゃ次、その怪物のことだけど」
リョウマは自分のスマホを取り出し、怪物の写真を出した。アスカが昨日の戦いの中でちゃっかり撮影しており、転送してもらったのだ。
「見た通り、色んな生物の特徴が合わさっている。かの有名なキマイラだとか鵺なんかとも違う怪物だな。コイツが何なのかもまだわかんないけど、『カオス』と呼ぼうかなと思う。色々混ざってるってことで」
「安直ねぇ」
「いいと思います」
同じ反応を示したアスカに対し、リョウマを気遣ってなのかヴァルははっきりと答えた。リョウマは素直に感謝することにした。
「ありがとなヴァル。まあ便宜上だから。…とりあえずこんなところかな」
リョウマはスマホをしまい、ミーティングの終了を告げた。
「さて、そんなこんなでもう大学に行く時間だ。ヴァルはバイトだっけ?」
「はい。やっぱり一緒に行かないと駄目ですか?」
「うん。心配だからな」
「でも今日はお昼で終わりなんですが…」
「ああ、俺も昼までなんだ。迎えに行くから待ってるんだぞ」
「…わかりました」
ヴァルは仕方なく了承した。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「ん、アスカは休みだっけ?」
「そうじゃないけど、ちょっと体調悪いから休むわ。どうぞお構い無く」
「大丈夫ですか?お大事にしてくださいね」
「…うん。ありがとうヴァル」
アスカを家に残して出発した二人は、それぞれ大学とアルバイトを終え、再び合流した。
「よっ、お疲れ」
「お疲れ様です。お迎えありがとうございます」
ヴァルはぺこりと頭を下げた。
「いいんだよ。そんなこと気にしなくて。さ、行こう」
駅に向かって歩き出す二人。その途中、リョウマはある物をヴァルに手渡した。
「あ、そうそうヴァル。朝は忘れてたけど、これ渡しとくよ。昨日買って来たんだけど」
それは黒い小さな機械だった。繋がっているコードの先端には、耳にはめるイヤホンとマイクが付いている。
「何ですか、これは?」
「インカムっていうんだ。離れてても通信ができるものさ。試しにちょっと話してみようか」
リョウマはそう言うと、少し離れた場所まで歩いて行った。
「あー、テストテスト。ヴァル聞こえる?」
慣れないことに少し戸惑いつつも、ヴァルはマイクに話しかけた。
「は、はい。聞こえますよ」
「よし、問題ないな」
駆け寄ってきたリョウマは、ヴァルに直接言った。
「あの、ありがとうございます。でもどうして私にいただけるんですか?お話ならお電話でもできますが」
「それは戦いになった時のためだよ。今までは隙をついたり敵の動きが鈍かったりしたからアドバイスが上手くいったけどさ、これからはそうもいかないと思って。これなら、戦ってる最中でも声が届くだろ。相手に気づかれずに」
リョウマは密かに危惧していた。的確に戦いの助言や指示を出すにはどうすれば良いのか。昨日の帰りが遅かったのも、インカムを買いに行っていたためであった。
「なるほど。そういうことだったんですか。でも、リョウマさんやアスカさんに頼ることなく、戦えるようにしたいです。いえ、そうならなければいけません」
ヴァルは凛とした表情を浮かべ、リョウマの顔をしっかり見て言った。
「まあ、それが一番だけどな。でも俺もアスカも、守られてばかりは嫌だし、ちょっとでも助けになればいいかなと思うんだ」
「すみません、私のために…」
「いいんだってば。…そうだ、じゃあそのお礼がしたいなら、ちょっと俺に付き合ってもらえる?」
「お付き合い…ですか?」
天然な一角獣は、恥ずかしげもなくそんなことを言ってのけた。
「いやそういう意味じゃなくて…。とにかく見せたいところがあるんだ。一緒に来てくれるか?」
「はい、もちろんです」
それから二人は、電車を乗り継いで家から離れた駅に向かった。リョウマたちの住むところも都会とは言えない、どこにでもあるような街であったが、そこは更に建物の少ない田舎町だった。
「ここは…?」
「俺とアスカの故郷なんだ。言ったことなかったっけ?俺たちは田舎生まれでさ、今住んでるところには十年くらい前に引っ越してきたんだ…」
リョウマはひとつ深呼吸をし、少し懐かしみながら語った。
「そうだったんですか。いいですね故郷って…」
記憶のないヴァルはもちろん故郷の思い出もない。寂しそうに呟く彼女を気づかい、リョウマは慌てて本題に入ることにした。
「おっと忘れるとこだった。一緒に来てくれ」
二人は駅から少し離れた森の中へ入っていった。
