故郷への帰還
果てしなく続く荒野を走る馬車。馬を引く男の他には、一人の青年と三人の少女。少女のうち二人には、それぞれ短い角と縞模様の尻尾が生えていた。
「到着したよ。この穴をくぐれば目的地の幻の世界さ。長旅お疲れさん」
大地の世界から村の男の馬車に乗せられ、ヴァル、リョウマ、アスカ、ミーアの四人は、次元の穴の前に到着した。
「やっと着いたか。やっぱり遠かったな」
馬車を降り、大きく伸びをするリョウマ。続けてアスカ、ミーア、ヴァルが降りる。
「全くね。徒歩で行ってたら何時間、いえ何日かかっていたことやら」
「んー、外はのびのびできるねぇ。空気が気持ちいい、ね」
「あの、ありがとうございました。本当に助かりました」
ヴァルが深々と頭を下げると、他の三人も慌てて頭を下げた。
「いいっていいって。ただの親切でやっただけだからさ。もちろんお礼とか金とかもいらないよ。気が向いたらでいいから、また俺たちの村にも来てくれよ。それじゃ、気をつけてな」
それだけ言い残すと、男は来た道を馬車で戻っていった。
残された四人は、次元の穴の前で立ち止まり、気持ちを落ち着かせていた。
「さて…いよいよだなヴァル。この先が、お前の故郷だ」
「はい。なんだか緊張してきました…」
三年、いやそれ以上か、記憶を失い自分の故郷に帰っていないのであれば、不安や緊張を感じることは当然だろう。ましてや世界そのものが違うのであればなおさらだった。
「ああ。俺もだよ…」
「なんでウマ兄も緊張してんのよ」
「だってヴァルの親父さんに会うんだぜ。しかも異世界の皇帝だなんて…ていうかお前は平気なのか?」
「ええ。逆にワクワクしてる。あたしがどんな性格なのか、わかってるでしょ?」
「へぇ、いいなぁ。そう思えるの、ちょっと羨ましいよ」
リョウマは少し皮肉を込めて言った。傍で聞いていたミーアは、また喧嘩が勃発することを危惧してか、三人を促した。
「さ、ここで話ししてても始まらないしさ。行こうよ。ヴァルちゃんの故郷に」
一行は、次元の穴をくぐり抜けた。
最初に着地したのは、うっそうと生い茂った深い森の地面だった。リョウマが上を見上げると、木々で覆い隠された暗闇の間から、青い空が見えた。飛んでいく鳥のような生き物の影が見える。
「ここか…。思っていたより普通といえば普通だな」
「そうね。幻の世界っていうくらいだから、もっと幻想的、神秘的なところを想像してたけど。まあでも、他を見ないとわからないわよね」
「はい。参りましょう。あ、その前に皆さんの服装を…」
ヴァルは魔法を使い、全員の服装を変化させた。すると、思いがけないことが起こった。リョウマとアスカ、そしてミーアも、それぞれ元いた世界の普段着になっていたのだ。
「あれ? これわたしがお宝探して冒険する時の服だよ。なんで戻っちゃったんだろ? 三人はなんだか不思議な格好だけど、もしかして自分たちの世界の?」
袖無しへそ出しの探検服になったミーアが、尻尾を振りながら尋ねた。
「うん、よく着てるやつだ。どういうわけなんだろう…?」
愛用のシャツと上着、ジーンズ姿になったリョウマもわけがわからないという表情を浮かべていた。
「私、特に変わったことをしたつもりはないのですが…。すみません、私にもわかりません」
魔法を使った本人にも、理由はわからないようだった。ヴァルの衣装はリョウマたちの世界の服だったが、清楚なブラウスにフリル付きスカートと、いくらか高級感のある服装だった。アスカの持っていない服だったため、新しく生み出された物であるらしい。
アスカは異世界に迷い込んだ時とほとんど変わらない姿(長袖に上着、ショートパンツ)になり、考えを巡らせていた。
「んー、ヴァルの力でこうなったんだから、間違いはないはずよね。でも本当にこれで怪しまれないのかしら…。とにかく行きましょうか」
とりあえず森から出ようと、四人は進み始めた。
森の中を歩くこと数分、行けども行けども暗くひんやりとした空気が続き、人や建物は見えてこなかった。
その道中、不意にリョウマが口を開いた。
「なぁ、ちょっと思ったんだけど」
全員が立ち止まり、リョウマを見つめた。
「なーに? リョウマ。どうかしたの?」
