夢幻(ゆめまぼろし)を見て
クアの案内で、次なる世界へとやって来た一行。『夢の世界』と呼ばれる場所は、空の色が奇妙な場所だった。以前訪れたヤムーと同じ、絵の具を混ぜたように混沌とした空だったが、ここでは灰色ではなく、赤や青の混ざった色をしていた。
「ここが夢の世界ってとこか。なんだか変な空だな」
「夕焼けとはちょっと違うのかしら。今のこの世界の時間がわかればいいんだけど」
リョウマとアスカが空を見上げている中、ヴァルとクアは気まずそうにしていた。完全に記憶の取り戻せていない姉と、長い間会っていなかった弟とを前に、何を話せばいいか考えていると言ったところか。
「く、クア君、まずはどこに行くのか教えてくれるかな?」
助け舟を出し、話題を切り出すリョウマだが、クアは皇帝から授かったメモを持ったまま、おどおどとしていた。
「えっと、その…ですね」
「どした? 怖がらなくていいから、教えてくれよ」
しかしクアは黙ってしまった。すると今度はアスカが会話に加わる。
「もしかして、どこに行けばいいか知らされてないんじゃない? 陛下からは、夢の世界に行って来るってことだけ伝えられてるとか?」
クアは頷き、申し訳なさそうに言った。
「そうです…。教えていただいたのは場所と、あとは手に入れる物だけで…」
「それよ。手に入れる『品物』。それさえわかれば手がかりになるわ。教えて?」
クアはもう一度メモに目を移し、三人を前に読み上げた。
「ええと…『夢の雫』。これです。一瓶、持ってくるようにとのことです」
「『夢の雫』かぁ。そう簡単には手に入らなそうな代物だよなきっと」
「いかにも貴重な物っぽいもんね。仕方ないわ。じっくり探しましょ」
「はい、頑張りましょう。…あら、皆さん、あれを」
ヴァルの指さす先には、建物がたくさん並ぶ街らしき風景があった。四人はとりあえず、そこへ向かうことにした。
街の入り口に到着すると、そこには看板が立てられ、こう書かれている。
『はるばるようこそ! メアの街へ! 名産品「夢の雫」を取り揃えております。旅の思い出にいかがでしょうか!?』
「オイオイオイ、あっさり見つかったぞ…。これでいいのかな」
看板の文字を読んだリョウマは、思わず突っ込みを入れる。アスカは考えを巡らせるが、納得のいく答えは出なかった。
「偽物と言ったら聞こえは悪いけど、本物に似せて作った試供品ってことも考えられるわね。とにかく、ここの人に聞いてみましょ」
四人は、街に足を踏み入れた。すると、すぐさま何者かが一行の目の前に現れた。
「旅の方々ですね!? 私、この街の案内人です。ぜひぜひ、ご案内させてくださいまし!」
快活な挨拶をする男は、道化師のような姿をしていた。困惑する一同を見ると、調子を変えることなく、詫びの言葉を述べた。
「おおっと、失礼しました! 突然そんなこと言われたらビックリしますよね! しかしご安心を。この街の人はみんな、異世界の人たちにはおもてなしするよう、昔から教えこまれていますから! どうぞご遠慮なく、後をついて来てください!」
一人で言い切ると、道化師は街の奥へと進み始めた。
「どうする? ついていくか?」
「まぁ、ちょっと騒がしいからアレだけど、行く当てもないしいいんじゃない?」
「夢の雫についても、何か聞けるかもしれませんね。行ってみましょうか」
「僕は…皆さんにお任せします」
話し合った結果、四人は道化師の案内に従うことにした。
街中は、レンガ造りの家々が建ち並び、人々は外に出て楽しげに会話をしたり遊んだり食事をしたりと、明るい印象を抱かせた。
「こちらがお食事処、それからあちらがお土産屋でございます。名産品の夢の雫、旅の思い出におひとついかがでしょうか?」
男の指す建物に入ると、虹色の液体の入った小瓶がいくつも陳列されていた。アスカはそれをひとつ手に取ると、男に尋ねる。
「あの、失礼を承知でお聞きしますがこれ、本物なんですか?」
「ええ、ええ、もちろん。一滴飲むだけでその晩はいい夢が見られると評判の品でございますゆえ。毒物などではありませんし、心配いりませんよ!」
『本当にあっさり見つかった…。とりあえずは目的達成だけど、なんだか気になるわね』
心の中では不審に思いつつも、アスカはそれをひとつ購入した。値段も高額ではなく、簡単に買える金額だった。
その後、店を出ると男の案内で更に奥に進み、街で一番大きいと思われる広場に出た。そこには、これまた大きな壺のような焼き物が置かれている。
「うっ、げほっごほっ」
そこに近づいた一行だが、ヴァルはとたんにむせかえってしまった。
「大丈夫、ヴァル?」
「ええ、心配いりません。急に、強い匂いが鼻をついたもので… 」
確かに、奇妙な匂いが辺りに漂っていたが、特に気になるものではなかった。しかし、嗅覚の鋭いヴァルにとっては強い刺激なのだろう。その匂いはどうやら壺の中から出ているらしい。
