情熱の出会い
氷の世界を後にし、リョウマとヴァルは情熱の世界へと足を踏み入れた。ここから引き続き、アスカの捜索が始まる。
「ここが次の世界か。ううっ、暑っ」
新しく訪れた世界は暖かいを通り越し、身体が焼けてしまうのではないかというほどの気候であった。流石は、情熱の世界と呼ばれるだけのことはある、とリョウマは思った。
「お任せください。今、なんとかしますから」
そう言うとヴァルは、リョウマの両肩に自分の両手をそっと置いた。たちまち得意の適応変化魔法が発動し、リョウマの衣服は上は半袖、腰から下は通気性の良い長ズボンの動きやすいものに変わっていた。
「おお、サンキュー。ずいぶん過ごしやすくなったよ」
ヴァルも一瞬で衣服を変化させており、リョウマと同じような服装になっていた。今回は頭に何も被っていなかったため、額の角は包帯を巻きつけて隠していた。というよりも、被っていた帽子が包帯に変化したようだ。
「ふぅ、私も準備完了です。それにしても、本当に暑い世界ですね」
顔の汗を拭いながらヴァルが言った。
「ああ。見ろよ、遠くに山が見えるぜ。なんかてっぺんから煙出てるし、もしかして火山かな」
リョウマの指差す先には、確かに大きな山が見えた。火山であるとするならば、その熱が地を巡り、空気をも変えているように思えた。
「そうかもしれません。あの山のこともこの世界の人に聞いてみる必要がありますね。とにかく、また人の住む集落を探しましょう。早く見つかるといいのですが」
「ヴァル、その心配はなさそうだぞ」
そう言ったリョウマの視線の先には、木で出来た小さな門があった。近づいてみると、それは小さな街と思わしき集落の入り口であった。
「やったな。人が住んでるみたいだ。幸先いいスタートじゃないか?」
「ええ。でも思い出してください。先ほどの方はこの世界は気性の荒い人が多い、と言っていました。争いにならないよう細心の注意を払って行きましょう」
「そうだったな。気をつけよう」
決意を固めると、二人は街の中へ足を踏み入れていった。
街の中はフロズルドのそれとは違い、昼間から人が外で活動をしており、露店がたくさん見られた。はしゃぎながら遊ぶ子供や、大声で笑いながら立ち話をする男女もいた。
「さて、まずはどこに行くかな」
「そうですね。またこの街の長老様に話を聞いていただくことにしましょうか」
しかしリョウマは、今までのやり方で上手くいくのかという不安もあった。現にフロズルドではアスカの手がかりすら掴めず、その事実が更に不安を強くしていた。
「なあヴァル、今度は別のやり方で探してみよう。もっと効率的な方法もあるかもしれないし」
「別のやり方…ですか。構いませんが、何かお考えがあるのですか?」
そう言われて、リョウマは言葉に詰まった。特に何か考えがあるわけでもなかったのである。それでもアスカのため、ひいては自分の立場のために、街の中を見渡した。そして一軒の建物が目に入った。外に置かれている樽から察するに、それは酒場だと思われた。
「あれはきっと酒場だ。多少危ない橋を渡ることになるかもしれないけど、ああいうところの方がいい情報を聞けるんじゃないか?」
リョウマの記憶の中では、酒場のような社会の裏に通ずる者が出入りする場所は、他では聞けない情報が得られるものだと認識していた。といっても、映画やドラマで知った情報であったが。
「なるほど、私は思いつきませんでした。流石リョウマさんです。頼りになりますね!」
純粋な眼差しをリョウマに向けるヴァル。まさか映画やドラマで得た知識だとは言えず、リョウマは苦笑いしながら言った。
「はは…ま、まーな。さ、入ろうぜ」
二人は木製のドアに手をかけ、その中に入っていった。
酒場の中は当然ながら酒の臭いがプンプンし、あちこちのテーブルで客が食事や飲酒をしていた。とりあえずどこかに腰を下ろそうと、リョウマはカウンターの席を確保し、隣にヴァルを座らせた。
「さて…何か頼んだ方がいいかな?」
