第一の修行
頭の中を整理しようとしていたあたしを、エクスはいぶかしんだのか声をかけてきた。
「どうかしたか? アスカ」
「いえ、何でもないわ…。行きましょうエクス」
「そうか。この階段は登るのに時間がかかる。急ぐのであれば、早く参ろうぞ」
あたしたちは、遥か上へと続く石の階段を登り始めた。
エクスの言う通り、階段は登っても登っても終わりが見えて来ず、足がだんだんと悲鳴を上げてきていた。元々インドア派ではあったけど、運動神経がないわけではない。学校の体育は人並み以上にはできていた。しかし、体力に自信があるわけではなかった。普段の運動量が多くないのだから、当然といえば当然だ。
そんなあたしの様子を見て、エクスは心配してくれた。
「アスカ、やはり辛そうだぞ。私の肩を貸そう」
「…うん。お願いします。でも手だけ貸してもらえればいいわ」
この後に何が起こるかわからない。体力や気力だけは残しておいた方がいいと思ったあたしは、お言葉に甘えることにした。
「遠慮するな。ついでに疲れも取り除いてやろう」
エクスの手に触れると、不思議なことに悲鳴を上げていた足がかなり軽くなっていくのを感じた。
「これって…癒しの力?」
「そうだ。ずいぶんと楽になったであろう。我ら一角獣一族の特技でもある。ヴァルも使えるのだろう?」
確かにヴァルも同じ力を使えたが、相手の額と額をくっつけて回復させていた。エクスにそう言うと、彼は少しも不思議な顔をせずに答えた。
「そうであろうな。昨日言った通り、あいつは私ほど力がない。傷を癒すにも、身体や角を密着させる必要があるのだろう。だが私なら、触れずとも治癒ができる」
触れずとも、か。どうせならあたしもウマ兄みたいに癒してもらいたかったなぁ。額と額をくっつけて……って何を考えてるんだあたしは。頭をぶんぶんと振って気持ちを誤魔化し、更に上へと足を動かした。
「エクス、聞いてもいい? この世界のことなんだけど…」
道中、ずっと気になっていた、この世界が自分たちの故郷に似ていることをエクスに話した。出会って間もないのに、この人ならなんでも聞いて答えてくれるような、妙な安心感があった。
「この世界がそなたたちの世界に似ている、と。…しかし、この世界にも昔来たことがあるが、そなたが着ていたような服装の者は見たことがない」
「そうなの? じゃあ、ここはあたしたちの世界じゃないのかな…?」
ますますわけがわからなくなったが、エクスはまたしても平然と答えた。
「無数に存在する世界の中には、よく似たところもある。数々の旅をしてきたゆえ、同じような世界をいくつか見てきた。ここがそなたの故郷に似ていても、不思議はないやもしれぬな」
ということは、ここはあたしらの世界によく似た別世界ということか。平行世界と呼ばれるものには、少し違った自分が暮らしているなんて話を読んだこともある。あたしはとりあえず納得した。
やがて、頂上にたどり着いた。少ししか見えていなかった建物は、本当に元の世界のお寺そのものだった。そこにいる人々も、袈裟や着物など、歴史の教科書で見たことのある服装にそっくりだ。まるで、過去の日本にタイムスリップしたかのようだ。
「着いたぞ。ここはテラージという、修行を積んで己の内なる力を呼び覚ます場所だ。この世界のみならず、力を求めて異世界からも人が集まってくる。はぐれないように気をつけるのだぞ」
「わかったわ」
あたしとエクスは、テラージの中へと入っていった。
内部では、たくさんの人々が廊下を雑巾がけしたり、重そうな物を運んだりしている。ますます元の世界に近い感覚を覚えた。
奥まで進むと、ひとりの老人が向こうを向いていた。老人はこちらに気づくと、振り返り頭を下げた。
「これはこれは、エクス殿。お久しゅうございます」
「ご無沙汰しております。コテツ様」
コテツと呼ばれた老人は、袈裟を身に纏い、頭は丸め、腰が曲がっていていかにもお寺の住職というような出で立ちをしていた。久しぶりということは、エクスとは面識があるらしい。
「して、旅の調子はいかがですかな? 最後にお会いした時からずいぶんと月日も流れたと思われますが」
「おかげさまで、順調でございます。私もあれから多くの経験を積みました。無論、まだまだ未熟ではございますが」
「ほほ、相変わらず謙虚な。いかなる事でも、経験は人の成長につながります。あなたの過ごしてきた日々は決して無駄ではありますまい。確実に、成長しているとわかりますぞ」
そう言われたエクスは少し照れくさそうに微笑んだ。そしてあたしの肩に手を置いて言った。
「恐れ入ります。ところで、本日の用件なのですが、この者に、あの試練を施していただきたいのです」
