リョウマとヴァル
翌日、リョウマが目覚めると、リビングには既に二人がいた。
昨日の一連の出来事の後、家に帰ってからもリョウマは半信半疑の状態であり、ベッドで横になってもよく眠れなかった。一方のアスカはと言うと、あれからもやや興奮した様子で自分の部屋に閉じこもり、一角獣についての伝承や逸話などを独自に調べているらしかった。
「お、おはよう二人とも」
「おはようございます。リョウマさん」
「おはようウマ兄」
少し緊張した挨拶をしたリョウマとは裏腹に、アスカとヴァルは至って普通の返しをした。アスカはこういった空想世界の事柄に抵抗がないためであろうが、ヴァルは自分のことなので受け入れるべき、と考えているのだろうか。とにかく、落ち着いた様子を見せていた。
「なあ、確認なんだけど、昨日あったことって夢じゃ…ないよな?」
「当たり前でしょ?あたしもヴァルも同じこと経験してんだから。それとももう一度痛い目みれば現実だってわかるかしら?」
「止めろよ。冗談じゃない」
そう言いながら、リョウマは既に治った肩を手で押さえた。
「本当のことですよリョウマさん。私も信じられないことですが、はっきりと覚えています」
「だよな。色々ありすぎて正直頭の中パンパンなんだ」
「まあ仕方ないわよね。あたしだって夢みたいだとは思った。それならこのまま覚めないでって思ったわよ」
アスカの気持ちはどちらかといえば喜びの方が大きく、リョウマとヴァルの感情とはまた別のものだった。
「あーあ、頭いっぱいなのにこれから大学かよ。しんどいなぁ…」
「頑張ってねウマ兄」
アスカは言葉に少し意地悪な気持ちを込めて言った。彼女は今日一日オフなのだ。
「お前はいいな。休みで」
「そんなことないわよ。別の用事で大学行かなきゃならないの。後から行くから。そういえばヴァルも今日バイトだっけ?気をつけてね」
「はい。途中まで一緒に行きましょうかリョウマさん?」
二人は身支度を始め、家を出た。神宮司兄妹は同じ大学に通っていたが、ヴァルは少し前からアルバイトをさせていた。。外では『馬瑠』と表記させて名乗らせており、リョウマとアスカの妹という話にしていた。外見こそ銀髪で蒼い目をしているものの、顔が日本人と変わらないものだったため、変に本名を名乗ると怪しまれると思ったためである。
途中駅で別れ、リョウマは大学へ、ヴァルはアルバイトへと向かう。しかしリョウマは普段なら大学の最寄り駅で降りるはずだが、今回は違った。ヴァルのアルバイト先の最寄り駅で降り、彼女を送り届けてから大学に行った。またあの刺客、獣混人が現れるかもしれないので、できるだけヴァルを一人にさせないためだ。
「あいつには申し訳ないかもしれないけど、バイト辞めさせることも考えなきゃかな。いつもいつも送り届けるわけにもいかないしな…」
大学に向かう道すがら、誰に話すわけでもなくリョウマはひとり呟いた。ここまで苦労してまで、ヴァルのために世話を焼く必要はないのかもしれない。最悪、見捨ててしまうことだってできるだろう。しかし、そんなことはできない、とリョウマもアスカも決心していた。そう思わせるような何かが、ヴァルにはあったのだった。
大学での講義を終えると、リョウマは図書室に向かっていた。講義の復習をするためではなく、一角獣について調べてみようと考えたためである。こういったことはアスカが適任なのだが、彼女がいない時にヴァルが襲われたらどうする、とも思っていたためだ。
図書室には一生かかっても読みきれないほどの書籍が保管されている。当然、空想世界に関する書籍も見つけることはできた。しかし、リョウマはその方面には疎かった。本を読んでも、内容はなかなか頭に入って来なかった。
「…やっぱこういうのはアスカに任せるのが一番か。そろそろヴァルの迎えに行かねーとな」
リョウマは手に取った本を戻すと、帰り支度を始めた。
アルバイト先に着く前に、ヴァルは最寄り駅まで来ていた。
「お疲れ様ですリョウマさん」
「お、お疲れさん。大丈夫か? 何もなかったのか?」
「はい。何事もなかったです」
ヴァルはけろっとした顔で答えた。
「そ、そうか、それならいいけど、これからは俺が毎回店まで迎えに行くからさ。ちゃんと待ってろよ。」
