禁争の森
パキッパキッ。
地面に落ちた枝を踏みしめ進むリョウマたち。デトワールの占いに導かれ、次なる世界へたどり着いた。
森林の世界『レストリア』。一度ここを訪れていたが、短い時間だったために、地理に明るくはなかった。
四人の目的は、ここで『清き朝露』を手に入れることと伝えられていた。
「いいとこだよな、ここ」
降り注ぐ木漏れ日を浴びながらリョウマが言う。
「さすが森林の世界というだけあるわよね。ウマ兄たちを見つけたのはどの辺りだったかしら」
「…そうだった。あんまりここでいい思い出はないんだよな…」
まだアスカが失踪していた頃、手がかりを求めてここに来たリョウマとヴァル、そしてミーアは、蝶の翅を持つグロリアと交戦、敗北し、運よくアスカとエクスに発見され、事なきを得たのだった。
「当時は大変でした。あの人…グロリアは今どうしているのでしょうね」
「さあなぁ。何にせよ、もう会うことはごめんだな…。そういえば、ここって誰か人は住んでいるのか?」
「僕、聞いたことあります。ここには妖精が住んでいると」
答えたのは意外にもクアだった。これまで、行った先の詳しい情報を彼から聞くことはなかった。
「そうなのか、ヴァル?」
「はい。私も言おうと思いました。確かな情報です」
「妖精か。でもそんなに悪い奴らじゃないんだろ?」
リョウマもなんとなく程度には知っていた。アスカはその問いに答える。
「まあそんなところね。人にいたずらをするって伝説もあるけど、危険な種族じゃないはずよ」
「ええ、それはそうですが…」
ヴァルは何か言いたげに言葉を濁した。すかさず、アスカは尋ねた。
「何かあるの?」
「その、確かにここの妖精はいい種族です。争い事を極端に嫌い、長きに渡って平和を保っているのです」
「それなら言うことなしじゃないか。穏便に済ませたいだろ?」
「そうなんですが、先ほど極端に、と言いました。ここは別名『禁争の森』と呼ばれ、この世界で争いを起こそうものなら、たちまち追い出されてしまうのです。いえ、それだけで済めばいい方で、運が悪ければ魔法で命を奪われてしまうやも…」
話を聞いたリョウマとアスカは、信じられないといわんばかりの表情を浮かべた。
「なんだそりゃ、まさか冗談なんて言わないよな?」
「ほ、本当ですよ。ねぇクアさん?」
クアは黙って頷いた。二人は信じる他なくなった。
「禁じている争いに対して力で対処するなんて…。矛盾してるような気もするけど、本当なのね…」
「ああ。まぁでも、争い事を起こさなきゃいいんだろ?問題ないさ」
しかし、ヴァルの心配は尽きない様子だった。彼女は言いにくそうに懇願した。
「あの、本当にここの妖精さんたちは、どんな小さな争いでも嫌がるのです。例え些細な喧嘩だとしてもダメなんです。お願いですから、注意してくださいね…?」
「わかったよ。アスカの方からふっかけて来なきゃな」
「あら、あたしも同じこと考えてたわ。気をつけてね、ウマ兄?」
ヴァルは恨めしそうな目で兄妹を睨んでいた。二人は慌てて訂正する。
「ああ悪い悪い、俺たちどうしていつもこうなんだろうな」
「あたしも反省だわ。喧嘩腰になっちゃうのは悪い癖ね…」
二人の様子を確認したヴァルはホッと胸を撫で下ろした。
「わかっていただければいいです。それにしても、クアさんはここに詳しいのですね」
ヴァルはクアの頭に手を置き、優しく微笑みながら誉めた。血は繋がっていなくとも、本当の姉弟のようだった。
「いえ、それほどでも。ただ以前に、父上…陛下と来たことがありましたので」
照れながらも、満更でもなさそうにクアは話す。
「お父様とですか? それは予想外でした。私にはそんな記憶がありませんので」
「そうですね。お姉様がいなくなってからのことでしたから。きっと、お姉様を探すためだったんだと思います」
「そりゃ、家族がいなくなったら心配するもんな。他にはどんなところに行ったんだ?」
「ええと、この森林の世界と、海の世界、それから双子の世界にも…」
