分身の洞窟
エクスの置き手紙に誘導されるがまま、三人は北へ向かい、ひとつの洞窟にたどり着いた。立て札には『分身の洞窟』と書いてある。
「ここで間違いなさそうだな。あいつの言葉に嘘がなければ、だけどな」
そう言いつつリョウマは横目でアスカを見る。エクスのことを知るのはここにいる中では彼女だけであるため、思わずそうしてしまうのだった。
「…あの人は嘘は言わないわよ。あたしが保証する」
「へぇ。ずいぶん信用してることで」
「さ、さぁ、ヴァルちゃんが中にいるんだろうから、入ろうよ。ね?」
その場の空気が悪くなってきたことを肌で感じ、たまりかねたミーアは二人を中へ促した。
洞窟内は暗かったが、アスカが呼び出した魔法の鳥の輝きのおかげで、周りを照らすことができた。ひんやりとした空気が辺りを包み、今にも何かが飛び出して来るような雰囲気だったが、何者にも出会うことはなかった。更に洞窟の深部まで行くと、灯りが必要なくなるほどの明るく広い場所に出た。そこは、宝石か水晶のような輝く鉱石が大量に埋まっている空間だった。そして、エクスとヴァルはその中心に立っていた。
「来たか。思ったより早かったな」
「皆さん…あの、すみません。ご心配かけてしまって。私…」
「いいのよヴァル。おおかた、エクスに言われてここに連れて来られたんでしょ? あなたに責任はないわ」
気まずそうにおずおずと理由を話そうとするヴァルを、アスカは制止する。リョウマとミーアも、頷きながらエクスに問いただした。
「そうだよ。お前は悪くない。こっちはお前の兄さんに話があるんだ」
「うん。ちゃんと納得できる説明してほしいな、お兄さん」
エクスはずっと腕組みをして聞いていたが、腕をほどくと意外にも、リョウマたちに向かって頭を下げた。
「手荒な真似をしてすまない。だがここに来る前に言った通り、そなたらにヴァルを託しても良いか確かめるためなのだ」
「確かめるって…一体何をするんだ?」
「じきに始まる。もう少し待て。ヴァルよ、私についてこい」
「は、はい。お兄様」
エクスはヴァルを連れ、洞窟の更に奥まで進んで行った。あとにはリョウマたち三人だけが、再び取り残された。
数分後、戻ってきたエクスとヴァルだったが、二人以外の全員が我が目を疑った。そこにいたのは一人のエクスと、二人のヴァルだったのだ。
「これは…どういうこと?」
「ヴァルちゃんが二人? 貴方たち双子だったの?」
目を丸くして驚くアスカと、冗談混じりに驚くミーア。リョウマも驚きを隠せなかったが、冷静にエクスに尋ねた。
「ちゃんと説明してくれよ。俺たちに何をさせたいんだ?」
「見ての通りだ。ここにいるヴァルのうち一人は本物、もう片方はこの洞窟に住み着く魔物、『映身の亡霊』が化けた偽物だ。そなたたちには今から、どちらが本物なのか、見極めてもらう。本物を当てることができれば、ヴァルを託しても良いと認めよう」
リョウマは二人のヴァルをよく観察した。しかし、外見は顔はもちろんのこと背丈、服装、動きの癖まで全くと言っていいほど区別がつかず、見分けることは困難だった。
「リョウマさん…私が本物のヴァルです。信じてください…」
「騙されてはいけません。本物は私です。惑わされないでください」
必死に訴えかけるヴァルとその偽物だったが、やはり声や口調もそっくりであった。
「ウマ兄、大丈夫…? わかるの? 本物がどっちなのか」
心配そうに聞いてくるアスカ。どうやら彼女にもわからないらしい。
「あ、ああ。多分な。よーく見ればわかるだろ。どっちが本物かなんて…」
心配をかけさせないためにも、強がりを見せるリョウマだった。心のどこかでは、二分の一の確率に賭けるという選択も考えていた。がしかし、その思いを打ち砕くことが起こる。洞窟の奥から更に現れる者があったのだ。
「待ってください!わ、私が本物です!」
「騙されないでください、こっちは偽物です。私が本物だと、お分かりでしょう?」
「お黙りなさい。本物は私ですよ」
「お願いします、リョウマさん…」
後から出てきたのは四人のヴァル。元々いた二人に合わせて総勢六人のヴァルがそこに並んだ。確率に賭けることは、これで難しくなった。
「これは…まさかまだ仲間がいたのか」
エクスにとっても、この展開は予想外だったようだ。