「はい、まずはお店の方に聞くきっかけを作る方がいいでしょう」
「よし、俺に任しとけ。あっ、すみません。注文いいですか?」
酒場の店員らしき男性に声をかけると、仏頂面でリョウマの元へ歩いてきた。その雰囲気に、リョウマは若干威圧されそうになった。
「…らっしゃい。何が欲しいんだ?」
「あー、えーと、何がいいかな…?」
情けないと思いつつ、ヴァルを横目で見る。店員はふっと嘲笑に近い笑みをこぼした。
「お客さん、旅の人かい? あまり見ない顔だしな。それにまだ若えじゃねえの。決まらないなら、ミルクでも飲んでな」
そう言うと店員は、本当にミルクを二人分持ってきた。しばらくそれを見つめていたリョウマだったが、おもむろに口を開いた。
「なんか、馬鹿にされた気分だな」
「え、ええ…。でも私たちがここに来たのはお酒を飲むためではありませんからね。これはこれでいいのでは?」
「まあ、そうだな」
それからリョウマは、もう一度店員を呼んだ。店員は、この忙しいのに、と言わんばかりの表情で歩いてきた。
「なんだ、まだ何か欲しいのか? それとも、ミルクのおかわりかい?」
「いや、そうじゃなくてさ。ちょっと人を探してるんだ。この女、知らない?」
完全に馬鹿にした態度の店員への怒りを圧し殺し、リョウマはアスカのことを尋ねた。珍しい魔法具を見せられた店員は少し驚いた様子を見せたが、先刻までの調子に戻って答えた。
「さあ、知らないね」
「知らない、か…。じゃいいです」
この世界でもアスカの手がかりは掴めない。半ば諦めかけたリョウマだったが、店員は意外にも前向きな言葉を続けた。
「まあでも、この中に知ってるのがいるかもしれないな。色々事情のある奴も多いから」
思いがけない反応に、二人は驚いた。ヴァルでさえ、いい返事が聞けるとは思わなかったのだ。
「あ、ありがとう」
「別に。面白いもん見せてくれた礼だ」
「ありがとうございます!お気持ち無駄にはいたしません」
頭を下げるヴァルに、店員は何も言わずに店の奥へと消えていった。
二人は席を立つと、早速周りの客にアスカのことを聞き始めた。が、返ってくる答えはいいものではなかった。
「人を探してる? 答えてやってもいいけどいくら出してくれるんだい?」
貧しい身なりをした男の答え。
「知らねえ。酒の邪魔をするな。失せろ」
アスカの顔を見もせずに言い放った男の言葉。
「人探しだって? …へぇ。なかなか美人じゃねえか。よく見たらお姉ちゃんも可愛いねぇ。俺と酒でも…なんだ連れがいるのか。じゃいいや」
ヴァルを口説きかけた男もいた。
有力な情報が聞き出せず、二人は疲労困憊して再び座り込んだ。
「…やっぱ思うようにならないよな。覚悟はしていたけどさ」
カウンターにもたれかかりながらリョウマがこぼす。
「はい。ここでは手がかりすら掴めるかどうかもわかりませんね…」
リョウマとヴァルは希望を失いかけていた。そこでリョウマは、自分たちのしていることを今一度思い返していた。
「そもそも俺たち、なんでこの世界にアスカがいると思ったんだっけ? あ、フロズルドの長老さんに言われたんだったか。そういえば、綺麗な女性がいるとか…」
とその時、ざわざわとしていた店内が静かになった。今まで会話をしていた男たちも静まり、皆同じ方向を見ている。そこには小さなステージがあった。
「さあさあ今日も始まったよ!ルケノリアが誇る情熱のダンサー、ミーアのダンスショーだ。楽しんでってくれよ!!」
ミーアと呼ばれたダンサーは、店の奥から元気よく飛び出してきた。彼女が姿を現すと、観客は大きな歓声を上げた。どうやらかなり人気のある女性らしい。長い赤毛を頂点で結び、肌はやや褐色で、上半身は露出が多くいかにも踊り子の着るような衣装だったが、腰から下はなぜか裾の長い、袴のようなものだった。
やがて、ミーアの見事な踊りが始まった。リョウマも思わず見とれてしまうほどの美しさであった。
「あれが長老さんの言ってた人かな。確かに美人っちゃ美人だけど」