「はぁ…それではリョウマさんが大変では?」
「大丈夫と言えば嘘になるけどな。でもお前が一人の時に襲われたらそれこそ大変だよ。場合によっちゃ、バイト辞めることも考えてもらわなきゃかも…」
リョウマとヴァルは駅の構内を歩きながら話した。会社や学校の帰りの時間帯だからか、人ごみでごったがえしていた。
「そ、それは嫌です…。お仕事は楽しいですし、何よりリョウマさんとアスカさんにご迷惑はおかけしたくないですし…どうしました?」
ヴァルがリョウマの方を見ると、ポケットから携帯を取り出し、離れた場所に移動しようとしていた。
「わりい、電話だ。ちょっと待っててくれ」
そう言うとリョウマは人ごみを避け、通話を始めた。
「あ、俺だよ。リョウマだよ。…ああ、アスカも元気だよ。心配ないからさ。…うん。わかった。ありがとう。じゃあまた」
電話が終わると、リョウマはヴァルの元へ戻ってきた。
「ごめんごめん、さ、行こーぜ」
「は、はい…」
ヴァルは少し戸惑ったような顔をしていた。
「ん、どうした?」
「いえ、その、どなたとお話ししてたのかなと思いまして。お友達とはまた違うような気が…あっすみません!余計なことですよね」
ヴァルは顔を赤らめて、慌てて口をつぐんだ。
「ああ、いいよ気にしなくて。話してたのは俺の親父だよ。前に話したと思うけど、今離れて暮らしててな。でも金だけは定期的に振り込んでくれるし、俺たちのことも気にかけてくれてるんだ。今のはその話さ」
リョウマは電車に乗りながら、ヴァルに説明していた。電車内もまた、人で混み合っていた。
「そうでしたか。素晴らしいお父様をお持ちなんですね」
「そうかなぁ。仕事とはいえ長い間子供置いていってるんだからな。あまりいいってもんじゃないと思うけど」
「でも、ご家族のことを考えてこそのことでしょう? 立派な方だと思います」
リョウマは父親には複雑な感情を抱いているようだった。ヴァルは記憶がないこともあり、それ以外何も言えなかった。
「まあ、感謝はしてるよ親父には。そういやヴァルの両親は…ごめん、記憶ないんだっけな」
「気にしないでください。私にも両親はいるはずですが、やっぱり思い出せないですね…」
つり革につかまりながら会話する二人。と、その時だった。
「きゃっ!ちょっと何すんのよ!?」
リョウマの近くにいた高校生と思われる女性が、突然叫んだ。リョウマとヴァルも含め、周りの乗客は一斉にそちらを見た。
「え?」
「とぼけないでよ。今私のこと触ったでしょ。わかってるんだから」
女子高生は冷たい目でリョウマを睨んだ。周りの視線も冷たかった。
「いや、何もしてないけど…」
「は?とぼけるなって言ってんでしょ?」
「そーよ。私だって見たんだから。あんたが触ったとこ」
女子高生の隣にいた、同級生と思われる女性も同調した。ヴァルはやり取りを見てどうしたらよいかわからずあたふたしている。
「いやだから知らないって…。何かの間違いじゃ…」
「まだ認めないわけ。じゃ警察行くしかないわね」
「け、警察…?」
「そーだそーだ。絶対逮捕されるわよ」
警察という話が出た時、リョウマは頭が真っ白になっていくような気がした。これは痴漢冤罪だ。こういった被害に遭えば、無罪を勝ち取るのは非常に難しいという。そうなれば自分の人生は終わりだ。ヴァルやアスカにどんな顔をしたらいいんだ。そんなことが次から次へと脳裏をよぎり、半ば絶望していたその時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ちょっと、いいかしら?」
声の主はアスカだった。アスカのことを考えていたリョウマは一瞬、幻覚を見たのかと思ったが、本物が同じ車両に乗っていたのだった。
「な、何よあんた」
「偶然あなたたちのことを見てたんだけど、この人は痴漢なんてやってないわよ」
アスカは他人のふりをしてリョウマたちを庇うつもりだった。
気が動転していたリョウマは思わずアスカに話しかけようとしてしまった。
「あ、あの…」
するとアスカは、これまでリョウマに見せたことのないほどの恐ろしい目でリョウマを睨み付けた。リョウマはまさに蛇に睨まれた蛙のように黙りこんだ。
