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修行の真意

 日が暮れるまで、自分の名前の書き取り―――。コテツに言われた通りに、あたしは黙々と机に向かった。力を手にできるせっかくの機会を無駄にはしたくないという思いから、弱音も吐かず反抗もせずに取り組んでいたが、あまり納得はできていなかった。コテツはあたしの側について見張っている。それがどうにもやりにくさを感じさせていた。そうしているうちに日が完全に落ち、部屋には明かりが灯された。

「そろそろ良いでしょう。書いたものを提出してください」

 コテツの合図で、書き取りの時間はようやく終わりを迎えた。自分の名前がびっしりと書かれた紙を差し出すと、コテツはあたしに尋ねてきた。

「ふむ、いいでしょう。アスカ様、この修行を通じて何か感じたことはありませんかな?」

「感じたこと…ですか?」

 突然そんなこと聞かれても、答えなど用意していなかった。あたしは何か答えた方がいいかと思い、頭の中を絞り出すように考えた。あたかも、就職の面接で何か質問はありませんかと聞かれた時のような状況だった。

「何もなければそれはそれでよろしいですが」

「あの、はい。特には」

 何も言えずにただ気まずい沈黙が流れることは良くないと思ったあたしは、特になしという答えを出した。

「わかりました。では明日も書き取りを行いましょう。早朝からまた日暮れまで、になりますな」

「ま、また書き取りです…ね」

 思わず、弱音とも取られかねない言葉が出たが、すぐに語尾を正し、事なきを得た。明日も書き取り…。それも早朝から日暮れまで。ざっと今日の倍はある。考えるだけで気が滅入ってきた。すでに手首や腕は悲鳴を上げ始めていた。明日一日、身体はもつのだろうか。

「今夜はゆっくりお身体を休めてください。明日の朝は早いですから。では、お疲れ様でございました」

 そう言い残すとコテツは、部屋から出ていった。足音が聞こえなくなるのを確認した後、あたしは崩れるように仰向けに寝転がり声を漏らした。

「はあー…疲れた…。本当にこんなことで力が身につくのかしらねぇ…。なんだか胡散臭い気もしなくないけど…」

 と、その時誰かが来るのを感じた。コテツが戻ってきたのかと思い、すぐに体勢を戻した。

「私だ。驚かせたか?」

 そこにいたのはコテツではなくエクスだった。やはり顔見知りが側にいると思うと、安心できる。そんな気持ちが表れたのだろう。あたしは普段の冷静さをかなぐり捨ててしまっていた。

「エクス! 来てくれたのね!?」

「あ、ああ。…修行で疲れているのかと思ったが、どうやらまだ元気らしいな、その様子だと」

 はたと我に返ったあたしは突然恥ずかしくなり、うつむきながら声を落として答えた。

「あの、ちがっ、あたし、本当は疲れてて…その…」

 一瞬不思議そうな顔をしたエクスだったが、すぐに穏やかな表情になって言った。

「はは、そなたは面白いな。どれ、回復してやろう」

 エクスがあたしに向かって手をかざすと、風のような力が肌を撫でた。階段を上がっていた時のように、身体の疲れや痛みが消えていくのを感じた。

「ありがとう。ずいぶん楽になった」

「よし、では夕食の時間だ。一緒にいただこう。明日も頑張れるようにな」

 エクスに連れられて、食事の間に向かった。夕食はやはり日本の修行僧が食べるような極めて質素なもので味気なかったが、空腹の人間にはご馳走に間違いなかった。何より、拘束状態から解放された安心感が心地いいのだと思った。

 夕食の後エクスと別れ、書き取りをした部屋で布団を被る。女性は他に見当たらなかったので、あたしだけ一人寂しく寝ることとなった。親しくなってきたとはいえエクスと寝るのはさすがに躊躇したが、初めての場所で夜を明かすことにはまだ慣れなかった。

 今ここに、ヴァルがいたらな…。急に彼女が恋しくなってきた。ウマ兄にも心配かけてるのは心苦しい。早く力を身につけて、二人の元に帰りたい。いや、帰らなきゃ。そんなことを考えていたら、いつの間にか眠っていた。


 翌朝、また質素な朝食の後、再び書き取りの修行が始まった。昨日と同じように、ただひたすら自分の名前を書くだけの時間。手首や脚などに続々と悲鳴が上がってくる。しかし、ここまで来たらどうしても力を手に入れたいという想いがあった。それにエクスにも頑張れと言われた。彼の期待にも応えたい。そんな気持ちの数々に背中を後押しされ、身体の痛みに耐えた。

「そろそろお昼ですな。一度、書いたものを提出していただけますか?」

 数刻の後、コテツの合図で一旦書き取りは終わりを告げた。

 紙を受け取ったコテツは、昨日と同じことを尋ねてきた。

「アスカ様、もう一度お聞きしますが、この修行を通じて何か感じたことはございませんかな?」

 その言葉の真意を汲み取っていなかったが、答えを用意していなかったわけではない。あたしは心のままに、質問に答えた。

「そうですね。あたしの名前は、元いた世界では鳥が飛ぶという意味なので、頭の中にはその様子が浮かびました」

 それを聞いたコテツは、黙って頷いている。正解なのだろうか?

