語られる真実~ヴァルの邂逅~
誰もいない、何もない、あるとすれば枯れた草木がそこかしこに。その空間で、ヴァルはひとり意識を取り戻した。
「…ん…? ここは…私たちは宿屋に泊まっていたはずでは…?」
時間にして、リョウマは今まさに夢の中であり、懐かしい顔と再会していた頃であったが、ヴァルは知るよしもなかった。
辺りを見回し、リョウマとアスカ、そしてクアを探すヴァル。だが、三人はどこにもいない。仕方なく他に誰かいないか探し続けると、小さな人影が離れたところにあった。
「あの、リョウマさん? それともアスカさんですか? もしかして、クアさん?」
人影に向かって思い当たる名前を呼びかけるが、いずれでもなかった。人影は少女、もしくは少年の姿をしており、中性的な容姿をしていた。その子供はヴァルが近づくと振り返ったが、彼女のよく知る顔ではなかった。しかし、全く面識がないということでもなかったのだ。
「こんにちは。久しぶり、お姉ちゃん」
「えっ? 久しぶり…ですか? あの、どこかで…」
一生懸命に記憶を辿ると、脳の片隅に子供の記憶が呼び覚まされた。
「ああ、思い出しました。確か大地の世界でお会いしましたね」
「そうそう。石碑の前で会ったよね。よく覚えてるよ。…まぁ、実はもっと前に会ってるんだけどね」
子供は後半部分を小さく付け足したが、ヴァルの耳には聞こえていた。
「もっと前に…ですか? ごめんなさい、私、昔の記憶が曖昧なところがありまして…」
「ああいいよ、仕方ないし。それより、まだちゃんと言えてなかったから今言うね。ボクらの村を救ってくれて、ありがとう」
「そのことですか。いいんですよ。私がそうしたかったからしただけですから」
「謙虚だね、ヴァルお姉ちゃん。そういうの、大事だよね。でも何かお礼してあげたいな。何がいい?」
そう言いながら、子供はヴァルの服の裾を掴み、引っ張ってくる。ヴァルはやや困惑しつつも、子供が自分の名前を知っていることに引っかかっていた。
「お礼なんて…。あの、ところでなぜ私の名前を? お教えしましたか?」
子供はそこで服から手を離すと、ヴァルの目の前に立ち、堂々として口を開いた。
「うん、知ってるさ。だって昔、ボクを一度殺した人だもん」
子供の言葉を、ヴァルはすぐに飲み込むことはできなかった。
「あの…すみません。よく聞き取れなくて。い、今な、何とおっしゃいましたか…?」
聞き返す声も手も、震えていた。心のどこかでは、聞き間違いであってくれという願いがあったのかもしれない。しかし、子供は同じことを繰り返すのだった。
「うん、もっかい言うね。ヴァルお姉ちゃんは昔、ボクを殺したの。ほら、これ証拠」
子供は前髪をかき上げ、額を露にした。そこにはしっかりと、一直線に傷痕が残されている。
「そんな……。まさか…あなたは……」
恐怖と戸惑いで、言葉に詰まるヴァルに、子供は容赦のないように言葉を続ける。
「そう。ボクがあの世界で豊穣の神と崇められていた、ジェネラスだよ」
ジェネラス神は微笑みながらも、威圧感を漂わせて話す。ほんの数秒前の無邪気そうな雰囲気とはまるで違っていた。
「ももも申し訳ございません!! まさか神様とは露知らず無礼なことを……。いえ、それよりもあなた様の命を奪ってしまい…何とお詫びすれば良いやら…!」
ヴァルは凄まじい速さで後ずさり、手をつき頭を地面にぶつける勢いで何度も下げた。ジェネラス神は彼女にゆっくりと近づき、見下ろしたまま冷ややかに言葉を続けた。
「そうだねぇ。あれはすごく痛かった。もう取り返しもつかないし、どうしてくれようか…」
「うぅっ…申し訳…ありません…。この身体、どうなっても構いません。いっそ、ここで命を絶とうとも…」
頭を下げたままのヴァルの目から、涙も溢れてきた。もはやジェネラス神の顔も真っ直ぐ見ることはできなかった。そんな彼女に、神がかける言葉は―――。
「なんてね。冗談冗談。ちょっと驚かしすぎたかな」
ジェネラス神は突然子供らしい調子になり、優しく語りかけた。
「はい…どんな償いでも必ずいたします。本当に申し訳……ふぇっ?」
予想だにしなかった展開に、ヴァルは拍子抜けし、変な声が出た。ジェネラス神はその様子を見るとおかしそうに笑うのだった。
「ぷぷっ、ごめんごめん。気にしなくて大丈夫だよ。君がボクを殺したことは」
「気にしなくていい…とは? 私、あなたを死なせたのでは…」
「そうだね。それは間違いない。でもボクにとっては大した問題じゃないっていうか。まぁ痛くなかったって言えば嘘になるんだけど……ああごめん泣かないで」
