一角獣の力
謎の猫男に襲われたリョウマたち。その最中ヴァルの身体が光に包まれ、姿が変化した。リョウマとアスカは危機を脱することができると思い、安堵の表情を浮かべたが、ヴァルはどう戦えばいいかわからないと話した。
「お前…そんなこと言ってる場合かよ?今にも殺されそうなところなんだぞ!?」
「そ、そう言われましても…」
「ウマ兄、無理もないわよ。ヴァルはそういう子だもの」
確かにヴァルは、虫も殺せないほど優しく、これまで他人と喧嘩はおろか、口喧嘩すらしたことを見せたことのない少女だった。いきなり人、否、猫男を相手に戦えと言われてもどうしたらよいか戸惑うはずである。
「なんかわかんないけど、来ないならこっちからいくぜ?」
「ええっ!ちょ、ちょっと待ってください…、わわっ…」
猫男のナイフを、ヴァルは避けるので精一杯だった。槍を武装しているが、完全に無用の長物になっている。
「ほらほらどうした?さっきの勢いがないじゃないっすか」
ヴァルは猛攻を避け続け、とうとうリョウマたちの場所まで追い詰められてしまった。
「お、おい、どうすんだよ。追い詰められてんじゃねーか」
「ご、ごめんなさい…。お二人を護るなんて言っておきながらこんな…」
「…仕方ないわね。万事休すかしら。この三人で仲良く死ぬのもアリかもね」
「そ、そんな…」
アスカの言葉を聞いた時、ヴァルは覚えている限りの神宮司家での生活を思い出した。楽しいことばかりだった三人での生活。ときどき喧嘩もするけど仲良く、自分を住まわせてくれた優しい二人。そんな大切な人や思い出を失っていいのか。
…そんなことできない。できるはずがない。ヴァルは自分を奮い立たせ、今一度槍を持って構えた。
「私、やります」
「やるったって…大丈夫なのか?勝てる自信、あるのか?」
「いえ、でもやってみます。精一杯」
ヴァルの返答に、リョウマは安心していいのかよくわからなくなった。しかし、彼女の懸命な姿を見て、何か心にこみ上げてくるものがあった。頼りになるのはこいつだけだ。でもそれをただ見守っているだけでいいのか。俺にも何かできることはないのか?…そうだ、これならできる。リョウマは猫男と対峙するヴァルを呼び止めた。
「おい、ヴァル。ちょっと来い」
「は、はい。何でしょう?」
ヴァルは猫男の方を警戒しながら、リョウマの元へ戻ってきた。
「いいか、これから俺の言う通り動け」
「え?」
「いいから言う通りにしろ。これは三人が無事に助かるかもしれないことなんだ」
「わ、わかりました」
「何する気かわかんないっすけど、最期に話したいことでもあんのかね。どーぞご自由にやってください。どうせもうすぐあの世行きなんですから」
猫男は余裕綽々でこちらの動向を見ていた。これはこちらにとっては好都合だった。もし容赦なく襲って来られたらどうしようもなかった。リョウマは相手に聞こえないようにこっそりとヴァルに耳打ちした。
リョウマの話が終わると、ヴァルは黙って頷いた。非常に物覚えの良いこいつのことだ。きっとわかっているだろう。リョウマはそう確信していた。
「お待たせしました。いつでも来てください」
「おっ、おう、なんか調子狂うな…」
敵に対しても、ヴァルは丁寧な口調だ。猫男はやりにくそうに頭をかき、ナイフを構えた。
「あーあ、なるべく傷つけずに連れて帰れって言われたんだけどなぁ、仕方ないっすね。抵抗するあんたが悪いんすからね」
そう言った猫男のナイフ攻撃がヴァルに襲いかかった。だが、先ほどまで怯えていたヴァルだったが、今回は違った。ギリギリまで引きつけた攻撃をひらりとかわし、更に槍の柄を猫男の足に引っ掛けたのだった。猫男はバランスを崩し、前につんのめった。
「なっ、こいつ、舐めた真似を…」
そう言いつつ振り返った猫男の目の前に、槍を頭上に掲げたヴァルがいた。一瞬の行動が、戦いの勝敗を分けた。
「今だ、ヴァル!!」
「はいっ!…ごめんなさいっ!!」
ヴァルは渾身の力を込めて、槍を振り下ろした。刺激ではなく打撃だったが、鋼の塊が脳天に直撃すればひとたまりもない。攻撃を喰らった猫男は白眼をむき、地面に倒れた。
ヴァルキリー。戦乙女とも呼ばれるそれは、剣や槍を携え、戦場に立つ女性のことである。リョウマはアスカほど、ファンタジーの世界に詳しくなかったが、過去にゲームや漫画で観たことがあり、なんとなく知っていた。今のヴァルには、その言葉がピッタリだった。
「やったなヴァル!こうも上手くいくとは思わなかったぜ」
「はい、リョウマさんのおかげですよ」
「あんたたち、さっき何を話し合ったの?」
ひとり、取り残された気分になっていたアスカはいてもたってもいられず、二人に聞いた。
「別に大したことじゃないよ。な?」
