ある日、とある居酒屋で
その日、俺は同僚と会社の近くの居酒屋に来ていた。普段、上司との飲み会などはできる限り避けている俺だがそれも目の前の相手となら少し話は変わってくる。こいつは入社してから新人研修のときの班に始まり、その後配属された部署も同じで、同じ年に入った奴の中では一番長い、深い付き合いをしている。
「それにしても珍しいな、お前が俺の事誘ってくるなんて。いっつも酒はいらんとか言ってるくせに」
「たまにはそういう気分の日だってあるさ。それより君こそこういう場に来るのは珍しいような気がするけど」
「そうでもねぇよ。おっさんの武勇伝なんざ毛の先ほども興味がないってだけだ」
言って、目の前のジョッキを傾ける。
少し空いた間で考える。そういえばこいつとは仕事であちこち行くし、話も結構するけどこうしてプライベートの時間に二人でいることは少ないんじゃないだろうか。
「そういえば、お前と二人ってあんま無かったな」
「そうだよ。いっつも店は高いだの、つまみとかつくりゃいいだろだの言って後輩とか昔の友達とかの誘い断ってさ」
「あー……。確かに言ってるわ。でもよ、それ言ったらお前だって俺のこと誘うことほとんどないじゃねぇかよ。……お、来たぞ」
俺たちの目の前に、カウンターの向こうから串焼きが差し出される。俺は隣に座っている同僚の口にとりあえず一本突っ込んでおいた。俺よりも低いところに頭があるから簡単に手が届く。
何か言おうとしていたらしいが、上品なのか食い意地が張ったのか、口の中のものを処理することを優先している。たれで手が汚れないようにしているのを見ながら、俺も一本口に入れる。馬鹿にできないくらいには美味い。そのままもそもそと口を動かしていると、食べ終えた同僚がぐびっと一息。
「ぷはっ!君がそうやって普段誘われても行かないの見てるから遠慮してるんだよ。たまには良いでしょ?お店で飲むのもさ。あ、飲み物頼もうか?」
「んじゃ、もう一杯ビール。まぁ、たまには悪くもないかって感じだ」
「でしょ?他の人のお誘いもたまには乗ってあげないと苦労するよ~?」
注文をして、こちらに向けてどや顔でそんなことを言ってきた。少しイラッとしたので、来たばかりの唐揚げを口の中に突っ込んでやった。涙目でひとしきり悶えるそいつを見て、俺は笑いながらジョッキに手を伸ばす。
席に着いてから結構な時間が経ち、お互いほろ酔いとなってきたころに、こいつは突然言った。
「こういう状況だとさ、恋バナでしょ!君はなんかそういう話はないのかい!」
こいつ結構酔ってるな、声もでかいし。とはいえ俺にそういう話はこれっぽっちもありはしない。
「ねぇよ。お前が一番知ってんだろうよ」
「会社はいる前とかさ、なんかあるでしょ?あ、なに、それとも年齢と彼女いない年数が同じ人なのかい?」
「……悪いかよ」
その言葉を聞いてこいつは一瞬固まる。ちょっとは大人しくなるかと思ったが、次の瞬間、こいつは大爆笑しやがった。
「あははははっ!う、うそでしょ!普段、あ、あんなに自身たっぷりなのに……。ぷっは、あはは。く、くくく。し、信じらんない」
流石に笑いすぎではないだろうか。こいつにとって俺が年齢=彼女いない歴だったことは心のドツボにはまる出来事だったらしい。先程よりイラッときたので、俺の手元にあったチョリソー(激辛)を口のなかに突っ込んでおいた。涙目になりながらこちらに抗議の視線を送ってくる。
こいつは辛いのが苦手だ。ついでに苦味も得意ではない。子供舌なのだ。最初の注文で「生二つ」と言ったときも渋い顔をしていたしな。
「何するんだよ!てか何でこんな辛いの平気で食べれるのさ」
「それはあれだよ。大人だから?」
「歳一緒じゃんか」
今度はジト目をされた。
「だってお前子供っぽいからさぁ。本当に歳同じなんだよな?」
「失礼だな!大体さ、君、自分が新卒で入ってるんだから歳違うとしてもこっちが上だろ?」
「え、お前上なの?」
少し驚いた顔をしてみた。もちろんからかってる。こいつの膨れっ面を見るのはそこそこに楽しい。
「もうっ、そうじゃないってばぁ!」
