神殺しの一角獣
看板の字を読み終えたリョウマは、一呼吸おいて口を開いた。
「ティアラ村…神様を祀るところだって。なんか堅苦しそうなところだな」
「そうでもなさそうだよ。なんだか賑やかな声が聞こえてくる。ほら」
ミーアの言う通り、村の中からはガヤガヤと活気溢れる人の声が聞こえた。村に入ろうとする人々も、楽しそうにおしゃべりをしながら歩いている。
「確かに賑やかだな。ここの人たち、悪い人ではないかな」
「さっきのこと忘れたの? ヴァルに助けてもらったのに恩を仇で返したじゃない。ろくなもんじゃないわよきっと」
アスカは先刻の仕打ちをまだ根に持っているらしかった。リョウマと意見を合わせたくないという気持ちの表れかもしれないが。
「忘れてねーけど…。まぁとにかく、中に入ってみようぜ。ヴァルの故郷の入り口もわかるかもしれないし」
「うん、さんせー。わたしもう疲れた。どこかで休みたいよ」
「…いいわ。少し休憩しましょ」
三人は村の中に足を踏み入れた。だがヴァルは立ったまま足を動かさず、額の角を布で入念に隠していた。ここに来た時から再び様子がおかしいと、アスカは密かに感じとっていた。
「ヴァル? どうしたの? 早く来なさい。それとも何かあったの?」
「はい、大丈夫です。ただその、ここに一度来たことがあるような気がしたものでして」
「本当? 記憶がまたひとつ戻ったのかしら」
「いえ、それとはまた違うようなのです。…上手く表現できないのですが、なんだか嫌な思い出があるような、そんな感覚がするんです」
ヴァルは懸命に思い出そうと努めたが、どうしても思い出すことはできなかった。そんな彼女に優しく寄り添い、アスカは村の中へと連れて行くのだった。
「思い出せないことは無理する必要ないわ。嫌な思い出なんてきっと気のせいよ。行きましょう」
村の内部は出店が建ち並んでいた。が、まだ開店はしていないようだった。人々が準備に勤しむ様子から、近々祭りのような催し物が行われると予想ができた。リョウマたちは、この村の代表に話を聞くことにした。
「この村の長? あんたら見ない顔だけど、別の世界の人かい? いやいや、心配しなさんな。ここはよそ者には寛容だから。村長ならあの家に住んでるよ。一度、挨拶して来るといい」
「どうもありがとう。それじゃ、行ってみましょうか」
出店の準備をする一人の男に尋ねると、村長の居場所が特定できた。アスカは礼を言い、四人は言われた建物に向かった。
男の言う通りこの村、もしかしたら世界そのものがそうなのかもしれないが、人々はとても友好的だった。見知らぬ旅人であるヴァルたちにも警戒する様子はなく、村長の家にも特に怪しまれることなく通された。
家の者に案内され、家の庭に行くと年老いた老婆がいた。どうやらこの村の長で間違いないらしい。
「あの、こんにちは。ティアラ村の村長さんでしょうか?」
おずおずとリョウマが尋ねる。ヴァルはこの村に来てからというもの、積極的に声をかけることをしなかった。
「ええそうじゃが。わしはダーネスという。まあ村長なんて言っても名ばかりでね。老いぼれの身には務まる仕事も少ないんで、家族や村のモンに手伝ってもらってばかりじゃよ。ところで、なんだいあんたたちは。他のトコの人かい?」
ダーネスは杖をつきながら、人々に指示を出していた。身体はさほど良くはなさそうだったが、話す言葉には未だに強い生気が感じられた。
「はい。ちょっとお尋ねしたいのですが、ここからファンタティナという世界にはどうやって行けばいいかご存知でしょうか?」
「ファンタティナ? このランドリアの隣の世界かい? 知ってはいるけど、ここからかなり離れた場所に入り口があるよ。行くには馬を使っても、半日くらいかけないとだね」
到着まで半日。リョウマは改めて、世界の広さを感じた。これまで世界を行き来するのには苦労せず、自分たちの近くに入り口を見つけられていた。だがそれも全て、運が良かっただけのことだったのかもしれない。遠く離れた場所に入り口があったとしても、何ら不思議はなかった。
「半日か…。わかりました、ありがとうございます。それでは行こうと思います」
「お待ちな。もう夕暮れだよ。この近くには凶暴な獣もいるんだ。暗い中を動くのは危険さ。せっかくだから今日は泊まって、明日の祭りを楽しんでってはどうだい?」