「ええ。確か、まずあちらの様子をうかがって、こちらからは仕掛けないようにする。それから相手が襲いかかってきたら横にかわして、余裕があれば槍で相手の足を引っ掛ける。そして、相手が転んだら思いっきり槍で攻撃をする。でしたよね?」
「さっすがヴァル。俺の言ったことそっくりそのまま覚えてるんだもんな。でも最後に槍で攻撃しろ、とは言ったけど、まさか振り下ろすとはな」
「だ、駄目でしたか?」
「いや、相手を傷つけないようにしようと思ったんだろ?お前の優しいところ出てて良いと思うよ。それに助かったんだし、結果オーライだな」
リョウマに評価され、ヴァルは少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。リョウマは塾講師の他に、スポーツジムのコーチのアルバイトをしていたこともあった。そのためか、人の動きの得意不得意もわかっていた。共に暮らしているヴァルのことともなるとなおのことであろう。
「なるほどね。そういえばウマ兄、ジムのバイトなんかやってたわよね。こんなところで役に立つなんてねぇ」
「…まあ俺もこんなところで使えるとは思わなかったけどな」
そう言って猫男の方をちらりと見ると、頭を抱えながら起き上がろうとしているところだった。リョウマたちはすぐさま男の側に駆け寄った。まだナイフは持っていたが、こちらは丸腰が二人とはいえ三人。しかも頭にダメージを受けているのでは満足に戦えないだろう。勝負はとうについていた。
「いてて…くそっ、なんなんだよ。何で俺がこんな目に…」
「観念するんだな。もう抵抗しない方がいいぞ。ちょっとでもしようとしたら…」
「…わかってるっすよ。降参降参。そんなに必死こいてやるつもりなかったしね」
猫男は諦めたようにナイフを地に捨てた。それを見て安心したのか、アスカは男に気になっていたことを聞いた。
「ねえあなた、何であたしたちを襲ったの?ヴァルを連れて行こうとしたけど、誰かに頼まれたみたいなこと言ってなかった?」
冷静なアスカは、戦いの中で男が言っていたことを覚えていた。男は素直に答え始めた。
「ああ、まあ、頼まれたわけですよ。ある人にね」
「それは誰なんですか?」
自分のことを連れ去ろうと依頼した人物。誰でも気になるだろう。ヴァルは男の前にしゃがみこんで聞いた。
「それは…。えーとね…」
「なんだよ。言えないってのか?」
「いやいやいや、待ってくださいよ。口止めされてるもんでね。でもこうなったら仕方ないか…」
猫男がその続きを話そうとしたその時だった。つむじ風のようななにかの強い力がリョウマたちの間を通り抜け、その衝撃にリョウマ、アスカ、ヴァルの三人は思わず目を閉じ、自分たちの体を庇った。そして目を開けると、さっきまでいたはずの猫男が跡形もなく消えていた。そこには男の衣類や武器はおろか、血痕すら、なかった。辺りには何故か、光の粒子のようなものがちらついていた。
「な、なんだったんだ、今の?」
「さあね、それよりも…」
アスカは一呼吸置いてから、たった今起こった出来事に感嘆の声を上げた。ファンタジー絡みのことになると、普段のクールな性格から一変、熱くなるのが神宮司アスカだった。
「すごいわヴァル!やっぱりあなたはただ者じゃなかった。もしかしたらあたしの夢見ていた世界の入り口になるのかも…。?どうしたの?大丈夫?」
見ると、ヴァルは頭を抱えて地に膝をついていた。気づけば周りの灰色だった空間は元に戻り、ヴァルの格好も普段着に戻っていた。先ほどの戦いで傷を負った様子はなかったが、非常に辛そうな表情を浮かべている。
「お、おい、大丈夫か?どこか痛むのか?」
「ごめんなさい、こんな時に一人だけ熱くなっちゃって。ねえヴァル、しっかりして…」
「あ、ありがとうございます。もう、大丈夫です」
ヴァルはよろよろと立ち上がると、深呼吸をし、しっかりと二人を見てから口を開いた。
「あの、お二人に伝えなければいけないことが…」
「あ、ああ。なんだ?」
「実は私…、この世界の者ではないんです。別の世界から来た、一角獣なんです」
ヴァルの突然の告白は衝撃的なものであることは間違いないのだが、当初から額に角があるなど普通の人間ではなかったためか、リョウマとアスカにとってそれほど大きな驚きはなかった。ああ、やっぱりそうだったのか、というのが二人の本音だった。
「お、おう。なんとなくそんな気はしてたぜ」
「え、そうなんですか?」
「ええ、あたしもよ。だってあなた、ただ者じゃない雰囲気あったもの。さっきも言ったけど」
どんな反応を示すのか、若干の不安もあったヴァルは少し拍子抜けした様子だった。ひととおりの一般教養を学んだとはいえ、ヴァルは少し天然なところがあった。
「そうでしたか…。私のこれ、やっぱり変ですよね…」
