夢の狭間にて~リョウマの邂逅~
誰もいない、気配すらない道をただひたすら進む。そんな行動を続けていたリョウマは、いつしか歩みを止めていた。
行けども行けども周りには何もない。目印になりそうな物もなかった。そのため、同じ場所をぐるぐる回っているかもわからなかった。
「はぁ、みんなどこに行ったんだ…? 俺、置いていかれたのか?いやいやまさかそんな」
心細い思いからか、ネガティブな想像が浮かぶ。リョウマはそれを強引に振り払った。
その時、目の前に突然小さな人影が見えた。リョウマは即座に立ち上がり、人影が消えないことを願いつつそこへ近づいた。
「ちょっと、待ってくれ! 独りにしないで…」
ぼんやりとした姿がはっきりとしていくにつれ、リョウマは声が小さくなっていった。そこにいたのは彼自身がよく知る人物だったのだ。しかし、それはアスカでもヴァルでも、クアでもなかった。
「おお、リョウマか。久しぶりだな」
目の前にいるのは紛れもなく、リョウマとアスカの父親だった。だが、父親が死んだのはつい最近のことである。リョウマは記憶が混乱していた。
「親父…? 何で…?」
「何を驚いている? 子供の側に親がいることの何がおかしい?」
「いや、おかしいって言えばおかしいけど…。だってあんたは…」
「まあこんなところで立ち話もなんだ。場所を移して話そうじゃないか」
混乱が解けないリョウマを、父親は道の先に促した。
しばらく不思議な空間を歩く親子二人。何を話せばいいのか考えながら進むリョウマだが、口を開く勇気が出て来なかった。
「最近、どうだ?元気か?」
「えっ、ああ、元気だよ。俺もアスカも」
「そうか。ならいいんだ」
唐突な父の質問に驚きながらも、リョウマは答えた。父は満足そうに頷き、更に先へと進む。
どのくらい歩いたのか、やっと景色に変化があった。目の前に、大きな建物が見えたのだ。それは、どこかの廃工場のようだった。
「工場…? 俺たち、異世界に行ってたはずだけど…帰って来たのか?」
「異世界? 何のことだ?」
「その、どこから説明すればいいんだろ…」
「まあいい。寂しいところだが、ここで腰を下ろして話そう」
二人は、廃工場の中に入っていった。
埃っぽい内部には、木箱やらドラム缶やらが置かれており、リョウマの脳内を更に混乱させた。そんな彼をよそに、父親は側の木箱に腰を下ろした。リョウマも倣い、別の木箱に腰を下ろす。
「さて、これでゆっくり話ができるな。さっきは何と言っていたか…。異世界と言ったか?」
「あ、ああ。今、説明するよ」
リョウマは父親に、三年前からの出来事をかいつまんで話した。角のある少女と出会ったこと。ある日猫男に襲われ、少女の正体が異世界の獣混人と呼ばれる種族だと発覚したこと。敵の持つ水晶を壊すと少女の記憶が戻ること。今ではだいぶ記憶を取り戻し、全世界の滅亡を防ぐために旅を続けていること。
思いつく限りのことを話したリョウマは深呼吸をひとつすると、そっと父親に尋ねた。
「これでだいたい終わりだよ。…信じられねぇよな。急に言われても」
父親は目を閉じ、腕組みをして聞いていたが、リョウマが話し終えると目を開け、はっきりと言った。
「信じるさ。お前の親だからな」
「…マジかよ。そっちの方が信じられないぜ」
「まあ確かに、いきなりそんなことを言われて信じろという方が無理かもしれんな。だが、それでも無条件に信じてしまうのが親子というものなのかもしれない」
父は一呼吸置くとリョウマを見据え、口を開いた。
「お前も、苦労していたんだな。私の知らないところで…」
「親父…」
互いをじっと見つめる神宮寺親子。その瞬間、リョウマの心に渦巻いていたわだかまりがすっととけたような気がした。
「私はずっと悩んでいたんだ。お前たちに、親らしいことを何かできたのか、ということをな。だが、見ず知らずの少女のためにそこまですることができるなら、私の育て方はそうそう間違っていなかったということか。ははは」