そう叫んで、やけになったように目の前にあるグラスの中身を音をならして空にする。面白かったから俺は少し笑って、あと少しあったジョッキを開けた。そして、次は何頼もうかとか考えながら手を挙げる。
気が付くと結構長居していたらしい。ほぼ満席だった店内は、客がちらほらと見えるくらいになっていた。隣に座っている同僚は目が据わってきている。
「さっきの続きだけどさ、君はどんな子が好みなんだい?」
「特に考えたことないな。そのとき好きなやつが好みだよ」
何いってんだとか思いながらも、適当にあしらっておいた。普段なら引き下がるのだが、今日のこいつは酔っていた。
「合コンの予想回答集じゃなくて!いっつもそうやって適当なこと言ってさ!たまには答えてくれても良いじゃんか!」
続いて、プライベートがどうの関係がどうのとぼそぼそ聞こえてきたが、そのつぶやきは俺の耳に入ってくるだけで、その意味まで考えてはいなかった。今、俺の頭にあるのはまた別のことだ。そういえば、俺はこいつとは付き合いは長くなるがお互いのことはあまり知らないな。精々出身地と、誕生日くらいか。誕生日にしても、こいつが毎年祝えってうるさいから覚えてるだけで、俺から聞こうと思ったことじゃない。
だから、たまには俺のことを教えてやろうと思った。ちょっと酔ってたしな。口も軽くなってたんだろう。ネタが好きなタイプだっていうのは少し笑える話だが。
「で、なに、好きなタイプだっけ?そうだな、元気な子は高得点だな」
そこまで言うと、同僚はきょとんとしてこちらを見ている。さっきまでのテンションは少しは落ち着いたか。
「え、ほんとに答えてくれるの?」
「要らんならやめる。たまにはいいかと思っただけだ」
慌てたように首を横に振る。それはいいけどあんまり頭振ると酒回るぞ。
「い、いや!ぜひ、ぜひに!他には?まだあるでしょ?」
すごい目が輝いている。さっきまでの据わった目はどこに行った。
まぁ、答えるって言ったのは俺だからな。続きを話し始める。
「他か、俺よりも背が低いといいな。自分が見上げるのは男としてなんか嫌だ」
「身長かぁ。でも世の中それで困ってる女の子も多いらしいよ?」
「知らんよ。それはそれで需要あるだろ。で、あんまり女々しすぎるのは嫌だな。別にかっこいい姉御肌が良いって訳じゃないけど、あんまり女々しいと疲れる」
「さばさばしてる人が良いってことかな?」
うんうんと頷きながら聞き返してきた。グラスの氷が溶けだしてカランと音を立てた。
「まぁ、そんなとこだな。あとは、からかい甲斐があるっていうか見てて飽きないようなのがいいかな」
「君、いっつもからかってくるしね」
やたらにこにこしながら言ってきた。こいつMなのだろうか。
「……まぁ、お前は面白いよ。ついでに、というか結構大事だけど話しやすいといいとは思う。だから、ある程度の付き合いの長さは大事なポイントだな」
「君、ときどき後輩相手でも困ってるもんね。仕事のときは大丈夫なのに」
「仕事は割り切ってるからな。最初のころの飲み会とかきつくてやってられんかったよ。まぁ、こんなもんだ。対して面白くもないだろ」
「君の飲み会嫌いはそういうところも関係あったんだ。と、いやいやとても興味深い話だったよ。思わず酔いが少し醒めたくらいだ」
言うだけあって落ち着きが戻っている。
少し口が乾いたので、グラスに手を伸ばす。氷が解けて、中身はすっかり薄まっていた。
薄まった飲み物を飲み終わったら、店員からラストオーダーを告げられた。本当に長居していたらしい。時計を確認したらもう天辺を回りそうだ。
「遅くなったな。もう出るか」
頷いたのを見て席を立つ。同僚も後に続いて立ち上がり、二人で会計を済ませる。
店を出ると少し冷たい風が通り抜ける。酒で熱くなった体には心地良い。同僚も横で背伸びをしている。
「んーっ……。ちょっと飲みすぎたねぇ。明日が仕事だったら大変だったろうね」
「明日仕事だったらそもそも来てねぇよ。ま、結構楽しかったし良いだろ」
「そうだね。君の面白い話も聞けたし」
そう言って笑うと少し考え込むような顔をした。ん?なんか気が付いたか?