やはりこの世界の人々の人柄なのか、村長もリョウマたちの身を案じ、出発を引き留めた。興味津々のアスカは祭りについて聞いた。
「気になっていたのですが、お祭りはどのようなものなんですか?」
その言葉を聞くと、村長ダーネスは嬉々として語り出した。
「ほう、他の世界の者が興味を持ってくれるのは嬉しいのう。よろしい、教えてしんぜよう。…ランドリアには大昔、この地に巨大な神様、ジェネラス様がいらっしゃってな。それはそれはお優しく、寛大で、皆に恵みと愛情を与えてくださったという。明日の祭りはそのお方に感謝と尊敬と鎮魂の想いを込めて執り行うものなんじゃよ」
鎮魂の、という言葉にアスカは引っかかった。
「今、鎮魂のとおっしゃいましたね。そのジェネラス様は昔生きていらっしゃったということですか?」
そこからダーネスは、深く息を吸い重苦しく話を始めた。
「そうじゃの。今はこの世界にいらっしゃらない。それは全て、あの出来事があったからじゃ。あの忌々しい、一角獣のせいで……」
アスカたち全員が、一斉にダーネスを見た。ヴァルは、目を見開き、驚愕の表情を浮かべて、自らの耳を疑っていた。まるで時が止まったかのように、重い沈黙が流れた。
その静寂を切り裂くように、リョウマが質問をぶつける。
「い、一角獣、ですか?」
「そうじゃ。遠い昔のことじゃから、わしも幼く記憶もおぼろげじゃが、しっかりと文献にも言い伝えにも残っておる。ジェネラス様が、突如現れた一角獣の獣混人の持つ槍に貫かれ、命を奪われたという事実がな」
ヴァルはふらふらと後ずさりし、足をとられて転倒しそうになったが、ミーアが身体を支えた。
「どうしたんだい? 具合でも悪いのかい?」
「い、いえ、大丈夫です…、少し休めば…」
ミーアと一緒に、ヴァルは庭から出て行った。残されたリョウマは考えを巡らせていたが、気持ちの整理はつかなかった。
「…ウマ兄、先に行ってて。ちょっと聞きたいことがあるから」
「あ、ああ。わかった」
リョウマはアスカを残し、ヴァルとミーアの元へ向かった。
庭の外に出たリョウマは、ヴァルと目が合った。彼女は酷く不安げな、怯えたような目をしていた。リョウマは、できるだけ優しく聞こうと努めた。
「えっと、ヴァル。さっきの村長の話って…」
「すみません…私にもわからないんです。何しろその、記憶がないものですから…」
その時、リョウマは思わず両手でヴァルの肩を掴み、強い口調で問い詰めていた。
「記憶がないのはわかってる。でもそれじゃ済まないんだぞ。神様を殺しただなんて…もし本当だったら…! マジで何も思い出せないのか?」
「は、はい。あの…」
二人のやり取りを見ていたミーアは、雲行きが怪しくなってきたことを感じて間に割り込んだ。
「ちょっとちょっと、止めなよリョウマ。ヴァルちゃん困ってる…」
「ああ…。ごめん、つい力入っちまった。許してくれヴァル…」
「だ、大丈夫です…。私こそすみません。思い出せなくて」
「いや、お前は何も悪くないよ…」
リョウマはヴァルの肩から手を離し、再び重い沈黙が流れた。
ほどなくして、アスカが村長の家から出てきた。
「お待たせ。…ねぇ、さっきの村長さんの話だけど」
遅れて合流したアスカの言葉を待ち、他の三人は一言一句聞き逃すまいと彼女に近づく。アスカはやや戸惑ったが、深呼吸をひとつすると話し始めた。
「ふぅっ。あたし、色々気になったからもう少し聞いてみたいと思ったのよ。…でもね、やっぱり一角獣が神様を殺したっていうことをここの人たちは信じて疑わないみたい。あんまりしつこく聞いても怪しまれると思ったからそこで止めたけど、この村には大きな書庫と、神様を祀った石碑があるんだって。とにかくそこに行ってみましょうよ」
アスカは村長に教えられた場所へと案内し、三人はそれに続いた。
一行がまず訪れたのは書庫。そこにはたくさんの書物が本棚に納められていた。幸い、祭りの準備で中には人ひとりいなかったため、周りを気にせず探すことができた。その中からやっと、一冊の古びた分厚い本を見つけることができた。
「『ランドリア創世記』…この本で間違いなさそうね。…駄目だわ、古すぎてボロボロ。それに、この世界の古代文字で書かれてるみたい」
