映身の原種
アスカとヴァル、そしてデュオと別れたリョウマたちは、洞窟の中を慎重に進んでいた。傍らには光を放つアスカの分身が、音も立てずに羽ばたき、辺りを照らしている。
「お兄ちゃん、ここ一度来たことがあるのよね?」
「そうだよ。ここは入って来た人間の姿に化ける魔物がいるんだ。だから気をつけないとな」
以前の記憶を呼び起こしながら、リョウマは答えた。
「だったらお願いね、エスコート」
「え、エスコート?」
さも当たり前のようにさらりと言ってのけたグロリアに、リョウマは思わずオウム返しをした。
「そうでしょ? だってここの経験者で男なんだし。ボクちゃんはまだ小さいんだし、女性を守るのは当然じゃない」
言い返す言葉を探すリョウマをよそに、グロリアは洞窟に入る前と同じように、ぶつぶつとぼやき始めた。
「それにしてもアイツ、とんだムッツリスケベロリコンジジイね。アスカとヴァルを自分の側に置いたのも、そうだからでしょ。アタシだって空飛べるのにわざわざあの子を指名するんだから。最も、あんな奴に頼まれたってこっちから願い下げだけど…」
外で待つデュオへの不満を吐き出すグロリアに、リョウマは何も言い返す気になれなくなった。
「ムッツリスケベロリコンって…。俺たちの世界の言葉じゃんかよ。まったく、忙しいやつだな。やれやれ…」
「リョウマさん、大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねてきたクア。その気遣いにリョウマは、不思議と気持ちが落ち着くのだった。
「ありがとうな。クアがいてくれて助かったよ。俺とグロリアだけじゃ今頃……」
リョウマはクアの背中をまじまじと見る。そこには小さいながらも、ふわふわとした白い羽がしっかりと生えていた。
「な、何ですか?」
「いや、今さらだけどクアにも羽があったなって思ってさ。そういや、クアも飛べるのか?」
「さあ、どうでしょう。実は僕、今まで飛んだことがないんです。試す機会もなかったので。…変ですよね」
クアはピコピコと、小さな羽を動かした。
「そんなことないさ。きっと周りの大人は、無理させたくなかったんだろう。怪我でもしたら、大変だもんな」
「そうですかね…?」
「ああ。気にしなくて大丈夫だよ」
二人が会話する中、先を歩いていたグロリアは声をかけた。
「ちょっとー。二人とも早く来てよ。なんだか面白い所に出たわよ」
リョウマとクアがグロリアの元へ向かうと、そこには不思議な光景が広がっていた。
大量の水晶だった。床から天井から壁から、大きな透明の鉱物が生えている。普通であれば、ただの水晶が生えているだけと片付けられることだったが、リョウマはすぐに確信を得た。
「これ…『記憶水晶』じゃないか!?」
ヴァルを狙い、襲って来た獣混人たちが持っていた水晶。まさにそれと同じ物が今、リョウマたちの目の前にあった。
「『記憶水晶』? そういう名前なの、コレ?」
「いや、勝手にそう呼んでるだけだけど…。ってか、あんたもこれ持ってたな。どこで手に入れたんだよ?」
「アタシは持たされてただけよ。わけのわからない鎌の奴に渡されたんだから、ココの物だったなんて知らないし」
「そうか…」
脳内を整理しようとするリョウマだったが、それどころではない事態が起こる。
「な、何でしょう、あれは」
クアの怯える声で我に返り、指さす先に目を移すと、煙のような何かが奥から出てきた。
煙はモヤモヤと辺りを漂っていたが、やがてはっきりとした姿を形づくる。それは、リョウマとグロリアの姿だった。
「…っ!こいつらは…」
「何よコイツ、アタシの真似なんかして」
「さっき言った魔物『映身の亡霊』だよ。気をつけろよ、見た目だけじゃなく、声も記憶もコピーするんだ!」
魔物たちは虚ろな目を三人に向け、真っ直ぐ襲いかかって来た。武器を持っていなかったため、近くの石を片手に、思い切り振り下ろしてくる。
