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56話目

 慌てて体を起こす。……今の、音……。

 コン、コン。ドアが遠慮がちにもう一度叩かれる。誰、だ? 勝手に出ていいのか? そう考えている間に、もう一度コン、とドアが叩かれる。気のせいか、さっきより調子が強い気がする。焦っているのか? さっさと出ろ、とでも言っているのか。

 そっと息を吸う。おそるおそる立ち上がり、ドアに近づいた。ドアノブを握ったまま固まっていると、今度はドンドンと激しくドアが叩かれた。少しビビったあと、そっと口を開いた。


「……誰、だ?」

「……由布、やっぱりいるんだな」


 返事が返ってきて、びくりと身を震わせる。どこかで聞いたことのある声だ。しばらく考えて、どこで聞いたのかようやく思い出す。ああ、兄だ。若杉由布の。若杉、恵登だ。


「どうしたの?」


 一旦警戒を解き、そっと問いかける。まだ、ドアを開ける気にはなれなかった。


「……お前、会ったんだろ? ……裕美に」

「あ……」


 どうしてそれを知ってる、と掠れた声で呼びかけた。頭の中では、夢のイメージが回っている。手をつなぐ恵登と裕美。恋人同士のように、仲睦まじい様子。笑いあう、様子。

 そんな俺の思考が、扉をドンと叩かれる音で中断された。そうだ、考え事してる場合じゃなかった。


「……なんで、知ってるの」

「やっぱり、会ったんだな」


 確信を得た、そういう声色にやってしまったことに気付く。認めない方がよかったんだ! なにやってんだ、俺……。ごめんよ若杉由布。なにがあったのか分んないが、こいつに情報を与えてしまった。


「……で? それだけ?」


 半ば投げやりになりながら聞く。ああもう、どうにでもなってしまえ、ごめん、若杉由布。どうせなんでもないんだろうと思っていたが、返ってきた答えは予想外のものだった。


「……元気に、してたか? 裕美」

「え、」


 一体、そんなことを聞いてなんになるというのだろう。警戒しながら、答える。


「元気そう、だったけど」

「そうか……」


 一瞬、沈黙があった。不可解な空白。それを埋めるように、扉の向こうの兄が呟く。


「よかった」



……なんて、優しい声なんだろう。そんな声、出せたのか。俺の中で出来上がっていた兄貴像がガラガラと崩れていくようだった。

 いつの間にか、扉の向こうから兄の気配はなくなっていた。本当に、それだけを聞きに来たらしい。


 もしかして、兄ってただ妹のことが心配なだけのいい人なのか?

 俺の中で、そんな仮説が生まれつつあった。

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