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74話目

きりが 悪い

「うわっ……だれだよ、このひと」


 武谷が小さく呟くのが聞こえた。俺はそれどころではなかった。この声に、聞き覚えがあったからだ。背筋が震える。感じているのは、まぎれもない恐怖だった。


「おい、若杉……誰だよ……若杉?」


 小さな声で武谷が俺に聞くが、俺は返事を返すことができなかった。……どうでもいいけど、本人の前で誰だよって言えるって、武谷メンタル強いな。


「……君は、由布の友達かね?」

「えと……そ、デス」


 武谷は、返事がない俺を不審に思っているようだ。俺はといえば、とりあえず必死に扉を押さえつけていた。背中が痛い。傷はまだ、治ってない。


「ああ、すまない。申し遅れたね。私は、由布の父親だ」

「やっぱり。ですよねー! こちらこそすみません、なんかお邪魔しちゃってて」

「由布に、君のような友達がいたとは知らなかった」

「この前、学校に来たとき、友達になったんです! な、若杉」

「……」

「わかすぎぃ……」


 しょぼくれたような声が聞こえる。それでも、俺は返事を返せなかった。

 武谷は、勘のいい奴だと思う。声に少し、緊張感がある。俺の様子がおかしいことと、この人との関連を探っているんだろう。


「由布、出てきたらどうだ。お友達の前だぞ。失礼だろう」


 少し落ち着いた声で言われる。黙れ、と内心で叫んだ。世間体くらいしか、気にしてない癖に。俺は返事を返さなかった。


「由布」


 声に少し苛立ちが混じる。やばい、と直感する。これは、暴力を振るう前のクセなのだと、感覚的に知っていた。これはきっと、由布の記憶だ。


「開けないか、由布」


 どん、と扉が大きく叩かれる。死にそうな気分になりながらも、抑えた手は外さなかった。

 入ってきたら、死ぬ。そんな感じがした。死ぬ気で閉じ籠んなくちゃ。


「……あの、そんなに乱暴にしなくても」

「このくらいしないと、きっとこの子は出てきてくれないよ。……君も、会いたいだろうに。由布が、すまないね」


 嘘つけ。そんなこと、欠片も思っちゃいないくせに。

 そう怒鳴ってしまいそうになるのを、ぐっとこらえる。そんなこと言ったら、あとでどんな目に遭わされるかわからない。……主に、若杉由布が。 

 どんどんと、扉が叩かれる。なんか、ホラーゲームみたいだと現実逃避じみたことを考える。もうなんかほんと、嫌だ。


「あの、俺、ほんと気にしてないんで!」

「……すまないね。由布が、あんな調子で」


 扉が叩かれる音が、止まる。ナイスだ武谷。武谷の声が、少し引いている。多分、父親に対してただろう。確かにこんな奴、出てきたら普通にドン引きする。声だけが妙に優しく取り繕っているのが、キモチワルイ。


「あ、えと……」


 武谷の声が急に小さくなる。なにを言っているのかよく聞こえなくて、そっと耳を澄ます。幽かに聞こえた。


「ゎ、……ぃっ……」


 少ししか聞き取れなかった。けど、多分……いつから不登校なのかとか、そんな感じだろう。

 確かにそれは、気になる。返事を聞きたくて、もっと耳を澄ます。父親の返答は、さっきよりずっと聞き取りやすかった。というか、声を潜める気がないようだった。


「中学生の頃から、ちらほらと。でも、今年に入ってから、まったく行かなくなった。……なにがあったのか、私にも話してくれないんだよ」


 聞く気もないくせに。

 でも、初耳の情報だ。中学から、若杉由布は不登校になった……てっきり、家族のことが関係しているのかと思っていたけれど。そうでもないみたいだ。


「へー……そうなんすかー……やっぱ、俺たちのクラスになんかあるんすかねえ」


 それはない、と言いかけるのをなんとか止める。だって、いいクラスじゃん。わざわざ来てくれる友達もいるんだし。


「大丈夫だよ、きっとこれは由布自身の問題なんだ……はやく、学校に行けると、いいんだがね。私からも今日、少し強くいってみるよ」


 ぞわっとした。

 逃げなきゃ、と反射的に思う。やばいって、ぜったい。こいつは危ない。


「そー、ですか……? あの、やっぱり本人の問題かもしれないですし……そんな、強く言わないであげて、くださいね」


 武谷が遠慮がちに言う。そうだそうだ、もっと言ってやれー……。


「たまには、強く言うことも必要だと思うんだ」


 ……こいついっぺん、まじで死なないかな。

 なんだかキレてしまいそうだ。さっきよりか、恐怖も和らいでる気がする。小さな声を上げた。


「……こいつだよ、さっきの」

「え?」


 武谷には、聞こえたらしかった。俺はこいつのせいで学校に行かないんだ、……そういうことにしとこう。実際には父親は行かせたがってる訳だけど。

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