「親父も、悩んでたんだな。俺も、最後にあんなこと言ってしまって、後悔してるんだ。ごめん」
「気にするな。色々あったんだから無理もない」
心が軽くなったのか、リョウマは不思議と笑みがこぼれた。今自分がいる場所も、仲間の所在も、未だにわからないままだったが、そんなことはどうでもよくなっていた。
「…さて、もうそろそろかな。リョウマ。私はひとつの結論に達したのだよ」
「結論?」
父親は立ち上がると、腰の辺りから何かを取り出した。
「お前には、ここで終わってもらおう」
父親が片手に持っていたのは、巨大なチェーンソーだった。
「親父!? 何を…。それ、どこから…」
再び頭が混乱し出したリョウマに、父親は先ほどまでとは違う調子で話しかけた。
「これが結論だよ。苦労ばかりかけたお前を、このまま苦しませ続けるわけにはいかない…。ならば、今ここで私とともに消えた方がいい。私にできる、最後の親の務めというわけだ…」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。おかしいよ。何でそういう話になるんだよ…」
「四の五の言うな。もう決めたことだ。さぁ、今楽にして…」
「い、嫌だ! 俺、まだ死にたくない!」
リョウマは、後ろを見ずに全速力で駆け出した。
「待て! もう苦しまなくて済むんだぞ? 早く、楽二…ナロウ」
追いかけながら、父親の声は徐々に変わっていった。リョウマは気づくことはなかったが、父の姿さえも変化していった。だが、彼にとってそれはもうどうでもよかった。脚を止めれば恐ろしいことになると思い、ただただ走り続けた。
いくら走り続けても疲れることはなかったが、いつしかリョウマの目の前に壁が立ちはだかっていた。追い詰められ後ろを振り向いた彼の前には、父の姿ではなく、記憶に新しいチョウガ族の兵士がいた。
「サア、モウオワリダ…カンネンスルンダ」
絶望の淵に立たされたリョウマは、抵抗する気力もなく、その凶刃の餌食になろうとしていた。
しかしその時、チョウガ族兵士の動きが止まり、身体が真っ二つになった。チェーンソーが音を立てて地面に落ち、兵士の姿と共に煙のように消え去っていた。
目をつぶって己の最期を覚悟していたリョウマだったが、様子がおかしいことに気づき、目を開ける。そこには別の人影が立っていた。
「よ、大丈夫だった、リョウマ?」
聞き慣れた声で語りかける人影。それが近づいてくると、姿がはっきりとしてきた。片手に持った愛用のボウガン、ノースリーブとヘソ出しの服装、頂点で縛った長く赤い髪、そして、黄色と黒の縞模様の長い尻尾。それらの特徴を持った獣混人は、リョウマは一人しか知らなかった。
「み、ミーア…か!?」
「そだよ。紛れもなくミーアさん。貴方と、アスカとヴァルちゃんとで色んなところ旅してきたの、まさか忘れちゃいないよ、ね?」
リョウマは思わず、自分の左腕を見た。ミーアが転生して生まれたはずの宝石がなかった。その様子を見て悟ったミーアは言う。
「あ、探しても無駄だよ。ここは現実じゃないから、いつも身に付けてる物は服以外ないの。ま、わたしは別なんだけど、ね」
そう言いながら、ミーアはボウガンを持ち上げた。まだ気持ちの整理がつかないリョウマは、聞きたいことが次から次へと出てくる。
「ミーア、お前どうして…。なんでここに?」
やっと口から出たのはその質問だった。ミーアは楽しそうな表情で答える。
「うーん、わたしも説明すると難しいんだけど、とにかくここに来ればリョウマと会えるって言われてね。とりあえず来てみたら、貴方が襲われてるし、しかもあの憎たらしいチョウガの奴だったし、思いきって後ろからズバッと。そんなところかな」
ミーアは嬉々として話を終えた。リョウマは彼女の話を聞いて考えながらも、次の質問をした。
「…なるほど、正直わかんないことがほとんどだけど、それは置いとこう。ミーア、お前はもう…この世にはいないはずだよな。ということはここは…」