そう言いながら、ヴァルは自分の短い角をそっと触った。
「そんなことよりヴァル、あなた記憶戻ったの?」
「はい、ほんの少しだけなんですけど、頭の中に入って来る感じがしました。上手く説明できないんですが…」
「それで他は?どこから来たかとか、家族は誰がいるかとか、故郷はどんなところかとか…」
興奮したアスカは、矢継ぎ早に質問をぶつけた。
「えっと、すみません、まだそこまでは…。本当にほんの少しだけ思い出しただけなので…」
「そう…仕方ないわね、残念だけど」
アスカはがっかりした。ヴァルの記憶が戻ることで、夢の世界への扉が開かれると思っていた矢先のことなので、期待を裏切られた、と言わんばかりの反応だった。
「お、おいアスカ、そんな言い方ないだろ。ちょっとヴァルのこと考えて喋れよ」
「…ごめん、そんなつもりなかったんだけど。傷ついたなら謝る」
アスカはいつものクールさを取り戻し、ヴァルに謝罪した。
「いえ、大丈夫です。アスカさんもお気になさらないでください。でも、他にちょっとだけ思い出したこともあるんです」
「本当?何を思い出したの?」
「まず、私たちを襲ってきたあの猫のような人のことです。あのような生物の一部を身体のどこかに持った者を、私たちの世界では『獣混人』と呼びます」
「獣混人…」
「じゃあ、ヴァルもそうなのね?」
「はい、でもこれについて思い出したことはこのくらいなんです。ごめんなさい」
ヴァルは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいよ謝らなくて。でも何で急に思い出したんだろな」
「そうね。あの猫男、獣混人のせいなのかしら」
リョウマとアスカが話し合う中、ヴァルは何か言いたそうにもじもじとしていた。
「あ、あの、お願いがあるのですが…」
「ん、なんだ?」
「どうしたの?」
ヴァルは二人をしっかりと見て、話し始めた。
「またあのような人が襲ってきたら、私一人で立ち向かえる自信がないんです。なので、お二人の知恵をお借りしたいと思いまして…。お願いできませんか?」
「俺たちの知恵?いや、今回は上手くいったけどさ、今後はどうなるかわかんないぞ」
「でもウマ兄、このままほっとくわけにもいかないでしょ。正直言ってヴァルは一人じゃ満足に戦えないみたいだし」
「そうだけど…。俺だってちゃんと指示出せるか自信ないし…」
そう言いつつリョウマはヴァルを見た。ヴァルは手を組んで子犬のような純粋な瞳をしていた。リョウマはやれやれという気持ちで言った。
「わかったよ。できる限りの協力はする。ただ、いつも上手くいくと保証はできないからな」
「あたしも。空想世界の知識ならいくらでも協力するから」
「はい!ありがとうございます!お二人は私の恩人です。命懸けで御守りしますので、よろしくお願いします!」
ヴァルは目を潤ませながら、二人に深々と頭を下げた。彼女は天然ぎみだが、同時に嘘のつけない性格だったため、二人は気持ちをよく理解できていた。
「さて、この後どうするかな…、いてて」
リョウマは肩に手を当てた。色々なことが立て続けに起こっていたので忘れかけていたが、猫男につけられた傷はまだそのままだった。
「あっ、怪我大丈夫ですか?」
「ああ、大したことないけど、まだちょっと痛むかな」
「ちょっと待ってくださいね。今手当てをしますから…」
「手当て?って…お、おいヴァル?何を…」
ヴァルは自分の顔をリョウマの顔に近づけ、額と額を密着させた。ヴァルの額には短いながらも角があるはずだったが、何故か痛みはなかった。むしろ、身体中の痛みや疲れが消えていく感覚をリョウマは覚えた。そして自分の肩を見ると、先ほどつけられた傷は、衣類の裂け目を残して消えていた。
「え、どういうことだ?傷が消えてる…」
「これは私の力、一角獣の治癒能力です。今回思い出した記憶のひとつです。」
ヴァルはリョウマから額を放すと、やや自慢気に話した。リョウマは急にヴァルに顔を近づけられたこともあり、少し緊張していたが、ヴァルは全く気にしていない様子だった。
「そ、そうか。ありがとな。助かった」
「いえいえ。これくらいお安いご用ですよ」
「ウマ兄、何照れてんのよ。顔赤いわよ」
「そんなことねーよ。あぁもう今日は帰ろうぜ。外食はまた今度な」
「はい。帰ったら私がご飯、作りますね」
そうして一行は、家路を急いだ。
その頃、建物の屋上からリョウマ、アスカ、ヴァルの三人を見下ろすひとつの人影があった。その人影は背の高い姿に、フードつきのローブのようなものを身に纏い、身体はおろか表情、性別も窺い知ることができなかった。そして、身の丈ほどもある巨大な鎌を携えていた。三人が帰っていくのを見届けると、その人影も消えていた。
斯くして、ヴァルの記憶を巡る物語が始まった。