「いや、このままヴァルと一緒に故郷に行ったとして、向こうの人たちにどう説明したらいいのかと思ってさ。普通に考えたら、一国の皇女様を連れてのこのこ現れたら、誘拐したって思われるのが当然だろ?」
その言葉にはアスカも少し考え、すぐに答えられなかった。やがておもむろに答えた。
「…確かにそうかもね。でもだからといって、この子を一人で行かせるわけにはいかないでしょ。そっちの方が変に思われるわよ」
「大丈夫ですよ、きっと。おぼろげな記憶の中では、私の世界の方々はいい人ばかりでしたので。ちゃんと話せば、信じていただけると思い……!?」
話の途中で、ヴァルは上の方を見上げ目を見開いた。つられて全員がその方向を見ると、とてつもなく巨大な生物がリョウマの後ろにいた。その生物は、大きく鳴くと勢いよく飛びかかってきた。
「に、逃げろっ!!」
リョウマの一声で、全員が全速力で駆け出した。後ろを振り返る余裕もなく、ただひたすらに走って逃げた。
『くそっ、この中じゃ戦えないのは俺だけか。でもこんなデカいやつ、いくらヴァルでも簡単には勝てないよな…』
考えながら走ったためか、もしくは一番怪物に近かったためか、リョウマのすぐ後ろに巨体は迫っていた。鋭い何かが徐々に近づいてくる。
「ウマ兄! 後ろ!!」
「リョウマさんっ!!」
「ああっリョウマ、危ない!!」
その場の全員が、終わりを予感したその時、四方八方から飛んできた矢が、怪物の身体に突き刺さった。怪物は苦しみ、大きな地響きを起こして地面に横たわり動かなくなった。
命からがら、逃げ延びたリョウマたちの前に、頭の先から爪先まで鎧で身を包んだ兵士たちが十数人ほど現れた。放たれた矢は兵士たちの物らしい。
「あ…どうもありがとう。助かりましたよ」
呼吸を整えてからリョウマが話しかけた。他の三人も頭を下げた。
「お怪我はありませんか? 礼には及びません。我々はするべきことをしたまでです」
兵士の一人が一歩前進して答えた。どうやら隊長のような身分であるらしい。他の兵士たちは、後ろで怪物の処理を行っていた。怪物は、鶏のような白い鳥で、尻尾は大蛇という不気味な生き物だった。
「!! これって…!」
アスカが急に息を飲んだ。何がなんだかわからないリョウマは、彼女に尋ねる。
「どうしたんだアスカ?」
「どうしたもこうしたも、この怪物はバジリスクよ! 視線だけで獲物を殺すって言われてるの。みんな、大丈夫よね? 視線、合わせてないわよね!?」
「わたしは大丈夫。てか、みんな生きてるんだから大丈夫だよ。ね、ヴァルちゃん」
「え、ええ。私も大丈夫です」
ヴァル、という名前をミーアが言った時、兵士たちの様子が変わった。全員が作業を止め、ざわつき始めたのだ。
「き、聞き間違いでなければ、今ヴァルと言いましたか?」
「え? うん言ったよ。この子のことだけど」
「ちょ、ミーア、何の説明もなくそんな…」
しかし、兵士たちは膝をついて体勢を低くし、敬意を表していた。隊長の兵士は、ヴァルに近づいて膝をついた。
「とんだご無礼をいたしました! まさか、その昔に突然お姿を消してしまわれたヴァル姫様だとは思いもよらず…。どうかお許しください」
当のヴァル本人は、自分の前でそのような態度を示され、困惑していた。
「あ、あの、頭を上げてください。確かに私がこの世界の次期皇帝なのは間違いありません。この角がその証です」
ヴァルは髪をかき分けて、額の角を見せた。故郷の世界だからなのか、何も隠すような物は魔法で現れていなかった。
それを確認した兵士は、更に感嘆の声を上げた。
「おお、おお! まさしく一角獣一族の証! よくぞお帰りくださいました! 我々とおいでください。すぐにお父上、皇帝陛下の元へとご案内いたします! さあ、お連れの方々もご一緒に!」
「え? 俺たち…」
「姫様をお守りしていただいたのでしょう? なんとお礼を申し上げればよいのか…。どうぞご遠慮なく、一緒にお越しください」
同じく困惑する三人も、兵士たちの後に続いた。
兵士たちに連れられ、リョウマたちは幻の世界の城下町へと足を踏み入れた。行方不明だった皇女が一緒のためか、はたまた四人が奇妙な格好をしているためか、人々の好奇の視線が突き刺さる。
町の人々を眺めていたアスカは、ひとつの疑問が浮かんだ。何人かの人々には、珍しい角や翼、尻尾などが生えている。空想世界に憧れを抱く彼女だからこそ気づいたことだった。