「ああ、それね。確かにわたしはもう死んじゃった。それは事実だし、生き返ることも不可能。じゃあここがあの世かというとそうではないみたいなんだよね」
「ここはあの世ではない、と」
「そゆこと。リョウマは死んでないから安心して」
だんだんと、落ち着きを取り戻してきたリョウマだが、不安はまだ解消されていなかった。するとミーアの方から会話が切り出された。
「…お父さんのこと、残念だったね。あまり、気にしちゃ駄目だよ」
「えっ、なんでミーアがそれを?」
「うん。わたしもまだよくわかってないんだけど、本当は死んだら魂は転生したものに宿るんだけど、わたしはある程度自由に動けるようになってたの。あの宝石がソファリアさんのところにある間、わたしもリョウマについていったんだ。もちろん魂だけね。だから、リョウマたちの故郷の世界での出来事は、今のわたしも知ってるってわけ」
ミーアが自分の世界でも背後霊のように側にいたと思うと、リョウマは怖いような恥ずかしいような奇妙な気分になった。
「いやぁ、リョウマの世界はなかなか面白いところだったねぇ。いい経験になったよ。…ま、これからはそうもいかないと思うけど、ね」
「どういうことだ?」
急に悲しげな表情を見せたミーアに、リョウマは尋ねた。
「今回は特例なんだって。リョウマがこうなることを知ってて、それまでは自由にしてていいって言われたんだ。だからきっと、貴方を助けたことで出番は修了。またわたしとはお別れってことかな…」
「そうなのか…。その、さっきも言ってたけど、お前をここに呼んだっていうのは誰なんだ?」
「知らない。なんか神様らしいけど、胡散臭いよね。でもどこかで会ったことあるような…?」
二人の間に沈黙が流れた。お互いに、言わなければならないことはあったはずだが、それがなかなか出て来なかった。
「さて、本当にそろそろお別れだよ。名残惜しいけど、さ」
最初に切り出したのはミーアだった。言葉とは裏腹に、表情は笑顔だった。
「ああ。ミーア、その…ありがとな。俺、本当に感謝してるんだ。お前を失って、やっと大切さに気づけたというか…」
「いいんだよ。今さら改まっちゃって。わたしはただ楽しそうだからついていっただけで…」
そこまで言いかけて、ミーアは口をつぐんだ。彼女にしては珍しく、恥ずかしそうな様子を見せている。やがて思い切ったように続きを話した。
「ね、ねえリョウマ。わたしが最後に言ったこと、覚えてる?」
「最後に? 何だっけな…。アレか、アスカとヴァルのこと、ちゃんと護ってやってってやつ」
「えーっと、違うんだけど…。あの、アレだよ、貴方と出会ってからずっと、ドキドキしてたってぃぅ……」
ミーアの声は徐々に小さくなっていった。
「ん? 何だって? よく聞こえなかった…」
リョウマはミーアに詰め寄り、問いただそうとした。聞こえなかったのはわざとか否か、若干面白がっているような表情だった。
「もうっ、あんまりからかわないでよ!」
「ははっ、悪い悪い」
二人は笑い合った。共に旅をしていた頃と変わらない時間だった。まるで、数日前に戻ったようだった。
「よし、じゃあお前の言う通り、戻るとするか。どうすれば戻れる?」
「簡単だよ。リョウマが戻りたいって思えば、あっという間に目覚める」
「そうか。じゃあ、お別れだな。本当に」
「うん。寂しいけど、でも安心して。わたしの魂は、これからあの宝石に宿る。こうやってお話することはできないと思うけど、いつもリョウマたちと一緒にいるから。だからあの宝石、大事にして、ね?」
「わかった。ずっと大事にする。約束するよ」
会話の途中から、リョウマの身体は宙に浮いてきていた。ミーアも宙に浮き、身体が少しずつ光になって消えていた。
「こっちこそありがとう、リョウマ…。ずっと、側にいるから、ね…」
リョウマの視界から、ミーアの姿が消えた。気がつくと、宿屋の天井が見えた。
記憶をたどり、慌てて荷物の中を探ると、宝石がしっかりとあった。リョウマはすぐさま、左腕に装着する。心なしか宝石は、以前よりも暖かく感じた。