「ヴァルの魔法なら読めるようにできるんじゃないか? でも、無理する必要はないけど…」
「いえ、私、やります。真実を知りたいんです」
適応変化魔法を使うため、ヴァルは一歩踏み出した。アスカは彼女に辛い思いをさせないためにも、もう一度確認をする。
「ヴァル、いいの? もしかしたら、あなたの心を深く傷つけることになるかもしれないわよ…?」
「…構いません」
ヴァルは書物に手をかざした。光が溢れ、直後には真新しい本が出現していた。アスカは改めてそれを開き、その場の全員に聞こえるように読み始めた。
「じゃ、読むわね。…『我々の暮らすこの世界ランドリアには、豊穣と恵みの神、ジェネラス様がいらっしゃった。ジェネラス様は大きな象のお姿をなさり、歩いた跡には草木が生え、お鼻から噴き出す水には雨雲を造り出すお力があった。この世界が安泰であるのも、あのお方のおかげであった。だがあの日、ランドリア史上最大とも言える事件が起こる…』」
そこまで読み終えると、一度顔を上げた。続きを待つヴァルたちの顔が並んでいる。アスカは意を決して、残りの文章を読んだ。
「『ランドリア歴1125年、突如現れた角を持つ獣混人。その者は神と人々の前に立つと、手にした槍を用い、あろうことかジェネラス様の額を貫いた。ジェネラス様は苦しみ、地にお身体を横たわらせると、跡形もなく消えてしまわれた。角を持った獣混人も、いつの間にやら姿を消していた。それ以来、我らの世界ではジェネラス様のお怒りを鎮めるためにも毎年祭りを開いている』…と、書いてあるわ…」
ガタン。
最後まで聞いたヴァルは、恐怖と罪悪感で身体を震わせ、後ろの本棚にもたれかかっていた。頭に手をやり、目を見開いて呼吸も荒く冷や汗を流していた。
「わ、私は…! な、何てことを…! か、神様の命を…奪っていたなんて…!」
「落ち着け、まだお前だって決まったわけじゃない。第一、その出来事って大昔なんだろ? だったらヴァルなわけないよ」
ヴァルの呼吸を落ち着かせ、彼女を安心させようと寄り添い、なんとか否定しようとするリョウマ。しかし、その希望の光を遮ったのはミーアだった。
「…残念だけどリョウマ、それは理由にはならないよ」
「どういうことだ、ミーア?」
「わたしたち獣混人は、ね。普通の人よりはずっと寿命が長いし、見た目の変化も遅いの。こう見えてわたしも、実はもう何十年も生きてるんだ。だから、ヴァルちゃんが大昔にこの世界に来てても、不思議はないってこと。…いやいやもちろんわたしも、ヴァルちゃんがそんなことするようには見えないと思ってるよ!」
ミーアは慌てて付け足した。獣混人の新しい秘密を知ったリョウマはヴァルの無実を証明することが難しくなり、頭の中の整理が追い付かなくなっていた。それでも、一縷の望みを捨てはしなかった。
「だけどさ…一角獣の獣混人が他にもいるかもしれないだろ?」
「エクスは、自分たち以外の一角獣には会ったことがないって言ってたわ。その可能性は低いと思う」
すぐにアスカが否定した。
「ああそう…じゃあその本に書かれている獣混人、本当にヴァルなのか? 全く違う別人だったらお笑いだぜ。写真でもありゃ、認めるしかないけど…」
アスカは読んでいたページをリョウマに向けた。そこには、写真などあるはずもなかったが、事件の一部始終をまとめた挿し絵が描かれていた。巨大な象の姿をしたジェネラス神に、勢いよく槍を構えて飛び込む、角を生やした獣混人の絵だ。その獣混人は、戦う時のヴァルにそっくりだった。
「いやでもこれ、絵だし。それに、神話なんて曖昧で、信憑性も薄いだろ…」
「信じたくない気持ちはわかるけど、これはどう見てもこの子よ」
「お前さ、何が言いたいんだよ? ヴァルを悪者にしたいのか?」
疑惑を肯定するアスカに、リョウマは苛立ちを募らせていた。ここに来るまで機嫌の悪い態度をとられていたということもあり、溜め込んでいた怒りが火山の噴火の如く噴き出し始めていた。
「何よ? あたしはただ、今判明してる真実を話してるだけでしょ? ヴァルがそんなことする子じゃないことぐらい、わかってるわよ」
「あ、あの、お二人とも…」
険悪な雰囲気に、ヴァルは仲裁をしようと声をかけたが、兄妹の耳には届いていなかった。