「ちなみに、もし間違ったらどうなる?」
不安にかられたリョウマはエクスに尋ねた。
「奴らは正解を当てられなかった者と、その場にいる全員を殺してしまう。隠し持った刃を使ってな。そして魂を食べてしまうと言われている」
リョウマは思わず、ヴァルの槍に貫かれることを想像してしまった。ここで決められなければ、旅も人生も終わる。なんとしてもこの場を斬り抜ける方法を考えなければならない。
「…ちょっと待ってくれ。少し、みんなで相談してもいいか?」
「…よかろう。ヴァルを託すのはそなたたちなのだからな」
すぐに答えが出せないリョウマは、時間を稼ぐという意味も含めて、アスカとミーアの知恵も借りることにした。三人はエクスとヴァルたちに背を向け、頭を寄せあって緊急ミーティングを始めた。
「なぁ、なんかいい考えあるか? 本物、わかる?」
「そうね…。あたしも正直、自信ないのよ」
「えー、二人の方が付き合い長いのにそれ? じゃわたしも自信ないよぉ…」
三人とも、本物のヴァルを見抜く自信はなかった。時間制限はないにしろ、このまま答えが出せなくてはどうすることもできなかった。そんな中、ミーアがひとつの案を出した。
「ね、ヴァルちゃんの特徴とかってないの? 毛が一本跳ねてるとか、どこかにほくろがあるとか…」
「そういうのはないけど、あっても全部真似されてるでしょうね。あとはヴァルといえば、優しくて礼儀正しいところくらいしか思いつかないわね」
「確かにな。あいつの取り柄のひとつだよ。でもそれが突破口になるかって言ったら…」
とその時、リョウマは考えた。魔物にはヴァルの外見や動きを真似できても、優しい心までは真似できないのではないかと。そして、ひとつの作戦を思いついた。
「みんな、俺に任せてもらってもいいかな?」
「ウマ兄、何か閃いたの?」
「わたしはいいよ。リョウマを信じてるから、さ」
そう言いながら、ミーアはちらりとアスカを見た。
「あ、あたしもいいわよ。信じてるから。間違えたら、あの世に行っても恨むわよウマ兄」
二人の裏表ない気持ちを受け、リョウマはこんな状況にも関わらずふっと笑みを漏らした。
リョウマが六人のヴァルの前まで行くと、エクスは彼に自分の剣を投げ渡した。
「これはどういうことだ?」
「斬るのだ。偽物だと思うヴァルをな」
さらりと言い放ったエクスに、リョウマは大きく反発した。
「な、何で? 正解を当てればいいだけの話じゃないのかよ!?」
「言っただろう。奴らは答えを間違えればこの場の全員を殺してしまうと。それを防ぐにはそうする他ないのだ。それとも、自分の答えに自信がないのか?」
本物を当てるだけではなく、同じ姿をした偽物を斬らなければならない。突然言い渡された非情な命令に、リョウマはまた自信を失った。ヴァルを見ると、全員が心配そうに、しかしきっと当ててくれるというような希望に溢れた目でリョウマを見ていた。リョウマはそれを見、再び自信を取り戻した気持ちになった。
「よし、あいつも信じてくれてるんだ。絶対、成功させなきゃな」
決意を固めると、リョウマはヴァルたちの前に立った。そして自分の荷物の中から財布を取り出すと、ここに来てから魔法で変化させてもらった、この世界の硬貨を出した。
「ヴァル、今月分の小遣い、まだ渡してなかったよな? 今から渡すから、しっかり受け取ってくれ」
「「「「「「は、はい…」」」」」」
同時に不思議な声を漏らした六人のヴァル。アスカとミーアは、固唾を飲んで見守っている。エクスは、この男は何を考えている、追い詰められて頭がおかしくなったのか、と言わんばかりの表情で見ていた。
言葉通り、リョウマはヴァルたちにひとりひとり、硬貨を手渡していった。六人目まで配り終えた時、リョウマは深呼吸すると、エクスから渡された剣を持ち上げ、重苦しく口を開いた。
「…わかった。まず偽物は…お前だ!」
リョウマは六人の内の一人目を袈裟斬りにした。斬られたヴァルは苦悶の表情を浮かべ、血を吹き出し地面に倒れた。アスカはその光景に堪えられず、両手で目を覆った。リョウマは続けて二人目、三人目と斬り裂いていき、五人目まで斬り終えた頃、彼は震える手で残ったヴァルの肩に手を置いた。
「本物は…お前、だよな…?」