「ヴァル、この世界の人、それも獣混人って、もしかしてみんな空想上の生物ばかりなの?」
「その通りです。私を含め、この世界で生まれる獣混人は皆、アスカさんたちの世界で幻獣と呼ばれる生き物の一部を宿しています。幻の世界と呼ばれる由縁もそのためです。先ほどのバジリスクを始め、ここに生息する生き物も幻獣ばかりなんですよ」
それを聞いたリョウマは空を見上げた。森で見た鳥のような影が見えたが、よく見ると首と尻尾が長く、翼の形も違っていた。それはかの有名なドラゴンであり、リョウマでもよく知っていた。
「それってすげぇ危険なところなんじゃ…。さっきのバジリスクみたいなのがうようよしてるんだろ?」
「ご安心ください。危険な生物たちはある区域から出て来ないよう、我々が監視をしているのです。それに万が一、傷を負うようなことがあれば、治療薬をご用意できますので」
話を聞いていた兵士の一人が代わりに答えると、リョウマは安心していいのか悪いのかわからなくなった。ヴァルに治療してもらえるとはいえ、死んだらおしまいだ。自分の身は自分で守ろう、と考えた。
「他に何かご質問がありましたら、お答えできる範囲で答えさせていただきます」
皇女であるヴァルに手間をかけさせないようにするためか、兵士は尋ねてきた。リョウマはずっと気になっていたことを聞くことにした。
「えっとじゃあ、最初に俺たちを見たとき、皇女様を連れ去った悪い人間だって、思わなかったのかなって思ったんだけど、なぜ?」
「それは当然のことです。我々の世界の皇帝陛下は、人を疑わないということが美徳だと人々に説いていらっしゃるのです。数々の世界を平和に導くには、それが大切なことだとおっしゃいます。陛下こそ、いずれ他の世界をも統治する偉大なお方だと言われているのですよ」
皇帝の教えが、民たちにもかなり浸透していると思われた。リョウマはひとまず納得した。そうしているうちに、一行は高くそびえる建造物の前にいた。それは、誰しも絵本などで見たことのあるような、立派な城であった。アスカはこっそりと分身の小鳥を呼び出して意識を共有させ、上空から全体図を探ろうとした。
周りを囲む堀には水が流れ、城門には跳ね橋が掛けられるようになっていたが、今は閉じられて渡ることもできなかった。外から確認できる様子は、いくつかの棟が建てられて道で結ばれており、上から見ると多角形の形をしている。その中央にそびえ立つ棟は一番高く、皇帝はそこにいると推察できた。
「お待たせいたしました。こちらが陛下の城でございます。ただいま門を開けますので、少々お待ちください」
兵士は跳ね橋の操作をし、城門を開けて橋を掛けた。そして道の端に並び、ヴァルたちの通る道を作った。四人はその中を、ゆっくりと歩いて行く。
いよいよ城の中に入るかという時、中から何者かが出て来るのが見えた。リョウマたちはヴァルの父親、皇帝陛下が来たものだと思い、姿勢を正して迎えようとした。
しかし、現れたのは、小柄な少年であった。
「ええっと、その、ごきげんよう……違う、なんだっけ…。あ、そうだ。ようこそ、いらっしゃいました。僕…いえ私はこの城の…そう、案内人でございます。お……お見知りおきを」
少年はたどたどしく言葉を述べた。なぜだか気になる話し方だと、リョウマは思った。
そしてその後から、大柄な中年男性がやって来た。高貴な身なりから、身分の高い人間だと見受けられた。
「これこれクア様。大事なお客様かもしれません。ここはわたくしにお任せして、どうぞお下がりください」
「はい」
クアと呼ばれた少年は男性の後ろに下がった。男性は改めてリョウマたちの方を向き、ヴァルを見ると驚きの声を上げた。
「も、もしやあなた様は…次期皇帝のヴァル姫様!? しかし夢か幻なのか…」
「大臣閣下、夢ではございません。西の森で、バジリスクに教われていたところを、我々がお助けいたしました。こちらの方々が、行方不明だったヴァル様を保護し、お連れしてくださったのです!」
隊長兵士が説明をしに大臣の側まで近づいてきていた。大臣は更に驚き、四人に頭を垂れて感謝と敬意を表した。