「だったら否定のひとつもしろよ、嘘でもいいから。ヴァルが可哀想だろ?」
「はい出た。ウマ兄の得意な『何かと理由をつけて逃げる』。あなたはなんだかんだ言っても所詮、目の前の現実から目を背けてるだけなのよ!? わかる?」
「あの…や、止めて…」
二度目のヴァルの声も、やはり届かなかった。痛いところを突かれたリョウマは、激昂した。
「お前なぁ…人のこと言えんのかよ!? お前だって逃げ出したじゃねーか! 俺たちがどんな思いでお前を探したのかわかってんのか?」
「言ったわね…。兄貴だからって言っていいことと悪いことがあるわよ!?」
「ちょ、ちょっと貴方ら、いい加減に…」
二人とヴァルを交互に見て流石に困惑し始めたミーアは、ヴァルに代わって仲裁に入ろうとした。しかし、喧嘩を止めたのはミーアではなかった。
「止めてくださいっ!!!」
金切り声を上げたのはヴァルだった。彼女の声は、四人以外誰もいない書庫に響き渡った。
「お、お願いですから、喧嘩しないでください…私なんかのために…」
「ヴァル…ごめん。お前のこと考えてなかった」
「せ、せか、せっかく、お会いすることができたのに、こ、こんなことに…」
ヴァルは泣きじゃくりながら、たどたどしく思いを伝えた。アスカも我を取り戻し、謝罪する。
「…ごめんなさい、もう喧嘩しないから。だから泣くのを止めて。涙を拭いて…」
ミーアは二人とヴァルの間に割り込み、ヴァルを庇うようにした。珍しく、怒ったような表情をしていた。
「二人とも、もっと周りを見ないと駄目だよ。ヴァルちゃん、ずっと泣きそうだったよ。見えてなかったんでしょうけど。貴方たちがそんなんでどうするの? 少し頭を冷やしなよ」
自分たちの行いを恥じ、下を向くリョウマとアスカ。ミーアはたしなめながら、二人の顔を尻尾で軽く叩いた。その後、いつもの調子に戻って言った。
「はい、じゃあこの話題おしまい。きっとリョウマの言う通り人違いだよ。明日のお祭りを楽しんで、ヴァルちゃんの故郷に行こうよ、ね?」
書庫を出た四人は、ジェネラス神を祀った石碑に向かうことにした。ヴァルとミーアを先頭に、後ろからリョウマとアスカが続く。喧嘩は一旦は収まったものの、仲直りというわけにはいかず、一定の距離を保ったまま歩いていた。ミーアは内心困りつつも、二人の代わりになろうとヴァルに寄り添って歩いていた。
目的地の石碑と思われる場所に着くと、ここにも祭りの出店が並ぶのであろう、数人の村人が準備をしていた。
そして石碑の前には、一人の子供が手を組んで目を閉じ、祈りを捧げていた。
「や、こんにちは。君もここの人?」
ミーアが気さくに話かけると、子供は目を開いて顔を上げ、四人を見た。少年とも少女ともわからない容姿をしており、髪の色は灰色をしていた。身なりはボロボロの貧しい物だったが、耳には尖った動物の歯のような飾りを着けていた。どことなく、不思議な雰囲気を醸し出していた。
「うん、そうだよ。ボクここの子。お姉ちゃんたちは、別の世界の人たち?」
「そ、わたしはルケノリアのミーア。で、こっちの三人は…、あれ、そういえば何て世界から来たんだっけ?」
リョウマもアスカも、自分たちの世界の名称については考えたこともなかった。ヴァルも知ってはいなかった。
「えーと、自分の世界の名前は知らないんだけど、俺はリョウマだ。よろしく」
「アスカよ。はじめまして」
「…ヴァルと申します」
各々が自己紹介し終えると、子供はまた祈りに戻った。気になったアスカは、そっと声をかけた。
「ずいぶん熱心にお祈りするのね、あなた」
「うん、まあね。とってもお世話になったからね」
子供の寂しげな声に、ヴァルは再び罪悪感が沸き上がり、小さな声を漏らした。
「すみません…私のせいです…」
「違うって。お前じゃなくて人違い…」
「お姉ちゃんは、悪くないよ」
ヴァルの声が聞こえていたのか、子供は突然そんなことを呟いた。四人は再び驚き、子供を見つめた。
「わ、悪くないってどういうこと?」
「神様が死んだのは、お姉ちゃんのせいじゃないってこと。だから、落ち込んじゃダメだよ。じゃ、明日のお祭りは楽しんでってね」
そう言うと不思議な子供は、ヴァルたちが見つめる中ふらりと姿を消していった。