その時、斬り裂いたヴァルたちが起き上がり、恨めしそうにリョウマを見ると、呪詛の言葉を投げかけ始めた。
「酷いです、リョウマさん。私が本物だったのに…」
「私たち、この程度の関係だったんですか?」
「残念です」
「あなたについてくるんじゃなかった」
「もう、おしまいですね…」
しかし、次の瞬間五人のヴァルたちは、姿を変え始めた。半透明の、煙のような形をしている。渡した硬貨が五枚、音を立てて地面に落ちた。そして甲高い声になり、話し始めた。
「ナーンチャッテネ。ドウシテ、ワカッタノカナ?」
「コンナコト、ヒサシブリダッタヨ」
「セッカク、ロクニンモツレテキタノニ」
「ウマソウナタマシイ、タベソコネチャッタ」
「コノニンゲンタチ、キケン。ニゲヨウ」
正体を現した魔物たちは、一斉に洞窟の奥へと逃げていった。残されたリョウマは、がくりと膝をついた。
「は、はぁ、良かった…。俺、無事だよな?」
「はい。あの、なぜわかったんですか? 私が本物だと」
「あたしも気になる。教えてよウマ兄」
アスカとミーアも、リョウマの身を案じて駆け寄る。リョウマは落ちている硬貨をひとつ拾い、自分の作戦について説明を始めた。
「ヴァルの優しい心を確かめるにはコレが一番だって思いついたんだ。ヴァルだったら物を受け取る時、強引に引ったくるようにしたりしない。だからあの時、そっと金を受け取った奴が本物だとわかったのさ。…まぁ、確信はなかったし、賭けみたいなところはあったけどな」
そこまで話し終えた時、ヴァルはリョウマの首元に手を回し、抱きついてきた。リョウマは突然のことに驚いた。
「おー、ヴァルちゃん意外に大胆だねぇ」
「ちょ、ヴァル!? いきなりどうした?」
「あ、ありがとうございます…。信じていました、きっと私のことをわかっていただけると…。でもあのようなこと、辛かったでしょう。本当に感謝しています、リョウマさん…」
「あ、うん。わかった。…でもさ、一旦離れてくれるか? ほら、お兄さん見てるし…」
エクスはずっと四人を見ていたが、会話が終わるとリョウマの元へ歩いて行き、咳払いをすると片膝をつき、語りかけた。
「リョウマ…殿」
「は、はい…?」
突然敬称を付けて呼ばれたリョウマは、やや面食らった。エクスは言葉を続けた。
「見事であった。約束通り、そなたたちにヴァルを託すことを認めよう。…恥ずべき話だが、私は本物を見抜くことができなかった。共に過ごした時間が少ないからと言えば言い訳となってしまう。だが、そなたが見抜くことができたことは文句の付けようがない。どうか、妹のことをよろしくお願い申し上げたい」
話を終えたエクスは、深々と頭を下げた。リョウマは戸惑い、慌てて言った。
「あ、ああ、わかってる…ますよ。大丈夫だから、頭を上げてくださいよ」
エクスは頭を上げたが、膝はついたままだった。気まずい空気が漂ったが、その空気を破ったのはミーアだった。
「はい、じゃ終わったんなら、街へ戻ろうよ。こんな陰気なとこ、早く出よ、ね?」
彼女の言葉にはエクスすら従い、一行はメリソスの街へと戻った。
街へ着くと、噴水のある広場で休憩をとることになった。兄妹水入らず、楽しく話をすればと提案したのはこれまたミーアだった。彼女はそれぞれの邪魔をしないようにと思ったのか、広場に人を集めて逆立ちやバク転などの曲芸を披露し始めた。拍手喝采をする人々は、やはり二人一組同じ顔をしていた。
「あれから、色々あったのだな」
感慨深げに、エクスはヴァルに語りかける。ヴァルはリョウマとアスカを見ながら答える。
「ええ。リョウマさんとアスカさんには、本当にお世話になりました。いえ、今もお世話になってばかりです」
「そうか。アスカのことは共に行動していたから、多少理解しているつもりだ。リョウマ殿も、先刻の試練を通じて信頼できると思えた。あの二人になら、任せても心配ないだろう。ところで、お前はこれからどうするつもりだ? アスカたちの世界で、また平和に暮らすのか?」
エクスの問いに、一瞬考えを巡らせるヴァルだったが、すぐに答えを出した。
「私は…、お父様のところに一度帰りたいと思っています。私の無事をお伝えしたいのと、滅びの伝承についてもっと詳しく聞きたいのです」
