かぐや姫の考察
かぐや姫について思ったこと。
かぐや姫について
「かぐや姫。
光る竹に愛らしい女子ありなん。
なんやかんやあって、月へと帰らん。」
この文章を見ると、
作者は月を惑星と認識していたと考えられる。
例えば、
「月に手を伸ばして取ろうとする」という表現等なら、
月の質量や月までの距離を把握できていないし、
丸く空に浮いている、何か光る物体という認識しかできていないと思う。
しかし、
「月から使者が来て、かぐや姫を連れ去った。」
確実に、月の大きさを認識して、惑星としての理解。
しいては、地球の地動説や地球球体説に通じる。
地球を平面ではなく、球体として認識していた可能性について
考える事が出来るのである。
ちなみに
竹取物語は成立年や作者は分かっていない日本最古の物語と言われる。
写本は西暦14世紀の物が最古として認識されている。
地球球体説は天文学によって、紀元前には確立されている。
実際、証明がなされたのは15世紀。
作者が地球球体説を自分で解いたのか、
他国からの学術的な事実として入ってきたものを理解したのか、
それは分からない。
ただ、知識を共有するのにはわかりやすい物語が必要だったのではないか。
ゆえに、作者は知識を物語に込め、浸透させようとしていたのではないか。
この事実からも
この作者が地球球体説を理解しうる頭の良さがうかがえる。
単純に難しい説を仰々しく唱えるのではない。
夢のある話にすることで、それがまるで常識かのように
知識を植える。
月を別の世界ととらえる表現は新しく魅力的に映ったのだろう。
ゆえに広まったのではないのかな。
かぐや姫の考察でした。
かぐや姫の作者が
地球球体説を自分で証明して理解していて、
周りに理解されないことを言って、
政府の目につき断罪されるのを避けるため、
自分の理論を広めるため、
物語化してたとかだったらロマン。
次回、
「生きているって、どういうこと?」