3、立ち上がった少女
菅原時安の三の姫である私は、幼きときから他者には聞くことの出来ない声を聞いた。
まだ無邪気だった頃は、それは普通のことであると思い周りにもよくそれを教えていた。
「ねぇ、今どなたかがけんかをなさっているわ。」
私が言うと母上と乳母は顔を見合わせた。
「三の姫、私たち以外にここにはおりませんし、誰もけんかなどしておりませんよ。変な事を言って、母を困らせないで。」
「母上様?」
でも、喧嘩している声が聞こえるのよ?
すると母上は立ち上がり、四の姫をあやしにいく。
私はその母上の姿をじっと見つめていた。
母上様、私には聞こえているのに。
3、立ちあがった少女
菅原家は、はっきり言って中流貴族。
父は近衛の少将で、家には申し分程度の使用人がいるくらい。
一の姫は父のつれてきた相応の者と結婚し、二の姫は妻に請われたからと格上の者と結婚した。二の姫の夫、つまり私の義兄は姉のほかにも数人の妻がいる。
二の姫はよく言っている。
「全く、もう1ヶ月も顔をお見せにならないわ!私のことをお忘れになったのかしら。」と。
そんな2人の姉をみて育った私は、身分不相応な恋はしないと決めている。詰まるところ、二の姉姫のような日々を送りたくないからだ。
そろそろ私なも結婚の話が来るだろうが、父の連れてきた相手と結婚するだろう。
それが一番楽だ。
「そよ、手伝うわ。」
私が声をかけるとそよは手を止めて私を見た。
「まぁ、姫様助かりますわ。ではそちらの野菜を洗ってくださいませ。」
中流貴族とは聞こえがよいが、上流階級のように一日を歌を詠んだりしてすごすわけにはいかない。
特に家は使用人も少ないから、私も手を貸すようにしている。
姉たちも手伝っているし、時には母上も手伝っている。
そよに言われたように、野菜を洗っていて閃いた。
あの方は、一人暮らしだ。
何でも、父上様は彼が元服してすぐに亡くなったと聞いている。
それに尋ねたとき人気が無かったことから、使用人もいないようだった。
私にできることは、他にはない。
私は自由にできるお金はないし、琴姫様を助けてくれるのなら。何かお礼をしなくては。
昼餉を食べ終わった後私はそよに断って家を出た。
「三の姫様?」
この間と同じように市女笠を被って尋ねた安倍晴明様の家。
声をかけたが、返事がなくまだ出仕から帰られていないのかと、肩を落としたときだった。
後ろから声がかけられた。
「晴明様!」
「何故、ここへ?」
「お礼をしようと思いまして。」
慌てて私にかけてきて、そして私の顔を見ないように気をつけてくれていた晴明様は私の声を聞いて、思いっきり顔をあげた。
「厄介なことをお頼みしているのです、お礼に私にできることはさせてくださいませ。」
そういうと、彼の許しをもらう前に彼の手を引っ張って中へ入った。
「さて、まずはお掃除ですか?」
動きやすいように格好は整えてきたし、この家は広いからやりがいがありそうだ。
そう思って市女笠を取り払うと、長い髪をくくりあげた。
「姫様、やはりお帰りになったほうが……」
後ろから声をかけられたので、振り向くと晴明様がいた。
晴明様は、一瞬かたまっていたがすぐに動き出すと私に背を向けた。
「姫様、お顔を晒すものではありませんよ。」
「あっ。」
私は指摘されて気付いた。
「ごめんなさい。」
謝り、また笠を被ろうとして気付いた。
これを被っていると、作業はやりにくいだろうなと。
それに顔を隠すための扇子だって、荷物になるから置いてきた。
つまり、顔を隠すものがない。