94話目
女の子が戻ってきたのは、すぐだった。手に、なにかを抱えている。そしていきなり、ずっと手に持ったなにかを差し出してきた。それが邪魔で、これ以上無視したら女の子が泣いてしまう気もしたし(実際彼女の目に涙が浮かんでいた)俺はようやく反応した。
「……なに、これ」
俺が反応するだけで、女の子はぱっと顔を明るくした。それを悟られないよう、またすぐに怒ったような表情に戻ったけど。
「……怒ってるんでしょ」
「怒ってるのは、君じゃないの?」
「怒ってなんかないわよ。だからそれ、あげるの」
「へ?」
なにかは、紙袋だった。中を覗いたら、子供用の水彩絵の具が入っていた。
「消耗品じゃない、絵の具って」
「俺の使ってる製品と違うんだけどな……」
「なによ、気にいらないの?」
「気にいらな……いや、気にいったよ。ありがとう」
素直に感想を伝えれば女の子は泣いてしまう気がして、俺は礼を言った。女の子は満足そうな顔をした。
「アンタ名前、何ていうの」
年上に向かっていきなりアンタとは。アンタって。色々むっとしたものの、なんとか平常心を保つ。くそガキめ。やっぱり気にいらない。
「田代晃」
「ふーん。ありふれた名前ね」
「……悪かったな。じゃあ、君は?」
「教えない。知らない人に名前、教える訳ないでしょ。変態」
「……」
なんてうざいガキなんだろう。僕は胃が痛くなる想いだった。絵の具はありがたくいただくけど、いつも使ってるのと違うし、なにより……使いかけだろ、これ。
「中学入るとポスターカラーだから、もうそんなの、使わないの。だから、あげる」
「……」
俺の心を見透かしたように、女の子は言う。……あまりものなんじゃないか。
「なんでこれを、僕にくれたの?」
「そりゃあ、絵を描いてたからよ。それ以外に、なにか理由ってある?」
いっちいち勘に障る奴だ。なんで俺はこんなのに構っているんだろうか、とふと考えた。
「ねえ、何の絵なの? それ」
「……見て分からないのか?」
「風景見て描いてるにしては、全然違うものが見えるんだけど」
「……そのまんま描いても、おもしろくないだろ」
木の葉を紫に塗ったり、枝を赤に塗ったりしながら呟いた。
「趣味わっる。なにかきたいのか全然わかんないし、へたくそね」
「……そうかも」
いや、そうに違いないと思った。俺の絵は……へたくそで、どうしようもない。きっと。
「…………嘘よ。上手だとは思うわ。色合いが最悪だけどね」
「無理しなくていいよ」
「賛辞は素直に受け取りなさい」
賛辞、なんて難しい言葉。最近の中学生は、すごいなあ。ぼんやりと的外れのことを考えた。餓鬼ガキ思ってたが、中学生って結構でかいな。
「……アンタ、いつまでここにいるの?」
「は?」
「ここじゃ、見たことないもの。里帰りでしょ」
「……まあ」
「だから、いつまでいるのか聞いたのよ」
「聞いてどうすんだよ」
「……別に。とにかく、おしえなさい」
なんちゅうか、中学生ってほんとむかつく。俺が中学生のときは、どうだったっけ?
「……明後日に、帰る」
「ふうん。……じゃあ、明日もここに来なさいよ」
「はあ?」
俺がその意味を理解したのは、明日になってからだった。




