アスカとヴァル Ⅱ
謎の怪物はゆっくりながらも、確実にヴァルを目標に向かって来た。対するヴァルは未知の敵を相手に、少々不安も感じながら立ち向かう。
「えいっ!やあっ!!」
目にも止まらない速さで槍を突き出すヴァル。ここ数日の戦闘経験のおかげなのか、彼女の戦い方は目に見えて上達していた。
しかし、怪物はダメージを受けている様子はない。ゴツゴツとした頭部や身体を見るに、体表はかなり頑丈だと思われた。
「はあ…はあ…、駄目ですか…。どうしたら…」
ヴァルも手応えのなさを感じ始めた。そしてちらりとアスカの方を見る。しかし、すぐに怪物の方を向き直った。
「アスカさんを頼りにしてはいけません。私がなんとかしないと…」
自分の力で危機を脱しようと、ヴァルは打開策を練る。そんな彼女の心情を、アスカはよく理解していた。
「あの子、自分の力でなんとかしようとしてるのね…。あたしも何かしないと」
アスカは戦えない自分に歯がゆさを感じていた。とはいえリョウマのように教えられる戦いの知識もなければ勝算などない。ヴァルの手助けになるにはどうしたらいいのか。
とその時、怪物は動きを見せた。目の前のヴァルに向けて熊のような腕を振り下ろした。動きは速くなかったため、ヴァルは簡単にそれを避けたが、怪物の腕は地面に窪みを作った。まともに食らえばひとたまりもないだろう。
しかし相手にダメージを与えられないのでは、ヴァルの敗北はほぼ確実と言っていい状況だった。
「ヴァル。一度下がって。あたしたちなりに作戦を考えましょう」
「は、はい」
怪物に注意を払いながら、ヴァルとアスカは身を寄せ合った。
「多分だけど、今のままじゃ攻撃が効いてないと思うのよ」
「…ですね。私にもわかります」
「知っての通り、あたしは空想世界の知識はたくさんある。でもあんな怪物、どんな小説にも出て来なかった。だから正直、特徴とかはわからないの」
黙って話を聞くヴァルだが、だんだんと希望が薄れてくるのを感じ、表情が曇っていった。
「ど、どうすればいいでしょう?」
ヴァルは不安な声で尋ねた。アスカは優しく、話の続きを続けた。
「…そうね。あの手のモンスターには、大体弱いところがあると思うの。あなたはどこだと思う?」
ヴァルは怪物の方を向き直る。怪物の身体の中心には、大きな目がひとつだけあった。あたかも、ここが弱点ですと言わんばかりだ。
「目、でしょうか?」
「あたしもそう思った。ここは一か八か、目を狙ってみてはどうかしら」
「わかりました。やってみます」
アスカとヴァルの目が合った。アスカは黙って頷いた。
しかしその時、怪物がまた違う動きを見せた。今度は腕の蛇の牙から、何か紫色の液体を噴出させたのだった。ヴァルは身を引き、様子を窺った。
「これは…毒?」
怪物の出した液体は地面に付着すると、泡立ち始めた。みるみるうちにアスファルトを溶かすそれは、危険な物であることは一目で判断できた。
「こ、これでは近づけません…」
ヴァルと怪物の間には大きな毒の沼ができていた。自分で出した毒であるため、自身には害はないのだろう。怪物は、その中を平気な様子で進んでくる。その間も、蛇の牙から毒を噴出させていた。
一方のヴァルは、回避するのに精一杯であった。とても攻撃を当てるなどできそうにない。
「ヴァル、避けちゃ駄目。突っ込んで行きなさい!」
突然、思い切った命令をしたのは勿論アスカだ。この状況でそんな指示を出すなど、第三者がその場にいれば狂気の沙汰と思われても仕方ない。
「あ、アスカさん?」
自分の耳を疑い、ヴァルは再びアスカの元へ戻った。
「言った通りよ。避けずに、相手の懐に飛び込みなさいってこと」
「あの、でも…」
毒を出していますけど。そう言いたげに、ヴァルは毒の沼と怪物を見た。
「わかってる。あなた、一角獣よね?」
「はい、そうです」
あなたは女性ですか、と聞かれたかのようにヴァルは答えた。
「一角獣ってね、角に癒しの力があるの。それはこの前のウマ兄で実証済みよね。でももうひとつ、一角獣には、毒を中和する力もあるのよ」
「毒の中和ですか…」
自分のことであるが、ヴァルはそんな力があるのかわからなかった。
「…これもあたしの勘でしかないし、もしもそうじゃなかったら大変なことになる。だから無理強いはできないんだけど…」