森の中は見渡す限り木々が生い茂り、昼間でも薄暗かった。人が整備した道はあるものの、注意しなければ迷ってしまうほどであった。
「リョウマさん、どこまで行くんですか?」
先に何があるのかわからないヴァルは、不安そうに尋ねた。
「もうちょっと。足下気をつけてな」
以前にも通ったことのある道なのか、リョウマはどんどん先へ進む。ヴァルは置いてけぼりにされないようについて行くのが精一杯だった。
やがて森を抜け、開けた場所に出た。そこは自然が溢れるのどかな空間だった。中心には今にも女神が出て来るような泉がひとつ、その周りには絨毯のような草が生えていた。神秘的とも言えるその風景は、まるで地球が誕生してから、誰も訪れていないかのようであった。
「ここですか…。私に見せたいとおっしゃっていたのは」
「そうさ。いいところだろ?昔アスカと二人だけで来たこともあってな。その時はこっぴどく叱られたっけなぁ。でもあいつはここが気に入ったみたいで、思えばファンタジーの世界が好きになったのもそれがきっかけなのかもな」
「はぁ…」
思い出話を語るリョウマを、ヴァルは不思議そうに見つめた。ではなぜ私をそんな場所に連れてきたのか、と言いたげだ。
その気持ちを察したのか、リョウマは話を続けた。
「ああごめんごめん。お前をここに連れてきた理由だけど、もしかしたら何か記憶が戻るかなと思ったからなんだ」
「私の記憶がですか?」
「うん。俺、一角獣については素人だけど、イメージではこういう神話に出てきそうな場所にひっそりと住んでるんじゃないかと思ったんだ」
ヴァルはもう一度、辺りを見渡してみた。懸命に記憶をたどってみようとしたが、呼び覚まされる思い出は何もなかった。
「すみません、何も浮かんで来ないです」
「そっか…。せっかく連れてきたけど残念だったな。やっぱりアスカに任せた方が良かったかな」
「私の方こそ申し訳ないです。でもなんだか、懐かしいような感じがします」
曖昧な反応だったが、彼女の過去に少しでも関わることであれば貴重な手掛かりだと感じたリョウマは、思わずヴァルに詰め寄った。
「本当か? どんな記憶が?」
「あの、思い出というわけではなく、似たような景色を見たことがあるような、ないようなという、すごく言葉では表現しづらい感覚なんです。それにもしかしたら、私の勘違いかもしれませんし…」
期待していた答えが聞けず、リョウマは少し拍子抜けした。しかし、そのおかげで冷静になることができた。
「ごめん、ちょっと熱くなっちまったな。まぁ、焦ることないからな。ゆっくり思い出して行こう」
「はい、私も頑張って記憶を…は、は、くしゅっ」
会話の途中でヴァルは、小さなくしゃみをひとつした。
「ん? 大丈夫か?」
「ええ。実は、昨日の夜頃からちょっと体の調子が悪くて熱もあるような気がしまして…。あっ、でもお仕事の方は問題ありませんでしたよ」
「そういえばアスカのやつ、体調悪いなんて言ってたけどまさか風邪うつされたか?」
「うーん、でもアスカさん、昨日も今日も特にお体の調子が悪いということはないように思えましたが」
ヴァルとアスカは昨日からずっと一緒にいたが、家に帰ってからも特におかしな様子はなかった。
「ま、いいか。とにかくヴァルの体調が悪いならもう帰ろう。ごめんな、気づいてなくて」
「いえ、気になさらないでくださっ、しゅんっ!…すみません」
ヴァルはもうひとつ、大きなくしゃみをした。
再び電車を乗り継ぎ、帰宅した二人。ドアを開けると、家の中は静かだった。
「ただいまー」
「ただいま帰りました」
しかし、返事を返す声はなかった。
「アスカ、いるのか? まだ気分悪いのか?」
「アスカさんー?…変ですね。お休みになられているのでしょうか?」
「それなら邪魔しちゃ悪いけどな。…でもなんだろうなこの感じ」
この時リョウマは、胸騒ぎのようなものを感じていた。もしかしたら、兄妹でしかわからない、特別な繋がりがあったのかもしれない。リョウマは、アスカの部屋のドアに手をかけた。
ドアに鍵はかかっておらず、簡単に開いた。だが、中には誰もいなかった。
「…アスカさん、いらっしゃらないですね」
「ああ、体調悪いならどこか出かけるわけないだろうし、それに連絡のひとつも入れるだろうけど、なんかおかしいな」
そう言いつつ部屋の中を見回すと、机の上に目が留まった。何か紙に文字が書いてある。
そこには、紛れもなくアスカの書いた字があった。
『ごめんなさい。探さないで』