「ええ、でもそうだとしたら、アスカさんのことではありませんでしたね。もう、出ましょうか」
「ああ…そうだな」
「はい、じゃあ今日もわたしと一緒に踊りたい人は手を上げて、ね! 今日一番のラッキーさんは誰かな?」
酒場を後にしようとした時、ミーアから告知が発された。盛り上がりから察するに、メインイベントであるらしい。
「俺と踊って!」
「いや、俺だ。頼む!」
「僕と踊ってくださいー!」
品定めをするように観客を見回すミーア。その視線はリョウマへと移り、両者の目が合うと彼女の指がリョウマを指した。直後、酒場の客の視線がリョウマへと注がれた。
「え、お、俺?」
「そ、今日は貴方に決定。さ、早く上がって来て!」
上がって来て、と言われたものの、リョウマは困惑して動けなかった。ミーアは仕方ないと言わんばかりに、彼の元まで歩いて来ると、手を取ってステージまで引っ張っていった。
「あの、自分踊りなんて…」
「そんなに心配しないで。わたしの動きに合わせて適当に踊ればいいから、ね?」
不安がるリョウマに、ミーアはそっと耳打ちした。言われた通り、踊りの主導権をミーアに委ね、リョウマはテレビで観た社交ダンスを思い出しながら、見よう見まねで動いた。
「いいじゃんいいじゃん。上手だよ。初めてにしてはね」
「ああ、うん、どうも」
緊張がほぐれ、少しだけ楽しいと思えるようになった頃、リョウマは酒場のざわめきが聞こえるようになっていた。
「あいつ、見ない顔だな。よそ者か?」
「なんか人探ししてる旅人らしいぞ。てことはよそ者かもな」
「さては他の世界の奴か?調子乗ってんじゃねぇぞ」
「ああ…僕のミーアちゃんと踊りやがって…」
「てめー…まさか獣混野郎じゃねーだろうな!」
観客たちの野次を聞いていたリョウマは再び不安に駆られた。ここには気性の荒い人間が多いというのは本当だったようだ。それによそ者や獣混人に対して差別意識も強いらしい。正体がバレたら何をされるのかと、気が気ではなかった。ちらとヴァルの方を見てみると、彼女もどうしたらよいかわからず慌てふためき、周囲を見回しながらおろおろしていた。
「あらら、なんだかヒートアップしちゃったね。…貴方、人を探してるんだって?」
「え、なんでそれを?」
「さっき裏でちょっと見て聞いちゃったのよ。貴方とあの娘が人探しで情報を集めてるってね」
ミーアはリョウマにだけ聞こえるように身体を寄せ、耳元で囁いた。リョウマは思わず身を引いた。
「あのさ、もし情報が欲しいなら、今夜この酒場の裏に来なよ。いいこと教えてあげられるかも」
「ほ、本当なのか?」
「どうだろ。ま、でも他に行く当てもないなら、何かしら情報はあった方がいいでしょ? じゃそういうことだから、待ってるよ」
そう言うと、ミーアはリョウマを突き放し、もう一度観客に向かって呼びかけた。
「はいはい落ち着いて。今日は特別サービス、もう一人だけわたしと踊ることにします。それでいいね?」
その言葉に、先ほどまで不満の嵐だった観客は収まり、自分と踊ってもらえるように、一層の盛り上がりを見せた。解放されたリョウマは、人の波をかき分けてなんとかヴァルの元へとたどり着いていた。
「大丈夫ですか? なんだか大変でしたね」
「ああ、なんとかな。とりあえず外に出よう。それから話があるんだ」
二人は一旦、酒場を後にした。
その夜、ミーアに言われた通りリョウマとヴァルは、酒場の裏へとやって来ていた。辺りは火の明かりが煌々としている他は、吸い込まれそうな闇が広がっている。
「ここで、合っているんですね?」
「うん。あのミーアって人は確かに言ってた。情報が欲しかったら来いってな」
昼間は活気に溢れていた街だったが、夜になると途端に静かになっていた。その分、不審な動きをすれば怪しまれることも考えられた。
「なんか、誘いに乗った俺が言うのもなんだけど、信用してよかったのかな…?」
「さあ…どうでしょう。私はリョウマさんを信用していますから、その判断に従うだけです」