「おっとと、クア、離れるんじゃないぞ!」
「は、はい」
「くっ、ヴァルの時も嫌だったけど、自分と同じ姿を相手にするのも辛いもんだな…」
焦りを見せるリョウマとは違い、グロリアは攻撃を避けられながらも、積極的に鞭を振るっていた。
「アタシは別に気にしないわよ。こんなの、ただの偽者じゃない。ほら、消えなさい!」
声を発することなく戦っていた魔物たちだったが、うちに様子が変化した。口元が緩み、奇声をあげ始めたのだ。
「何だこいつら、気味悪いな…」
「前に会った時もこうじゃなかったの?」
「違う。あの時はただ姿を変えて惑わせて、本物を見抜けなかった奴を食ってしまうってだけで…。そういえばこんなに激しく襲いかかることもなかったな」
不審に思いながら、戦いを続ける三人。その時、アスカの分身が高く飛び上がると、天井の光の漏れる部分を示した。
リョウマはデュオの言った合図を思い出すと、天井めがけて剣をかざし、力を込めた。
だが、いつもならば放たれるはずの雷撃が、全く発せられなかった。
「あれ…どうなってんだ? クア、ちょっと手を貸して」
クアの手を取ったリョウマ。しかし、クアの能力増幅の力は剣にほんの少し電気を走らせたのみで、天井には全く届かなかった。
「お兄ちゃん、どうしたのよ!?」
苛立たしさを滲ませてグロリアは言った。リョウマと自らの偽者を相手にする彼女は、流石に疲労を見せていた。
「俺にもわかんねーよ! 一体全体どうして…」
その時、アスカの分身が今度は近くの水晶を示した。リョウマは直感で、その水晶を砕けという意味だと判断した。
「よくわかんないけど…こうか!?」
リョウマが剣で水晶を砕くと、剣に力が戻ったのが感じられた。刀身は発熱し、電流も迸っている。
「よし、これなら…」
「リョウマさん!」
一瞬安心したリョウマは、隙をつかれて偽グロリアの体当たりを喰らった。そのはずみで、炎雷の剣が手から離れてしまった。
「うぐっ、しまっ…! 俺の剣…」
隙ありとばかりに、偽リョウマは剣を手に入れようとした。しかし、すぐさま手を離し、熱さによる痛みでのたうち回り始めた。装備も含めて姿を真似できても、性能までは複製できなかったらしい。
再び落ちた剣に、偽グロリアが迫る。しかし本物のグロリアが偽者を蹴り飛ばし、鞭で剣を絡め取り、リョウマに投げ渡した。
「しっかりしてよ、お兄ちゃん。アンタじゃなきゃぶち抜けないでしょ、天井」
「あ、ああ。すまない」
剣を再び手にしたリョウマは、力を込め天井に向けた。迸る雷が洞窟の天井をぶち破り、外から日の光が大量に降り注いだ。同時に、穴から心配そうなアスカとヴァルの顔も覗いた。
「ウマ兄、大丈夫!? グロリアとクアも!」
「リョウマさん、その魔物は日の光に弱いんです!」
その言葉通り、魔物たちは様子が変わり、明らかに怯えを見せた。
「逃がさないわよ」
グロリアは逃さず、見事な早業で偽者たちをまとめて鞭で縛り、光の中へと引き寄せた。
「グギャアァァァ!!」
魔物たちは断末魔と共に、煙の姿に戻ったかと思うと、一瞬でかき消えていった。
「ほっ…死ぬかと思いました…」
「ああ。でも助かった。ありがとな、アスカ、ヴァル」
力なくその場に座り込む二人を、グロリアはせきたてた。
「ほーら、目的は魔物の討伐じゃないでしょ?探さなきゃ、片割れ石ってのを」
「そうだったな。早いとこ見つけて、出よう」
立ち上がったリョウマの視線の先に、球を半分にしたような、スイカほどの大きさの黒い石があった。偶然か否か、日の光に照らされており、他の石とは違う物だと判断できた。
「これかな。片割れ石」
「さあね。とりあえず持っていって、聞けばいいんじゃない?」
「そうだな。じゃあ行くとす…」
その時、リョウマのいた足場が崩れた。バランスを崩して後ろ向きに倒れるリョウマの手を、クアは素早く取った。だが、両方とも落ちてしまう。そう誰もが思った時。二人の身体は宙に静止していた。