「あの壺、何の匂いが出てるんですか?」
「あれはお香でございますよ。ここに来る人々が安眠できるように、癒し効果のある匂いを焚いているのです」
リョウマの質問に詳細に答える男だが、その匂いはあまり良いものには思えなかった。
「さあさ、そろそろ日が沈む頃合いです。皆様、今日はもうお休みになって、疲れを取ってください。私、宿屋も営んでおりますので、よろしければそちらへご案内させていただきます!」
「あ、いや俺たち、急いでるのでこれで…」
「いえいえ、夜は魔物も出ますし、危険ですよ。出発は明日の朝早くでも遅くはないのでは?」
魔物が出る、という言葉と、男の強引な勧誘に圧され、四人は一晩泊まることになった。
男の経営する宿の前まで来ると、中から誰かが出てくるところだった。それは一組の男女で、二人ともどこか虚ろな、遠くを見つめるようにぼーっとした表情をしていた。
「あの方たちは、お客様ですか?」
その様子を不思議に思ったヴァルは尋ねる。
「そうです。あなた方と同じ、異世界からの旅の方ですね」
「なんだか元気というか覇気がないみたいだけど、大丈夫なのかしら?」
「きっとお疲れなのでしょう。長旅をしてきた方々なのかもしれません。しかし皆様のお疲れはきちんと取れるよう、おもてなしさせていただきますので、ご安心を!」
不審がるアスカの問いにもさらりと答え、男は四人を宿の中へと案内した。
「今回は簡単だったな。チョウガ族の時はマジ死ぬかと思ったからな…」
男の宿で食事と入浴を済ませた四人は、リョウマの割り当てられた部屋でトランプに似たカードゲームに興じていた。
「なによりです。命あっての物種ですからね」
「……」
アスカは何かを考えている様子で、頬杖をついて一点を見つめている。
「どうかされましたか、アスカさん?」
「いえね、楽しい時間に水を差すわけじゃないんだけど、あまりにも上手くいきすぎてる気がするのよね」
「上手くいっては、いけないのですか?」
そう聞いたのはクアだった。本人としては何気なく聞いたつもりなのだろうが、彼以外の三人は突然の唐突な質問に驚いていた。
「そういうことじゃないんだけどね。その…何というか、裏があるのかなって思っちゃうの」
「裏…ですか?」
クアはピンと来ていない様子だった。まるで、言葉の意味を理解できていないようだ。
「ま、まぁきっとあたしの考えすぎよ。もう忘れて。…お、あたしの勝ちね。そろそろ寝るわ。行きましょヴァル」
「あ、はい」
「おやすみ二人とも。あと、念のため鍵かけといた方がいいかもよ」
そう言い残し、二人は部屋を出て行った。
「あの、僕何かいけないこと言いましたか?」
二人が出て行った後、クアはリョウマに尋ねる。
「気にすることないよ。あいつ何考えてるかわかんない時もあるしな。鍵かけといた方がいいって…。まぁ言うこと聞かないと後で何言われるかわかんないし、やっておくか」
リョウマは腰を上げると、扉まで歩き鍵をかけた。
旅を始めて初の男二人きりになった夜、以前もクアと出会っていたリョウマは、ずっと気になっていたことを話す。
「なぁ、クア…って呼んで大丈夫かな? 少なくともこの旅の間は」
「え、はい。僕は全く構いませんが」
「良かった。じゃあそうさせてもらう。君も俺に、気兼ねなく話してくれていいからな」
「ですが、お二人は姉様のご恩人と聞いています。そのようなことは…」
「いいのいいの。ヴァルは俺たちの妹みたいなもんだからさ、クアも兄弟みたいに考えていいと思うよ」
「はぁ…」
困惑するクア。彼を前に、リョウマは心に芽生えていた感情を吐き出した。
「俺さ、最初にクアと会ってから思っていたことがあるんだ。俺、男友達はいるにはいるけど、今まで近しい存在は女性ばかりだった。…父親を除いてな。だから何というか、弟みたいなやつが欲しかったのかも…ってさ」
「…それは僕のことですか?」
「もちろん、嫌ならいいんだ。ただ、良ければ仲良くしてもらえたらなって話」
どう答えたらいいのか悩む様子のクアだったが、しばらく考えて答えを出した。
「はい、僕もそうさせていただけるのなら嬉しいです」
「よし、ありがとう。これからよろしくな。さて、もう遅いし寝るか。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
消灯すると、二人は夢の中へと落ちていった。
それからどのくらいの時間が経ったのか。気がついたリョウマの意識はぼんやりとしていた。夢と現実の区別もついていなかった。
『あれ、ここどこだ…? 俺たち、宿屋に泊まっていたはずだけど』
辺りを見回すと、枯れた草木がそこかしこに生え、人はおろか生き物の気配はしなかった。すぐ側で寝ていたはずのクアの姿もなかった。
『一体どうなってんだ。とにかく、みんなを探すか…』
リョウマはただひとり、その空間を歩き始めた。