既に相手に突っ込みなさいと命令したものの、アスカはその続きを続けることはできなかった。しかしヴァルは。
「私、やります。アスカさんの言うことに間違いはありませんでしたし、信じてますから」
「ヴァル…」
そう言うとヴァルは、怪物の方を振り向き、まっすぐゆっくりと歩き出した。毒沼に足を踏み入れても、何ら異常はなかった。アスカはその後ろ姿を、黙って見守ることしかできなかった。
一定の距離まで近づいた時、怪物の吐く毒液が、もろにヴァルに降りかかった。
「うっ…」
「ヴァル!?」
ヴァルは一瞬怯んだが、目をしっかりと開けると、槍を右下から左上に勢いよく振り上げた。その斬撃は怪物の目に命中し、それまでダメージを受けた様子のない怪物は、たちまち体勢を崩し倒れこんだ。そして、ピクリとも動かなくなった。
「ふぅ…うまくいきましたね…。えっ…!」
そう言ったヴァルにアスカが飛び付いた。
「ヴァ、ヴァル、大丈夫なの!?」
アスカはヴァルの頭から胸、足先に至るまで触り、無事を確かめた。
「は、はい、何ともありません」
「良かった…。あたしが出した指示のせいで、あなたにもしものことがあったらどうしようかと…」
アスカはヴァルの首もとに抱きつき、安堵の表情を浮かべた。
「アスカさん、大丈夫ですから。は、離していただけますか」
「いいじゃないもう少し。あなたが無事で本当良かったわ…」
「いえ、その…苦しいし恥ずかしいです…」
周りはまだ人気がないにも関わらず、ヴァルがこぼした。
何故か身体が熱くなるのを、ヴァルは感じていた。
「さて、とりあえずあたしの勘は全部合ってたわけね」
「そうですね。助かりました。みんなアスカさんのおかげです。ありがとうございます」
ヴァルは律儀に頭を深く下げた。
「ふふ、褒めても何も出ないわよ。でもあなたに付いてた毒に触れたけど何ともなかったし、毒を中和できるってことも証明されたわね」
「はい。それにあの怪物も、やっつけたら毒と一緒に消えました。一体何者だったんでしょう?」
怪物を倒した後、元の空間に戻ったその場所で、二人は先刻の戦いについて話し合っていた。ヴァルの言う通り、怪物は倒れると塵になって消え、身体に付着していた毒も消えていた。同じく毒沼も無くなったため、何事もなかったかのように元通りだった。
「さあねぇ。少なくともあたしたちの世界にはあんなのいなかったし…。あなたの世界にはいなかったの?」
「すみません。その記憶はまだ…」
「ごめん、そうだったわね。そういえば今回は記憶、戻らなかったの?」
ヴァルは戦いの後も、頭痛を感じることはなく、記憶を取り戻すこともなかった。
「そうですね。今日は何も…」
「なるほどね…。なんとなくわかったわ。とにかく家に帰りましょ。またあなたを狙う奴らが現れるかもしれない」
「はい!」
二人は足早に、家へと向かって歩き出した。
「ただいまー」
アルバイトを終えたリョウマが帰宅した。
「おかえりなさいリョウマさんっ」
「あ、ああ。ただいまヴァル。どうした? やけに嬉しそうだけど」
不思議に思ったリョウマがしっかりヴァルを見ると、以前と違うところに気づいた。
「ん? 髪型変えた?」
「はい、アスカさんにやっていただきました。どうですか?」
ヴァルはリョウマの前でくるりと一回転してみせた。彼女の美しい銀髪は、ロングヘアからポニーテールに変わっていた。
「今までのじゃ戦いにくいと思ってやってあげたのよ。どう?」
「へぇ。いいじゃん。似合ってるよ」
「えへへ。ありがとうございます」
ヴァルは満面の笑みを見せて言った。
「ふーん、ウマ兄でもそれくらいわかるのね」
「お前は俺を何だと思ってるんだ…。そういや今日は何もなかったのか?」
「そうね。買い物行って、帰りに変な化け物に襲われたけど。それ以外は何も。」
アスカは平然と答えたが、リョウマは驚いて吹き出した。
「ばっ、化け物に? 本当に大丈夫だったのかよ…?」
「ええ。ヴァルが頑張ってくれたおかげでね」
「いいえ。アスカさんのおかげですよ」
「もう、褒めても何も出ないって言ったでしょ」
ヴァルとアスカはお互いを見、笑い合った。リョウマはひとり、取り残された気分になっていた。