「クア、お前…」
クアは懸命に羽を羽ばたかせ、なんとかリョウマを助け出していた。しかしだんだんと高度が下がっていくクアの身体を、グロリアは鞭で絡め、引き寄せたことで三人は事なきを得た。
それから元来た道を辿り、洞窟の外まで到着した三人。デュオに持ってきた石を見せると、間違いなく片割れ石だということだった。
「ご苦労様でしたな。それと、あの洞窟内の水晶には力を封じ込める作用があることを伝え忘れていました。申し訳ありませんな」
「ふぅ、良かった。ともかくこれで目的達成だな」
色々と尋ねたいことが多かったリョウマだが、危機を脱したばかりでその気にはならなかった。
「お疲れ様です、皆さん。まさかあんな魔物がいるなんて思わなかったですから」
「本当ね。クアもちょっとだけ成長したんでしょ? 偉いわね」
アスカに頭を撫でられたクアは、照れくさそうに微笑んだ。羽もパタパタと動いていた。
「ところでウマ兄も気づいたと思うけど、前に会った映身の亡霊とは違ったわよね。一体何なのかしら…」
考え込む一行に、デュオが口を挟んだ。
「それは『映身の原種』でしょう。間違いなく」
「『映身の原種』ですか?」
「ええ。長い時を生き、洞窟内の魔物たちを統べる、いわばボスのような魔物です。亡霊たちと比べて理性がなく、本能のままに暴れる赤ん坊のようなものなので、たちが悪い。わしも昔、双子の兄と片割れ石の噂を聞いて洞窟に入り、奴らに襲われて命からがら逃げ出して来たのですよ。…弟のわしだけがね」
五人はデュオが双子の世界で珍しく、双子でないことを初めて理解した。クアは申し訳なさそうにうつむいた。
「それにしても、あんたらが遭遇した原種たちは二体ですか?」
「はい、そうでしたが」
「ふーむ、わしらが行った時には三体確認できたはずだが。現れなかっただけなのか、はたまたもう死んでしまったのか…」
デュオが記憶を辿る中、リョウマは石を隅から隅まで観察していた。
「だけど、この石何に使うんだろうな。薬を作るったって、材料になるとは…」
その時、リョウマの手から石が滑り落ちた。石は地面に着地すると、奇妙な形に分かれてしまった。
「げっ…!」
「なんと、片割れ石が…」
「ちょっとちょっと、どうすんのよ。これ貴重な物なんでしょ…」
「も、もう一度行くんですか、洞窟に…」
「どうしましょう。これでは世界は…」
慌てふためく一同だったが、グロリアはそうではなかった。円盤状と器状になった石を拾い、その場にいる全員に向けて言った。
「ねぇ、これ薬研になるんじゃないの?」
「薬研?」
「そう。薬を調合する時に使う道具。こっちの器に材料を入れて、こっちの丸いのですり潰すの。何か持ち手があれば、もっとそれっぽくなると思うけど」
調粉士であるグロリアの話は妙に説得力があった。顔を見合わせるリョウマたちに、デュオはぼそりと言った。
「わしは片割れ石が何に使う物かは知らん。ただ珍しい石があると聞いていただけなのでな。もしかしたらそちらさんの言う通りなのかもしれん」
「だってよ。もうこうなった以上仕方ないじゃない。これでミッション完了ってことにしましょうよ」
黙り込む五人に、デュオは再び声をかけた。
「さて、良ければ街に帰って食事でもどうか。兄の敵討ちをしていただいて、危険な目にも合わせてしまったしな。もちろん、わしが奢ってやろう」
「あら、気前いいじゃない。じゃあ行きましょ」
少しだけ気分を良くしたグロリアは全員を促し、五人は帰路についた。
「良かったわね、お兄ちゃん。怪我の功名じゃないの」
街への道すがら、グロリアはリョウマの耳元で囁いた。
「…まぁそうだな。その、ありがとな。石のことも、洞窟でのことも」
「いいわよ別に。お仲間なんだから。いつでも頼りにしていいわよ。夜の寂しい日には抱いてあげても…」
「するかそんなこと。…ったく」
クスクスと笑いを堪えるグロリアに顔を背けながら、リョウマは街へと足を速めた。