70話目
「げっ……」
なんでか慌てた声が漏れる。確か、あの声の主は―――武谷だ。
いったいなんで家にくるんだよ。前に学校行ってから、結構経ってる筈だが……。
「プリント、届けに来ましたぁ。あの、由布くん、家にいますよね? なら、直接説明させてもらえると、嬉しいんですが……」
「あら、そうなの? じゃあ、ゆうー?」
俺を呼ぶ声がする。どんな顔で会えばいいのかもわからず、俺は声を無視した。
「……出て、こないわねぇ」
「じゃ、行きます。俺。上がっていいっすか?」
「えっ、家汚いんだけど……ハウスダストとか持ってないわよね? 大丈夫だよね?」
「あっ、大丈夫っす」
……心配するところ間違ってないか、母さん。けれど、なんだか声がうきうきしているように聞こえた。やっぱり、息子のことを心配していたのかもしれない。良い人だ……。そう思いかけて、昨日の夢を思い出した。もうなにも信じたくない。
「じゃ、お邪魔します……二階、ですよね? 上がっていいっすか?」
「もちろんよぉ。汚いけどね」
階段を上がる音がする。
……ちょっと待て。
一瞬で扉を抑える。そのすぐあとに扉が押される。危ない危ない。ぎりぎり間に合った。
「……今、思いっきり扉抑えられた気がしたんだけど、どゆこと? 若杉」
「入ってくるな今俺はオフだ」
「元気そうだな。風邪ってことらしいけど。一ヶ月くらい」
「……ごほごほ」
「棒読みだなぁ」
扉に掛かる圧力は相変わらず変わらない。ぐぐぐと押され続けている。……こいつ力強いな!
「で? 何の用だよ」
「だから、プリント届けに来たんだって。説明、必要だから」
「そこでしろ」
「ええ……」
嫌そうな声を上げる武谷。
「いいじゃん、別に。なんで駄目なんだよ」
「オフの時は人に見られたくないって気持ち、あることないか? それに、部屋汚ねえから」
「それならきっと、俺の部屋のが酷いよ」
「……でも嫌だ」
別に、そこまで汚い訳でもない。ただ、ベッドの下のノートは見られたら死ぬし、日記も同様。引出の刃物は見られたらまずい。だから、自分以外の人間をこの部屋に入れたくなかったのだ。
「ま、いいけどさ」
納得したらしく、武谷が呟く。扉の下の隙間から、すっとプリントが差しこまれた。手に取って、見る。難しそうな数式が並んでいた。
「……なに、これ」
「数学。宿題。ま、それはいいんだよ。その下にもう一枚、あるだろ?」
見ると、確かに入っていた。武谷がちょっと息を吸ってから、言う。
「……なんかこれ、本人に直接渡すのもどうかと思うんだけどさ……」
それは、一枚の紙だった。みんなからのメッセージ、とか呼ばれる。




