闇夜の密談
ランプの照らす薄明かりの下、アスカは緊張した気持ちを悟られまいと、平静を装っていた。
「アンタ、一人で来たの? 一体何の用?」
「こんにちは。…いや、今はこんばんはか。用というほどじゃないけど、ちょっとお話しようと思って」
不安を煽るかのように問うグロリアと、緊張を隠しきることができなかったのか、少し早口で答えるアスカ。グロリアはその心情を見抜いていた。
「お嬢ちゃん、怖がってるわね。心配しなさんな。ココじゃ、どうやっても戦えないんだからさ。最も、アタシが掟を破って、今からあんたを殺しちゃうことだって十分考えられるけどね」
更に不安を煽るグロリアだったが、アスカは動じなかった。これに関しては、絶対の自信があるようだった。
「それはないわ」
「…へぇ。何でそう言い切れるの?」
「ここの妖精たちを見たからよ。ピアはあなたをお客様扱いしてた。もし他人を傷つけるような人だとわかってたら、あなたはとっくにここにはいないはずよ。違う?」
グロリアは初めは真剣にアスカの話を聞いていなかったが、興味を引かれたようだった。やがてアスカに視線を移すと、自分の部屋に招き入れたのだった。
「なるほどね。面白い答えだわ。お望み通り、お話してあげる。お入んなさい」
部屋に入ったアスカは、すぐにグロリアの私物に目を奪われた。アスカの見たことのない物がたくさんあったのだ。多くは小瓶に入れられた薬剤のような物で、それを作るための機材らしき物も見られた。
「ちょっとぉ、アタシとお話したいんじゃなかったの?」
部屋に入るなり自分には目もくれずに中を見回すアスカを失礼だと言わんばかりに、グロリアは言い放った。
「ごめんなさい。見たことない物がいっぱいあったから、つい」
「まあ、アンタたちの世界じゃ、珍しいのかもね。アタシ、これでも『調粉士』って呼ばれてるのよ」
「パウダラ?」
「ええ。簡単に言えば材料からお薬を作る仕事。妖精さんたちに助けてもらったお礼に、いくつか薬の作り方を教えてあげたら喜んじゃってね。だから歓迎されてたワケ。でもね、それだけじゃないの。やろうと思えば、毒を作ることだってできるのよ。アンタのお兄さんたちなら知ってると思うけど、アタシの翅には作った薬や毒の粉を仕込ませてるから、油断しない方がいいかもね」
アスカの脳内で、推測が確信に変わった瞬間であった。点と点が繋がったことを感じたアスカは、思わず呟いていた。
「やっぱり…そうなんだわ」
「…何よいきなり。気味悪いわね」
「後で説明する。ちょっと座らせてもらうわね」
「どうぞ、ご自由に」
アスカとグロリアは同時に椅子に座り、向かい合った。
「で、お話って何なの?」
「そうね、正直なところ、今の話を聞けただけでも満足なんだけど。あなたが薬を作る仕事をしてるってこと」
「あらそう。じゃあもうアタシに用はないわけね。さっさと帰りなさ…」
グロリアは冷たく突き放そうとしたが、不意に思い留まった。
「なんだか不思議だけど、アンタとはもうちょっとお話してみたい気分ね。そういえば、ハンカチがどうのって言ってなかった?」
「そうだわ。忘れるところだった。あなた、あたしたちの世界でハンカチ拾ったでしょ? アレあたしのなのよ。返して」
グロリアは荷物からハンカチを取り出した。紛れもなく、アスカが持っていた物である。
「コレ? 確かに拾ったモンだけど。アンタのだって証拠でもあるの?」
「間違いない。だってあなたが拾ったところ、見てたんだもの。そっちは気づかなかったと思うけど」
「それじゃあ証拠にはならないでしょ? 名前でも書いてあれば別だけど…」
そこでハンカチを広げたグロリアは、隅に書かれた文字に初めて気づいた。
「何コレ。今まで気づかなかったけど。アンタたちの世界の文字?」
