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93話目

真ヒロインかもしれない

 あれはちょうど、一年くらい前のことだった。仕事で疲れつつも、なんとかもぎとった盆休みに、俺は故郷へ帰ってきたのだった。久々に会った母さんや父さんと酒を飲み交わしながら話をして、少し風にあたるために外へ出た。いい風の吹く木の下で、学生のころよくしていたように、絵を描くつもりだった。スケッチだ。誰にも邪魔されない、自分しかいない場所。そこでのんびりしようと思っていたのだが……


「こんにちは、おじさん」

「……ああ」


 先客が居た。

 まだ幼い女の子で、こんなところに夜にいるのは、違和感を覚える光景だった。風が吹いて、女の子のワンピースを揺らした。僕は少しだけ後ずさりした。こんなご時世だ。性犯罪者扱いされるのは、勘弁だった。が、思い直して止まる。誘拐でもされたら、俺のせいになるかな。


「……君、どこのこ? お母さんは? はやく帰らないと、心配されるよ」


 女の子は、少々がっかりしたみたいにため息をついた。


「みんなと同じこと言うのね。つまんない。ここを知ってるから、ちょっとは面白い人かと思ったんだけど」


 なんだこのクソ餓鬼。若干イラっとする。ここを知ってるからって、なんら特別の理由にはならないだろ……それに、面白い人かどうか、って……。

 腹が立ったので、ずかずかと近づく。


「な、なによ!」


 そのまま無言で木の下に座って、画材やらを取り出す。こういう餓鬼は、無視してやるのが一番なんだ。憎たらしい態度をとるやつというのはたいてい、寂しがりの、構ってちゃんなんだから。放っておくのが一番効果を与えられる。

 案の定そいつもそうだったようで、こちらをちらちらと伺っている。バレていないつもりなのだろうが、バレバレだ。無視し続け、黙々と作業を続ける。鉛筆で大体のパースを取り、下書きを描く。ペットボトルの水に絵筆をつけ、絵の具に浸す。こうして絵を描いているときが、一番集中できる。こうしていると、邪魔なことや、無駄なこと。全てがそぎ落とされていくような気分になる。俺は絵が好きなんだなあ、と改めて感じた。幸せだった。


「……ねえ」


 少しずつ、色がついていく感覚が好きだ。住む場所が変わって、やる事が変わって、母と父に会わなくなっても。ここからの風景は、学生時代となにも変わらない。俺はずっと、ここの風景を見て育ってきた。森があって、まばらに家があって。ほぼ木しかないけれど、なんだか心の休まる風景。俺の故郷。


「……ねえってば!」


 なのになんでまあ、こんな雑音が入っちゃうんだか。


「……なんだよ」


 さっきからうるさい女の子に顔を向ける。女の子はぶすくれたような表情をしていたが、俺がそっちを向いたことに安堵したようだった。けどそれを悟られるまい、と無理やり不機嫌な顔をつくる。


「なに、してんのよ。さっきから」

「決まってるだろ。絵を、描いてるんだよ。……さあ、僕はつまらない男だからさ、どっかへいきなよ」

「……行かないわよ。先に私がここにいたんだから」

「あっそう」


 無視して、そのまま絵を描き続ける。女の子は手を出したり、散々邪魔をしてきた。でもやっぱり何の反応も返さないでいると、女の子はすっくと立ち上がった。そのまま、走り去ってしまう。

 ……ようやく帰ったか。

 はあ、とため息をつき、絵に向き直った。うん、なかなか進んだ。

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