その時、一行の前に小さな影が現れた。ハッとして立ち止まると、向こうも足を止めた。見ると、良く知られた妖精の姿をしていた。金髪に尖った耳、薄く軽そうな着物、そして、この中で一番小柄なクアよりも低い背丈。『禁争の森』の妖精に違いなかった。
「あの、こんにちは。あたしたち、怪しい者じゃないので…」
ヴァルとクアの話を聞いて用心してか、機嫌を取るように挨拶をしたアスカ。しかし、妖精は全く警戒することなく、明るく話しかけて来たのだった。
「わぁ、旅人さん!? 珍しいなぁ。ようこそレストリアに。僕、ピアっていいます。はじめまして」
「え、ええ。はじめまして」
聞かされたイメージと違う様子に、アスカは少し狼狽した。だが、すぐに冷静になると、ピアと名乗る妖精に尋ねた。
「あたしたち、このレストリアにあるという『清き朝露』を探しているの。どこにあるか、知ってる?」
「それなら、僕らの村で採れるよ。一緒に来る?」
「じゃあ、お願いできる?」
「うん、喜んで!」
ピアの後につき、四人は先へと進んだ。
「…ふーん。今まで色んなところを冒険してきたんだね。いいなぁ。僕らは、外の世界には簡単に行けない決まりがあるからね」
ピアは時折後ろを振り返りながら、アスカたちに話を振る。とても気さくで、争い事を激しく嫌うという噂を、四人は忘れてしまいそうになった。
「そうなの。…あの、ここの妖精さんたちは平和に暮らしてるって聞いたけど、それと関係あるの?」
「そうだね。だから外の世界とはあんまり関わり合いになるな、っていうのが掟。でもお姉ちゃんたちはいい人そうだし、特別だよ。掟も、ここに来た人を歓迎するなっていうのはないからね」
四人は安心したが、それは次のピアの言葉を聞くまでだった。
「そういえば、少し前にここで争いがあったみたい。木が何本も倒れて、辺り一帯真っ黒焦げでさ。一体誰がやったんだろう。もし見つけたら、きついお仕置きしてあげないと」
ギクリとしたのはリョウマとヴァル。なるべく、気持ちを顔に出さないように努めた。
「それに、頭に怪我をした動物さんもいたなぁ。こっちも犯人が見つかったら、懲らしめてやらないと」
ギクリとしたのはアスカ。実際にそれを行ったのは、今はいないエクスではあったが。
純粋無垢な表情で言い放った妖精に、若干の恐怖を覚えた四人だったが、怪しまれることを恐れ、ただ黙って歩く他なかったのだった。
ピアには事実を悟られることなく、一行は彼の村へと到着していた。大きな木をくり貫いてできた家が、数軒あった。そこから察するに、住人はさほど多くはないらしい。ピアに案内され、四人はその中の一軒に入った。
「探してる朝露なんだけど、明日の朝早くじゃないと取れないんだ。だから今夜はここで寝てもらえる?」
「わかったわ。一晩、お世話になるわね」
「うん。もうすぐ晩ごはんだから、用意ができたら呼びに来るね。あと、言い忘れてたけどもう一人お客さんがいるの。仲良くしてあげてね」
「わかりました。色々とありがとうございます」
ピアは外に出ると、妖精の仲間と夕食の準備を始めた。
声が届かないことを確認すると、リョウマはため息を漏らし、木の椅子にもたれかかった。
「はぁ、なんだか疲れるな。…俺たち、バレてないよな?」
「大丈夫でしょ。もしバレてたら、今ここに生きてないかもしれないんだから」
「だよな。しかし本当にマジだったんだな。極端に争いを嫌うって」
「私の言った通りでしたでしょう? とにかく、ここを出るまでは用心してください。…あ、ピアさんが来ましたよ」
ピアが部屋に入って来る前に、リョウマたちは話を止めた。会話の内容は聞かれていないようだった。
「皆さん、あと少しで出来上がるから、席に着いてて。ほらこっちこっち」
楽しそうにスキップしながら歩くピアに続き、四人は外に出た。用意された大きな木のテーブル、そして人数分の椅子があった。
否、人数分よりひとつ多かった。ピアのいう別の客人の椅子と、そこに座る者がいたのだ。
その人物は紫色の髪を持ち、瞳は蛇のように鋭く、太腿にスリットの入ったやや露出の多い服装をしていた。そして目を引く、背中の大きな蝶の翅。
それは、クア以外の全員が知る女だった。
「…っお前、グロリア!?」
「…あら、アンタたち。こんなとこで会うなんて奇遇ねぇ」