「とにかく、この件はあなたの勘違い、もしくはでっち上げってことね」
「何言ってんのよ!? そんなわけないでしょ?」
「そ、そーよ。私だって見たって言ってるじゃない。十分証拠になるわよ」
女子高生二人組は往生際が悪く、未だに食い下がる気はないようだった。
「あなたたち、見たところお友達?」
「そ、そうよ。それがなんだっていうの?」
「あたしは全くの第三者。だからその人を庇う理由はない。だけどあなたたちは知り合い。ということは痴漢冤罪を共謀する、なんてこともできてしまうわけよね?」
アスカは見事に論破して見せた。女子高生二人は何も言い返せず、黙りこくっている。
「……」
「警察や駅員はどっちの言うことを信用するのかしらねぇ」
「あーもういいわよ!私の勘違いでした!これでいいでしょ!?ほら、降りるわよ!」
「え?ちょ、ちょっと待ってよ!」
女子高生二人は観念したように開き直り、ちょうど到着した駅で降りて行った。
車内は気まずく静まりかえっていた。時折、他の乗客のひそひそとした声が聞こえるだけだった。
「さっきの何だったの?」
「さあ? 痴漢らしいけど、女の子の勘違いだったみたい」
「人騒がせねぇ」
「でもあの注意した人、カッコよかったなー」
間もなくして、リョウマたちの降りる駅に到着した。アスカもそこで降りたはずだったが、リョウマはその姿を見つけることはできなかった。だが、周りに身内だと思われない方がいいだろう。
家までの道中、しばらく喋らず歩いていたが、おもむろにリョウマが口を開いた。
「…なんか、カッコ悪いとこ見せちゃったな」
「い、いえ。あの、先ほどの方たちは…?」
「うーん、何ていうか、ああいう輩が世の中にはいるらしいんだ。他人を陥れて、楽しんでるようなやつがな」
簡単に説明すると、ヴァルは驚いた表情を見せた。これまでそのような人間に会ったことがない、とでもいうような反応だった。
「そ、そんな人がいるんですか?」
「いるんだよ。残念ながら」
「どうしてそんなことをするんでしょうか?」
「さあな。まあさしずめ、金儲けになるから、とかだろう。もしかしたら、ただの遊びとか、面白半分にやってるのかもしれないけど」
そこまで聞いたヴァルは、とても悲しそうな表情を見せた。
「ひ、酷いですね…」
「まあ、そうだけどな。でも仕方ないんだ。それが世界ってやつだから」
再び気まずい空気が流れた。リョウマは話題を変えようと、ヴァルのアルバイトの話を持ち出した。
「あ、そうそう、お前のバイトのことだけど…」
「リョウマさん、止まってください」
ヴァルはリョウマを制止し、差し掛かった公園の生け垣を見つめていた。とその時、先日猫男と戦った時のように周りの景色が灰色に染まり、人の気配が感じられなくなった。
「おい、これって…」
「はい、またあの人らしいです」
すると、生け垣から何者かが飛び出した。それは、ファンタジーの世界では有名な、蜥蜴の姿をした二足歩行の怪物だった。俗にいう、リザードマンという生物だ。リョウマもそのくらいの知識はあった。見ると、首に猫男が持っていたものと同じ水晶のようなものを下げていた。
「あれもその、獣混人なのか?それにしちゃ、人の成分が少ないような気がするけど」
「でしょうね。おそらく、獣と人の比率も様々なんだと思います」
「そんなもんなのか」
蜥蜴男は片手に剣、もう片方に盾を持ち、こちらを威嚇するように二つを打ち付けて鳴らした。
「ククッ、見つけたぜ女…。大人しく来てもらおうか…」
「そういうわけにはいかねーよ。な?」
「は、はい。あなたには申し訳ありませんが、帰っていただきます」
ヴァルは目を閉じると、あの時のように光に包まれた。光が消えると、再び鎧を纏った姿になっていた。改めてリョウマは、昨日の出来事が現実のものだと確認した。
「あの、リョウマさん…」
「わかってるって。戦い方を教えてください、ってんだろ」
「はい。よろしくお願いします」
ヴァルはペコリとリョウマに一礼し、槍を構えた。蜥蜴男は姿勢を低くして戦闘態勢をとり、こちらの出方を窺っていたが、やがて剣を振るって襲いかかってきた!
