111話目
日記を書き終わると、どっど疲れがやってきた。緊張していた分が降りかかってきたみたいだ。目を閉じて、ふうと息をつき、ごろんと床に寝転がった。
これで、大丈夫。断られたらどうすればいいのか。それを考えるのは、俺じゃない。ゆっくりと目を開き、あたりを見渡す。低い視線で部屋を見るのは、久々のことだった。
「……あ」
ベッドの下が見えた。ノートが、ベッドの下にあるのが、見えた。
気付くと、ゆっくりと手を伸ばしていた。
「……」
手触りは前と変わらない。懐かしい気さえした。
ぺらぺらとページを捲る。前見たときと、同じ文章。心躍る物語が、そこにあった。文章が新しく増えていて、夢中になって読んでしまった。文章は、変わらなかった。それが少し、うれしかった。
俺の使っていたノートも、あった。久々に開く。前描いた絵がそのままに、残っている。若杉由布の物語を見て、心躍らせて書いた絵たち。
そっとなぞると、今にも浮かび上がってきそうな、そんな感覚がした。
「……よし」
鉛筆を手に取り、しゃっしゃっと紙の上で滑らす。紙と鉛筆が擦れる音が、心地よい。ずいぶんと、懐かしい感触だった。描ける、今俺は、描ける。それがうれしくて仕方がなくて、なんだか涙さえ出てきてしまいそうだった。
紙の上に、だんだん人の形が浮かび上がってくる。やがてそれが形を取り始め、物語の登場人物に、そして1シーンになっていく。その瞬間が、俺はずっと好きだったのだ。
ぴたりと、手を止める。
あの女の子は……この感覚を、知ることができたのだろうか。
絵を描くのは、……好きだ、多分。今描いていて楽しいし、きっと、そうしなければ息ができない気がする。
女の子は、別に好きでもなんでもないんだろう。だから、俺にあの絵を任せたんだろうし。でも、だけれども。
女の子の絵を思い出す。子供らしくて、元気な、自由な絵。ぐちゃぐちゃだったし、いろいろ「なってない」部分があったけど。見ている人を笑顔にさせるような絵だった。
多分、好きだった。あの絵が。
「……」
鍛えれば、きっともっと上手になるだろうな、と思う。
そして、その絵を見てみたいとも。
「……」
でも、俺にそんな資格はない。人を育てられる技術があるとも思えないし。……それに、彼女は絵が嫌いなのだから。無理強いは、したく、ないのだ。
でも、だけれども。
ふっと目を閉じる。強烈な色彩が、目の裏に浮かんでくる。はっきりと思い出せた。多分、心の奥底の大事なところに、しまっておいたからだった。
「……見たいなあ」
ダメだと、わかっているのに。
はあ、と一つため息をつく。自分のだめさ加減に、あきれたからだった。
さっきの日記に、少しだけ付け足す。
『あと、もうひとつ。できることなら、ちょっとだけ話をしたいです。その……ほんの、ちょっとだけでいいから』