「そう言うと思っていた。どのみち我々は、一緒にいるべきではないだろう。私は旅を続け、伝承をはっきりとさせ、解決法を探るつもりだ。それが見つかった時にはまた会おう、妹よ」
「はい、お兄様。その時が来ることを願っています…」
その頃、神宮司兄妹も二人だけの会話をしていた。
「あっちはいい感じね。楽しそうで」
「そうだな。ヴァルがあんなに嬉しそうな顔するの、久しぶりかもしれない」
そこでアスカは、急に話題を変えた。
「…まだ、ちゃんとお礼は言ってなかったわよね。探しに来てくれて、ありがとう。そして心配かけてごめんなさい」
「え? ああ、もういいんだよ。無事だったんだからさ。でも、これからはこういうことは勘弁だからな」
「わかってる。あんな馬鹿な真似はもうしないから。知ってるかもしれないけど、人間関係が嫌で自暴自棄みたくなってね、でもエクスと世界を旅したら、そんなことどーでもよくなっちゃったの。だからもうこんなことしないって誓えるから。安心してよ、ウマ兄」
そう言うとアスカは、珍しくリョウマに向かって微笑んだ。リョウマも安心して、笑みを見せた。と、そこで彼は思い出したことがあった。旅を始める前に自宅から持ってきた、アスカの手帳のことだった。
「あ、そうそう。これ返すよ。かなり役に立った。ありがとな」
差し出された手帳を見たアスカの表情と顔色が一変した。リョウマから手帳を奪うと、慌てて聞いた。
「ちょっと、これどこで…?」
「お前の部屋だよ。何かお前の行くところとか、ヴァルについての手がかりが見つかるかなと思ってさ」
それを聞いたアスカは、後ろを向いてぶつぶつと呟き始めた。不穏に感じたリョウマは、恐々近づいて様子を伺った。
「もうお礼は言ったんだし、いいわよね。…それにこれはこれ、それはそれよね…」
「お、おいアスカ? どうした…って何を!?」
アスカはリョウマの方を振り返り、怖い目つきで睨んだ。彼女の周囲には、術で生み出した小鳥たちが羽ばたいている。
「助けに来てくれたのは感謝してるけどね、でもあたしの手帳を勝手に持ち出すなんて…それに役に立ったって、中身も読んだわね? よくもあたしのプライベートを…ちょっと痛いけど、覚悟はできてるかしら!?」
アスカは一斉に小鳥たちを、リョウマへとけしかけた。小鳥はリョウマの身体中をつつき始め、彼は堪らず辺りを逃げ回った。
「いてて!ちょ、アスカ、そんなに怒るなよ!仕方ないだろ? それがなかったら俺たち、今ここにいないかもしれないんだぞ? 痛い悪かった止めてくれ~!」
「問答無用よ。あたしの気が晴れるまでやってやるんだから…」
執念深く兄を追い回すアスカ。ミーアは笑いながら眺めていた。周りの観客も、パフォーマンスの一部だと勘違いし、一緒になって笑っている。エクスはそれを見、苦笑いしながらヴァルに尋ねた。
「…あの者たちに任せても心配ないと言ったものの、少し不安になってきた気がしないでもない。本当に大丈夫だろうか?」
「大丈夫ですよ。皆さん、信頼に値する方々です。ご心配には及びません」
クスッと笑いをこぼし、ヴァルは自信たっぷりに言った。
「お前がそう言うならば、私も信じる他ないな」
「はい。問題ありませんよ」
満面の笑顔で話すヴァル。それを見たエクスは、何かを思い出すように話し始めた。
「それにしても、お前を見抜く決め手は優しさ、か。少しばかり意外であった。私の中では、お前の印象は違うものであったからな」
「そうなんですか? 昔の私はどのような子供だったのでしょう?」
未だに記憶の全てを取り戻してはいないヴァルは、誰しも忘れ行く幼少期の記憶も当然ながらなかった。幼少期だけ共に過ごしたエクスなら、貴重な話を聞けるのではないかと、期待に胸を膨らませていた。
「そうか、記憶がないのだったな。そうさな、昔のお前は、一言で言えば…『冷酷』、もしくは『冷淡』であっただろうか」
「え…?」
ヴァルはエクスの言葉を上手く飲み込めなかった。返す言葉が見つからなかった。
「すまぬ、良い表現が思いつかなんだ。だが、私にはお前が先ほどのように笑顔を見せていた記憶がない。あながち間違いでもないと思うがな」
アスカに追われるリョウマの悲鳴が聞こえないほど、ヴァルは頭の中がいっぱいであった。
「私…、過去に一体何を…?」