「ありがとう、そう言ってもらえて助かる」
「いえ、と、当然ですよ…はっくしゅ!」
ヴァルは大きなくしゃみをひとつした。それはリョウマたちの世界を飛び出した日以来のことであった。
「ヴァル、また調子悪いのか?」
「ええ、どうも熱っぽいと言いますか…でもこの前よりは落ち着いていますので大丈夫です」
「そうか。無理すんなよ。それにしても遅いな。本当に騙されたわけじゃ…」
「何の話してーんの?」
その時、背後から何者かの腕がリョウマの首に回された。その気配に、二人とも気づくことはできなかった。
「うわあっ! あ、あんたか。おどかさないでよ…」
ミーアだった。昼間のダンサーの衣装ではなく、動きやすそうな探検家のような服装をしている。だが、肩や胸元、脚は大胆に肌を露出させており、さほど見た目に変わりはなかった。
「ごめーん、ついやりたくなっちゃって。でも来てくれたんだ。嬉しいよ」
ミーアはリョウマを離し、微笑んだ。そして側にいるヴァルにも気づき、自己紹介をした。
「改めてご挨拶、わたしはミーア。このルケノリアでダンサーをやってる…のは表の顔で、裏の顔はお宝とスリルを追い求める、トレジャーハンターなんだ。よろしくね。そういえば名前聞いてなかったけど、よかったら教えてもらえる?」
「あ、ああ。俺はリョウマ。よろしく」
「私はヴァルと申します。よろしくお願いします」
ミーアの自己紹介の後、二人も自己紹介をした。そこでヴァルは、ミーアの視線が自分に注がれていることに気づいた。
「な、何でしょうか?」
「ね、おでこどうしたの? 怪我?」
ヴァルは思わず、手を額の包帯にやり、慌てて答えた。
「こ、これは…ちょっとぶつけてしまったものでして…」
「ふーん、そうなんだ。でも、瘤にしちゃちょっと変だよねっ!」
言いながらミーアは、目にも止まらぬ素早さで近づき、ヴァルの額を手で薙いだ。包帯が解け、額の角が露になった。
「あっ…」
「お、おい、何するんだ」
ヴァルの身を庇うように割って入るリョウマ。ミーアはそんな二人に未だ微笑みながら、悪びれる様子もなく答えた。
「やっぱりね。貴方も獣混人なんだ。でも角なんて見たことないな」
「は、はい。そうですね…? 今貴方もと言いましたか?」
「うん。ま、わたしはこっちなんだけどね」
そう言うとミーアは身を翻し、尻を二人の方に向けた。見ると、ホットパンツの隙間から、縞模様の長い尻尾が生えていた。ダンサーの時の袴のような衣装は、この尻尾を隠すためだ、とリョウマは直感した。
「あ、あんたも獣混人なのか」
「そうだよ。びっくりした? これは虎の尻尾なんだ。他のところには、何もないんだけどね」
ミーアは、少し寂しそうな表情になって言った。と、そこでリョウマは酒場での観客の反応を思い出していた。
「昼間踊っていた時、お客は獣混人についてよく思ってなかったような気がしたけど、あの人らはそのこと知ってるのか?」
「知らないよ。みんな勝手なもんだよね。自分たちが大好きな存在が、実は嫌な種族だったなんて知らないで。もしそうだと分かったら、どうするつもりなんだろうね? あはは」
ミーアはまた微笑みを見せたが、先ほどまでの笑みとは違った。リョウマとヴァルにはどこか自嘲の混じった笑みに見えた。
「さ、じゃあ行こうか」
「「どこへ?」」
リョウマとヴァルは同時に聞いた。
「あの火山にさ。あそこには探しているものがあるかもしれない」
「本当に知ってるのか?まだどんな人か教えてもいないのに」
「トレジャーハンターの勘ってやつだよ。あそこにはきっと何かある。貴方たちも当てがないならついていく価値はあるとは思うんだけどな」
はっきりとしない答えに、二人は困惑していた。しかしミーアの言う通り、他に手がかりがない今、自信満々な彼女の勘に賭けてみるしかないと思っていた。
「いいか?ヴァル」
「はい。行ってみましょう」
「決まりね。じゃ、しゅっぱーつ!」
ミーアも加わった一行は、煙の立ち上る火山へと向かっていった。