ヴァルは再び涙を溢れさせた。ジェネラス神は彼女の肩を支え、気持ちを落ち着かせようと慰めた。
「す、すみません。私などのために…」
「大丈夫? 落ち着いた?」
「はい…。ありがとうございます。もう大丈夫です」
「よろしい。そのまま座ってて。…じゃ、これからボクとお話することを許します。何か質問でもあれば、聞いて?」
ジェネラス神はくるくると回りながらヴァルの前に来ると、そう言った。
「質問…ですか?」
「そう。ボクはそのために君の夢に来てるんだ」
夢の中。それを聞いて初めて、ヴァルは今自分が現実から離れているということに気づかされた。
「そうですか…これは夢の中の出来事ということですね?」
「理解が早いね。もうちょっと疑うかと思ったけど。じゃ、それがひとつ目の質問ということで。他に何かある?」
何気なく発した言葉が質問にされていた。遠慮がちだったヴァルだが、その言葉に刺激されたのか、聞きたいことがいくつか浮かんできていた。
「あの、ではお言葉に甘えまして。…神様の命を奪ったことは大した問題ではないというのは…?」
「それね。ボクら神々は転生が簡単にできて、しかも記憶は生前のものを引き継げるもんだから、死はさほど問題じゃないんだ。君らの世界でいう転職とか休職とかみたいなものだと考えてくれていい」
「は、はぁ…」
急に現実的な話になり、ヴァルは再び拍子抜けした。
「ところで、ひとついいかな? 君、本当に自分がボクを殺したって思ってる?」
「は、はい。それはもう……? そういえば、お父様は自分が神様を殺したとおっしゃっていました。どこかで言い伝えが変化してしまって、私の所業になってしまったのだろう、と」
言われて初めて、ヴァルは父親の言葉を思い出した。
「そう、それなのに君は謝ってた。自分に罪がないと思ってるのに。なぜだと思う?」
「それは…?」
必死に理解しようとするヴァルだが、答えは出て来なかった。
「答えはひとつ。君がボクを手にかけたことが真実ってこと。記憶はなくても、身体の奥底で覚えているのかもしれないね。…いやいや、気にしなくていいってば」
その言葉を聞いたヴァルは、無意識に後ずさりをしていた。神は慌てて付け加えた。
「私が、殺した…。ではなぜ父はそのように言ったのでしょう?」
「さあねぇ。そこまでは知らないけど。さて、他に質問は?」
ジェネラス神は話題を変えるように、質問を促した。
「はい。それでは…。父は、神様が将来力を暴走させて世界を滅ぼしかねないから、殺したと言っていました。それは本当なのでしょうか?」
「どうだろうね。ボクもあの世界でかなり長いこと生きてたけど、そんなこと一度もなかったよ。流石に未来のことはわからないから、この先そんなことがないとは言い切れないけど」
「そうですか…」
そこまで話したジェネラス神は、唐突に質問を返す。
「仮に…仮にだよ。もしボクがそのお父さんの言うとおり、世界を滅ぼす存在になって、人々は飢えや貧困で苦しむことになってしまったとしたら、どうなると思う?」
「それは…。ショックを受けると思います。あの世界の人々は、神様をとても慕っていましたから」
「そう考えるのが自然だよね。信じていたものに裏切られた人の心っていうのは、脆いものなんだよ。だから、あの世界の人々のためにも、一度死んでおいて良かったのかもしれないね」
ジェネラス神は、自分の命が失われても良かったという話を淡々と話す。やはり神にとっての死の概念は違うということなのか。
「さて、そろそろ終わりにしようか。君も目覚めなきゃ」
「はい。あの、ありがとうございました。少しだけ、気が楽になったような気がします」
「それは良かった。ボク、君たちのこと気に入ってるし、これでも応援してるんだ。だからさ」
ジェネラス神はヴァルに近寄ると、突然彼女の胸に人差し指を置いた。
「むむ、意外とあるね」
「きゃっ! なな、何を?」
「ここにあるもの、信じて進みなよ。それを一番伝えたかったんだ」
「はい…」
二人の上空が、明るくなり始めた。どうやら目覚めの時間が来たらしい。ヴァルは立ち上がり、ジェネラス神の方を向いて一礼をする。
「本当にありがとうございました。私たち、頑張ります。どうかお見守りください」
「うん。お兄ちゃんともう一人のお姉ちゃんにもよろしくね。さっき言ったこと、伝えておいて」
「はい。必ず…」
ヴァルの足が宙に浮き、意識がだんだんに失われていく。その様子を見ながら、ジェネラス神は呟いた。
「『ヴァル・モノケロース・ラートル』、運命を背負いし一角獣の兄妹よ。君たちの行く道に、光あれ…」
二人がいた空間には、誰もいなくなっていた。