「なんとまあ…よくぞお戻りくださいました。わたくしにとってもこの上なく嬉しく存じます。さあさあ、中へお入りください。お召し物をふさわしい物に替えさせましょう。そしてお父上にお会いください。もちろんあなた方もお入りくださいませ。丁重におもてなしさせていただきます」
うやうやしく言葉を述べる大臣に、リョウマは当惑して答えた。
「いやそんな、俺たちそこまでされるほどのことは」
「何をおっしゃいますか。この国、いやこの世界の次期皇帝陛下を守っていただいたのですよ。いくらお礼をさせていただいても足りるものではございません。せめて、現皇帝陛下にお会いするだけでも…」
大臣の懇願に、リョウマたちは顔を見合せ、仕方ないという風に頷いた。一方、ミーアは興味がないというように後ろを向いた。
「ミーア? どうしたんだ?」
「いやー、わたしは行かなくてもいいかなって、さ。だってヴァルちゃんを保護してたのは二人だし。それに堅苦しいのは好きじゃないんだ。外で待ってるよ。楽しんで来な」
そう言うと、彼女は跳ね橋を戻って行った。
「しょうがないな、あいつ。俺たちだけで行くか」
「そうね。大臣さん、行きましょう」
「かしこまりました。ではご案内いたします。どうぞ」
大臣の後に続き、三人は城の中に入って行く。少年クアは、そこに取り残されていた。
「ヴァル姫様、またお会いできるとは夢のようです」
「ずっとお待ちしておりました」
「お召し物をお取り替えいたします、こちらへ…」
ヴァルは城内の人々の声がけに戸惑い、手を振りながら挨拶した。世話役の女性に連れられて、彼女は小部屋に入っていき、リョウマとアスカ、大臣だけが残された。大広間まで来た時に、大臣が尋ねる。
「まだお名前をお聞きしておりませんでしたな。差し支えなければ、お教え願えますか?」
「はい。俺…いや、私はリョウマと申します」
「わたしはアスカです。どうぞよろしくお願いします」
大臣の問いに、二人は何の躊躇いもなく答えた。
「リョウマ様にアスカ様でございますね。先ほどはきちんとした御礼を申し上げず、申し訳ありません。何しろ突然、ヴァル姫様がお帰りになったものですゆえ…」
「いいんですよ。だって大切な人が戻って来たんだから。なぁ?」
「そうですよ。ずっと心配していたのでしょう? お気持ち、お察しします」
「なんと寛大な…。ヴァル様も、あなた方のような聖人に助けていただけて幸せな毎日だったのでしょう」
大臣の言葉に、二人は内心苦笑いしていた。次期皇帝に家事や、買い物や、アルバイトをさせていたなどとても言えなかったのだ。と、そこに着替えを済ませたヴァルが戻って来た。
「皆さん、お待たせいたしました」
ヴァルの衣装は大きく変わっていた。頭にはティアラを乗せ、髪型はポニーテールから流れる水のようなストレートヘアに、純白のドレスには宝石がちりばめられ、足首まで隠すロングスカートになっていた。
まさに一国の姫か王妃という姿に、リョウマもアスカも言葉を失いかけていた。
「あの、どうでしょうか」
「あ、ああ。なんというかすごいよ。似合ってる」
「本当ね。あたしが憧れてたようなドレスだわ。綺麗よ、ヴァル」
「ありがとうございます。なんだか照れます…」
その時だった。大広間にいる人々が静かになり、自然と三人も口をつぐんだ。リョウマとアスカは、不思議と心臓の鼓動が高まるのを感じた。
「皆様、これより皇帝陛下がおわします。ヴァル様とお二方のことはお伝えしてありますので、お話しをしていただきます」
「え? ここ、皇帝陛下と?」
考えていなかった展開に、リョウマは急激に緊張した。
「そうです。しかしご心配なく。わたくしめを介してで結構ですので、礼儀を欠くといったことはありません」
「そ、そう言われてもなぁ…。何を言えばいいのか」
「ウマ兄、あたしも一緒に答えるから、大丈夫よ」
この時ほどアスカが頼もしく見えたことはない、とリョウマは思った。そして、大広間の奥にあるベールが開きついに皇帝が姿を現す。
男はヴァルと同じく、銀色の長い髪を持ち、後ろで束ねていた。顔は美形の面影が残っていたが、深いしわがいくつも刻まれ、相当な歳を重ねていることが伝わってくる。そして同族の証である、長く螺旋状の角が額に一本、生えていた。
ヴァルは、久方ぶりに再会した父親に、懐かしい気持ちと、表現し難い不思議な感情が湧いてくるのを感じていた。