「駅、行こうぜ。終電無くなっちまう」
「……そうだね、行こうか」
駅までの道中、あまり会話は多くなかった。別に居心地が悪い訳ではないが、こいつがあまりしゃべらないのは少し不思議な気分だ。
そして駅に着いた。
「おい、着いたぞ」
「え、あ、本当だ。ごめんね、ぼーっとしてた」
「いや別にいいんだけど、何かあったか?」
そう聞くと、真面目な顔をしてこちらを見てくる。
「うん。あるかな。ねぇ、君の好みってさ、元気で話しやすくて、君より背が低くて、見てて飽きなくて、女々しすぎない付き合いの長い人なんだよね」
「まぁ、そうだな。間違ってない。別に最低条件って訳じゃないけど」
「あとさ、最初に言ってた好きになった人が好みっていうのは、本当?」
「……適当に言ったのは違いないけど、嘘って訳でもないな」
あぁ、まぁ、考え込んでたあたりから覚悟はしてた。
「ねぇ、もし違ったら笑ってほしいんだけど……「違わないよ」……え?」
「だから、違わないって。お前が思ってることで合ってる。
……俺は、お前が好きだ。元気があって、俺より背の低い、見てて飽きないお前が、仕事始めてからずっと一緒にいる、お前が、好きだ」
そういうと、彼女は驚いた顔をする。
「私だよ?こんな女らしさのかけらもない、ちんちくりんがいいの?」
「ああ、俺にとっては長所でしかないよ。だから、お前さえ良ければ、俺と、付き合ってくれ」
鼓動が早くなる。手汗がすごい。口から出てくる言葉が遠くから聞こえてくる。彼女が口を開くまでの時間がとても長く感じた。
「私も、私も君が好き。ずっと隣で私を見てくれて、優しくて、不器用だけどなんでも頑張ってる、君が好き。だ、だから、喜んで、お付き合いさせて、ください」
最後のほうは涙声になっていた。だけど、しっかり聞き取れたし、俺も視界がぼやけてるし、何も問題なんか無い。
「ありがとう……。これから、よろしく」
これ以上しゃべると涙が出そうで、これだけしか言えなかった。
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
そういう彼女は泣いていたけど、とても綺麗な、満面の笑顔だった。
とても懐かしい夢を見た。しばらく余韻に浸っていたが、起き出して居間に向かう。居間の近くに行くと、子供の声がする。
「え~!それで?それで?」
「そしたらパパがね?泣きそうな声で、ありがとうって言うんだ」
「きゃ~!パパかっこいいねぇ!」
俺は慌てて居間に入る。これ以上娘に俺の恥ずかしい話をされてたまるか。
「お、おはよう」
「あ、パパだ~。おはよう!」
そういって俺にしがみついてくる娘。いつ見ても可愛いものだ。
「あのね?あたしもパパの事だいすきだよっ!」
「ああ、パパも君のことがだいすきだよ」
そんな俺たちをみて、あいつが声をかけてくる。
「ねぇねぇ、私は?」
「もちろん、愛してるよ。今までも、これからも、世界で一番愛してる」
あいつは顔を真っ赤にして、娘は目を輝かせてこっちを見てくる。あんな夢見たからこんなことを言ってしまうんだ。俺は恥ずかしさをごまかすようにテーブルに座り「とりあえず、朝ごはんくれ」と言い捨てた。あいつの顔はまだ赤かったけど、その日の朝飯はいつもより美味しかった。
俺は今、幸せです。
最後まで見て頂きありがとうございます。
初投稿なので、至らぬ点等ありましたら。教えていただけると嬉しいです。