「ほう、こちらの女性に、ですか。…では初めに聞いておきましょう、あなたは何故に力を欲するのですか?」
コテツは、あたしに向かって尋ねてきた。あたしは、急に話を振られたので、少ししどろもどろになって答えた。
「えっと、その……そう、身を守れる力が欲しいからです。あたしはいつも誰かに守ってもらって、世話になってばかりだった。だから、自分で状況を打破できるような力が欲しい。せめて自分の身は自分で守れるくらいの力を。…これが理由です」
あたしはこれまでの人生を思い返し、自分なりの言葉で一気に言い切った。
「…なるほど。よろしい、ではその資格があるか、試させていただきましょう。私についてきてくだされ」
コテツは踵を返し、奥へと進んでいった。あたしは後に続こうとしたが、エクスが腕を掴み制止させた。
「エクス? どうしたの?」
「突然すまぬ。ここからは一人でなければ修行を受けさせてくださらないのだ。第三者が介入することは許されない。私の助けも出すことはできない。気をつけて行くのだぞ」
エクスの言葉を聞いたら、途端に不安になってきた。ここからは一人…。あのコテツという老人、悪い人には見えなかったしエクスの知り合いなら信じられないこともないけど…。
「まぁ心配するな。あのお方、コテツ様は徳の高い方だ。危害を加えるようなことはないと断言できる。ただし、コテツ様の言うことを守れなくては、修行がそこで終わると思っていい。それだけを忘れぬようにな」
「わかったわ。ありがとう。じゃ、行ってくるわ」
エクスと別れたあたしは、今度こそ廊下を進んでいった。
先を歩いていたコテツに追いつくと、そこは小部屋の前だった。
「そういえば、まだお名前をお伺いしていませんでしたな。これは失礼しました。よろしければお聴かせ願えますかな?」
コテツは少しも偉ぶることなく、初対面のあたしにも低姿勢で尋ねてくる。しかし言い知れない圧力のようなものを感じた。この人には敵わない、逆らえないという表現しにくい雰囲気があった。あたしは失礼にならないよう、できるだけ敬意を込めて答えた。
「神宮寺アスカと申します。よろしくお願いいたします」
「アスカ様ですか。良きお名前ですな。では、まずは修行にふさわしき姿になることから始めましょう。こちらに…」
そう言ってコテツは、小部屋の中に促した。
部屋の中には、着物が小さく折り畳んで真ん中に置かれている。それを広げると、修行を行っていた人たちが着ていた粗末な服が現れた。エクスに買ってもらった服がけっこう気に入ってたから、あまり乗り気ではなかったが、あたしはその服に着替えた。
「着替えが終わりました」
コテツは着替えている間、どこかへ姿を消していたため、廊下に顔を出して声をかけた。ほどなくして、何かを持ったコテツが歩いてきた。
「お待たせいたしました。ではこれより、力を呼び覚ます修行を始めます。そちらにお座りください」
コテツが指さした方を見ると、いつの間にか小さな机が置いてあった。さっきはなかったはずなのにどうやって…?これも修行を積んだ者が身につけられる力なのだろうか。ともかく言われるがまま、あたしは机の前に座った。
「修行についての説明をいたします。まず、この修行は一人で行っていただきます。休憩時間や修了後にはにはエクス殿と会うことはできますが、それ以外はできないと覚悟してください」
「はい」
「そしてもうひとつ。これから私が申しますことに、きちんと従うことです。弱音を吐いたり、反抗したりするようなことがあれば、そこで修了となります。肝に銘じてください」
「わかりました」
エクスの言っていた通りだ。あたしはある程度の苦痛は覚悟していたが、命に関わるようなことがあればリタイアすることも考えていた。力を手にしたとしても、死んでしまっては意味がない。当たり前の話だ。
「よろしい。第一の修行は……書き取りです」
どんな過酷な試練を言い渡されるのかと考えていたあたしは、拍子抜けした。聞き間違えでなければ、書き取りと言っていた。まるで小学校の罰みたいだ。
「か、書き取り、ですか…?」
「左様。あなたのお名前を、この筆でただひたすら紙に書いていきなされ」
コテツはさっき持ってきた物の中から、一本の筆と一枚の紙を取り出した。それを渡されたあたしは、言われた通りに『飛鳥』と自分の名前をひとつ書いた。
「これでいいのでしょうか?」
「私は、ただひたすらにと申しました。もっともっとたくさん書いていただかねば。そうですな、少なくとも日が暮れるまでは」
日が暮れるまで…。ここに来た時は太陽がほとんど真上に来てた気がする。ということはあと数時間はただ名前を書くだけなのか。あたしは、なんだか少し心配になってきた。こんなので本当に力を手に入れることができるのだろうか?