グロリアはほとんど驚いた様子を見せず、まるでカフェで知り合いに会った時のような反応を示した。
「お前、あの時はよくも…」
「なぜあなたがここに?」
「ちょっと、あたしのハンカチ返してよ。大事な物なんだから…」
口々に言いたいことを口にする三人だったが、すぐに口を閉じた。側にピアがいたのだ。
「お兄ちゃんたち、この人と友達なの? でもなんか、ケンカしそうな感じだったけど?」
「そ、そんなことないよ。でもこの人とはただの知り合いさ。な?」
「ええそうよ。だけどただの知り合いじゃないわよねぇ。あたしたち、色々あったじゃなぁい」
甘い声で舐めるように話すグロリアに、リョウマは内心苛立ちを燃やしていたが、なんとか堪えた。
「そっか。ならいいや。待っててね、もう少しで出来るからね」
ピアが一行の前から姿を消すと、リョウマはなるべく柔らかい口調でグロリアに尋ねた。
「それで、なんであんたがここにいるんだよ?」
「なんでとはご挨拶ね。もうほとんど治ってるけどこの翅の傷、誰のせいだったかしら? ここの妖精さんたちに助けてもらわなきゃ、アタシ今頃どうなってたかしらねぇ」
それを聞いたヴァルは申し訳なさそうに目を逸らした。
「ヴァル、気にする必要ないぞ。悪いのは全部コイツだ」
「ふん、ここが争いを禁じてるからって言いたい放題ね。…そういえば、見ない顔が増えてるわね。それに、あの生意気な虎の小娘ちゃんはどうしたのよ?」
「…死んだよ。いや、今はここにいると言った方がいいのか」
リョウマはより一層燃え上がる感情を圧し殺し、説明をした。しかしそれに対するグロリアの反応は冷たいものだった。
「ふぅん。なるほどね、馬鹿なお嬢ちゃんだったわけだ」
「何…!? どういう意味だ?」
「言葉のままよ。関係ないことに首突っ込んで、勝手に迎えた末路、ってわけじゃない。違う?」
思わずリョウマはグロリアに掴みかかろうとしていた。間一髪、クアとヴァルがそれを制止させていた。
「リョウマさん、どうか堪えて…」
「そうです。僕たち、追い出されちゃいますよ…」
「離してくれよ二人とも! コイツ…よくもそんなことを…!」
リョウマは聞く耳を持てなかった。その様子を尻目に、グロリアはぼそりと呟いた。
「ま、でもアタシも同じようなモンか」
アスカはそれを聞き逃さなかった。しかし問い質す前に、ピアと仲間の妖精たちが食事を運んで来たため、やり取りは中断された。リョウマも少し落ち着きを取り戻し、素直に席に着いた。
木の実とスープ、質素なパンの食事を済ませた四人は、グロリアと会話の続きをすることもなく、自分たちの部屋に戻った。
「ったく、まさかアイツにまた会うなんてな。しかもよりによってこんなところで」
リョウマは近くに妖精の気配がしないことを確認し、念を入れて小声で愚痴をこぼした。
「こうなった以上仕方ありません。早く朝露をいただいて、ここを出ましょう」
「だな。それに限る」
「あの方は、お知り合いなんですか? ただの知り合いじゃないと、言っていましたが」
唯一、グロリアと対面したことのないクアは興味ありげに尋ねた。
「知り合いなんてもんじゃない。一言で言えば敵だよ、あのおばちゃんは」
「敵、ですか」
「ああ、もう敵も敵。何度も酷い目に遭わされたんだから。あれはアスカがいなくなった時で……そういえば、アスカはどこに行ったんだ?」
部屋の中に、いつの間にかアスカの姿はなかった。
「アスカさん、先ほどお手洗いに行くと言っていました」
「トイレか。まぁすぐに戻って来るんだろ」
その頃、グロリアの部屋。
「まったく、よりにもよってこんなところであの坊やたちに出くわすなんてね。運がいいんだか悪いんだか」
ちょうど同じことを呟くグロリアがいた。
「…どうしよう。こっそり忍び込んであの若駒ちゃんを連れ去る?でもここの妖精たちに迷惑はかけたくないし。色々お世話になったから嫌われたくないしねぇ……ん? 誰よこんな夜中に」
グロリアの部屋の戸を叩く音がした。彼女はドアに近づき、ゆっくりと開けた。
「…あらあら。これは意外なお客様だこと」
そこにいたのは、アスカであった。