「そうよ。『神宮寺チョウコ』って書いてある。あたしたちの母親の名前よ」
グロリアはしばらくハンカチを見つめ、考えていた。アスカが母親の、と言った時に、僅かに表情を変えていた。
「そう、お母さんのね。じゃあ仕方ないわ。返したげる」
「あ、ありがとう…」
「何よ。意外だって思った? アタシだって鬼じゃないんだから」
ハンカチを手渡され、戸惑いながら感謝の意を述べるアスカに、グロリアは憤慨しながらも、自らの事情を語り始めたのだった。
「…アンタには話すわ。アタシ、子供が一人いるのよ。男の子が」
「お子さんが?」
「そ、まだ小さいけど、しっかりしててね。自分で言うのもなんだけど、良い子に育ってくれたのよ。でもね、神様ってのは残酷なものでね…」
グロリアは一度言葉を切ると、深呼吸して続けた。
「ある日突然のことよ、息子は奇病にかかってね。普通に生活するのが難しくなっちゃったの。もちろんアタシも薬を作れるんだから、やれるだけのことはやった。でも、どれも効果がなかった。それから毎日毎日が辛かった。明日にも死ぬんじゃないかってね」
グロリアはまたそこで切り、目元を拭った。アスカは何も言葉をかけられなかった。
「それである日のことよ。アタシのところに、一人の人間が現れた。厳密に言うと人かどうかもわからない。真っ黒いローブとフードで身体を隠しているもんだから。とにかくその人は、アタシにこう持ちかけた。『息子の病を治したくば、我が主の願いを聞け』ってね。それからアンタたちの世界に行って、あの子たちを襲った、っていうワケよ」
「その人が言う、主っていうのは?」
「言えないの。契約の一つにあるからね。もし破って誰かに話そうものなら、即あの世行きでしょうね、アタシ」
話を終えたグロリアは、スイッチが切れたかのように黙りこくった。アスカはかける言葉を探し、やがて口を開く。
「…そう。あなたにも事情があったってことね」
「当然でしょ?何の理由もなく人を襲うなんてあるわけないじゃない」
「ええ。話ができて良かった。あなたが悪い人じゃないってわかっただけでも嬉しい」
「止めてよ。アタシはそんな柄じゃない」
グロリアはそっぽを向いて答えたが、態度をやや軟化させていた。
「まあでも、こうしてお話することができてスッキリしたわ」
「あたしも。思い切って来てみて良かった」
お互いを見つめる二人の間に、奇妙な繋がりが芽生えていた。グロリアは表情を緩めると、切り出した。
「不思議な感じだけど、アンタとは他の人とは違うものを感じるのよね。少なくとも、あのお兄さんよりは話が合いそう」
「女同士だもん。ウマ兄ったら、女性の気持ちがわからなくて時々嫌になるのよ」
「あらそうなの。もっと詳しく聞かせて?」
「いいわよ。この前なんかね…」
妖精たちも含め、二人以外の全員が寝静まった夜、グロリアとアスカは語り合った。それは、空が明らみ始めた頃まで続いた。
「明るくなってきたわね。そろそろ戻った方がいいんじゃない?」
「そうね。みんな心配してるかも。ありがとうグロリア」
「そんなに感謝されても困るわよ。どうせここを出たら、また敵同士になるんだから」
アスカはそこで、打ち明けようと決めていたことを話した。
「…ねぇ。相談なんだけど、聞いてもらえる?」
「何よ?」
アスカはグロリアの耳元で何かを囁いた。グロリアは最初は驚き、困惑も見せていた。
「それ、アタシにとってのメリットあるの? 人に動いてもらいたいなら、それなりの物が必要よ?」
「考えがあるの。詳しくは朝、みんながいる前で話すから」
「ふーん。朝になってのお楽しみってことね。まあ、悪くない話かも。いいわ、考えとく」
「ありがとう。いい返事を期待してる」
「はいはい。さぁ、もう戻りなさい」
アスカはグロリアの部屋を出、そっとリョウマたちの部屋に戻った。