なんとか槍の柄でその一撃を防いだヴァル。だが彼女の攻撃もいとも簡単に避けられた。相手はかなり素早い能力の持ち主だった。
「やべぇな、こうも速いと指示が出せないし…。かといって相手が昨日のやつみたいに隙を見せるわけでもないし…」
激しい攻防の中、リョウマは指示を出せず手をこまねいていた。ヴァルの方は、完全に防戦一方になっていた。
「くらえ…!」
「危ないっ」
「何ッ!」
蜥蜴男の一撃をかわした時、男は間抜けにも、勢い余って公園の石碑に頭をぶつけてしまった。男は頭を抱えて地に伏してしまった。
「おいヴァル、こっちこっち」
「は、はい」
これはチャンスとばかりに、リョウマはヴァルを遊具の中に誘導した。ここならすぐには見つからないが、時間はほとんどない。リョウマは手短に話をすることにした。
「いいか、時間がないから一度しか言わない。ちゃんと聞くんだぞ」
「はいっ」
ヴァルは正座をして、一言一句聞き逃すまいという姿勢を見せた。
「戦いを見てて思ったんだけど、相手は確かにスピードがある。でもお前もそれに引けをとらないスピードを持つと思うんだ。それに戦闘のセンスもあると思う」
「はぁ…」
リョウマの言葉が表すように、ヴァルの身体には傷ひとつなかった。相手の速さについていけているという証明だった。
「それであとはどうすればいいかだけど…。あとはお前の気の持ちようだと思うんだ」
「気の持ちよう…ですか?」
「そう。多分ヴァルは、まだ相手を傷つけたくないと思って、力が出せないんじゃないかと思うんだが?」
「はい、その通りです…。見ず知らずの人を傷つけるなんて私には…」
リョウマの予想通り、ヴァルはその気持ちが邪魔をして、本来の力が出せないようだった。長く一緒に暮らしたからこそわかることだった。
「お前の言うこともわかるし、それは正しいことだ。でもこれは戦いなんだし、相手もヴァルを狙って襲って来てるんだ。だったら戦って身を守るしかないだろ?正当防衛ってやつだよ」
「…そうですね。リョウマさんとアスカさんを護るためでもありますよね」
「そうだな。物分かりが良くて助かるよ」
そしてヴァルは、決心したように立ち上がり、遊具から外に出た。蜥蜴男はまだ二人を探してあらぬ方向を探していた。どうやら知能はそこまで高いわけでもないらしい。
「私はこっちですよ。いつでも来てください!」
「見つけた…、手間とらせやがって…」
蜥蜴男はヴァルを見つけると、自慢のスピードで一気に接近、剣を頭上に構えて襲いかかった。だがヴァルはそれをサイドステップでかわし、更に自らの体を軸に回転し、その勢いを加えて槍の穂先を蜥蜴男に打ち付けた!
「グゥッ…。バカな…」
蜥蜴男は自分の勢いと槍の一撃で地面に叩きつけられ、ノックアウトされた。勝負はヴァルの勝利に終わった。
「いいぞヴァル!昨日より良くなってるぜ」
「あ、ありがとうございます」
勝利を喜ぶ暇もなく、蜥蜴男は身体を起こしていた。ヴァルはすかさず、槍を構えて男の元へ駆け寄った。
「動かないでください。もう勝負はつきました。抵抗するならまだ戦いますよ?」
「わ、わかったよ。そんな怖ええ顔すんなよ…」
蜥蜴男は武器を捨て、降参した。リョウマも側に駆け寄り、アスカが猫男にした質問をしてみた。
「なあ、お前も誰かに頼まれて来たのか?」
「ん、まあな。この嬢ちゃんを連れて帰るだけで報酬ははずむっていうからよ…。あ、これ言っちゃいけねんだったか」
「それは一体…」
ヴァルがその続きを聞こうとしたその時、再び突風のような何かが吹き荒れ、リョウマとヴァルは体を庇った。気がつくと、一瞬で蜥蜴男の姿が消えていた。辺りにはキラキラした光が飛び散っていた。
「はぁ…また一体なんだったんだろうな今の…おい、大丈夫か?」
ヴァルは例の如く、頭を押さえて苦しんでいた。これは記憶を取り戻す前兆だ。リョウマは前回のことも踏まえ、そう直感で判断していた。
「すみません、大丈夫です」
「もしかして、何か思い出したのか?」
「…はい。思い出しました。私の家族、お父様のことです」
ヴァルはよろよろと立ち上がりながら答えた。
「本当か?どんな人なんだ?」
「えっと…すみません。その、私には父がいたなー、というそのあたりだけ思い出しまして。詳しいことは…」
記憶を取り戻したといっても、その量や程度はまちまちであるようだった。
「そうなのか…。まあ慌てず取り戻して行こーぜ」
「はい」
「よし、帰るか!」
「はい!」
気分が高揚した二人は、仲良く帰路についた。
その二人を、黒いローブの人物が離れた場所から見ていた。その人物は、ひとり不気味に呟いた。
「目標消滅、確認。機密情報の漏洩は阻止成功…」
「お帰り二人とも。遅かったわね」
家に着くと、アスカが既に帰っていた。電車内の一件もあり、リョウマはアスカに礼を言うつもりだった。
「ただいま。その、さっきはありがとな」
「別に。本当にただ偶然あの車両に乗り合わせて、あいつらのバカな行動を見ただけなんだから」
「そっか。でも助かったよ」
「てか、まさか本当に痴漢なんてやってないでしょうね?」
「やるわけねーだろっての」
そう言いながら、リョウマはアスカの頭を軽くチョップした。
「わかってるわよ。冗談に決まってるでしょ」
そんな二人のやり取りを見て、ヴァルはクスッと笑みをこぼした。