「あ、あの。このような答えでよろしいのでしょうか?」

「結構でございます。私はそれが聞きたかったのです。書き取りはここで終わりにしましょう。予定変更です。次の修行を行いますので、表へ出てくだされ」

「は、はい」

 日暮れまでのはずが、予定変更して外へ。一体何をさせたいんだろう。ともかく、苦痛だった書き取りから解放され、気持ちは楽になった。言われるままに、玄関へと向かった。


 外へ出たあたしの目の前にはコテツと、エクスがいた。エクスはコテツよりも先にあたしの元へ駆け寄り、声をかけてきた。

「アスカ、見事に修行を突破したようだな。よくやった。私も嬉しい」

「ありがとう、エクス。こちらこそ嬉しい」

「お二方、仲良くお話しのところ誠に恐縮ですが、準備はよろしいですかな? 次はこの階段の一番下まで参りますゆえ」

 書き取りの終了を喜んでいたのも束の間、コテツは次の修行を促してきた。少し気まずさを感じたあたしは、そっぽを向いた。

「失礼いたしました。すぐ参りましょう。階段を降りるにも、時間がかかりますからな」

「いえ、慌てずとも、お時間と手間は取らせませんよ。私の側においでください」

 言われた通りに、エクスとあたしはコテツの側に近づいた。その後、コテツは何かを唱えると、自分の足が浮き上がるような感覚を覚えた。次の瞬間、周りの景色が変わっていた。

 見ると、階段の一番下まで来ていたらしい。目の前にはさっきまで修行をしていたテラージではなく、遥か上まで続く石の階段があった。

「どういうこと…? あたしたち、瞬間移動したってこと?」

「そんなところだ。コテツ様のお力の全ては、私も知らない。自分など、到底敵わないお方だと思っている」

「誉めていただいても、何も出ませんよ。私など神からすればちっぽけで愚かな存在なのですから」

 エクスの話に、コテツは笑いながら答えた。あんな力を見せられて、逆らったり歯向かったりする気なんて起きない。最も、最初からそんなこと考えてなかった。

「第二の修行を開始しましょうか。その前に、アスカ様のお身体は大丈夫ですか?」

「おっと、そうでした。アスカ、失礼する」

 あたしよりも先にエクスが答え、あたしの肩に片手を置いた。思わず身体がビクッとしたが、エクスは何も気にしていない様子だった。たちまち、身体が楽になっていくのを感じた。

「これで大丈夫だろう。第二の修行も頑張ってくれよ」

「うん。ありがとうエクス」

「では、改めて始めさせていただきます。シノブ! こちらへ」

 シノブ、と呼ばれた人間がやって来た。大柄で筋骨隆々、無精髭を生やし、髪は後ろで縛って(まげ)にしている、無愛想な男だった。

「お呼びですか、コテツ様」

「はい。修行の時間です。アスカ様、今からこのシノブと、この階段を登っていただきます。もちろん、弱音や反抗の意思は見せないように。内容は以上です。ご質問はございませんかな?」

 階段を登る。単純明快だが、その高さは相当だ。山を登るようなものと考えていい。書き取りとどっちが辛いだろう。でも、ここまで来たら後に引けない。やるっきゃない。

「大丈夫です」

「わかりました。では私とエクス殿は上で待ちましょう。ご健闘を、祈っております」

「アスカ、無理のないようにな。待っているぞ」

 言い終えると、二人は一瞬で目の前から消えた。

 残されたあたしとシノブは、お互いに何も話そうとしなかったが、あたしの方から声をかけた。一応、師匠とか先生とかみたいなものだし、挨拶くらいはしといた方がいいと思ったからだ。

「えっと、よろしくお願いしますね」

「……無駄口を叩くな。お前はただ、階段を登ればいいのだ。早く始めよ」

 驚いて何も言い返せなかった。無愛想な見た目だと思っていたけど、本当に愛想がない。こんな態度で、よくも今まで生きて来られたものだ。心はムカついていたが、反抗できないためにしぶしぶ階段の前に立ち、登り始めた。

 一度エクスと登ったからわかってはいたが、やはりきつかった。三十分くらい登ったところで、また身体にダメージが蓄積してきた。汗が吹き出て、呼吸も荒くなってくる。書き取りの修行とは違う辛さだ。シノブはというと、黙って後ろからついて来ている。着替えていたので特に問題はなかったけど、もしスカートだったら後ろ蹴りでも食らわしてやろうかと思った。そんなことしたら、即終了だろうからしないけど。

「どうした? いくぶん疲れが見えてきたようだが」

 意外にも、シノブは気づかいの言葉をかけてくれた。少し驚いたが、できるだけ平静を保って答えた。本当はかなりキツいのだけど、弱音は吐けない。

「ど、どうも。まだ大丈夫よ…」

「ふん、ひ弱な娘に見えたが、思ったよりはやるな。まあせいぜい頑張ることだ」

 …やっぱり嫌な奴だ。ちょっとでも考えを変えようとした自分が馬鹿みたい。そう思っていたあたしに、シノブは更に畳み掛けた。

「しかし、ここに来たばかりのお前をちらと見たが、気に入らぬな。無駄に着飾りおって。俺には外面ばかりの愚か者にしか見えぬな」

 何ですって、と言いそうになったが、コテツの言葉を思い出してぐっとこらえた。ここで反抗の意思を見せれば、修行が終わってしまう。そう思った時、はっと気づいた。この男は、あたしに弱音や反抗の言葉を吐かせるために挑発している。その手に乗るものか。絶対乗り越えて、力を手にするんだ…。

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